十一.
「あとはこれだ。」
芹沢教官が取り出したのは、ビー玉サイズの半透明の球体だ。よく見ると中に小さな魔法陣が入っているが、小さいのと角度が悪いのとで、詳細が読み取れない。
なんだろうと、ふてくされていた茜も小首をかしげて覗き込む。教官に許可を得て取り上げると、手のひらに確かな弾力が伝わってきた。
「魔法陣入りのゴムボール?」
「昨日やった要領で、これをあの標的にぶつけてみろ。」
教官が指し示すのは壁際に設置された訓練用の的だ。言われるままに蝶と同じ要領でゴムボールを操って標的を狙う。いろいろと気を遣う紙製の蝶より、丸いだけのボールは格段に動かしやすかった。ボールは外れることなく的の中心に当たり――爆発する。
「へっ!?」
割れるかな? くらいに思っていた標的はあっさりと粉砕され、茜は目を丸くする。
いや、もともと的は頑丈なものじゃないし、ほとんど使い捨てなんだけど! でも気のせいか普段自分が使う術より威力強いんですけどっ!?
「上々だな。」
「教官、これは……?」
「市販のゴムボールに魔法陣と魔力を付与したものだ。何かに接触すると魔法が発動するように仕込んどいた。原理としちゃあ、お前が飛ばしてた蝶と同じだな。会沢、こいつなら何個まで同時にコントロールできる?」
「紙の蝶よりはコントロールに気を遣わずに済みますから……、」
茜が飛ばしていた蝶は最大で八匹だ。一個一個の重さは蝶より重いが、制御自体は球体のゴムボールのほうが容易。だからたぶん、八個以上いける。というか、蝶より少ないと教官が納得しそうにない気がした。
「試さないと何とも言えませんけど、十個くらい?」
「そうか。目標は二十だからまだまだ先は遠いな。」
「二十ぅっ!?」
ある程度読めていた展開ではあったが、予想以上の無茶ぶりに茜は目をむいた。
二十個同時操作。口で言うのは簡単だが、三年かけて少しずつ増やしてきた同時操作数を来月までに二倍に増やせと言っているわけで――無茶ぶりもいいところである。
「トーナメントまでの一ヶ月、朝飯前にシミュレーションルームの予約を取ってある。そこを好きに使え。」
「ありがとうございます……って、ですから目標に無茶がっ! それ以前にトーナメントは魔道具持ち込み制限がありますよね!?」
安全と公平を期するため、一試合で使用できる魔道具の総魔力量にはけっこう厳しめの上限がある。先ほどの爆発の規模から見ると、制限以内に収めるにはあまりたくさんは使えない。魔法陣入りのゴムボールはどう考えても弾数が必要になる装備なのに。
とはいえ、茜が思いつくような問題点だ。当然、教官がわかっていないはずはなく――
「安心しろ。規制が厳しいのは市販の魔道具であって、生徒が自作した呪符の類は対象外だ。」
「手作りなんですか、それ? じゃなくて! そんなのルールの穴をくぐるような屁理屈じゃないですか! 教官が率先してズルしていいんですか!?」
「ああ? 人聞き悪いこと言ってんじゃねえ。今時、呪符作るのに紙漉きからやるヤツがどこにいるよ?」
「……。」
教官に呆れたように言われてしまい、とっさに返答に詰まった。茜も呪符の一枚や二枚書いたことはあるが、もちろん紙漉きからはやらなかったし、墨をすってすらいない。使ったのは普通に市販されている紙と筆ペンだった。
「これだって同じことだろうが。魔道具でも何でもない既製品のオモチャに魔法陣を仕込んだだけだからな。もちろん、準備するのはお前だ。」
「準備とか簡単におっしゃいますけど、何をどれだけ仕込めばいいんでしょうか……?」
「んなもん、自分で立てた作戦に必要な数を揃えろ。相談なら乗るが、自分で考えもしないヤツに言うべきことはない。」
「そんなぁ……。」
ここまで来て、それはないんじゃないだろうか。こんなにがっつり口出ししておいて、肝心なところは自分で考えろだなんて。
恨みがましく見上げたが、芹沢教官の厚い面の皮は茜の視線ごときでは一ミリも削れそうになく。
「仮に魔法陣入りが足りなくなってただのゴムボールで試合することになっても、加速し続けていればぶつかったときの衝撃は相当になるはずだ。うまく使えば決勝トーナメント進出どころか、優勝だって夢じゃないぞ、会沢!」
「ですから誰がやると思ってるんですかっ!?」
「ちなみに予選敗退したらいつも通り雑用係だ、八週間頼むぞ!」
「そんなあ~~~っ!」
早朝の鍛錬上に茜の悲鳴が再び響き渡ったが――悲しいかな、誰も聞いてはくれないのであった。
「うう、朝っぱらからひどい目にあった……。」
その後も時間ぎりぎりまで訓練は続き、茜はふらつきながら鍛錬場を後にする。頭の中はいくつもの術式が飛び交ってぐちゃぐちゃ、芹沢教官にしごかれまくって体はへとへと、昨日のティータイム以降ほとんど何も口にできてないからおなかはぺこぺこ。おまけに茜の頭上には蝶が舞っていた――しれっと一匹増やされて。もちろん、何かに接触すると燃え尽きるギミックは健在で。
(たかが一匹、されど一匹だよね……。)
文字通り、吹けば飛んで行ってしまう蝶をどこにもぶつからないようにコントロールするのがどれだけ大変か、力いっぱい主張したい。
いや、訓練なんだから大変なのは当たり前だと返されるのは目に見えているのだけど。
