【74】乙女ゲームの裏側で
オウガの異空間の部屋は、白と黒を貴重とした格好いいシックな部屋で、無駄なものがない。
インテリアなんかも洗練されていて、綺麗に整理整頓されている。
メアは見慣れないオウガの部屋に興味津々という感じだったけれど、ソファーを見つけてそこに座った。
私達も向かい合うようにして腰を下ろす。
「いやよかった断られなくて。あそこじゃ、おれたち以外に聞いてる奴がいたからね」
「誰かに見張られてたってことか」
イクシスの言葉に、メアはまぁねと答えた。
「メア、何か話があるんだよね?」
「うん。メイコお姉ちゃんが捕まえようとしてる、王族のルーカスさんってさ。おれの親父の今の主なんだ。親父って言っても、王様の方じゃないよ? 育ての親の方」
尋ればメアが頷く。
メアの育ての親は、暗殺を生業とする悪党だ。
その筋ではかなり有名で、凄腕の暗殺者なのだとクロードからは聞いていた。
メアは元暗殺者で、ヒルダを殺しにきていた。
しかし返り討ちにあい、命をかけた誓約をヒルダに結ばされてしまった経緯がある。
ヒルダが死ねばメアも死ぬ。
そのためメアは、暗殺対象を守る事になってしまったのだ。
仕事に失敗したメアは、今でも育ての親から刺客を送り込まれ命を狙われ続けていた。
「一昨年の冬、急に親父からコンタクトがあったんだ。ルーカスさんに協力しろってね。そしたらおれは、誓約から抜け出せてこの国の王になれるんだって!」
メアは手を大きくひろげて、凄いでしょと笑ってみせる。
けれどそれはまるでこの話を馬鹿にしているかのような、そんな雰囲気があった。
「お前は確か、存在を抹消された王族だったよな。それって王位につかせてやるってことか」
「たぶんね。おれ自身興味は全くないんだけど、親父はノリノリだったんだ。誓約があっても不自由はなかったし、どっちでもよかったんだけどね。親父がうるさいから、一応言う事聞くことにしたんだよ」
オウガの言葉に、メアが呟く。
屋敷でオウガが過ごすようになって。
これまでの事情や少年たちのことは全て包み隠さず話してあった。
メアの育ての親は、国に対して相当な不満を持っているらしい。
ヒルダにメアが捕まって後、新しい王国を作ると息巻いている現国王の末弟・ルーカスと手を組んで、その下に着いたようだった。
一昨年の冬、ヒルダが階段から突き落とされたあの日。
メアは指示を受けて、イクシスを見張っていた。
イクシスをヒルダから引き離せと言われていたらしい。
「おれに課せられた仕事は、あくまでイクシスさんを遠くへ連れて行くだけだった」
あまり説明もなく、謎の多い指示だったとメアは呟いた。
「でもすぐに理由はわかったよ。隙がなかったヒルダ様が、階段から落ちるなんてミスをして。その日の後からびっくりするくらい隙だらけになってたから」
「……私がヒルダになるのが、仕組まれてたってこと?」
メアの話はそうとしか思えなかった。
「そういうことだね。後でヒルダの様の体に別の魂を入れたから、殺してもお前が死ぬことはないって言われた。ただ、ヒルダ様を殺したらおれも半死状態になるからね。いつでも回復できるように、水属性の使い手は派遣してもらったよ」
理解が早いねと、メアは笑う。
屋敷の使用人の中に、ルーカスの息がかかった水属性の使い手がいるらしい。
「……ヒルダの体に別の魂を入れて、殺すのが目的だったってことか。オレの父さんがやってみせようとしてた事を、そいつらはやろうとしてたんだな」
オウガの言葉に思い出すのは、竜族の国でニコルが起こした騒動。
ヒルダが死ぬとイクシスも死ぬ。
イクシスはそういう誓約を、ヒルダに結ばされていた。
けれど魔法の誓約においては、体と魂両方が死んで完璧な死と見なされるらしい。
ヒルダの体だけ殺せば、半分誓約が解ける。
その状態なら、イクシスはギリギリ生きている。
そして次にヒルダの魂を殺す。
そうすれば同じように半死状態で留まって、イクシスは死なずに誓約を解除できるのだとニコルは言っていた。
ただ分けて殺すにせよ、体と魂はセットでなくてはいけなくて。
魂のみ、体のみの状態では誓約がそこに浮き上がらず、そのまま殺したところで誓約が解けなくなってしまう可能性があるらしい。
