【93】弟と再会しました
イクシスと私だけを連れて、オウガは異世界へ――私の世界へと降り立った。
靴底にはアスファルトの感触。
見上げれば巨大なビルがそびえたっていて、その隙間から青空が見える。
周りの人たちがすれ違い様にこっちを見ているのがわかる。
イクシスもオウガも、それぞれ身体的特徴を隠す魔法を使い、尻尾と翼、そして角はしまってあった。
多少体格差があるのでイクシスの服がダボついてはいるけど、オウガの異空間にしまってあった服を着ているので、服装的には問題ない。
ただ単に、この二人が目立つというだけだ。
イクシスは端正な顔立ちに、赤い髪。
オウガの伊達眼鏡をかけて、金の瞳を隠しているけれど、モデルでもしていそうな雰囲気だ。
一方、オウガの方は精悍な顔立ちに逞しい体つき。
ただ、その目つきと纏う雰囲気が凶悪すぎて、イクシスとは違う意味で注目を集めてしまっている。
「ねぇオウガ、ここって私が事故にあった場所よね?」
「ここに空間の歪みがあるんだ。すぐそこにオレとメイコが出会った公園もあるだろ。あの日のオレも、ここからこの世界にやってきてメイコと出会った」
言えばオウガがそう言いながら、駅に向かって歩き出す。
私達が急に現れたことに、誰も気付いてはいないようだった。
もしくは気付いていても、幻覚だと気に留めていないのかもしれない。
自分の想像の範囲内を超えることが起こると、人は自分が見間違えたり夢を見ていたと思ったりするものだ。
三人分の切符をオウガが買ってくれて、私の家へと向かう。
イクシスはすでに何度かここを訪れたことがあるらしく、少しビビリながら切符を改札口に通したり、電車に足を踏み入れたりしていた。
おっかなビックリといった様子でちょっと可愛い。
そんな目線で見ていたら格好悪いと思ったのか、平気そうな顔をして見せるのが余計におかしかった。
私がいなくなって後の事を、電車の中で詳しく教えてもらう。
すぐに私を追いかけたかったイクシスたちだったけれど、それは父親であるニコルに止められた。
優先されたのは、黒幕のティリアを捕まえること。
その間はニコルが一人で私を探して、異空間への出入りを繰り返していたらしい。
ティリアを捕まえることを優先して、その間にヒルダの体を殺されるわけにもいかない。
私が出て後、ヒルダの体に入った魂は体術や魔法に覚えがある強い魂だったらしい。
しかし少々癖があり、護衛というより見張りが必要ということで、蛇の幻獣使いメアと鷹の獣人フェザーがついたようだ。
そして、クロード、イクシス、エリオットの三人がティリアを追い詰めて捕まえて。
そして私の居場所を吐かせようとしたが、ティリアはそもそもそれを知らなかった。
一方のオウガは別行動していて、元の私の体に入っているヒルダに、交渉を持ちかけていた。
私の体を返して、ヒルダの体に戻り、なおかつイクシスの誓約を解いて欲しい。
こちらに都合のよすぎる条件だったけれど、ヒルダはいくつかの条件と引き換えにそれを飲んだのだという。
「その条件って何?」
「朝倉メイコの存在を、そのまま譲ること……だ」
尋ねればオウガが答えてくれる。
けれど、言っている意味がよくわからなかった。
「ヒルダはこの世界で、朝倉メイコとして暮らしたいらしい」
「それって私の体を返さないってこと?」
オウガの意外な言葉に驚きながら疑問を口にすれば。
それとは少し違うと言う。
「自分の元の体と、朝倉メイコの立場がヒルダは欲しいみたいだ」
つまりはヒルダは自分の体に戻って後、魔法でこの世界の私とそっくりな見た目に変化し。
この世界で、朝倉メイコとして暮らしていきたいようだった。
「……メイコの都合を聞かなくて悪かったとは思ってるんだが、それ以外の選択肢をヒルダが与えてくれなかったんだ。メイコを自分の足で捜しに行くには、それしか方法がなかった」
イクシスはヒルダに対して苛立つように口にする。
ヒルダの体とその守護竜であるイクシスの間には、誓約による距離の制限がある。
