【88】私が帰る場所
「この世界には、父さんの力を借りてきたんだ」
イクシスはそう言って、私の手のひらを開かせる。
そこにはニコルくんにもらった紋章があった。
これは魂に交わす魔法の誓約で、普通は義兄弟の契りを交わすときに使うものらしい。
互いがどこにいるかわかる、そんな誓約だとのことだ。
これによってニコルと、その誓約を結んだときの体であるエリオットには、私の大体の位置がわかるようになったらしい。
この誓約のお陰で、多少私がいる異世界が絞られた。
異世界へも簡単に行ける黒竜のオウガと、私の場所がわかるエリオット。
同じく黒竜で私の場所が分かるニコルと、イクシスの二組で私を探してくれていたようだ。
異世界は目に見えないだけで、空間の中に繋がる道が多数あるらしく。
入ってみないと私がいる異世界かどうかわからないため、膨大な数の異世界に出入りしたんだとイクシスは告げた。
「実は、この異世界が……メイコがいるかもしれない最後の異世界だったんだ」
最後の最後の世界で、ようやく見つけたとイクシスは呟く。
この世界は、イクシスたちの世界にあまりにも近い。
同じ人間の魂は同一の世界に存在できず、同じ魂が長い間そこにいると融合して一つになってしまうのだという。
危険が高く、中に入るのも難しいため、後回しにしていたのだとイクシスは口にした。
「本来は同じ魂が世界に存在していると、世界に弾かれて入るのが難しいんだ。こっちの俺が死んでるから、スムーズに入る事ができた」
棺桶に横たわる自分の姿を見て、イクシスが複雑そうに呟く。
ちなみに、エリオットやオウガも私の元へ行こうとしたけれど、弾かれてしまったらしい。
こちらの世界のオウガは異世界へ行ってしまったと言っていたから、オウガはここにこれるんじゃないか。
そう思って呟けば、こっちのオウガは今この世界の空間のどこかにいるようだとイクシスが教えてくれた。
「この世界の俺の事を考えると、幸運なんだか不幸なんだが、よくわからないけどな。でも、メイコにまた会えたから……それでいいってことにしておく」
私の存在を確かめるかのように、イクシスがまた私を抱きしめてくる。
イクシスの香りがふわりと漂って、それを幸せな気持ちで胸いっぱいに吸い込んだ。
「じゃあ、イクシスは……死んでないんだね?」
「あぁ生きてる。もっと……確かめるか?」
尋ねれば、イクシスが悪戯っぽく笑う。
「うん」
からかうように唇を近づけてくるイクシスに、小さく返事をする。
縋るように見上げれば、そこにはイクシスの顔がある。
もっとイクシスが生きてると、教えてほしかった。
「お願い、イクシス。もっと生きてるって教えて?」
ねだるように口にすれば。
イクシスは驚いた顔をして――それから嬉しそうに笑った。
ちゅ、とイクシスの唇が私の唇に重なる。
わざと音を立てるように、それは頬に、耳に、目元にと色んなところに降り注いだ。
「俺がいなくて、寂しかったのか?」
「うん。寂しかった」
問いかけに答えれば、イクシスが目を細める。
「今日のメイコは……やけに素直で、可愛い」
腫れぼったい目蓋に口づけられて。
ふっとイクシスが笑った気配がして、目を開ける。
「だってイクシスにずっと……会いたかった。もう会えないって思ってた」
普段なら言えない言葉。
もう二度と届く事がなかったかもしれないと思うと、口から何の抵抗もなく零れ落ちてくる。
金色の瞳が、嬉しそうに輝く。
私がそこに映ってる。
ただ、それだけのことで胸がいっぱいになった。
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「しかし、メイコ縮んだな」
「うんまぁね。この体の子……ヤヨイって言うんだけど、今十六歳なんだ」
墓場を出口方向へと、イクシスと手を繋ぎながら歩く。