だからヒルダの体に別の魂を入れて殺して。
その後、誰かの体にヒルダの魂を入れて殺す。
分割して殺す事によって、ヒルダ自身が誓約を解かずとも、契約者が誓約から抜け出すことが可能だとニコルは言っていた。
「つまりメイコとヒルダが入れ替わったのは、誓約の解除のために仕組まれた事だったってわけか。メアを誓約から解放して、王子と入れ替えて。それでルーカスがバックに付いて国を操る。そういう筋書きだったんだな」
「オーガストさん、さすがだね」
メアの目が興味深そうにオウガを見る。
そりゃどうもと、オウガはそっけなく答えた。
第一王子と双子であるメアを使い、次の王座を奪う。
ルーカスは王族だけれど、現国王の末弟。
上には何人か兄がいて、ルーカスに王位の順番が回ってくる可能性は低かった。
国のそれなりに重要なポジションについてはいたものの、彼は自分の位置に満足できてないらしい。
それで彼は国の実権を握るため、メアを利用することを思いついた。
王子の座にメアを据え、後ろから操ることで彼は欲望を満たそうと考えたんだろう。
その野望を果たすために、メア誓約から解き放つ必要があるというわけだ。
思い出すのは、乙女ゲーム『黄昏の王冠』の王子やアベルのシナリオ。
王子暗殺を目論んでいた敵から考えて、ルーカスが彼らのルートに関わっていた悪役だと思ってよさそうだった。
「それで今回の事も罠だとメアは言いたいのか? いやその前に、今の話を聞いている限り、メアは敵だったってことだよな」
イクシスが眉を寄せる。
メアの真意を測りかねているようだった。
「そうだね。最初はおれもお姉ちゃんの事を殺そうとしてたよ? そもそもおれはヒルダ様を殺しに屋敷にやってきたんだから」
元暗殺者なの忘れてる? と、メアは面白そうに笑う。
「ただ、隙だらけになったヒルダ様――メイコお姉ちゃんをおれが殺すわけにはいかなかったんだ。イクシスさんに止められて、怪しまれるわけにはいかなかったからね」
ヒルダが死ぬと自分も死ぬ。
同じ誓約をかけられているイクシスにも事情を話して、仲間になってもらったほうがいい。
そうメアは考えていたけれど、却下されたようだった。
メアは助けるけれど、イクシスは殺す。
はっきりと、そう言われたらしい。
「どうしてだ? メイコには悪いが、最初の時点でその誘いをかけられていたら、俺も考えていたと思うんだが」
「実はルーカスさんにこの誓約の解き方を教えて、お互いに協力しないかって話を持ちかけた黒幕がいるんだ。その人がイクシスさんのこと相当嫌ってるんだよね」
そこまでイクシスに説明してから、メアがパーカを外す。
そして髪をかきあげて、紫の瞳でイクシスを見つめた。
「誓約が半分解けて半死状態から回復したなら、真っ先にイクシスさんの息の根を止めろって命令を受けてるよ」
協力して貰った方が絶対楽なのにね。
そう言って、メアが肩をすくめる。
「つまりその黒幕の方は、俺を知ってるってことか? この屋敷に来てからは、空間にずっと待機させられてたから……そうなると、黒幕はエルフの国の関係者か」
呟いたイクシスに、メアはふっと笑みを漏らす。
正解と言っているように見えた。
「まぁそれは置いといて。そういうわけでおれは直接関わらずに、今までは暗殺者が屋敷に入りやすいようお手伝いをしてたんだ。でもメイコお姉ちゃんとイクシスさんが手を組んでガードが固くなったから、それがうまくいかなかった」
だから、鷹の獣人・フェザーを使って私を殺すことにしたんだとメアは言う。
「一応言っておくけど、この作戦を考えたのはおれじゃないよ? 黒幕の方が提案した作戦で、フェザーの足枷の鍵を盗んだのもおれじゃない。この件でおれがやったのは、捜査のかく乱だけ」
メアがやったのは、犯人のアリバイ工作くらい。
主犯となる暗殺者の身代わりを、クロードの前に差し出しただけだとの事だった。
――フェザーの親友・ギルバートは、ヒルダに殺された。
ギルバートの尻尾をフェザーに見せ、嘘を吹き込んで、私への殺意を煽れ。
黒幕はヒルダの護衛の騎士の一人を金で買収し、そう指示を出していたらしい。
私がフェザーに襲われたあの日。
