【91】ある意味一つの才能です
ふっと体に感覚が戻ってくる。
目を見開けば、そこは星空が散りばめられたような空間の中。
無事にさっきまでいた世界から脱出できたようだ。
「メイコ!」
名前を呼ばれてそちらを振り向こうとすれば、その前に大きな体に抱きしめられた。
背中と頭に回された太い腕が、力強くぎゅうぎゅうと締め付けてきてちょっと苦しい。
「無事でよかった……心配、したんだからな」
安堵の混じる声は少し涙声で。
イクシスとはまた違う、少しスパイスの効いた大人の香りがする。
それに心が落ち着いて、低いオウガの声が耳を震わせる。
腕の中で身をよじれば、オウガの顏がそこにあって。
その深い眉間のシワに、懐かしさを覚えた。
「メイコ、会いたかった」
オウガの名前を呼ぶ前に、耳元で囁かれる。
背中にぴっとりと寄り添ってきたのは、どうやらエリオットのようだ。
大人姿のエリオットが、私の存在を確かめるかのようにお腹の前に手を回してぎゅっと抱き着いてくる。
その頭を甘えるように私の肩辺りにうずめてくるから、さらさらとした白い髪が首筋に当たってくすぐったかった。
――また会えた。
この日をどんなに夢見ていたか。
嬉しくてしかたなくて、胸がいっぱいになる。
「オウガ、エリオット……!」
その名前を口にして、二人に力いっぱい抱きつかれながら。
私は声をあげて泣いてしまった。
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「どうしてバイスに、血入りの糸を使ったハンカチを渡したことを教えなかった。あからさまに怪しすぎるだろうが」
「ごめんなさい」
オウガの言うことはごもっともだ。
屋敷の少年の一人であるバイスが怪しいという話になったときに、そのハンカチが悪用される可能性に気付けていればよかった。
正座しながら、目の前に立つオウガに言い訳もせずに謝る。
「オレが……どんな気持ちでいたかわかってるか? またオレにあんな思いさせて、反省してるんだろうな?」
私が元の世界で車にひかれてしまった時、守りきれなかったことを悔やんでいることはよく知っていた。
黒幕であるティリアが罠をしかけてきているとわかって、オウガは警戒してくれていたのに。
私がわがままを言ったせいで、迷惑をかけてしまった。
「メイコがいなくなって、ずっと探してた。会えない間、辛かった」
ちゃんとわかってる? というように、エリオットが黒の瞳でじっと私を見る。
その瞳の中には私に対する憤りのようなモノがあって。
エリオットがそんな顔をするのを見たことがなかったから、驚く。
エリオットは前よりも、男っぽくなった。
大人姿だからそう思うというより、中から溢れてくる雰囲気が前より成熟している。
その瞳には、昔までなかった深みがプラスされている気がした。
私がいない間に、エリオットが成長したんだなと嬉しいような、少し寂しいような気持ちになった。
「ゴメンな……さい。反省して、ます」
嗚咽まじりにしゃくりあげながら口にすれば、二人が少し眉を寄せる。
「本当に反省してるのか」
「本当にメイコは反省してる?」
言えばオウガとエリオットがほぼ同時に、疑うような口調でそんな事を言う。
そう言われてしまうのもしかたなかった。
叱られてるのに、どうしてもついにやけてしまう。
あぁ、皆のところに帰ってきたんだなって、嬉しくなって。
涙が勝手にぽろぽろと落ちる。
今日は本当に涙腺が弱い……そろそろ干からびてしまうんじゃないかという勢いだ。
けど、これまで流してきた涙とは質が違っていて。
嬉しさから溢れてくるものだった。
「花嫁はよほど今回の経験が堪えたみたいだな」
様子を傍観していたニコルが、フンと鼻を鳴らす。
これくらいは叱られて当然だというかのような態度だった。
異世界へ行く力を使うためか、ニコルは力をセーブした幼い姿ではなく青年の姿だ。
しかし、さっきまで一緒にいたニコルとは違い、余裕と少し気だるげな雰囲気を漂わせている。
懐かしい、私が知っているニコルくんだ。
「ニコルくんも、ありがとう。ニコルくんが紋章をくれたおかげで……また皆に会うことができたよ」
「勘違いするな。別にお前のためじゃない。オレはオレの息子たちのためにしただけだ」
お礼を言えば、やっぱりというかニコルくんはそんな事を言ったけれど。
なんとなく、それだけではないような気がした。
自惚れるなと言われそうではあるけれど、私に紋章をくれた瞬間のニコルくんは確かに私自身を案じてくれていたと思う。
「それでも……ありがとうニコルくん」