黒竜であるオウガの補助を使えば、一時的に距離制限はなくなるけれど、それには色々と限定的な条件があるらしい。
異世界に何度も出入りするには物凄く不利で、どうしても私を自分で探し出したかったイクシスは、ヒルダの取引を飲んだのだ。
ヒルダは私の体から戻ることなく、ヒルダ自身の体とそこに入っている魂をオウガに言って呼びつけて。
そしてこちらが条件を飲む変わりに、イクシスの誓約を解いてくれたらしい。
「どちらにしろあの女は条件を飲まなければ、メイコの体を返すつもりはなさそうだったんだ。だから、イクシスを責めないでやってほしい」
オウガがイクシスをフォローする。
「ただ、悪いことばかりじゃない。ヒルダはメイコに、オースティン家を含めた全ての財産を譲るよう取り計らうと言ってる。後、それにメイコがこっちに里帰りするときは、ちゃんと入れ替わるって約束はしてくれた」
付け加えてくるオウガの情報は、確かに悪い事ばかりではなかった。
むしろあちらの世界で暮らすなら、願ってもない条件だ。
それなら、前と変わらずに皆と一緒に暮らすことができる。
「……まだうまく飲み込めないけど、わかった。でも、どうしてヒルダは私の立場に執着してるの?」
この世界での私は何の特徴もない普通の子だ。
一応お金持ちではあるけれど、特に贅沢をしてるわけでもなく。
ヒルダの屋敷にくらべれば、生活も大分質素なものだ。
オウガに尋ねれば、困ったような顔になった。
私を挟んで反対側に座るイクシスに、視線を投げる。
まるでお前が言えと言うように。
イクシスが言ってくれるのかとそっちへ視線を向ければ、イクシスが小さく首を振った。
そんなの俺の口から言えるかと言うように。
「ねぇ、二人とも。何なの一体」
「……まぁ、アレを見ればわかるんじゃないか」
「見てわかるか? メイコがその前に気絶しそうな気がするが。いやでも、セレスかゼルンを使えば……分かりはするか。けどどっちにしろ卒倒すると思う」
問いかければイクシスの言葉に、オウガが遠い目をする。
光属性の魔法セレスと、闇属性の魔法ゼルンは、幽霊などの魂を見たり、普段なら触れられないものに触れる魔法だ。
それを使えば分かるとはどういう意味なんだろう。
ヒルダの魂を、その魔法で見ろということなんだろうか。
よくわからなかったけれど、それ以上問い詰めても二人は難しい顔をするだけで教えてはくれなかった。
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久しぶりの我が家は、相変わらずそこにあった。
今は平日のお昼時、高級住宅街の一角。
お金持ちの義父が母と生活するために買った家で、白塗りの豪邸だ。
中に入れば庭もあって、玄関も昔アパート暮らしをしていた部屋が犬小屋に見えるほどにでかい。
「よくぞ帰ったな、我が姉よ……」
壁に背をつけてポーズを決めながら、気だるげにこっちを振り向き、出迎えてくれたのは弟だった。
大分背が伸びているけれど、相変わらずの様子に安心してしまう。
むしろ昔はこれが心配の要素だったというのに、だ。
右目の眼帯は、白いガーゼから黒い海賊がつけるようなやつにバージョンアップしていた。
三年は経過しているから、今は高校生なんだと思うのだけれど。
髪の所々は赤くメッシュが入っていて、少々ビジュアル系風味の化粧をしているようにも見えた。
その体には金色の光を纏っていて。
そう言えばオウガが光属性を、弟の林太郎にあげたと言っていたことを思い出す。
「我が同士オウガから、話は全て聞いている。長い間悪しき魔女の罠により、次元の彼方を流離っていたようだな」
余裕のある口ぶりで、私に近づいてくる。
声が大分低くなったなぁとそんな事を思いながら、背が高くなった林太郎を見上げた。
姉の欲目かもしれないけれど、わりと格好よく成長したようだ。
けれど、その言動はそのままで。
私を見つめてくる瞳に、幼い弟の面影を見つける。