ヒルダの部屋の前にいる護衛騎士達を暗殺者が始末して、フェザーが侵入できるように準備を整えたとの事だ。
「それで、これからが本題なんだけどね」
メアが真剣な顔つきになる。
ルーカスの目的は、国の実権を自分が握ること。
そのために、メアだけでなくアベルも駒として利用するつもりのようだった。
ヒルダのオースティン家は実をいうと家柄はそれなりにいい。
けれどヒルダには跡継ぎがいない。
ルーカスはそれをアベルに継がせ、レビン王子の友人としてその懐に潜りこませようと計画していたとの事だ。
まず、ヒルダにアベルの母親をぶつける。
そして、用済みになった母親を殺し、アベルがヒルダを恨むように仕向けて。
失意と復讐心に燃えるアベルに、オースティン家を乗っ取るよう囁き、優しい父親のフリをしてアベルを裏から操る。
アベルがオースティン家をうまく乗っ取った後は、第一王子であるレビン王子に接触させ、暗殺の手伝いをさせて。
メアがレビン王子に成り代わり王座についた暁には――アベルをメアの右腕として配置し、親である自分の権力をさらに強固なものにしようと企んでいたらしい。
ちなみにルーカスには本妻も、息子もいる。
アベルの母親とは遊びだったらしく、金を無心されてその存在を疎ましく思っていたらしい。
目障りなアベルの母を始末し、アベルを手なずけオースティン家まで手に入れる。
ルーカスにとって、これはかなりお買い得な計画だったようだ。
アベルの父親は……母親以上のロクデナシのようだ。
人を自分のための道具と思っている、身に余る出世欲を持った男。
メアの話を聞いている限り、そんな感じだった。
その話を聞いて乙女ゲーム『黄昏の王冠』での、王子やアベルのシナリオがようやく全て繋がる。
――全てはルーカスとその黒幕が、裏で糸を引いていたというわけだ。
それを考えれば、本編が始まる前の『黄昏の王冠』の世界でも、ヒルダの中身は別人へすり替わっていたと考えるべきだろう。
強制的にヒルダにされてしまった彼女は、もしかしたら最初の頃の私のように自分がヒルダに転生したと思ったかもしれない。
ゲーム内のアベルが特別言及してなかったことからすると。
おそらく彼女は、隙を見せてうっかり殺されないよう、ヒルダになってしまったことを誰にも言わずに過ごしていたんじゃないだろうか。
ヒルダが別人だったと思えば、納得する点がいくつかある。
屋敷で過ごしているうちに出来上がった、私の中のヒルダ像は。
アベルに誑かされて、オースティン家を譲るような――甘い女性じゃ決してなかった。
それに、規格外なスペックの数々を持つヒルダを、アベルごときが殺せるなんて到底思えない。
ずっとそれが頭に引っかかっていたのだ。
でも、中身が別人なら。
殺すことも本人よりは容易く、アベルが誑かすことも可能だ。
「メア、お前は一体敵なのか? 味方なのか?」
イクシスの質問で、我に返って話に集中する。
「メイコお姉ちゃんの味方だよ。王位なんて最初からどうでもいいし、誓約もどうでもよかった。ただ親父の命令だから従おうとしてただけ。そんなことよりも今は――メイコお姉ちゃんに死なれたら困るんだ」
そう言ってメアは、私に顔を向けて口元を笑みの形にする。
優しい声に含むものはなくて。
――今は誓約があってもなくても、メイコお姉ちゃんの側にいてもいいかなって思ってるから。
そう言われたことを思い出す。
メアが紫の瞳を向けてくる。
その背後から蛇が三体姿を現し、彼らも私をじっと見つめてきた。
自分の背中からも視線を感じる。
振り向かなくても、その背のところにメアの蛇が――私の影に入っている蛇のサミュエルくんが姿を現した気配がした。
その視線には、敵意ではなく別のもの。
本来は喜ぶべきはずの好きを乗せた視線に、体にじわりと汗が滲む。
「おいメア。なんで蛇が四体もいるんだ! しかも、メイコの影の中って……!」
「誓約を結ばされたときに、ヒルダ様にリーダーの蛇をとられてたんだ。イクシスさんが近くの空間に待機させられて宝玉を奪われたのと一緒。おれ、蛇が潜む影に移動できるんだ」
イクシスにメアが答える。
