【89】シスコン兄が、世界を滅ぼしかねません
墓場の出口では、ユヅルとイクシスの兄であるアルザスが待っていた。
「イ、イクシス……?」
「……アル兄、久しぶり」
目を丸くしたアルザスに、イクシスは少し困ったような顔で笑いかける。
「なんで、生きて……?」
「悪いアル兄。俺はこの世界の俺じゃないんだ。別の世界の俺なんだよ」
戸惑うアルザスに、イクシスは近寄って行って。
それからその体を抱きしめた。
「……ごめんなアル兄。こっちの俺、死んじゃったみたいで。けど、そうやってアル兄が囚われてるのは嫌だから、ほどほどにしてくれ。頼むから」
「……っ、勝手な……ことをっ!」
唇を噛み締めるアルザスに、イクシスがそんな事を言う。
「馬鹿が……本当に、お前は馬鹿だ……なんでオレよりも早く」
「ごめん」
震えた声でののしるアルザスに、イクシスは何度も謝る。
たとえ異世界の別人でも、兄は兄。
イクシスの顔は、肉親の情に溢れていた。
「ごめんなアル兄。心配かけて、悲しませて悪かった。でももういいから。アル兄が俺の事でそんな顔してるのを見るのは……辛い」
「誰がそんな顔をさせてると思ってるんだ。勝手に異空間に引きこもって。里に帰ってきたかと思えば死体で。オレがどんな思いをしたと思って……」
アルザスが苦しそうに言葉を吐く。
「悪い……アル兄にそんな顔をさせてるのは、俺のせいだな」
正しくは、異世界のイクシスがしたことで、私の目の前に生きているイクシスがしたことではないけれど。
一歩間違えば、この世界と同じ未来があったのかもしれなかった。
イクシスはそれを身に染みて分かっているんだろう。
「アル兄が俺にしてくれたこと――眠ってる俺も、心から感謝してる。今までありがとなアル兄」
棺の中で眠る自分の言葉を、イクシスが代弁すれば。
アルザスの顔が、くしゃりと歪んだ。
「……っ、イクシス……!」
苦しげに弟の名前を呼ぶアルザスの顔には、砂漠で会った時の険がなくて。
憑き物が落ちたように、どこか救われた顔をしていた。
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「そうか……メイコの大切なイクシスさんは、生きていたんだね。よかった」
「うん。ありがとね兄さん」
事情を説明すれば、ユヅルは自分のことのように喜んで微笑んでくれる。
「それでね兄さん。私、元の世界に……」
「わかっているよ。帰るんだろう? それがメイコの幸せなら、そうしたらいい」
おずおずと言い出せば、あっさりとユヅルはそんな事を言った。
私がいないと死んでしまうというくらいの、シスコンのユヅルの事だ。
絶対に行かせたりしないと言い出すんじゃないかと思っていたので、拍子抜けする。
「なんでそんなに驚いた顔をしてるんだい? 兄がメイコの幸せを一番に願わないとでも、思っていた?」
目線をあわすように目の前にユヅルが膝をつく。
それは歳の離れた妹である私に対する、ユヅルの癖のようなものだった。
「いや……そうじゃないけど。てっきり引き止められるかと思っていたから」
「引き止めたりはしないよ。メイコはずっと大切な人たちの所へ帰りたがっていただろう? 兄はメイコが幸せになれる選択肢をいつだって選ぶよ」
困惑する私に優しく甘やかす声をかけながら、ユヅルが頬を撫でてくる。
「ありがとう兄さん。もう会えなくなるけど……元気で」
それは寂しいな、と思いながら口にすれば。
ユヅルがよくわからないと言った様子で、首を傾げた。
「何を言ってるんだいメイコ。兄も一緒についていくに決まってるじゃないか」
「……へっ?」
当たり前のことを言うような調子のユヅルに、思わず変な声が出た。
「いやでも、兄さんはこっちの世界の人だし」
