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一.

「はあっ、はあっ、」

 自分自身の荒い呼吸音が耳につく。心臓の音はうるさく、手足は鉛でも入っているかのように重い。おまけに足元は木の根や下生えで非常に走りにくい。

 だが、止まるわけにはいかなかった。後ろから追ってくる野犬の群れ――それも魔獣化した――の吠え立てる声が、暗闇に光る目が、どんどん近づいてくるのだ。追いつかれたらおしまいだ。


 日がすっかり落ちきって久しい夜の名頭(なず)の樹海を、茜は一人、必死に走っていた。


 周囲に漂って付近を照らしていた照明弾が急速に光度を落とし、明滅を始める。ちっと舌打ちした茜はウエストバッグに手を突っ込んだ。正面を向いたまま、予備の照明弾を取り出す。装備の場所はいつも同じだから、逐一見て確かめずとも、何がどこに入っているのかはわかっている。

「点いて!」

 短く叫びながら弾同士を打ち合わせ、周囲に放った。ばら撒かれた照明弾は一拍置いた後に発動し、茜の周りを再び明るく照らす。

 追う側の野犬にとっても、照明弾はよい目印だろう。だが、それを気にする余裕はない。向こうはただでさえ鼻が良いのに、夜目も利く。連中にとって、明かりがあってもなくても、さしたる違いはない。

 一方、茜にとっては周りが見えないのは死活問題だ。周りはうっそうと茂った木々ばかり――障害物ばかりなのだから。

「っ!!」

 先頭を走っていた二頭が速度を上げ、茜に並ぼうと追い上げる。息を呑んだ茜は腰のホルスターからナイフを抜き、素早く投げた。前に出られたり、挟み込まれでもしたら堪らない。

 左右同時に放ったナイフは狙い違わず二頭の鼻先をかすめ、彼らの足を鈍らせる。哀れっぽい悲鳴を上げた二頭は、ボスの一声もあって、速度を落として群れに戻った。

(なんなのよ、もう!)

 人前ではとても口には出せないような単語で、茜は口汚く罵った。

 たかが野犬の群れと侮るなかれ。他の野生動物に比べれば足は遅いものの、持久力としつこさは鈍足を補って余りある。おまけに魔獣化しているから、体力はほぼ底なしだ。統率の取れた彼らは、一晩中だって獲物を追いかけ続けるだろう。そしてこの群れのボスは頭がいい。先ほどのように時々揺さぶりをかけながら、獲物が――茜が消耗するのを待っている。

 いくら守備隊員になるための訓練を受けているとはいえ、まだ候補生ですらない茜一人には荷が重過ぎる相手だ。茜にできることは唯一つ。彼らに捕まらないように牽制しながら、樹海の出口を目指すことだけ。樹海から出れば、魔獣はまず間違いなく、それ以上は追ってこないから。

(大丈夫、出口は近いはず!)

 もともと樹海の深淵に入り込んだわけじゃない。ここはまだ浅瀬。このまま逃げ切れるはずだ。

 茜の眼前に続いていた、視界を遮る重苦しい木々が不意に途切れた。

「しまっ……、」

 樹海を出られたと、喜んだのは一瞬。

 かつては大木がそびえていたのだろうか。邪魔な木々のないぽっかり空いたその隙間は、けして広くはない。しかし上にも下にも遮るものはなく、地面まで月の光が差し込んでいた。

 視界を遮るものが何もない。それはすなわち、野犬の足を遮るものが何もないということで――

 振り向きざま、再び腰に伸ばした茜の手が空を切る。

「弾切れ!?」

 慌てて防御結界を構築しようと試みるもすでに遅く、何頭もの野犬が同時に茜に飛び掛る。持ち主の危機に反応し、右手首に巻いた護身用の魔石が砕けた。緊急時に自動で発動する防御魔術が展開し、彼らの鼻っ面をはじく。

 一回限りのお守りとはいえ、それは茜を守ってくれるはずだった。彼らが怯んでいる隙に体勢を整え、逃げおおせるはずだった。

 しかし、わずかに間に合わなかったのか、それとも結界の合間を潜り抜けたのか。一頭が結界を越えてきて――

「っ!!」

 砕けた緑色の魔石の欠片がきらきらと月の光を反射する中、彼らの牙から身を守ろうとした茜は反射的に腕を突き出し、目を堅く瞑った。

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