【85】フェアリークレイブ
何もやる気が起きなくて。
ユヅルに連れられるまま、宿を旅立つ。
どこに行くかは知らなかった。
もしかしたら、故郷の島に帰ろうとしてるんだろうか。
そんな事を頭の隅で思ったけれど。
どうやら馬車は海の方向へは進んでないようだった。
「……メイコ、竜はね。死んだら里に還るらしいよ」
長い旅の終着点は、砂漠のオアシスだった。
小さな街なのに活気があり、冒険者風の服を着た人が多い。
ユヅルが私の手を引いて、ラクダに似た生き物の背から私を下ろしてくれた。
「里……竜の里……」
呟けば、イクシスの偽の恋人として竜の里へ行った日のことが、昨日のことのように思い出された。
「そうだよ。天空のどこかにある、竜の里。竜はね、死んだら里にその死骸が戻るように魔法が組まれているものなんだよ。竜の体は余す所なく魔道具の材料になるからね。それを防ぐために一定時間生命反応が消えると、その亡骸が里に帰ってくるようにしてあるんだ」
ここはテストにも出るところだよと、ユヅルが笑う。
「メイコ、お墓参りに行こう。大切な人なんだろう? 兄も一度彼に会ってみたいからね」
「……兄さん」
しゃがんで視線を合わせて、ユヅルがそう口にする。
ユヅルは私に、過去とのケリを付けさせたいんだろう。
イクシスの死をこの目で確かめに行こうと、ユヅルは言っている。
それは優しいようで、厳しい。
放って置いて、そっとしておいて。
そういう気持ちがないわけではなかった。
ここでイクシスの事だけを想って、いつまでも思い出に浸る。
それは苦くて甘い、夢の世界だ。
イクシスの死に向き合いたくなんてなかった。
「メイコ、大丈夫だよ。今度は兄がメイコの苦しみを半分背負ってあげる。ヤヨイが亡くなった時、メイコが兄にしてくれたようにね。寄り添って、たくさん甘やかしてあげる。だから……勇気を出して」
優しくユヅルが抱きしめてくる。
側にいるから大丈夫だと、そう伝えてくるようだった。
ゆっくりと私から体を離して、ユヅルがほっぺを指で抓ってくる。
「メイコのそんな姿、彼は見たくないんじゃないかな。好きな人には、いつだって笑っていて欲しいって思うのが男ってものだよ?」
ユヅルが少しからかい混じりの口調で、そんな事を言う。
「メイコの好きなイクシスさんは、メイコのどんなところが好きって言ってた?」
「笑ってる顔が好きだって……言ってた」
質問に答えれば、ユヅルは背筋を伸ばして。
それから満足気に笑った。
「そっか、彼はよくわかってるね。メイコには笑顔がよく似合う」
「でも兄さん、笑えるような気持ちじゃないよ」
言えば、それも知ってるよとユヅルは言う。
「今は笑えなくてもいいんだよ。いつかでいいんだ。自分の事でメイコが塞ぎこむのを、イクシスさんは望むような人だった?」
「……ううん」
問いかけてくる声に、小さく首を横に振る。
「兄さんは、イクシスの事知らないのに……よく知ってるんだね」
「メイコを好きな者同士……そういう事はよくわかるんだよ。それで、メイコはどうしたい?」
少し矛盾したようなことを言えば、ユヅルは少し困ったように笑う。
私に決断を迫る瞳は、何もかもを受け入れてくれるような深い色をしていた。
「イクシスに会いに……竜の里に行くよ」
ぎこちなく笑う。
イクシスがどんな最後を迎えたのか。
それを確かめなくちゃいけない。
竜族の里へ行って。
イクシスがそこにいるかを確かめる。
もしかしたら、そこにはいないかもしれない。
それならそれでいい。
それは――イクシスがどこかで生きている証だから。
でもその希望は口にはしない。
言ったら、希望は期待になって。
期待が大きくなればなるほど、打ち砕かれた瞬間の絶望が深くなる。
「そっか。なら兄は妹の願いを叶えるだけだ」
ちゃんと笑えてはいないはずだ。
でも、ユヅルはそう言って、よくできましたと頭を撫でてくれた。
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宿のベッドをテーブル代わりにして、ユヅルが地図を広げた。
砂漠を言った先に、竜のマークが書かれている。
「この砂漠から、竜の里へ行けたりするの?」
「いや。この砂漠の先に竜がいるんだよ。僕たちがどんなに頑張ったところで竜の里へ行くには、竜の力が必要だからね。交渉をしてみようと思って」
私の質問に、ユヅルは答えた。
「交渉ってどうやって?」
「それが問題なんだけどね……とりあえずは、話し合いかな?」
そこはあまりプランを練ってないらしく、ユヅルは困った顔になる。
「この砂漠の先はフェアリークレイヴっていう場所なんだ。意味は妖精の墓場。三年前まではエルフの国があったらしいけど、赤い竜に滅ぼされてしまったんだって。竜は時々そこにやってきては、何もせずに佇んでいるらしいよ?」
「赤い……竜」
私の反応を見るように、ユヅルが呟く。
赤という色に、イクシスを思い出す。