「ヒルダ様がメイコお姉ちゃんになってからも、監視のためリーダーの蛇……サミュエルには影の中にいてもらってた。だからおれが側にいない間の事情も、サミュエルから聞いて知ってるよ。竜の里でのことも全部ね」
にっとメアは悪戯っぽい顔で笑って、サミュエルに手招きした。
サミュエルが私の元からメアの方へと移動して、その手に絡み付く。
それからこっちに頭を向けて、他の蛇と同じように私に顔をむけてきた。
「おれにとって予想外だったのは、影に忍ばせていたサミュエルがメイコお姉ちゃんに惚れちゃったってところ。ただの監視しか命令してなかったのに、勝手に護るようになっちゃったんだ」
楽しそうに笑ってメアは言い。
そこで一旦言葉を切った。
「幻獣使いは、幻獣の意志と共にあるからね――サミュエルの気持ちはおれの気持ちでもあるんだ。深いところで、密接に繋がっているんだよ」
紫の瞳が怪しげな色を帯びて私を見つめる。
ねっとりとメアの声が甘く響いて、背筋がぞくぞくとした。
メアの背後にいる蛇たちが、首を立てて爛々と輝く瞳を向けてくる。
一匹一匹が両手でつかみきれないほど太い蛇が、四体。
蛇なので表情はわからないけれど、睨まれているわけじゃない。
興味……というよりは純粋に好意を持たれている。
そうわかってしまうのが、妙に怖い。
「――この子たちがね、メイコお姉ちゃんに卵を産みたいんだって」
すっとメアが瞳を細める。
爬虫類独特の捕食者の瞳が、私を捕えていた。
蛇と合わせて五対の目に見つめられて、思わず固まる。
「なっ!」
「メアっ!」
静かにメアが呟いた言葉に、オウガとイクシスがそれぞれ驚愕の表情で立ち上がる。
蛇が、私に卵を?
メアは何を言ってるんだろう。
けれどその台詞はどこかで聞いたことがあった。
元の世界でやっていた、乙女ゲーム『黄昏の王冠』。
その攻略対象である、残念な攻略対象・レビン王子の迷台詞にそっくりだ。
『俺様の蛇がお前に卵を生みたいといっている』
元の世界でレビン王子のルートを攻略した時。
真面目な告白シーンでのこの台詞に、意味がわからないよと爆笑したものだ。
レビン王子によると、幻獣使いは幻獣が惹かれる相手に惹かれるらしい。
もしも幻獣が卵を産みたいと言い出したなら。
確実に二人の間にできる子供は幻獣使いになるらしく、王家では大歓迎される。
相手に拒否権はなく、確実に王妃になるしかないのだとレビンは言っていた。
超傍迷惑な王子様だなと、ネタ的に笑いながら見ていたことを思い出す。
いや……ゲーム内だったら、ネタとして面白かったよ?
本来ならときめくシーンなのに、笑うのもどうかとは思ったけど。
でも実際にそれを言われると……身の危険しか感じない。
蛇が私の体に卵を。
想像するのも恐ろしく、脳が拒否する。
今すぐここを逃げ出したい気持ちに駆られるのに。
じーっと見つめてくる蛇たちの瞳が、何かを訴えてくるようで、怖すぎて目が離せない。
「幻獣使いって、幻獣が好きになった人を好きになるんだ。つまりおれの――幻獣の子供を生んでほしいってことなんだけど。伝わってる?」
メアがサディスティックな笑みを浮かべてこっちを見ている。
嫌がってることは丸分かりだろうに、それすらも楽しんでいる気配があった。
「め、メアはまだ十歳でしょ? そういうのは早すぎると思うの……」
「年が明けたから十一だよ。おれの幻獣って、宿主おれが五人目で結構古いんだ。だから精神的にはこいつらのお陰で結構大人だよ? 蛇たちの知識や力を借りれば……色々できるし」
どうにか穏便にお断りしよう。
そう思って言葉を振り絞れば、メアが瞳に欲望にも似た灯りを揺らめかせる。
い、色々って何?
そう思ったけど、怖くて聞けない。
十一歳の子供とは思えない、危うい魅力をもった大人の笑みをメアは浮かべていた。
「だから、メイコお姉ちゃんに死なれたら困るんだ。おれがメイコお姉ちゃんにつくには、十分すぎる理由だよね。竜族のお兄ちゃん達?」
メアがそう言ったとたん、蛇たちが私の方へ伸びてきて。
しゅるしゅると巻きついてきた。
まるで求愛するかのように優しく、それでいて情熱的に。
四匹の蛇に巻きつかれて。
「ひぃぃぃっ!」
「メイコっ!」
みんなが私を呼ぶ声が遠くなるのを感じながら、すぐに意識を手放した。