最大級の感謝を込めて笑顔を向ければ、ニコルが珍しく戸惑った顔になる。
その表情がよくイクシスに似ていた。
けどすぐに取り繕うように、不敵でからかうような笑みを浮かべる。
「礼よりも、さっさとオレの息子たちと結婚して孫の顔でも見せろ」
「うん、頑張るね」
「……おい、イクシス。こいつは一体どうしたんだ。何か悪いモノでもあっちの世界で食べてきたのか」
ニコルの言葉に素直に頷けば、思いっきり変な目を向けられてしまった。
「そうじゃないですよ。ただ単に、メイコが俺との結婚を決意してくれたってだけのことです」
イクシスが私に手を差し伸べて立たせて、嬉しそうに微笑んでくれる。
「ふん……まぁいい。ところで、そいつは誰だ。さっきからそこにニコニコと立ってるんだが」
「はじめまして、僕はメイコの兄のユヅル・シノノメと言います。今後ともうちのメイコをよろしくお願いしますね」
マイペースに握手をしてくるユヅルに、ニコルは戸惑いを隠せない顔をしていた。
何なんだこいつはと問いかけるような視線を、私に送ってくる。
「この体のヤヨイ・シノノメの兄です。あっちの世界でお世話になった人でその……着いてきてしまいました」
言い澱みながらも紹介すれば、ニコルが眉を寄せる。
「着いてきたじゃないだろう。イクシスやオーガストがいながら、早々に浮気をするつもりか。すぐに帰して来い」
まるでどこぞで野良犬を拾ってきた子供に言うように、呆れたような声でニコルが言う。
「浮気も何も、僕はメイコの兄ですから」
「メイコではなく、その体の兄なんだろう? 体ならすぐに返してやる予定だ。ついでに現在ヒルダの中に入っている魂をノシつけてくれてやる。だからそいつを代わりに妹だと思って可愛がってやれ」
「僕の妹は、ヤヨイとメイコだけです。その入れ物に入っているから愛してるわけじゃないんですよ。それにしてもさっきから思ってましたけど、イクシスくんはお父さん似ですね」
興味深そうに笑いかけてくるユヅルに対して、ニコルは毒気を抜かれたような顔をしていた。
「向こうのオレは、どうしてコレまでこっちに寄越したんだ……どう考えてもいらないだろう。しかもオレが苦手な奴にコイツは似すぎている」
見も蓋もないことを、ニコルは本人を目の前に口にした。
「苦手な人が父さんにもいるんですか?」
「父さんの弱点は……母さんくらいだと思ってたんだが」
イクシスが驚き、オウガも呟く。
お前らは親であるオレをなんだと思ってるんだと、不満げにニコルは呟いた。
「この黒竜のオレにだって、苦手な奴の一人くらいはいる。というか、どう考えてもオレが何の意味もなく……どうでもいい奴をわざわざ飛ばしてやるとは思えないんだが」
確かに、ニコルの言う通りかもしれないと思う。
いつものニコルなら、イクシスと私だけで、余分なユヅルまでここに飛ばしたりはしないような気がした。
世界が違っても性格は変わらないようだったから、何か理由があったんだろうかとそんな事を思う。
あの世界のニコルのユヅルに対する態度は、少し変だった。
私やイクシスに視線を向けながら、時々ユヅルが気になっているようで。
お前は何だと問われたユヅルが、私の兄で一緒に世界を渡りたいと言えば何やら考えこんでいた。
ニコルがユヅルを連れて行くことを、断ってくれないかなと密かに期待したのだけれど。
ユヅルにいくつか質問をして後、ニコルはお前の事情はわかったと難しい顔で呟いて、最後には私たちと一緒にあの世界から脱出させてくれた。
「そう言えば、俺たちの事情を話した時に、ユヅルが使った黒いオーラについて話したら……あっちの父さんは興味を持ったみたいでした」
「黒いオーラ? 何のことだ」
呟いたイクシスに、ニコルが首を傾げる。
イクシスがユヅルの使うネガティブオーラについて話せば、いまいましそうにニコルは舌打ちした。
「そういうことか。どうりで、あっちのオレがコイツを飛ばしたわけだ……!」
「何か事情があるんですか、父さん」
尋ねたイクシスに、大ありだとニコルは呟く。
「こいつはオレが滅ぼした魔族の血を引いてる。たった一人だけ、生き残りがいたんだ。魔族としては異端で、髪も黒くなくて日の光も平気だったからオレの世話役をしていた。魔族らしくない魔族で……旅に出たきり会ってはいなかったが、まさか今になって巡りあうとはな」
ニコルが言うには、ユヅルの使うネガティブオーラの蔓は、そもそも魔族が使う術の一つで。
本来は黒い霧状の形状をしていて、相手の気力を根こそぎ奪う『黒い霧』と呼ばれる技のようだった。
