【79】犯人と自白と
今日は本当にいい天気だ。
ベッドから起き上がって伸びをすれば、シャランと首元で音がした。
「……」
銀色のチェーンの先についているのは、イクシスの逆鱗。
その綺麗な銀色のチェーンも、イクシスが用意してくれていた。
もしかしたら、結構前から準備していてくれたんだろうかと思うとなんだかこそばゆい気持ちになる。
そっと触れれば、とくんとくんと鼓動するように逆鱗の色が微かに変化する。
桜色に色づく逆鱗は、本人とそのつがいが触れたときだけ、そういう反応を見せるらしい。
一生に一度しか、相手に与える事のできない逆鱗。
イクシスが私を選んでくれた証。
それを思うと嬉しくなって、思わず頬が緩む。
ちゅっとそれにキスをしたところで。
ドアのあたりに、クロードがいることに気付いた。
「わわっ、クロードいたなら声をかけてよ!」
「すいません。ノックはしたのですが、返事がなかったもので。それは……イクシスから貰った逆鱗ですか?」
慌てて逆鱗を胸元にしまえば、クロードが気まずそうに謝ってくる。
「えっと、まぁ……うん」
「よかったですね」
赤くなって頷けば、クロードがふわりと微笑んで祝福してくれる。
「喜んでくれるの?」
「当たり前です。私はヒルダ様の執事ではありますが、同時にあなたの執事でもあるのですから。メイコが幸せならそれは私にとっても嬉しいことです」
そう言ってクロードが朝の支度を手伝ってくれる。
最近ではマリアさんにやってもらっていたことだったけれど、今日は私にやらせてくださいとクロードが言ってきたからだ。
「……私はあなたが主でよかったと心から思っています」
私の髪を綺麗に結い終わったところで、クロードがそんな事を言い出す。
「いきなりどうしたの改まって」
「ずっと思ってきたことですよ。ヒルダ様にはこの身を助けてもらった恩があります。ですが、あなたにも私は恩を感じています。あなたが来てから、屋敷も少年も、何もかもが変わり始めました」
尋ねれば、クロードが静かな優しい声で語る。
「ヒルダ様とは違う救い方で、メイコは私達に手を差し伸べてくれました。感謝を伝えたいと、ずっと思っていたんです」
私に化粧を施しながら、クロードが言う。
「もうクロードその言い方だと、今日私がどこかへ行っちゃうみたいじゃない」
「今日は朝から妙な胸騒ぎがして……私も緊張しているのかもしれませんね」
なんとなく照れくさくてそう言えば、クロードが不安そうに顔を曇らせる。
クロードは心配性だ。
私が今からやろうとしてることに、クロードは最後まで反対していた。
「異世界へ行くのは明日だし、ちゃんと帰ってくるわよ?」
私の部屋だとどこで誰が聞いているかわからないから、大丈夫だと言外に含めて明るく言ってみせる。
「……そうですよね。メイコの言う通りです」
クロードは、少し安心したように微笑む。
最後の仕上げに、クロードが唇に紅を乗せてくれた。
今日がバイスとの――決戦の日だった。
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朝食を終えて後、屋敷の一番高い屋上、普段は施錠されているその場所へバイスを呼び出す。
本日はバイスと約束した、エレメンテの祝福の日だ。
「メイコ様、これハンカチを先に手渡しておきますね」
「ありがとうバイス」
バイスの手から儀式で使うハンカチを受け取る。
にっこりと微笑むバイスに、邪気の欠片は見当たらなくて。
これからやろうとしていることに対して、罪悪感がむくむくと頭をもたげた。
慎重に階段を登る。
以前ヒルダが突き落とされた場所。
私がヒルダになった場所。
ドキドキとしながらも、大丈夫と思いながら足を踏み出す。
私の影にはメアの蛇であるサミュエルくんがいるし、側には目に見えないけどイクシスとメアが待機してくれていた。
ドアを開けて屋上へついた瞬間走って、バイスと距離を取る。
イクシスが私の背後に現れたのを見て、バイスが顔をしかめた。
「メイコ様、どうしてイクシス様がいるんですか」
バイスが責めるような声を出す。
本来、このエレメンテの祝福は私だけでという約束だった。
私の後ろにはイクシスが。
それでいてバイスの背後のドアには、私の位置から見えないけれどメアがいて。
バイスの影に蛇を仕込み、なおかつ逃亡したときに捕まえる役割を担っていた。
