【83】ごめんなさいと、ありがとうと
私だけではなくユヅルも学園をしばらく休むことになった。
さすがに教師であるユヅルが休むのはよくない。
説得したのだけれど――あっさりと却下された。
荷造りをしてアパートを出る。
カチャリと音を立てて、そこにユヅルは鍵をかけた。
「ねぇメイコ。多くの人は何のために働くと思う?」
「えっと……日々の生活のためかな?」
いきなりの質問に答えれば、そうだねと教師らしい顔でユヅルが頷く。
「働くのはお金を得るためだ。お金がないと、大切な家族を養えない。家族の幸せのために、笑顔を見るために働くんだ。それはわかる?」
「うん……?」
言っていることは一般的なことで理解できるけれど、ユヅルが何を言いたくてこの話をしているのかよく見えなかった。
「大切な誰かの笑顔のために働いてるのに、働くことでその誰かの笑顔が損なわれるとしたら、それは意味のないことなんだよ。本質を見失っちゃいけない」
真剣な顔で語っていたユヅルがそこで話を切って、私の目の前にしゃがむ。
見上げるようにして、私を見て。
「つまり、僕の仕事も僕自身も何もかも――メイコの笑顔を見るためにだけにあるんだ」
きっぱりとユヅルは言い切る。
並の女の人なら一撃でコロリとやられてしまいそうな、爽やかすぎる笑みを私に向けながら。
つまりユヅルは。
私が最優先事項で、それを譲る気は一切ないと言いたいらしい。
本当に……本当に、重度のシスコンすぎる。
いや、知ってましたけどね?
きらっきらな笑顔で武装したユヅルに、何を言ったところで聞きはしないことを私は四年間の兄妹生活の中で学んでいた。
優しそうに見えるユヅルだけれど、こうと決めたら折れないところがある。
「兄さん、本当に危険なんだよ。だから一人で行かせて欲しい。関係ない兄さんをやっぱり巻き込みたくはないよ。私のせいで誰かが嫌な目に遭うのはもうたくさんだから」
「……メイコは、まだわかってないんだね」
聞き入れて欲しいと口にすれば、ユヅルは大きく溜息を吐いた。
昨日と同じようなやりとりに、呆れているのかもしれない。
でも何と言われようと、自分のせいでユヅルが傷つく姿は見たくなかった。
「メイコは自分に関わったから、皆が傷ついて嫌な思いをしたと思ってる。だから僕にもそんな思いをさせたくなくて、避けるんだろう? けどね、メイコのその気遣いが何より一番僕を傷つけてるんだよ」
苦しそうな顔でユヅルは呟く。
言い聞かせるような言葉は、聞き分けのない子供に対するもののようだ。
「最初からメイコはそうだったよね。きっと僕に出会う前もそんな風に過ごしてきたんじゃないかな。誰かに頼ることを、メイコはよくないことだと思ってる。誰かが嫌な思いをするくらいなら、自分がすればいい。そう考えるから――自分自身を省みようとしない」
いつもは優しいユヅルの声が、低く怒りを帯びたものになる。
真っ直ぐ見つめてくる瞳に、私の内側を覗かれているような気分になった。
「メイコは、メイコを心配している人がいるってことをちゃんとわかってる? 心配しないでなんていわれたって、そんなの無理なんだよ。目の届かない所で無茶をしてると思えば、こっちは不安で心臓が壊れそうになるんだ」
ユヅルが私の体を抱きしめてくる。
体格差が大きいから、幼い少女である私の体はユヅルの腕の中にすっぽりと収まった。
「ねぇ、メイコ考えてもごらんよ。僕がもし悩み事を抱えて、それを誰にも言おうとしなくて。一人で解決するために危険を冒して、死んでしまったらメイコは怒るだろう?」
「そんなの当たり前でしょ」
言われて即答すれば、体を離してユヅルは私の顔を見て笑う。
目論見どおりだというように。
「それっておかしいよね。メイコは同じ事を僕にしようとしてるのに、自分はいいんだ?」
その言葉にはっとさせられる。
「大切だからこそ、巻き込みたくないっていうメイコの気持ちは嬉しいんだよ。ただ、逆の立場になってちゃんと考えて? それをしたのがメイコの恋人や、他の大切な人たちだったら? その時メイコはどう思う?」
優しく答えへと導くように、ユヅルが問いかけてくる。
ユヅルの言ったことを、イクシスに置き換えて考えてみる。
イクシスが何かに悩んで、隠し事をして。
それで一人で抱え込んで――死んでしまったら。
私は悲しむし、絶対に怒る。
危険があるから言わなかった。
巻き込みたくはないから。
イクシスならそういう事もありそうだ。
けどそんな気遣いは、全く嬉しくない。
何で言ってくれなかったのかとか、どうして頼ってくれなかったのかとか。
言ってくれれば何かできることがあったかもしれないのに。