それと同時に思うのは、この先にあるのがエルフの国だったという事。
ヒルダの故郷で、敵だったティリアの故郷。
もしかしたら、もしかしたらという気持ちが高鳴る。
「その竜は何色の瞳をしてるの?」
「そこまではわからないんだ。ごめんね」
食いついた私にユヅルが謝った。
三年前というと、丁度ヒルダが事故で死んだ――おそらくは殺された時期と重なる。
もしかしたらイクシスは生きていて。
ティリアを追ってエルフの国に来て後に、滅ぼしたのかもしれなかった。
「まぁ竜に会いに行くのは日を見てからにしよう。多少装備を揃えて行った方がいい。こちらが攻撃をしかけなければ、竜は攻撃してこないらしいけど、万が一ということがあるからね」
この街には、エルフの国を襲った竜を倒そうと、名うての冒険者たちが集まっているようだった。
エルフの国が滅びた当時よりも、竜を退治するために出かける冒険者は減ったらしいけれど。
それでも未だにこの街は活気があるようだった。
竜を倒せずとも、その鱗が取れるだけでも結構な価値があるらしい。
「イクシスさんだったらいいね」
私の期待がわかったんだろう。
そう言って、ユヅルが肩を抱き寄せてくる。
「……うん」
イクシスに会えますように。
そう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。
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「いらっしゃい、いらっしゃい! フェアリークレイブ名物、羽センベイだよ!」
次の日、支度のために街へ行けば。
観光地にもなっているのか、色んなグッヅが売られていた。
どこの世界にも商売人はいるらしい。
皿にキーホルダーに洋服。
白い蝶の羽のモチーフがよく使われていた。
「どうしてお土産品のモチーフが、白い蝶ばかりなの?」
「エルフ族の背には、白い蝶の羽のようなものがついていたんだよ。時には例外もいるけど、その羽は白く透き通っていて、国のマークから何から白い蝶が使われていたんだ」
いい質問だねというように、ユヅルが答えてくれる。
思い出すのは、バイスにハンカチをあげたときの反応。
どうして白い蝶にしたんですかと、バイスは私に聞いてきたけれど。
あれは白い蝶がエルフを指すからで。
一瞬私がその正体に気付いているのかもしれないと、バイスは警戒したのかもしれないと今になって思う。
そして私は一日経って思い出したことが一つあった。
このフェアリークレイブという場所は、乙女ゲーム『黄昏の王冠』にも登場していた。
エルフの国の滅ぼされた跡地という説明は一切無く。
ただ、三年前に滅ぼされた国があり、そこに竜がいるという説明だった。
主人公がゲーム内で最高難易度のアイテムである『賢者の石』のレシピを手に入れた際に、この場所が開示されるのだ。
一度倒したら出てこなくなる竜。
その強さは敵の中で一番高い。
恋愛する事が目的のゲームであるため、倒さなくてもゲームではエンディングを迎えられる。
だから、竜を退治するプレイヤーは少なかった。
けれどこのゲームの錬金術要素が好きだった私は、『賢者の石』の材料である竜の角を手に入れるため、ゲーム内で竜と何度か戦ったことがある。
確かにその竜は赤かったけれど……瞳の色までは覚えていない。
ゲームでは竜は素材を取るための敵でしかなく、竜側の事情は当然のように描かれてはいなかった。
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支度を済ませ、とうとう竜に会いに行く事にする。
この日は私達の前に冒険者のパーティがいた。
どう見たって小娘の私と、線が細めで優男に見えるユヅルを見て、それで大丈夫なのか死ぬぞとニヤニヤ笑う。
屈強な体をした冒険者達は大人数で。
その顔つきや雰囲気から場数は踏んでいるんだなという事がわかった。
「あの人たちが帰ってから竜に話しかけようか。一緒にされても迷惑だし」
それには私も同意だった。
竜のいる場所までは、ラクダのような生き物が送ってくれる。
それから降りて、すこしなだらかになっている砂の山を登れば。
下った先にある瓦礫の真ん中に、赤い竜がいた。
瓦礫の山の上で、空を見上げるようにして佇んでいる。
その様子は――何かを悲しんでいるように見えて。
「遠目だと、金色の目をしているかよくわからないね」
「あれはイクシスじゃないみたい」
呟いたユヅルに、確信を持って答える。
竜なんてどれも同じに思えるかもしれないけど。
瞳の色がここからわからなくたって、イクシスならちゃんと区別できる。
よく似てはいるけど違う。
それでいて、どこかで見たことがあるとも思った。
冒険者たちが、竜に向かっていく。
竜はそれを一瞥して。
攻撃をしかけてきたところで、わずらわしそうに尻尾で振り払った。
けど冒険者たちは、それを魔法で留める。
その間に別の冒険者が、強力な魔法をその竜へと放った。