ちなみにここにはバイスの方だけを呼び出した。
ティルの方は、部屋で待機して貰っている。
バイスの命令で強力な魔法を使われてはたまらないからだ。
そっちの方の見張りは鷹の獣人・フェザーに頼んである。
事情こそ教えていないものの、ティルの面倒を見てそこから出さないよう、ウサギの獣人・ベティや猫の獣人・ディオにも協力して貰っていた。
目の前には、眉を寄せるバイス。
その顔立ちはやはり整っている。
金髪に、空色の瞳。
さらさらの髪に、品のよい佇まいはまるで王子様のようだ。
事前にイクシスがティリアの肖像画だと言って、見せてくれた絵を思い出す。
そこには少しウェーブのかかった髪を腰まで垂らした、美人系の顔立ちの女性が描かれていて。
その目やすっと通った鼻筋、全体の雰囲気は、年や性別の差はあるけれど。
確かにバイスとよく似ている。
ティリアの背中には綺麗な蝶のような羽。
エルフは本来光でできた羽があるらしい。
ハーフエルフであるヒルダや、ピオやクオにはなく、純正のエルフだけが持つ羽は複雑に色が交じり合っていた。
その耳もヒルダみたいに多少とんがっているわけではなく、長さからして違う。
……目の前のバイスには、どれもないものだ。
この後に及んで、バイスはティリアじゃないんじゃないかと思いたがっている自分に気付く。
疑うことはやっぱり慣れなかった。
でも私は。
今日、バイスを問い詰めて――お別れをしようと覚悟を決めてここに来ていた。
「バイス……あなた、ティリアよね」
ぎゅっと両手でハンカチを握る。
ちくり、と手のひらに妙な感触がした。
「何を言ってるんですか? ティリアって何です?」
単刀直入にそう言えば、バイスはきょとんとした顔をして首を傾げる。
「とぼけても無駄だ。お前がティリアだって証拠は上がってるんだよ。ヒルダの中身をメイコに入れ替えて、殺すことで誓約を解くつもりだったんだろ」
イクシスがバイスを睨みながら口にする。
「バイス、あなたが私を今まで狙ってたのよね。物凄く悲しいし残念だけど――生かしておくわけにはいかないの」
ゆっくりと搾り出すように言葉を紡ぐ。
これにはバイスが驚いた顔をしていた。
「驚きました。メイコ様がそんな事を言い出すなんて。あぁそうか、メアが――嫌っているぼくを陥れるために動いたんですね」
悲しげな顔でバイスが呟く。
その表情は演技だと思うのに、胸が痛んだ。
「メイコ様はぼくよりも、暗殺者のメアの言うことを信じるんですか?」
潤む瞳でバイスが尋ねてくる。
汚れなく、純真に見える訴えに、心が一瞬ぐらつく。
「暗殺者は嘘つきなんですよ、メイコ様。あなたは騙されている」
「ごめんなさいバイス。私は――メアを信じるわ」
バイスかメアか、どちらか一方が真実を言っているとして。
その場合、例え騙されていたとしても。
好意や優しさを返してくれようとするメアの方を私が選ぶのは、当たり前のことに思えた。
「メイコ様は、ぼくを殺すつもりなんですね」
「……そうよ」
辛そうな顔でバイスが言う。
頷くのは、とても勇気が入った。
拳をぎゅっと握りしめて、真っ直ぐバイスを見つめて宣言する。
「幻滅しました、メイコ様。もう帰っていいですか。エレメンテの祝福をあなたから授かる日を楽しみにしていたのに」
軽蔑の眼差しを向けて、はき捨てて。
バイスが踵を返そうとした。
「……そうはさせない」
「えっ?」
ドアにバイスが手をかけた瞬間、頭上から降る声にバイスが顔を上げる。
そこに降ってきたのは、光の球。
落ちてきたのは、古代魔法の《聖なる太陽の祝福》で作られた、魔を浄化し触れた人を善人にしてしまう球。
それはすっとバイスの中に吸い込まれた。
オウガに抱きかかえられて、空に待機していた馬の獣人・エリオットが、ゆっくりと屋上に足を下ろす。
「皆の質問に素直に全て答えて。答えないことは悪いこと」
エリオットがバイスに向けて、言葉を放つ。
この魔法は、術者の言う事こそ正しいと思い込ませる力があり、従わせる力があった。
「バイスはティリアだよね」
「……いえ、違います」
エリオットの質問に、上を向いていたバイスが顔を正面に向けて。
それから私やイクシスたちがいる方向へ向き直る。
「ぼくはバイスだ。ティリアなんて知らない」
きっぱりと、バイスが口にする。
その瞳に、以前イクシスたちが術にかかったときのような、澄んだ色は見られない気がした。