首の後ろに手を当てた茜が、はあっとため息をついた。と、背後からくすくすと抑えきれなかったような笑い声が聞こえて、反射的に振り返る。
「……小元くん?」
「ごめん、ごめん。笑うつもりじゃなかったんだけど。」
視線を斜め下にそらせた千歳が、口元を手で覆って笑いをかみ殺していた。むっときて半眼で見上げるようににらみつけると、「ごめんね。」とにっこり微笑まれた。さっきまで目も合わせず笑っていたとは思えない、いつもと同じ優し気な笑顔だ。
「改めて――おはよう、会沢さん。朝から大変そうだね。お疲れさま。ところで僕はこれから朝食なんだけど、会沢さんもまだだよね? よかったら一緒に行かない?」
日ごろまるで接点のない千歳からの急なお誘いに一瞬面食らうが、二、三回瞬きしたのちこくりとうなずいて返す。朝食前の忙しい時間にわざわざ鍛錬場まで足を延ばしたのだ。茜に何か急な用事ができたと考えるのが自然だろう。
「いいけど……えっと、ひょっとして葵がどうかした?」
性別が違う。クラスが違う。家柄から何からまるで違う千歳と茜が仲良くなる要因はまったくと言っていいほどない、葵を除けば。千歳がわざわざ声をかけてくるとしたら、葵のことしか考えられない。苦情か報告か相談事か。最悪話を聞くくらいしかできないけれど、それでも良ければいくらでも。
そう思って聞いてみると、千歳は興味深そうに眉を吊り上げ――破顔した。「なんでもないよ」とどこか嬉しそうに笑う。
「ちょっと顔が見たくなったんだ。森のくまさんがうるさいせいかな。」
「なにそれ。くま?」
「だからなんでもない。そんなことより、ずいぶん張り切ってるね。トーナメントに向けて特訓?」
「いいよね、わざわざ特訓する必要のない人たちは。」
「そうきたか。うーん、そんなつもりじゃなかったんだけどな。」
「別にいいよ。こっちこそちょっと嫌味っぽかった。ごめん。」
学食まで連れ立って歩きながら、他愛もない世間話を交わす。
(相変わらず腰が低いなあ……。)
派手さはないものの、葵と並んで有能なのは間違いないのに。千歳は茜を――五組を見下すようなことも、家柄を笠に着るようなこともしない。
(だからこそ、あの仏頂面の葵なんかとルームメイトやってられるんだろうなあ。)
それどころか、なにくれとなく葵の世話を焼き、各種フォローまでしていただいているわけで。
「会沢さん?」
「ん、なんでもない。」
今度菓子折りでも持ってお礼に行くべきだろうか?
「やめておいたほうがいい、それじゃ母親だ。いや、親でもそこまでしないと思うぞ。」
「愛里歌。……ひょっとして声に出てた?」
「ばっちり。なあ、小元氏?」
「いや、まあ。」
「うわぁ。」
愛里歌には呆れ顔で指摘され、千歳には苦笑されて。茜は頬を染めて頭を抱え込んだ。たしかに同級生に向かって、弟の面倒を見てくれてありがとう――というのは、ない。上から目線にもほどがある。葵が激怒するだろうことはもちろん、千歳だってそんなこと言われたら困るだろう。
「ごめん、小元くん。今の忘れてくれる?」
「僕は何も聞いてないよ。」
慌てて謝ると、千歳は何事もなかったかのように水に流してくれた。うん、やっぱり千歳はいい人だ。
時間が押しているせいだろうか。いつの間にかたどり着いていた学食前のホールに余人はいなかった。ほかの人の耳には入ってなさそうだと、茜はほっと胸をなでおろす。あんな偉そうなセリフを吐いたことがばれたら、佳野あたりにまたぞろ文句を言われるに違いないから。
「さて、と。僕はここで失礼しようかな。じゃあね、会沢さん、久世さん。」
「あれ、用事は?」
ファンクラブ持ちの片割れと朝食を摂るような度胸はないから、ありがたい申し出ではあるのだが……鍛錬場から学食までの道すがら、結局苦情らしきものも相談らしきものも聞いていない。
だが千歳は、茜の問いにふるふると首を横に振った。
「ほんとに何でもないんだ。ただ会沢さんを誘いたかっただけだから。」
そういうと、千歳は手をひらひらと振りながら「また今度ね。」と一人で学食に入っていく。
残された茜は眉根を寄せて首を傾げた。
「なんだったの、あれ?」
「……それ本気で言ってる?」
「うん。え、なに。マズイ?」
愛里歌はたっぷり十秒は沈黙してから、「いいや」と笑う。
「何もマズイことなんかないさ。それより朝食だ。ぼうっとしてたら本当に食いっぱぐれてしまうぞ。」
すたすたと学食へ足を運ぶ親友を、茜は急いで追いかける。
ピークを過ぎたとはいえ、学食にはまだ大勢の生徒が残っていた。食後の時間をまったりと楽しんでいるのだろう。茜と愛里歌もカウンターで朝食のトレイを受け取り、空いているテーブルに向かい合って座る。
(……よかった、ちゃんと朝ご飯食べてる。)
ぐるりと学食内を見回すと、千歳が葵のいるテーブルで遅まきの朝食を摂っているのが見えた。まあ、茜達より先に入っていったのだから、先に食べているのも当然なのだが……その姿を確認できれば安心するというものだ。なにしろ、自分のせいで食べ損ねたなどと言われたくはない。
千歳と同席した葵は、すでに完食しているようだ。相変わらず不機嫌全開の仏頂面で湯呑をすすっている。会話は聞こえないものの、千歳が何か言ったのだろう。不機嫌な顔をさらにむくれさせて、ぷいっと横を向いた。
様子を観察していた茜は、あれと目を瞬いた。
(なにあれ。ひょっとして照れてる?)