「先祖の名前はわかるか」
「わかりませんが、代々伝わってきた小刀ならありますよ?」
ニコルに問われてユヅルが取り出したのは、小刀ではなく正確には短剣だ。
両方に刃がついており、刀身も含めて全てが漆黒。
紅の宝石が一つだけ埋め込まれていて。
それに触れて、懐かしむようにニコルは目を細めて、深く息を吐いた。
「間違いないみたいだな。宝石の中を見てみろ。花嫁の手のひらにあるものと同じ……オレの紋章があるはずだ」
ユヅルにニコルが短剣を返す。
イクシスやオウガ、エリオットや私も一緒にその宝石の中を目を凝らして覗き込めば、確かにそこにニコルの紋章がある。
「その剣にあいつの子孫が血を吸わせれば、いつだってあっちのオレが呼び出せたんだ。六年ほど無駄な遠回りをしたな、花嫁」
それはニコルが苦手だという彼と結んだ、誓約とのことだった。
彼やその子孫が困っている時――助けてやるとニコルは約束したらしい。
ニコルくんにしては、ありえない太っ腹な誓約だ。
彼の子孫までその誓約が有効なように、私のように体に紋章を刻むのではなく、剣という形にして手渡したようだ。
おそらく彼はニコルにとって、特別な友人だったんだろう。
だからこそあっちのニコルはユヅルの願いを聞き入れて、私達と一緒に飛ばしたのだとわかった。
「本当にゲンガーが好みそうな……仕組まれためぐり合わせだな。踊らされているようで気に食わない」
ゲンガーは乙女ゲーム『黄昏の王冠』を作ったとされる、精霊のような存在だ。
気に入った人の未来を、誰かに見せたがる習性があるという。
その事を差して、ニコルは吐き捨てた。
「花嫁、まさかとは思うが……そっちの体も黒い霧が使えるんじゃないだろうな?」
「血はつながってないし、大丈夫だと思うけど……ただ、こっちの体の方は魔法の六属性が全部使えるよ」
さすがにそれは勘弁してくれというようなニコルに答えれば。
その黒い瞳を見開いて、疲れたようにその額を押さえた。
「余計に面倒じゃないか。六属性持ちってことは……あぁ、本当に面倒だ。ありえない。どうしてそんな変なことに巻き込まれて、変なものばかり拾ってくるんだ。もはや一つの才能だな」
あのニコルくんにありえないと言われてしまう自分に、ショックを受ける。
軽く国一つを滅ぼしたり、息子二人の嫁になれと言ってくるニコルに、ありえないとか言われたくはなかった。
「六属性持ちは、普通生まれてこない。人工的に作られた場合を除くがな」
ニコルが言うには、六属性持ちは魔法使いたちの間で昔から研究されてきたモノらしい。
この世界の属性は、一人一つまでしか展開することができず、同時に別の属性を使うことはできない。
一人で複数属性を同時に発動し、掛け合わせることができたなら。
その目的のため研究されて生まれてきたのが、六属性持ちだとのことだ。
しかし六属性持ちは大抵、自分自身の魔力に耐え切れずに死ぬ。
魔力が内側で結晶化し、最終的には自身が魔力の固まりになるとの事だった。
「ただ六属性持ちの子は、何故か魔力回路を持って生まれてはこない。膨大な魔力や恵まれた属性があっても、外に出すことができなければ無意味だ。成功例もなく、あまりにも非人道的だと研究はすぐに終わったと聞いている」
ニコルくんが何故詳しいのかと言うと。
妻であるオリヴィアさんの国では、魔族に対抗するためそういう研究があったらしい。
オリヴィアさんは元勇者だ。
魔族に対抗するため、人は色んな研究をしてきた。
オリヴィアさんは、その魔法使い達が魔族に対抗する子供を作るための施設で生まれた子供だったとの事だった。
光属性だけに特化した遺伝子の操作。
それを受けて生まれてきたオリヴィアさんは、両親の顔すら知らないのだという。
ただ魔族を、魔王を倒すためだけに生まれてきた。
そんなオリヴィアさんは、魔王であるニコルくんを殺すことだけが生きている意味で、生まれてきた理由だった。
勇者であることを最初から決められている存在だったらしい。
「魔族を滅ぼして研究所を潰す際には、関わった奴ら全員に研究を悪用せずに、実験されてきた子供たちの面倒を見るよう永久的な《聖なる太陽の祝福》をかけたんだが。どこで研究が生きてたんだろうな」
オレとしたことが温かったなと、ニコルは悔しそうだ。
非人道的な行いをしていた魔法使いたちを皆殺しにせず、善人化する魔法をかけることに留まったのは。
それがオリヴィアさんの生まれた場所で、子供達が兄妹にあたるからなのかもしれない。
ニコルくんにしてはかなり寛大な処置だと、そんなことを思った。