「私に暗殺者を仕向けたり、毒を仕込んだのも……バイスなんでしょう?」
「そんなことしていません。全部メアがぼくに罪を被せるためにしたことです」
私の質問に、バイスが答える。
「どういうことだ……術がかかってないのか? いやでも確かに」
オウガが戸惑った声を上げる。
「まぁエリオットはまだ未熟だからな。そういうこともあるか」
エリオットがやれやれと言った様子で口にする。
自分の事をそんな風にはき捨てて、オウガの側から離れた。
「しかたないな。おいそこの隠れてる蛇、そいつを押さえつけていろ」
まるでこの場の支配者のごとき尊大な態度で、エリオットが口にすればメアの蛇がバイスの影から立ち上る。
そしてたちまちバイスを拘束した。
「オーガスト、エリオットの魔力を全て使ってこいつに技をかけてやる。今の残量だと三時間くらいしか持たないから、ちゃんと有効に使え。あと終わったらすぐ倒れるから、受け止めろよ?」
「わかりました」
エリオットの――というか、ニコルくんの言葉にオウガが頷く。
「まさか、父さん……なのか?」
「馬鹿かイクシス、このどこもかしこも白いこの貧弱な個体が。偉大なお前の父である黒竜に見えるというのか」
呟いたイクシスを一瞥して、苛立ったようにニコルくんは口にする。
以前も私に対して同じ事を言っていた。
例えエリオットの見た目をしていても、そのでかすぎる態度はどうみたってニコルくんだ。
むしろ隠す気あるのかというくらい、そのまとう雰囲気はニコルくんだと主張しすぎていた。
「全ての色を白に染めあげろ――《聖なる太陽の祝福》」
ニコルはバイスに手を翳し、直接魔法を叩き込む。
白い波動がバイスを包み、その光はバイスの中に収まるようにして消えた。
「……っ!」
「父さん!」
ふらついたニコルを、オウガが受け止める。
「ここにいる者共の質問に、嘘偽り無く答えろ。お前がティリアで、花嫁を――メイコを殺そうとしていた黒幕だな」
「いいえ」
苦しげなニコルの言葉に、それでもバイスは否定の言葉を返した。
「……どういうことだ? こいつが犯人で間違いないのではなかったのか、オーガスト」
「そのはずなんですが」
ニコルが困惑した声をだす。
オウガも戸惑っているようだった。
「このオレが魔法をしくじるわけはない。つまりは、こいつは本当に嘘をついていないか、嘘をついていると思っていないか。もしくは……」
最後の可能性をニコルが口にしようとした時。
いきなり全身の力が抜けてしまったかのように、バイスが倒れた。
「バイス!?」
「メア、何かしたか!」
戸惑う私とイクシスの声が重なる。
「いやおれはなにもしてないよ。ただ、拘束してただけ!」
メアがイクシスに答えながら、ドアを開けて屋上に入ってきた。
「おい、オーガスト。まずいぞ、はめられ……た」
今にも眠ってしまいそうな声を絞り出して、ニコルが口にする。
「それは……おそらく、遠隔操作の魔法人形だ」
「本当ですか、父さん!」
ニコルの声にオウガが慌てる。
「バイスの魔力を吸い取って!」
メアが蛇に命令して、バイスの魔力を吸い取らせる。
バイスの体にノイズが走り、次第にブレが大きくなって。
やがてそこにバイスの顔をした人形が現れた。
「これはどういうことなの!?」
思わず叫ぶ。
目の前には、バイスそっくりの精巧に作られた人形。
ガラスのような眼球には、何も映ってなくて、手指の関節には継ぎ目。
以前幽霊のジミーが使っていたのと同じ、魔法人形の体がそこにあった。
「まさか……バイスじゃなくて、ティルの方がティリアなのか!」
いち早く気付いたのは、イクシスだった。
慌てたように屋敷の屋上から空間を使い、移動する。
「メア、メイコと父さん――エリオットを頼む!」
そっとニコルの意識が入ったエリオットの体を、オウガが床に横たえる。
「わかった任せておいて!」
メアが請け負ったのを確認して、オウガもイクシスの後を追うように空間へと消えた。
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「ニコルくん、エリオット大丈夫?」
イクシスとオウガがいなくなって後。
床に寝かされたエリオットの体の側に膝をつけば、その体に入っているニコルが薄っすらと目を開ける。
「それはオレに、エリオットが大丈夫かと聞いているのか、それとも……オレも心配してくれてるのかな? 花嫁」
