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十.

 何を言われたのかとっさに理解できなくて、茜は口をぽかんと開けたまま立ち尽くした。たっぷり十秒はそのままの姿勢で動けなかっただろう。反応の薄い教え子に「聞こえなかったのか?」と芹沢教官は眉をひそめた。

「トーナメントに出てもらう。」

「いえ、聞こえてます。」

「なら返事をしろ。」

「すみません。」

 叱られて反射的に謝ったけれど――これって自分が悪いのか……? いや、悪くないと思う。どう考えても、いきなり突拍子もないことを言い出した教官が悪い。……たぶん。

「あの、教官?」

「なんだ?」

「もともと、トーナメントには参加する予定なんですけど……それがペナルティなんですか?」

 年に一度開かれるトーナメントは、青柴あげての一大イベントだ。学年ごとに行われる予選会と、勝ち抜いた三年生以上の生徒による決勝トーナメント。五日間にわたって繰り広げられる死闘は、実地で全力を出し切れる数少ないチャンスであり、日ごろの訓練の成果を披露するよい機会である。特別な事情がない限りは参加が原則で、もちろん茜も参加する。

(まあ、参加することに意義があるって感じだけどね……。)

 過去三年、負けるつもりで参加したことは一度もない。いつだって勝ちに行くつもりで全力で戦った――が、初戦を突破することはできなかった。魔力値の低さを考えれば、実に妥当な結果ではあるのたが。

 茜がちょっとしょっぱい思い出に浸っていると、「バカ言え。」と呆れ顔の教官に一蹴される。

「当然、ただ出るだけじゃない。決勝トーナメントまで勝ち上がって貰う。」

「ええっ!? 本気じゃないですよね? 無理ですよ、自分で言うのもアレですが、魔力値の低さには自信があります!」

「始める前から努力もせずにできないとかいう奴がいるか!」

「純然たる事実です! 論理的常識的現実的に考えて、無理なものは無理なんです!」

 魔力の多寡に関係ないペーパーテストの成績なら、そこそこ自信がある。足りないなら努力もしよう。だが、トーナメントは完全に実技勝負だ。決勝トーナメントに進むには予選トーナメントを勝ち抜く必要があって、つまり四勝か五勝しなくてはならない。

 一回戦を勝ち抜くくらいなら、相手との相性とか偶然とかで何とかなるかもしれない。だが四回も続けて勝てるかといえば……そんな幸運を期待するほうが間抜けというものだろう。いくら綺麗事を並べ立てたところで、魔力の少ない茜が不利なのは変えられない事実なのだ。

 ぶーぶー文句をつける茜を冷たい視線で見下ろし、教官はふんと鼻を鳴らした。

「ろくに世間も知らないガキが“純然たる事実”なんて偉そうな口を利くんじゃねえ。」

「だって事実じゃないですか……。」

「それがガキだっつーんだ。こっちだって、何の勝算もなしに言ってるわけじゃない。」

 そういって教官は、小脇に抱えていた筒状の荷物を足元に広げた。一メートル四方程度のマット――携帯用の魔法陣だ。パターンからして、映像記録の再生用か。

「なんですか?」

「見てりゃわかる。」

 ほどなく再生が始まった。魔法陣の上の空間がゆらりと揺らぎ、映像が浮かび上がる。スケールこそマットのサイズに縮小されているけれど、当時の姿と音を再現する。

 映し出されたのは、闘技場で向かい合う男子生徒だった。一人は葵で、もう一人は去年卒業した先輩だ。名前はたしか山縣だったか。

(ああ。これ、去年の決勝戦だ。)

 当時の葵は――茜もだけど――決勝トーナメントへの出場権を得たばかりの三年生だった。対する山縣先輩は、前評判で優勝候補ぶっちぎりだった最上級生だ。魔力値の高さは葵が上だけど、実力と経験では圧倒的に向こうが上と言われていた。当然、葵が胸を借りる試合になると思われた。