ヤヨイの手が小さいためか、イクシスの手がいつもより大きく感じられた。
「そう言えば私の見た目変わってるのに、よくメイコだってわかったね?」
「光属性の魔法セレスをずっと使いっぱなしにしてるからな。これを使えばメイコの魂を見ることが可能だ」
イクシスの体には薄い光の膜。
てっきり最初は、イクシスを私の幻覚か幽霊だと思い込んでいた。
だからぼんやり光るんだと思っていたけれど、それは魔法のせいだったらしい。
幽霊などの普段見えないものに、見たり触れたりする魔法。
以前幽霊のジミーに対してイクシスが使った魔法だ。
同じ効力を持つ闇属性の魔法もあり、それでオウガもヒルダの体にいた私をメイコだと以前見抜いた。
どうやらイクシスは、その魔法を使って私を探していたらしい。
「そういえばイクシスは、一体いつからそこにいたの?」
「……それはだな」
イクシスが言いよどむ。
後ろめたいことがある時の顔を、イクシスはしていた。
「もしかして、墓に来たときから見てたとか?」
立ち止まってじと目で見れば、イクシスがうっと喉を詰まらせる。
その顔は図星のようだ。
問い詰めるような視線を送れば、イクシスが観念したように溜息を吐いた。
「……この世界に入って、すぐにメイコがいることはわかったんだ」
イクシスは繋いでいた手を離して、その手で胸に下がる逆鱗を撫でる。
濃い桜色が揺らめいて、やっぱりその色は好きだなと思った。
「メイコが俺を強く想って呼んでくれてるのを、逆鱗が感じとってた。何となく場所はわかったから行ってみたら、メイコがアル兄と会話してて。それで先回りして自分の墓の前で隠れて待ってたんだ」
呟くイクシスの顔は暗かった。
「この世界の俺は死んだことになってる。アル兄にあんな顔させて、あの場でメイコに声をかけるなんて……できるわけないだろ」
苦い顔でイクシスは口にする。
例え異世界のアルザスで、自分の知っている本当の兄ではなかったとしても。
自分を育ててくれたアルザスに対して、イクシスは複雑な思いがあるようだった。
それでその場では声をかけずに、墓に先回りして私が一人になるのを待っていたらしい。
「それはわかったけど、もっと早くに声をかけてよ。そしたら、こんなに泣く事も、悲しい思いもしなくてすんだんだよ? イクシスが死んだと思って……本当に悲しかったんだから」
責めるように口にして、イクシスに抗議する。
アルザスやユヅル兄がその場を立ち去ってから、かなりの時間が経っていた。
その間イクシスは、私が泣く姿を見ていたということになる。
「メイコが一人になって、本当はすぐに声をかけようと思ったんだ。けど俺が死んだ時、メイコはあぁやって俺のために泣いてくれるんだなって思ったら……動けなくなった」
イクシスは、言い辛そうに目を逸らして。
それから悪かったと謝ってくる。
「俺のために泣いてるメイコが愛おしくて、もう少し見ていたいって思った。あんなにメイコの心を乱してるのが俺だと思うと、たまらなく嬉しかったんだ。こんなの俺らしくないし、悪趣味だって思ったんだけどな」
かすかに肩の力を抜くように笑って。
イクシスが、蕩けるような瞳で見つめてくる。
「そうやって自分の事を思ってくれる誰かに出会えるなんて……一生ないと思ってたんだ」
慈しむように、イクシスが頬を撫でてくる。
幸せを噛み締めるかのような口調だった。
今までで見たどの顔よりもとびっきり甘い顔に、心臓が高鳴る。
思わず赤くなった私を見て、イクシスがくすっと笑って。
啄ばむように軽く口付けをくれた。
「こんな辛気臭いところにいつまでもいるのも何だしな。さっさと帰るぞ――皆がメイコを待ってる」
イクシスが私の手を強く握ってくる。
出口はすぐそこに見えていて。
「うん!」
迷いなく頷いて、手を握り返す。
イクシスと一緒なら、どこへだって行ける。
そんな気がした。