何もできなくても悩むことくらいは一緒にできるし、苦しい思いをしてるのにそれを隠されることが辛い。
どうして自分をもっと大切にしてくれないんだろう。
置いていかれた人のことをもっと考えてほしい。
――きっとそんな事を思うと。
簡単に想像できてしまった。
あぁ、そうか。
自分もそんな思いを、周りの人たちにさせてしまっていた。
ようやくその事に思い当たる。
心のどこかで、ヒルダが命を狙われるのは自分の問題だと思っていた。
バイスのこともどうにかしてあげたくて、自分でなんとかしなきゃと無意識に考えていたのかもしれない。
皆は協力してくれようとしていたのに、私は頼りきれてなかった。
「ごめんなさい、兄さん。私……間違ってた」
「メイコが反省すべきは、大切な人たちを巻き込んでしまったことじゃない。彼らにそういう思いをさせてしまったことなんだよ」
よくできましたというように、優しくユヅルが頭を撫でる。
「それがわかったなら、メイコは兄にそんな思いをさせたりはしないよね? 迷惑かけてゴメンねは悲しいけれど、一緒にいてくれてありがとうなら兄は幸せな気持ちになれる。メイコが兄の苦しみを半分持ってくれたように、今度は兄にも……その荷物を背負わせて?」
立ち上がって、ユヅルが手を差し出してくる。
「さぁ行こう、メイコ。屋敷への連絡も手はずも、全て兄が整えておいたよ」
何も心配はいらないというように、ユヅルは笑う。
思い出すのは、島国にいた時ヤヨイの体で迷子になったこと。
ユヅルは私を探し出してくれて、こうやって手を差し出してくれた。
安心させるようなその柔らかい笑みを見れば、不安が解けていくかのようで。
その大きな手が私を導いてくれると、迷い無く信じることができた。
自分で片付けなきゃいけないことだからとか、甘えちゃいけないとか。
そういう気持ちはまだあったけれど。
こんな私を心配して、助けてくれようとしてる人がいるのに。
その手を突っぱねて――意地を張るのは馬鹿なことだ。
その事に、ようやく私は気づいた。
ユヅルがそれを私に教えてくれた。
「兄さん、ありがとう」
だから感謝をこめて、差し出された手を握る。
もう、大切なことを間違ったりしないと、そういう思いをこめてユヅルに笑いかければ。
「どういたしまして!」
これ以上ないってくらい嬉しそうに、ユヅルは微笑んでくれた。
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馬車に揺られて、ヒルダの屋敷近くの街にたどり着く。
ヒルダの屋敷は現在、アベルの父であり現国王の末弟であるルーカスが代理で管理しているようだ。
オースティン家当主であるアベルは若く、学生をしている。
そのためその父であるルーカスが、領土の管理を代行しているらしい。
私がヒルダの体から弾き飛ばされて後、ルーカスは釈放されたようだ。
クロードの作ってくれた資料を見た限りでは、もう言い逃れできないところまで追い詰めているように思えたのに。
一体何があってこうなってしまったんだろうと、困惑する。
ユヅルはアベルの家庭訪問を名目に、ルーカスに会う約束を取り付けていた。
十五歳で当主をしているというアベルを心配した担任教師が、その様子を親に聞きに行く。
それは、わりと自然な理由だった。
けれどそれは表向きの理由だ。
同時にユヅルは、ルーカスに訪問の裏の目的を吹き込んでいた。
ルーカスが今からやろうとしていることに興味があり、賛同している。
そのような姿勢をユヅルは見せたのだ。
前にルーカスについて調べた時に得た情報を教えれば、ユヅルはそれを元に強みになる部分を探し出した。
ルーカスは、武力による国の制圧と独裁を夢見ている。
力に対する執着が強く、国内で魔法武器の開発にも力を入れていた。
そのことからユヅルは、自分の国の魔法である『オンミョウ術』や退鬼士にルーカスが興味を持つと踏んだのだ。
オンミョウ術は、根本は魔法と一緒なのだけれど。
退鬼士には術者が二種類いて二人で一組というところが、この国の魔法使いたちと大きく違う。
退鬼士の多くは、ユヅルのように刀などの武器に魔法を乗せて戦う術者だ。
武器と魔法を巧みに組み合わせながら戦う彼らは、護り手と呼ばれている。
一方でこの国の魔法使いと同じで、詠唱を中心とする術者は詠い手と呼ばれる。
詠唱の分、強い力を使うことができるけれど、その分隙が大きい。
そこを護り手にカバーしてもらいつつ、護り手に補助の魔法を後方支援でかけたり、威力の強い魔法で敵を裁くのだ。
この国の魔法使いの武器は、魔力を増幅させる杖がほとんど。
神聖な魔法の対決に武器は不要と考えられているからだ。