 少し懐かしい映像の中で、互いに一礼した彼らが術を展開する。

 けして狭くはない闘技場を、山縣先輩が操る氷の塊が縦横無尽に飛び回る。対する葵は、炎を呼び出してそれを迎え撃つ。立ち上る土煙と水蒸気が視界を覆い、合間に火花と雷が光った。

 開始直後は山縣先輩の方が押していた。そこにはたしかに、経験の差があった。

 だが葵は一歩も引かなかった。相手よりはつたない技で攻撃を防ぎ、隙を見て反撃に出る。少しずつ攻撃の回数は増えていき、やがて形勢は逆転する。山縣先輩の魔力切れという結末をもって。

 葵の評価は前から高かったけれど、絶対的になったのはこのときだったように思う。

(やっぱり、最終的には魔力値の高さだよね……。)

 わかっていても、諦めきれずに必死にあがいているのだけれども。

 五分ほどの試合は葵の勝利で終了した。

「どうだ?」

 改めて葵との能力差を見せ付けられて落ち込む茜に、教官が容赦なく追い討ちをかける。

「どうだって……そりゃ、やっぱり魔力の強いほうが有利ですよね?」

「そうじゃねえ。よく見ろ、連中の魔力の使い方だ。なにか気づかねえか?」

 きゅるきゅると映像が巻き戻り、最初から再生される。向かい合った二人が頭を下げて、試合が始まる。氷の塊が土煙を上げながら葵を襲い、闘技場をなめつくす勢いの炎がそれを水蒸気に変える。映像が白く煙る中、雷が光る――

(あれ?)

「今のところ、ちょっと巻き戻してください!」

 きゅるっと巻き戻された映像を凝視する。炎が氷を水蒸気に変え、雷が光る――戦っている二人とはまるで離れたところで。

(どっちも雷の魔法は使っていない……?)

 呪文を唱える様子も、予備動作もない。たしかに無詠唱の魔法は存在するし、魔道具を使えばタイムロスは極力ゼロにできる。だが、予備動作をまったくゼロにはできないはずだ。

 つまり彼らは雷を呼び出してはいない。呼び出していないものが、どうして発生したのか。

 茜は映像に目を凝らした。戦っている二人ではなく、闘技場全体を瞬きも忘れて食い入るように見つめる。試合が進むに連れ、そこかしこで飛び散る火花と、雷光。

(……魔力が、漏れてる?)

 術式に必要以上の魔力を注ぐものだから、余った分が使われずに空中に漏れている。それが過剰反応しているのか。

「なんてもったいない!!」

 それに気づいたとき、茜は思わず叫んでいた。

 だってそうだろう。こっちは魔力不足でこんなにも苦労しているというのに。

「お前とあいつらじゃ事情が違うからな。」

「事情って、そんなの! 教官だって、いつも言ってるじゃないですか、無駄遣いするなって!」

「なんで魔力値の大小によってクラス編成されてると思う、会沢?」

「なんでって……。」

 真顔の教官に問われ、憤慨していた茜もひとまず不満を引っ込めた。いつの間にか止まっていた映像には気づきもせず、頭を悩ませる。

 クラスが魔力値の大小で分けられている理由?

 ぱっと思いつくのは、あからさまに五組を見下す一組の連中の姿だ。葵しかり、佳野しかり。数値は明確な差となって生徒たちに提示される。そのわかりやすくてあからさまな差は、そのまま意識の差となって茜たちの間に存在する。

 正直言えば、弊害しかないように思えた。もし努力で魔力値が変わるようなら、あるいはそれも有効かもしれない。クラスが上がっていくこと、上位クラスを維持することが、本人の努力の証となるかもしれない。だが魔力値は先天的なものだ。本人の努力だけでどうにかなるものじゃない。

 そんなことは、教官側だってわかっているはずだ。それでもなお、魔力値別のクラス分けにする理由?