「メイコだって元々異世界人だけれど、イクシスさんの世界にいることを選んだんだろう? なら兄にも世界を選ぶ自由があるはずだ。兄の存在する場所は、妹の隣だとそう決まっている」
戸惑いながら口にすれば、きっぱりとユヅルは言い切る。
まるで変わることのない不変の掟だと言うように。
……そこには迷いが、一切なかった。
「でも兄さんには、父さんも母さんも、友達だっているでしょ! なのに私一人のために全部捨てるなんて」
「捨ててはいないよ? ただ僕が一番に選ぶのは、メイコだってだけ。それは今までもこれからも、変わりはしない」
ぎゅっと手を握って、おでこをコツンとユヅルがくっつけてくる。
それを、イクシスが引き剥がした。
「なんだい、イクシスくん。僕は今、メイコと話をしてるんだけどな?」
「あんたがこの世界のメイコの兄だってことは聞いたが、少しベタベタしすぎじゃないのか」
行儀の悪い子を叱るような口調のユヅルに対して、イクシスが視線をぶつける。
まぁ確かに、ユヅルの距離は普通の兄妹のそれより大分近かった。
「あぁ、兄だからいいんだよ」
堂々とユヅルは、イクシスに対して言い切る。
その笑顔は、あぁそうなんだと相手が思わず納得してしまいそうなほどに、すがすがしい。
あのイクシスが珍しく押されて、戸惑った顔をしていた。
「あぁそうだ、イクシスくん。君に言いたいことがあったんだ」
「な、なんだ」
ずいっとユヅルに近づかれ、イクシスが一歩引く。
「メイコを次悲しませたら――君にメイコは渡さないから」
「っ!」
ユヅルがイクシスに囁く。
その横顔が見たことのない冷ややかな表情をしていて、ぞくりとしたけれど。
「しっかりメイコを支えてあげてね?」
「あ、あぁ……もちろんだ」
ポンとイクシスの肩に手を置いたユヅルはいつも通りだった。
――きっと泣き疲れてて、見間違えたんだろうと思う。
「これからメイコの兄として、よろしくね。メイコの兄ってことは、結婚すれば君は僕の義弟になるんだから」
今まで会ったことのないタイプだからか、ニコニコと手を差し出すユヅルに、イクシスが困惑した顔をしている。
何だか貴重なものを見た気分だ。
これはどうすればいいんだという視線を、イクシスが私に投げかけてきていた。
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「だから、兄さんは連れていけないの! イクシスの世界にはもう一人の兄さんがいるから、あっちに行ったら融合しちゃうんだよ!」
「別に融合しようが構いはしないよ。そっちの世界の僕は、メイコにまだ出会っていないんだろう? 不幸せで生きるより、僕と融合した方がよほどいい。向こうの僕も間違いなくそう思うよ」
私とユヅルの話し合いは、先ほどから平行線だ。
一緒に着いていくと行って、ユヅルは一歩も引かない。
この間まで私がいた世界と、この世界は近すぎる。
ちなみにこの世界に私が来て六年が経過していたけれど、イクシスたちの世界ではまだ二年しか経過していないとの事だ。
おそらく向こうの世界にもユヅルはいる。
乙女ゲーム『黄昏の王冠』と同じように進んでいるなら妹を失い、蘇生させる術を追い求めている頃だった。
「僕の幸せをメイコは望んでくれるだろう? 兄の幸せは、メイコと一緒にいることなんだ」
キラキラとした笑顔を向け手を握りながら、ユヅルが口にする。
「それでも駄目! 兄さんの存在が消えちゃうかもってイクシスが説明してくれたでしょうが!」
必死の説得も全く堪える様子がない。
「うーん、メイコはわからずやだね」
「わからずやは兄さんの方でしょ?」
困ったなと言った様子のユヅルに、深い溜息を吐く。