珍しいこともあるものだ。今日は雨が降るかもしれない。
一人うんうんとうなずいていた茜に、不思議そうな愛里歌が小首をかしげた。
「茜? 食べないのか? 時間が無くなるぞ。」
「や、ごめん。食べる食べる。」
慌てて「いただきます。」と両手を合わせ、汁椀の蓋を取った。
漆塗りのトレイには定番の朝食が並んでいる。つまり、豆腐とワカメの味噌汁、白いご飯、温泉卵と鮭の塩焼き。ほうれん草のおひたしに焼き海苔に、最後のきゅうりの浅漬けまで味わっていただきたいものである。
「それで? 芹沢教官はなんて?」
「あ、うん。」
食べる手は止めずに聞いてきた愛里歌に、茜も手を動かしながら答える。何度も言うが、時間が押しているのだ。
「来月のトーナメントで決勝まで勝ち残れって。」
驚いた愛里歌が片方だけ眉を持ち上げる。
「まさか決勝戦?」
「いや、決勝トーナメント。さすがに決勝戦は無理でしょ。……決勝トーナメントも充分無謀だと思うけど。」
「学年ベストフォーに残れってことか……また大きく出たな。勝算はあるのか?」
「芹沢教官はあるって言ってる。どんな攻撃だって当たらなきゃ意味がない、お前は身が軽いから回避し続ければいいし、相手の魔力が尽きたら勝機もあるって。」
無茶だよね? と頬を膨らませると、愛里歌も苦笑いして肩をすくめる。
「だいたい、予選を勝ち残れるのって、ふつうに考えれば葵とか小元くんとかじゃない? そうじゃなきゃ佳野とか市井くんとか。そこに割り込めって、相当だよね?」
「まあ、ギフトを駆使して逃げ切れれば茜ならあるいはとは思うけど……。」
「無理だよ、無茶だよ、無謀だよっ。愛里歌までそんなこと言うの?」
「そんな弱気なことを言って。ペナルティの代わりってことは、負けたら通常通りのペナルティを喰らうんだろう?」
「……まぁね。いつも通り、なくした蝶の数かける一週間の雑用が待ってる。」
「八週間――二か月弱か。長いな。」
朝食をぺろりと完食した愛里歌が箸をおき、食後のお茶を淹れながらつぶやいた。
「ということは、週末のお出かけは延期したほうがいいか?」
充てられる時間はすべて訓練に費やすのかと訊ねる愛里歌に、茜はぶんぶんと首を横に振る。
「やだよ! それじゃあ、なんのために頑張ったのかわかんないじゃない。教官は朝食前にシミュレーションルーム予約してあるって言ってたし、それが終われば自由だよ! 絶対行くからね!?」
そう、茜がどうしてペナルティを受ける羽目になったのかといえば、そもそも週末に出かけるためなのだ。ここであきらめてしまっては元も子もない。
鼻息荒く主張する茜に、愛里歌は困ったように眉尻を下げる。
「約束なんて、いつでもいいのに。」
「そんなこと言ってたら、映画の上映期間が終わっちゃうよ!?」
お楽しみがあるから頑張れる。大変なことばっかりじゃ、やっていられない。少しは発散しなくては。
意気込む茜はその後、空いた時間を見てギルドカウンターに向かった。名頭の樹海で採集した『妖精の喇叭』を換金するために。
新規依頼が止められたカウンターは、事前の期待通り、相場より少し色を付けて素材を引き取ってくれた。懐もすっかり温かくなり、ほくほくとした茜は週末までの特訓を耐え忍ぶのであった。