竜は血を流して。
怒り狂ったように、周り全てを炎で包み込む――炎属性の最高レベルの技を使った。
一瞬にして、冒険者達は消えうせて。
跡形もないとはこのことだった。
恐ろしいほどの力。
けど――けどそれよりも。
竜が悲しげに吼える。
泣いているように見えることが、気になった。
「兄さん、話をしてくるね。多分もしかしたら、どうにかなるかも」
「わかった」
私の言葉にユヅルが護符をばら撒く。
闇属性の結界魔法が組み込まれた護符。
攻撃魔法を一度だけ無効化する効果のある、とても高価な護符だった。
竜の側まで歩く。
こちらに気付いた竜が、ゆっくりと体をこちらへと向けた。
その瞳は黒い色。
やっぱりイクシスではなくて。
どこか闇を抱えている濁った瞳は、全てを諦めて嘆いているように見えた。
「こんにちは。私はヤヨイ・シノノメと言います。こっちは兄のユヅル。アルザス・エルトーゴさんですよね?」
礼儀正しく名乗って、大きな声で話しかける。
竜がその瞳を大きく見開いた。
「なんでオレの名前を知ってる、小娘」
目の前で竜が姿を変える。
二十代後半くらいの竜族の青年は、赤い髪にがっちりとした体つき。
頭の横にある羊の角は大きく、やや黒くて結晶がかっている。
精悍と言える顔立ちをしていて、整った凛々しい眉が真面目そうな印象を与えるけれど。
眉間に刻まれたシワは深かった。
アルザスは、イクシスやオウガのお兄さんで。
九人いる兄弟の中では三番目。
両親であるニコルやオリヴィアさんの代わりに、イクシスとオウガを育てたのがアルザスだと本人から聞いていた。
アルザスが生まれた時、他の兄弟たちは巣立っていて里になくて。
それでいてニコルとオリヴィアは今以上に蜜月期だったらしい。
家には両親と自分だけ。
甘ったるい雰囲気を垂れ流す両親に呆れながら、アルザスは他の家がうらやましくてしかたなかった。
兄弟がいれば、少しはこの空気にも耐えられるのに。
そう思ったアルザスは、ニコルとオリヴィアに弟がほしいと口にしてしまって。
そうして生まれてきたのがイクシスとオウガだ。
自分の願いで生まれてきた兄弟を、アルザスは可愛がった。
こんな両親に育てさせたら色ボケになってしまうと、二人の面倒の一切をアルザスが見たのだ。
前に竜の里でアルザスと会った時は、イクシスやオウガ、そしてアルザスの四人で飲む機会があって。
「お前はイクシスのどこが好きだ? あと、オーガストの好きなところも言ってみろ」
「ええっ!?」
二人の前で、アルザスに質問攻めにされた。
最終的には、まぁ合格だなという言葉を頂いたけれど。
姑に嫁チェックをされているような気分を味わった。
横でイクシスやオウガが照れて嬉しそうな顔をしていて。
あれは物凄く恥ずかしかった。
くっきりと感情を伴って思い出すことができる。
懐かしくて、楽しかった分だけ……苦しくて胸が痛くなった。
「私、イクシスの知り合いなんです。イクシスに会いたくて、それでここまで来ました」
イクシスの花嫁として竜の里で出会ったメイコだとは伝えず、それだけ口にする。
アルザスが、私たちの事情をどこまで知っているかわからない。
それに、直接イクシスを殺したのが、別の誰かだったとしても。
――死なせてしまう原因を作ったのは私だ。
それを知れば、アルザスは私をイクシスに会わせてくれないような気がした。
真っ直ぐアルザスは私の目を見つめてくる。
その気持ちを量ろうとするように。
だから、私は視線を逸らすことはしなかった。
同じ悲しみを持つもの同士だからか、視線を交わすだけで通じ合うものがある気がした。
アルザスは、イクシスの死を心から嘆き悲しんで、傷ついている。
――この人は私と一緒だ。
「そうか」
アルザスは小さく呟いて、大きく息を吐いて。
「イクシスは……竜の墓場にいる」
しばらくの間の後、一言だけ呟いた。
苦しそうに、搾り出すような声で。
その顔が、認めたくないんだというようにゆがめられていた。
「アルザスさんは、イクシスの復讐のためにエルフの国を滅ぼしたんですよね」
「……なんだ、そこまで知ってるのか」
私の推測に、アルザスは自嘲気味に吐き捨てる。
「そんな事をしたって、イクシスが帰ってくるわけじゃない。わかっているんだけどな……」
気持ちの整理がつかないんだと、アルザスは呟く。
目の前のアルザスの苦しみがまるで自分のことのように、痛いほどに伝わってきた。
「オウガは……オーガストはどうしてますか」
「オーガストとも知り合いなのか? どうやって知り合ったのかは知らんが、あいつなら……異世界に行ったきり帰ってこない」
尋ねれば、余計にアルザスが瞳に影を落とす。
尻尾が力なくうなだれた気がした。
「お前がイクシスの知り合いだということはわかった。墓場まで連れてってやる。あいつのために……泣いてやってくれ」
アルザスが私を見て、ふっと優しい目をする。
涙を我慢していることを――見抜かれてしまっていた。