「置いていかれたところで、兄はメイコを追いかけてしまうよ? メイコが兄の元に来てくれたように、魂一つで異世界へ行く手段は存在しているんだからね。メイコは兄にそんな危険を冒して欲しい?」
わがままを言われているかのような、そんな顔でユヅルが口にする。
それでいて、私に置いていかれたのなら。
ユヅルは間違いなく、今口にした事を実行すると確信を持って言えた。
「それでも駄目! 兄さんが消えたら私嫌だもの!」
「消えたりしないよ? 向こうの僕と一つになるだけ。どうしてメイコはわかってくれないのかな……そんなに兄と一緒にいるのは嫌?」
声を張り上げる私に、ユヅルが潤んだ目を向けてくる。
その顔に私が弱いことを、ユヅルはよく熟知していた。
それでもそこだけは譲ることができない。
「駄目ったら駄目! そんな聞き分けのない兄さんは嫌いになるからね!」
「……!」
心を鬼にしてそう言えば、ユヅルが目を見開く。
そしてその瞬間、ユヅルから蜘蛛の巣のように黒いオーラの蔦が一気に飛び出した。
しまったと思った時にはもう遅い。
少し離れた場所で私達の話し合いを待っていてくれていたイクシスとアルザスが、ユヅルのオーラに絡めとられていた。
ずーんと重たい空気を纏った二人は、しゃがみこんで暗い瞳で地面を見つめだしている。
「イクシス、しっかり!」
「……メイコは俺がいない間、ずいぶんその男と仲良くなったんだな。俺は毎日メイコを探して、メイコの事を考えない日はなかったのに……もう、そいつの方が大事だったりするのか? そう……なんだな?」
肩を揺すれば、ぼそぼそと喋るイクシスは拗ねたような声で。
ネガティブオーラに当てられてるせいか、こちらを窺う目が少し潤んでいる。
そんな場合じゃないのに。
嫉妬して少し弱気になっているイクシスに、思わず――キュンとしてしまう。
しっかりしなきゃと思っていたら、隣で俯いていたアルザスが突然立ち上がった。
「アルザスさん……?」
こちらを見ることなく、アルザスが呪文を紡ぎ始める。
ヒルダでない今の私に、魔法陣を見ることはできないけれど。
前世でやっていた乙女ゲーム『黄昏の王冠』で、自滅する代わりに周りに大ダメージを与える闇属性魔法の名前がその口から聞こえた気がする。
物凄く……嫌な予感がした。
「イクシス、アルザスさんは何の呪文を唱えているの……?」
「自分の命と引き換えに周りの全てを無に帰す、闇属性の魔法だな。別名自爆魔法だ……」
恐る恐る尋ねれば、イクシスがアルザスの方を見て無気力に呟く。
「わかってるなら早く止めてよ! 洒落にならないから!」
のんびり分析している場合じゃなかった。
「メイコが俺以外を好きになるなら全てが無に還ればいい……そう思うけどな」
イクシスがらしくない台詞を口にしながら、手を翳してアルザスの魔法を打ち消す。
ユヅルの力に大分侵されてしまっている。
だからこんな事を言うんだとわかっているのに、そこまであからさまな嫉妬を目の当たりにすると頬が緩む自分がいた。
しかし、ニヤニヤしている場合じゃない。
「アルザスさん、しっかりしてください! 自爆なんてしたら皆が悲しみますよ!」
「……全てどうでもいい。大切なものが欠けた世界にいることに、何の意味がある」
必死に服にしがみついて訴えれば、アルザスの目には深い闇が宿っていた。
その気持ちは痛いほどわかったけれど、それだけは駄目だ。
折角浮上しかけていたというのに台無しだった。
「……ん?」
それどころか、アルザスからさらにユヅルと同じオーラが出てきていることに気付く。
黒い蔦のようなオーラが、ユヅルのそれと混ざって空へと上っていく。
まさかと思って、周りを見渡せば。
ユヅルから出るオーラが……空をいつの間にか覆っていた。
まるで暗雲のように広がって、竜の里を包みかねない勢いだ。