魔物との対決はこの限りではないけれど、戦争時にも魔法使いの多くは杖を持つ。
騎士でも魔法が使える者はいるけれど、補助程度。
そんな国に、武器と魔法をリンクさせた護り手のような騎士が増えれば。
――軍事力の大幅な強化になるんじゃないか。
ユヅルのその話に、ルーカスは可能性を感じたらしく、しっかりと食いついてくれた。
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四年ぶりに帰ってきたヒルダの屋敷は、私が知っていた頃とは変わっていた。
屋敷の近くに作った遊具もなくなっていて。
中に入れば、趣味の悪い骨董品が廊下に並んでいる。
私の――ヒルダの執務室に通されれば、髭を蓄えた男が出てきた。
「やぁよくきたね。私がここの領主代理をしている、ルーカス・レッドフォードだ」
そう言ってユヅルに手を差し出してきたのは、アベルの父であるルーカスだ。
ルーカス・レッドフォードは、現国王の末弟。
この国の王族は大抵金髪に紫の瞳をしているのだけれど、ルーカスはくすんだ茶に近い金髪に、蜂蜜色の瞳をしていた。
アベルは全体的に母親似らしく、顔の造形は似てない。
ルーカスはギラギラとした目をした、野心家といった感じのするおじさんだった。
ルーカスが当主代理になったのは、アベルが十三歳の時。
つまりは私がいなくなってから二年後。
屋敷の主であるヒルダは事故で亡くなり。
ヒルダの養子となったアベルが、ルーカスの後ろ盾を持ってこの領土を管理することが決まった。
オースティン家には、元領主……ヒルダの亡くなった夫の弟がいたのだけれど。
彼もまたヒルダが亡くなる少し前に、偶然というにはできすぎている事故で亡くなり。
誰も継ぐものがいなくなったため、その権利はすんなりとアベルに譲渡されてしまったようだ。
けれどアベルは成人前。
アベルが十五になるまでは、この領土は領主不在でルーカスが代理を務めていた。
しかし、アベルが成人である十五歳になった去年、アベルは正式に当主の座を得たという事のようだった。
ただ、実際にはまだアベルは学生のため、実質的な領土の運営は全て代理であるルーカスに任されている。
ユヅルからの情報は貰っていたけれど、屋敷を我が物のように言うルーカスに嫌悪感を覚える。
ここは私の場所だという意識があった。
あぁ、本当にヒルダの屋敷は乗っ取られてしまったんだ。
そう思うと苦しくなる。
思わず唇を噛み締めれば、ルーカスがユヅルの後ろに立っていた私に視線を向けた。
「大丈夫かな。顔色が悪いが――ん? 君は確か、アベルの友人のホノカさんだったか。どうして私の屋敷に?」
ルーカスは私の事を乙女ゲーム『黄昏の王冠』の主人公であるホノカと勘違いしているようだった。
どうやらホノカとルーカスは、面識があるらしい。
「……妹を知っているんですか?」
「冬にアベルの誕生日があってね。その時に正式な当主になるお祝いを屋敷でしたんだが、アベルがその時に彼女を招待していたんだ。まさか君の妹さんだったとは驚いたよ」
ユヅルの言葉にルーカスがそう言って笑う。
この様子からするに、ホノカに対してわりと好印象を持っているようだ。
「すいません、挨拶が遅れてしまって。兄が休日にアベルくんの屋敷へ出かけるというものですから、気になってしまったんです。前に来たとき、素敵な場所だなと思ったので」
にこっと笑って、ホノカのふりをしてお辞儀する。
この際だから、利用させて貰おうと思った。
「ははっ、ありがとう。丁度今バラ園が見ごろなんだ。存分に屋敷を楽しんで行ってくれ。ピオとクオに案内させよう」
ルーカスの指示で現れたのは、ハーフエルフの兄弟であるピオとクオ。
金色の髪に緑に瞳、少しとんがった耳。
ヒルダと似た美貌の二人は、少年から青年になっていた。
兄のクオは十九歳で、弟のピオの方は十八歳になったはずだ。
執事服を着こなした二人は、私を見てお辞儀をしてから気安くにぱぁっと子供らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「前に会ったことがあるだろう。髪を後ろで結んでいるのがピオで、短い髪の方ががクオだ。お嬢さんの相手を頼んだぞ、二人とも」
二人がルーカスの言葉にわかりましたと答える。
「いこう、ホノカ!」
「案内する」
ピオが私の手を引いて、クオが背中を押してくる。
早く早くと急かすように、ずっと来るのを待っていたんだというように。
そこにある気安い雰囲気に。
それが自分に――メイコに向けられたものじゃないとはわかっていたけれど。
少しほろりときそうになってしまった。




