【86】竜の墓場
空間を何度も繋いで。
アルザスは、竜の墓場に私とユヅルを連れて行ってくれた。
硬質な石でできた黒の床に、三人の足跡が響く。
宮殿のような場所だったけれど、薄暗くて。
宙には蛍のような光がふわふわと浮き、それが灯りとなっていた。
冷ややかさを感じるこの場所には、厳かな空気が漂っている。
この場所は竜族しか知らない、特別な場所らしい。
内部は空間を繋ぐことができない仕様になっているらしく、アルザスが私達を先導して歩いていく。
同じような景色がどこまでも続く。
床には透明な宝石でできたような棺桶がいくつも並んでいて。
眠っているような竜族たちが、そこに横たわっていた。
壮年の男の竜族は、前あわせの白い竜族の着物を着ている。
その隣には寄り添うように女性の竜族が一緒に入っていて、二人は手を繋いでいた。
おそろいのデザインの着物を着ている二人は、夫婦だったんだろう。
とても安らかな寝顔をしていた。
多くの棺桶は、二人で一セットのようだ。
けれどその中には、一人で入っている細身の棺桶もあって。
若い竜族の男性が、白い詰襟の中華服のようなモノを着ていた。
つがいや花嫁がいないまま亡くなった、喉元に逆鱗のある若い竜族なのかなと、そんな事を思う。
アルザスは、迷わずに進む。
何度もここに通っているんだろう。
やがてその歩みが、一つの棺桶の前で止まる。
アルザスの視線の先にある棺桶には。
白を貴重とした詰襟の中華服を着た青年が、横たわっていた。
真っ赤な髪に端正な顔立ちをした、私の大好きな人。
けれどその目蓋は閉じられていて。
優しくてどこか悪戯っぽい、金色の瞳が見えない。
「あぁ……」
喉から悲鳴ともつかない音が漏れる。
足に力が入らなくなって、膝が抜けた体をユヅルが支えてくれた。
「こうやって見てると、ただ……寝てるみたいだよな」
今にも泣きそうな顔でそう言って、アルザスが棺桶の蓋を開ける。
棺の横には綺麗な小ぶりの花たち。
まだ新しくて、もしかしたらアルザスが毎日変えているのかもしれないと思う。
目の前の現実が、まだ受け入れられなくて。
イクシスがすぐそこにいるのに、全く嬉しくない。
覚悟はしてたつもりだった。
でも何度も話に聞いたって、イクシスが死ぬわけないってどこかで思ってた。
だって、イクシスは。
あんなに元気に笑っていて、いつだって側にいてくれて。
ようやく会えたのに、こんなのってない。
思考がまとまらない。
目の前の現実を、脳が拒否する。
恐々と、それでも目の前のイクシスに手を伸ばす。
触れたい気持ちを、抑えられはしなかった。
確かにイクシスはそこにいた。
手に伝わるのは肌の感触。
けれど、触れた頬は生きている者のぬくもりを伝えてこない。
驚くほどに冷たくて。
――その温度に。
私の心臓まで冷えていくようだった。
「イク、シス……?」
呼べば、目を開けてくれるんじゃないかと、そんな事を思う。
けど何も反応をしてはくれない。
「イクシス」
手で両頬を包み込む。
指先が震える。
目の前のイクシスの顔をちゃんと見たいのに。
視界が涙で滲む。
「ねぇ、冗談……だよね? お願いだから起きてよ」
イクシスの体を揺する。
やめろでも何でもいいから、言って欲しかった。
青白い唇は固く結ばれたままで。
そこから、イクシスの声が聞こえてくるのを待っているのに、何も言ってはくれない。
目を開けて。
そこに私を映して欲しかった。
恨み言だって何だって聞く。
叱られたっていいから。
その声を聞かせてほしい。
私を見てほしい。
イクシスがそこに生きてるんだって……教えてほしい。
「嘘……だよね? お願いだから……目を、開けてよ」
ゆっくりと親指で、イクシスの目蓋を押し上げる。
金色がそこから覗く。
いつも感情的に色を変えて。
まるで宝石のようだったその瞳は、何も映さなくて。
ただのガラス玉のように空虚だった。
「うっ……あ、あぁ……っ」
嗚咽が、口元から漏れる。
イクシスは――死んでしまった。
そう認めてしまえば、涙は留め止め無く溢れた。
苦しくて辛くて。
心が引き裂かれてしまいそうで。
「……イクシスのために、ありがとな」
「後で迎えにくるから」
アルザスとユヅルがそう言って、その場を立ち去る。
私は大きな声をあげて。
何度もイクシスの名前を呼んだ。
慰めてくれる腕はない。
寄り添ってくれて、泣いてもいいと言ってくれたイクシスは。
私の涙をただ受けて、そこで目を閉じて眠っている。
これは何かの悪い夢だ。
間違いだ。
そうであってほしい。
そうじゃなきゃおかしい。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ。
「イク……シス、イクシスっ!」
声が掠れて。
何度その名前を口にしたかはわからないのに。
もうイクシスは返事をしてはくれない。
わかっていても、それでも。
胸の中に溢れるのは苦い後悔。
あの日どうして、私はあの選択しかできなかったんだという悔しさ。
バイスにハンカチを渡していなければ、あの事を皆に伝えていれば。
オウガの言うとおり、皆に全てを任せて。
ちゃんと守られていたら、こんな結末は迎えなくて済んだかもしれないのに。
どんなにあの時を悔いたって、嘆いたって。
もうあの時に戻れたりはしない。
一度こぼれ落ちた水が、元に戻ることがないように。
失ったものは、もう二度と手に入らない。
「ごめん……なさ、い。私が、甘かったから……イクシスが。許してくれなくて……いいから、叱ってよ。何でも、するから。私が代わりに……」
嗚咽交じりの声は、うまく言葉にならない。
こんなことなら、代わりに私が死ねばよかった。
そんなことを思う。
イクシスを解放する方法は、あの時私が持っていたのに。
もっと好きだって、言っておけばよかった。
恥ずかしがらずにイクシスの気持ちに、答えてあげればよかった。
どうして躊躇っていたんだろう。
こんなにも、こんなにも、好きなのに。
失ってから気付いたって……何もかも遅すぎるのに。
私はいつだって、そればかりだ。
頑張ってるつもりで空回って、周りを巻き込んで、前が見えなくなって。
――大切なものを。
一番大切にしなきゃいけないものを、取りこぼしてしまう。
イクシスにまた会える日を、ずっと望んでいた。
今度会えたら、叱られるのは覚悟で。
全身全霊で謝って。
それから大好きって伝えようと思った。
ヤヨイになって、イクシスと離れて。
当たり前のようにイクシスが側にいたことに、慣れすぎていたことに気付いた。
会いたくてしかたなくて。
どうして自分は、日々をもっと大切にしなかったんだろうって思った。
離れて失えば。
どれくらいイクシスが、自分の中で大きな存在になっていたかってことがわかる。
イクシスの、お嫁さんになりたかった。
もうそれは、叶わないけれど。
あぁ、でも。
この棺桶の隣に、私が入ることは――許されるんだろうか。
少し酔ったような頭の隅で、そんな事を思う。
あの日、イクシスから貰った逆鱗は手元になくて。
そのことに物凄く落胆した。
約束の証さえ、消えうせて。
楽しかった日々の何もかもが――儚い夢のように思えた。