墓場から移動して、広場まで来ていたことが仇となった。
周りには他の竜族たちがしゃがんで、地面をじっと見つめている。
その何人かからは、ユヅルと同じ黒いオーラの蔦が出始めていて。
彼らの中にある闇属性の力が、ユヅルに触発されて漏れ出しているようだった。
今まで見たことがない強い連鎖反応。
これが拡大すれば、里どころか世界まで覆ってしまいかねない。
冗談じゃなく、本気で危機感を覚えた。
「兄さん! 大変なことになっちゃってる!」
「嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い……メイコが兄を……僕を、嫌い」
慌ててユヅルの体を揺する。
ユヅルは、狂った玩具のように、嫌いと繰り返し口にしていた。
苦しそうで泣きそうな顔。
この状況は昔、ユヅルのシスコンをどうにかしようと、強く拒絶して嫌いだと言った時と同じだ。
「兄さん、嫌いになるとは言ったけど、嫌いとは言ってないから!」
ユヅルの爆弾を爆発させてしまったことに気付いて、そう口にする。
「いずれ嫌いになる。そう言いたいんだよね。メイコに反抗期がくるだろうことはわかってたんだ。そのうち洗濯物も分け出して、一緒に手を繋ぐのも、側を歩くのも嫌だって言い出す……他の兄妹を持つ友達から聞いて覚悟はしてた。でも兄は嫌われようがメイコの側にいたいんだ……!」
悲痛な顔で、ユヅルが叫ぶ。
しかしそれは……私が言いたかったこととは大分ずれていた。
私が兄離れしてしまったと、ユヅルは大きなショックを受けている様子だ。
決してそういう問題ではなかったはずなのに。
何かおかしい。
皆が待っている異世界へ行けば、ユヅルが融合してしまう。
だから連れて行けないと、その点に関して話し合っていたと思うのだけど。
――どこからか、ユヅルの話はずれていたらしい。
「本当はメイコを嫁にだって出したくない。恋人だってまだ早いと思ってる。僕がメイコだけのモノのように、メイコにも僕だけのモノでいて欲しい。でも……メイコがそれを望むなら兄として我慢するよ。でも僕から離れていくのは、それだけは絶対に駄目だ!」
過保護全開で、ユヅルが私に叫ぶ。
そこだけは譲れないというように。
ユヅルが嘆くたびに、オーラが黒さを増していくかのようだった。
「わかった! ちゃんと兄さんも連れて行くから!」
このままでは、世界中の人間がネガティブになってしまう。
そのうち、アルザスみたいにどうでもいいと皆が自爆魔法やら何やらを使い始めたら……世界が破滅する。
「本当に?」
「本当だから! でも、融合するのはあっちの兄さんの了解をとってからだからね!」
言えばユヅルの体から出るオーラが止まる。
イクシスもこの調子じゃ、皆のいる世界に戻るどころの話じゃない。
それに私が意地を張ったところで、ユヅルはきっと意見を曲げないと思えた。
何より……さすがにシスコンが原因で世界が滅ぶなんて冗談みたいなことを、見過ごすわけにはいかない。
「兄さんのこと好きだからこそ、本当は連れて行きたくないんだよ?」
わかってるのかなと思いながら口にすれば、ユヅルの表情が和らぐ。
「うん、ごめんねメイコ。これは兄のワガママだ」
ユヅルが嬉しそうに微笑めば、その体から出ていたオーラの蔦が枯れるように色を失い、粉になって消える。
暗雲が晴れ、雲の隙間から光が差して。
周りの竜族たちが悪い夢から覚めたように、立ち尽くしていた。
「兄はいつでもメイコの幸せを、側で見ていたいんだ」
「もう兄さんは本当にシスコンなんだから」
安堵して私を抱きしめてくるユヅルに呆れながらも、別れなくていいことにどこかほっとする。
そうして私は、どうにかこの世界の危機を人知れず回避した。