「どっちもよ」
言えば弱々しくニコルが、くくっと笑う。
目蓋が相当に重いようで、ほとんど目が閉じていた。
「魔力を使いすぎただけ……だ。眠れば治る。ただ、エリオットの意識がないからな、しばらくオレもこの体と一緒にいなくちゃ……いけない。オリヴィアに怒られる……」
「ニコルくん、ありがとうございました。色々私のために頑張ってくれたんですよね」
礼を言えばニコルは、口元だけでふっと笑う。
「オレはオレの息子たちのために行動しただけだ。後は……礼なら起きて後……こいつに言うんだな。お前のために力を貸してくれとオレに頼んだのは……こいつだ」
「エリオットが?」
あぁそうだとニコルは口にする。
「嫌いなオレの力を使ってでも、お前の役に立ちたかったらしい。くくっ……そういう馬鹿は嫌いじゃないんだ」
そう言うニコルくんは、心なしか楽しそうだ。
「まぁあがいたところで、オレの息子たちに敵いはしない。なんせこのオレの息子だからな。お前を取られて、コレが絶望する姿も……それはそれで楽しみだ」
ニコルくん、いいところもあるのかもしれない。
そう思った矢先にこれだ。
結局ニコルくんは、どこまでもニコルくんだった。
けど私のためにかなり無理をしてくれたことは間違いない。
その額には汗が噴き出ていて。
体は華奢なエリオットだから、余計にか弱く見えた。
せめて汗を拭こうと、手に持っていたハンカチをニコルの頭に乗せようとすれば。
いきなりニコルが目を見開く。
「ちょっと待て……お前何を……持っているっ!」
「きゃっ、ニコルくん!?」
ぐっと手首を掴まれる。
ニコルは無理やり上半身を起こすと、私のハンカチを握る手を開かせた。
「何、どうしたの?」
側にいてただ成り行きを見守っていたメアが、ニコルの行動に驚いたようすで私達の側にしゃがむ。
ニコルは私の手からハンカチを取り上げて、手のひらをまじまじと見てきた。
手のひらの真ん中には、小さな傷跡。
そう言えばさっきハンカチを握ったときに、ちくりとした。
どうやらその時の傷らしい。
もしかしてとハンカチを見れば、真っ赤な針が刺さったままになっている。
「うわ、私としたことが針を刺したままあげちゃってた!?」
「おい、メイコ! お前敵に血を渡したな!?」
しまったと思った私に、ニコルが突然怒鳴ってくる。
「血、何の事!?」
ニコルに言われて一瞬戸惑う。
それから、血の滲んだ糸でバイスにハンカチの刺繍をしてあげたことを思い出す。
言えば、ニコルは大きく舌打ちした。
「馬鹿が! 魔法は血と誓いに宿るんだ。自分から血を渡すという行為は、直接呪ってくれと言っているようなものなんだぞ!」
「えぇっ!?」
珍しくニコルが焦った様子で、大きな声をあげる。
メアに私に対して見えないものを見たり触れたりする、闇属性の魔法ゼルンをかけるように指示した。
メアが私にゼルンをかけると、紫に近い闇色の光が私を包んで。
体中に怪しげな刺青のような文様が浮かび上がる。
これは――特殊な魔法陣みたいだと目でみて気付く。
まるで体中を這いずり回る蔦のようで。
それは脈打ちながら、私を侵食して行っていた。
「なな、なにコレっ!?」
「くそっ、止めるのは無理だ!」
ニコルが自分の指を噛み千切る。
血だらけになった親指を、私の手の傷が付いた場所に押し当てた。
「復唱しろ! 《ルリアン・リ・クオーネ・エルグランテ》!」
「え、えっと――《ルリアン・リ・クオーネ・エルグランテ》!」
ニコルの言葉をなぞれば、血がじんわりと熱を持つ。
体に毒のように回った魔法陣に、何かの作用が加わったのがわかった。
まるでニコルと感覚が繋がっているかのように、焦りにも似た感情が伝わってくる。
「よく聞け。オレの息子達を信じろ! 何があってもだ。必ずあいつらはお前を――」
突然ニコルの声が遠くなる。
なんだこれと思った瞬間、景色も何もかもぐにゃぐにゃとふやけた。
ニコルの手の感触どころか、自分が座っていたのか立っていたのかさえわからなくなる。
上か下かも曖昧になって、ぐるぐると胸がかき回されるように苦しい。
何コレ……。
呟いた言葉は、声にならない。
音もいつの間にか周りから消えていた。
色も消えて。
自分がどこにいるのかわからないような浮遊感に包まれる。
体が何かに攫われて引っ張られるような心地がして。
――そのまま、意識が闇に飲まれた。