「まぁつまりはだ……お帰りなさいと俺は……言いたいわけで。姉ちゃん……ほんと、どこ言ってたんだよっ!」
格好をつけていたのに、急に涙声になってワンワンと私にすがりついて林太郎は泣き出した。
「ただいま、林太郎」
「林太郎じゃない……燐世だっ!」
ぽんぽんと慰めるように背中を叩けば、昔からの設定である真名を口にする。
高校二年生にもなって、その設定まだ生きてたんだと思ったけれど、口には出さなかった。
それでこそ林太郎という気がしたからだ。
本当は泣き虫で気の優しい子だった。
「それでヒルダはどうしてる」
「ぐすっ……退屈だからって買い物に行った。戻ってくるようにメール入れる?」
オウガの問いかけに、しゃくりあげながら林太郎が答える。
頼むとオウガが頷けば、林太郎がなれた指使いでスマホを操作した。
「そう言えば林太郎、学校は?」
「今日はお休みした。姉ちゃんが帰ってくるかもってオウガにぃちゃんから、テレパシー貰ってたから」
尋ねれば林太郎が怒らないでよねというような顔で、私を見てくる。
オウガは使い魔である林太郎に、先に連絡を入れていたようだった。
ズル休みすればいつもの私なら怒るところだけれど、今日は大目に見ることにする。
「大地の方はどこ行った」
「義兄さんならヒルダ様の荷物持ちだよ。ヒルダ様より義兄さんの方にメール入れた方がいいかもね」
オウガの問いかけに答えて、林太郎が再度スマホをいじりだす。
そしてナチュラルにヒルダのことは様付けのようだ。
「義兄さんも事情を知ってるの?」
私の声に、林太郎がスマホから顔を上げて私をみる。
「……もしかして、オウガにぃちゃんまだ言ってないの!?」
それからオウガを見て、冗談だろというように叫んだ。
「いやどう考えてもいい辛いだろアレ。メイコは大地のこと嫌ってたしな……」
オウガが眉を寄せて呟く。
大地は、同じ歳の私の義兄の名前だ。
朝倉大地。
母さんの再婚相手の連れ子で、私とは同じ歳。
爽やかで控えめな風貌と、優しげな雰囲気のモテ男。
成績優秀でお金持ちの息子だというのにお金持ちが通う付属中学から、なぜか私と同じ普通高校に進学してきて。
絶対に義兄だと知られることが嫌だったのに、奴が慣れ慣れしく呼ぶものだから、すぐにばれてしまった。
兄妹がいなかったから仲良くしたいんだ、などと言ってきて。
何か裏があるんだろうと思えば、隅から隅までいい人すぎて黒い噂の一つも出てこない。
それは、疑ってかかって、警戒している自分が馬鹿みたいに思えてくるほどで。
それでも……態度を改めることはできなかった。
私が酷い態度をとっても、しかたないねと受け入れる器の大きさ。
全く同じ歳なのに、勉強も運動もなんでも簡単にできて、優秀で。
それでいて奢ったところのない、その余裕が好きじゃなかった。
いい子じゃない私と違って、義父や母さんに褒められる彼を見るたび、妙に心に黒いモヤがかかったようで惨めになった。
兄妹だとばれたくなくて、でも苗字で呼ぶのは微妙だったから名前で呼んでいたのがよくなかった。
義兄は人気があり、それだけで女子からはやっかみを受けたのだ。
それですぐに、兄妹だからと強調するように義兄さん呼びに変更した。
その後すぐにオウガと出会って。
大地とは血が繋がってない兄妹という事より、私がオウガとできていて、この学校を裏で牛耳っているという噂の方が強なった。
そのお陰で、そこまで女子からの風当たりが強くなかったのが救い……なのかもしれない。
多感な時期に同じ歳の男の子と一つ屋根の下というのは、意識してなくてもわりとストレスだったんだと思う。
時が経って、大人になってからも義兄との関係はぎこちないものだった。
「ここで話すのも何だしな。俺の屋敷に招きいれてやろう……最高のもてなしをしようではないか」
メールを送り終わった林太郎が、ポケットにスマホをしまってそんな事を言う。
ちょっと赤くなった鼻をすすりながら、いつもの調子を取り戻した様子で、私達を居間に案内してくれた。