「……そのほうが都合がいいから?」

「その回答じゃ及第点はやれねえな。なにが都合がいいんだ、と返すだけだ。」

「……。」

 そんなの、わかるわけない。

 口ごもる茜に、教官は呆れたように鼻を鳴らす。

「都合がいいっつーのは、あながち間違いじゃねえ。教える側にとっては、だけどな。」

「教える側……教えてる内容が違うってことですか?」

 まさかとは思ったのに、教官は重々しくうなずいた。憤った茜が反射的に食って掛かる。

「そんなのありなんですか!? 差別じゃないですか!」

「座学は一緒だけどな。実技はどうしても、まるっきり同じってわけにはいかねえんだよ。」

「なんで!」

「逆に聞くが、会沢。お前、一組の連中と同じ実技訓練受けたいか?」

「それはっ……。」

 そんなのは無理に決まっている。使える術の規模もレベルも違う。同じ授業を受けて、自分の無力さを毎回味わわされるなんて冗談じゃない。いや、魔力値別のクラス編成をやめるという前提なら一組から五組が全部シャッフルされるわけで、そこまで落ちこぼれ感はないのかもしれないけれど。

「……それでも、やっぱり無理……。」

 魔力値の違いという絶対的な差は依然として存在するのだ。落ちこぼれの五組が落ちこぼれの個人にすり替わるだけで、きっと、なにも変わりはしない。

「だろうな。教える側としても、それじゃ効率が悪すぎる。会沢、さっき“もったいない”っつったな?」

「はい……。」

「お前にとってはそれで正解だ。だが、あいつらにとっては多少もったいなくてもいいんだ。一組……魔力値の高い奴にとっちゃ、少しくらい無駄があっても術を暴走させずにきっちり制御することが第一だからな。連中は一年のときから暴走させないことを叩き込まれる。お前たちと違って。」

 茜たちが仕込まれたのは、いかに効率的に魔力を使うかだ。精度を上げ、無駄を省き、最低限の術で最大級の効果を得ることを求められる。魔力値が低い分、術が暴走する心配も要らなければ、暴走したときの危険も少ないからできることなのだとしたら。

「俺たちが育てようとしているのは圧倒的パワーを誇る英雄じゃない。指揮官の命に従ってきっちり仕事のできる一兵卒、ひいては指揮官になれる人物だ。だから魔力値の高い奴には暴走させないように体に叩き込むし、低い奴には効率的に運用させる。それに、どの道実戦では魔道具を使うからな。はっきり言っちまえば、生身の魔力値の高さはそこまで重要な要素じゃねえ。必要最低限は必要だし、いざってときに生き延びられるかどうかの分かれ目になる可能性はあるけどな。」

 恐ろしいことをさらりと言って、芹沢教官は苦々しくため息をついた。

「魔力値別のクラス編成なんて、その程度の理由でしかないんだが……お前たちくらいの年齢だと、どうしてもその差が絶対的な優劣になりやすい。」

「それは……、」

 しかたがないのではないだろうか? 実戦では魔道具を使うと言っても、生徒のうちは生身で術を使う機会のほうが圧倒的に多い。魔力値という目に見える数値情報がある限り、一組の連中は五組を下に見るだろうし、五組の仲間はコンプレックスに悩まされることになるだろう。それに――

「去年の決勝戦だって、最終的には魔力切れで決着がついたじゃないですか。」

 とどのつまり、魔力値の低い茜が不利なことに変わりはない。だというのに、芹沢教官はにやりと笑うのだ。

「そこでお前だ、会沢。」

「へ?」

「お前ならギフトのおかげで魔力切れをおこさない。身も軽くて素早いから、相手の攻撃を避けて避けて避けまくっていれば、いずれ勝機は来る! なぁに、どんな派手な攻撃だろうと当たらなければ意味がねえし、五組以外の連中はお前ほど魔力の制御も上手くなけりゃ、攻撃の精度も高くない。魔力が尽きるのも時間の問題だ。そうなりゃ、どうとでもなる。」

「いやいやいや、そーゆー問題じゃないでしょう!?」

「言っておくが、これは青柴教官の総意だ。全力で優勝して凝り固まった連中の優越感をぶち壊してやれ!」

「だれがやると思ってるんですかあ!!」

 これにはさすがに「まあ、いいや」などとは言えず――早朝の鍛錬場に、茜の悲鳴が響き渡った。

 年に一度のトーナメントまで、あと一ヶ月ほどである。

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