【71】元の世界と私の体
「そう言えば、私の世界の時間ってどうなってるの?」
「こっちと同じように進んでる。だからメイコが事故にあって一年が経過しているはずだ」
質問すれば、オウガが答えてくれる。
私が事故に遭ったあの日。
オウガは、瀕死状態にあった私の体を回復させた。
その後全てのことは、知り合いと自分の使い魔に頼んでこちらの世界に来たのだという。
「さすがに魂が入ってないと、体は衰弱していく。だから代わりの魂をその知り合いに入れてもらった。つまり、メイコの体の中には別の誰かがいるってことだ」
これは必要な措置だったんだと、オウガが口にする。
「その魂は……どうやって手に入れたものなの?」
不安になって尋ねる。
私のためならオウガは、人殺しでも簡単にしてしまう。
そんな内容を、ニコルが言っていたことを思い出してしまった。
「知り合いがどこからか持ってきたものだ。すぐにメイコの体に入れられたから色しか確認できなかったが、悪霊の類じゃなかった。その知り合いの他に、オレの使い魔も体を監視してるから変なことにはなってないと思ってる」
どうやらオウガが手に入れてきたわけじゃないらしい。
少しほっとしたけれど、オウガの言葉は歯切れが悪い。
ちょっと不安に思っている様子だ。
「知り合いがどこかから持ってきたって……そいつは、メイコの世界の住人じゃなくて、こっちの世界の住人なのか?」
イクシスの質問に、オウガが顔を曇らせる。
「それが、どっちとも言えるんだ。前に『ゲンガー』っていう精霊の話をしたのを覚えてるか? そいつはそれなんだよ」
空間の向こう側には世界がいくつも存在していて。
ゲンガーはいくつもの世界に同時に存在し、別の世界の自分の記憶を共有しているんだとオウガからは説明を受けていた。
預言者とも呼ばれる存在で、気に入った者の未来の可能性を見て、面白いと思ったら誰かに見せたがる生き物。
元の世界で私がやっていた乙女ゲーム『黄昏の王冠』。
あれは、私の世界でゲームという媒体を使い、ゲンガーが『別の世界で見た誰かの未来』を世に出したものだろうとオウガが言っていた。
ゲンガーに一度出会ったことがある。
そうオウガは言っていたけれど、それは私の世界での事だったようだ。
私が事故に遭ったあの日。
あまり仲がよくない知り合いが、オウガに連絡をとってきたらしい。
驚いていたらそいつが、自分はゲンガーなんだといきなり告白してきて。
その後意味深な言葉を、オウガに告げたようだ。
それは遠まわしな予言で。
私と今日は一緒にいろと言っているように、オウガには聞こえたらしい。
もしかして、私に何かあるんじゃないか。
そう思ったオウガは、気が散って仕事でミスをして。
それをフォローして、遅くに帰宅した私が事故にあってしまったんだと、悔しそうに唇を噛み締めた。
「ゲンガーは自分が予知した他人の未来を、自分で変えることができない。だから変えることのできる未来の可能性を探して、オレに依頼してきたんだ。おそらくゲンガーの未来予知では、あの日メイコは死ぬ予定になっていた」
オウガはそう呟く。
「あいつは俺が水属性の回復魔法を使えることを多分、いや確実に知っていた。魂も最初から調達していたから、メイコの魂がどこかへ行ってしまうこともわかってた。あいつは、メイコを救うために最初から色々仕組んでいたんだ」
もしかしたら私とオウガ出会ったことすら、ゲンガーが目的のために手繰り寄せた未来なのかもしれない。
オウガがそんな事を呟く。
「ただ、あいつは間違いなくメイコを特別に思ってる。だから、体の方の安全は心配しなくていい」
嫌なやつではあるけど、そのあたりは信頼している。
そうオウガは付け加えた。
「私とも知り合いなの?」
「……まぁな。誰だと聞かれても答えられないから聞くなよ? 嫌いなオレに正体明かすくらいにはメイコを大切に思ってるから、悪いようにはしてないはずだ」
私の問いに答えるオウガは、そいつが嫌いではあるけれど、私に危害を加えないという一点では信用しているようだ。
私と親しくてオウガが嫌いな人物。
そう考えると、一人しか思い浮かばなかった。
幼馴染の――サキだ。
「メイコ、この怪しすぎる老け顔外国人と知り合いなの? 駄目だよ変なのと関わっちゃ! 怪しい世界へ連れ込まれちゃう!」
高校にオウガが転校してきた初日。
そんなことを言って、サキはオウガから私を引き離し。
二人はそれ以来、犬猿の仲だ。
いや、まさかそんなはずは!
サキと私は幼馴染で、親や兄妹だって知っている。
よく一緒にいたし、サキに竜族みたいなファンタジー要素は一切なかった。
サキは言いたいことをはっきり言う物怖じしない性格で、かなり毒舌。
それでいてどちらかと言えば現実的。
時折意味深な発言をして、周りを引っ掻き回すところはあったけれど普通の女の子だ。
「……もしかしてサキがゲンガーだったりするの?」
まさかまさかと思いながら口にする。
オウガは無言で目を反らす。
それは肯定のようだった。
「いやでも、まさかそんな。サキは家族もいるし、精霊なんてものじゃ……」
「ゲンガーは普通に生まれてくる。人間のゲンガーなら、人間として生まれてくるんだ。色んな世界に、歳は違っても同じゲンガーが存在している」
オウガが答えて溜息を吐く。
「同僚が竜族で、幼馴染が精霊って……私の周りどうなってるの!?」
「混乱してるところ悪いんだが、さらに言えばメイコの弟の林太郎はオレの使い魔だ」
叫んだ私に、畳み掛けるようにオウガがそんな事を言ってくる。
「林太郎が……何ですって?」
「使い魔だ。オレの」
聞き違いかと思って尋ねれば、物凄く気まずそうな顔でオウガがそんな事を口にした。
林太郎は私の弟。
いわゆる中二病とよばれる、少し……いやかなり痛々しい言動をする男の子で。
特に怪我をしてるわけではないのに右目には眼帯、左腕には包帯。
いきなり俺の右目がとか言い出して、キャラ設定を語りだしたりする残念な子だったりする。
根はいい子なんだけどね……。
林太郎は最初からオウガに興味を持っていた。
怪しい外国人との出会いを話したら、目を輝かして食いついてきたのだ。
「異世界から迷い込みし、邪悪なる使い手だな。まさか俺の姉に接触してくるとは……」
そんな事をいいながら、勝手にオウガを自分の設定の中に組み込み、時折オウガにちょっかいをかけるようになってしまった。
今思うとあの時の林太郎の台詞は、結構的を射ている。
オウガは異世界からやってきていたし、水と闇属性の魔法使いでもあった。
ただ、林太郎の大好きなアニメで全く同じ展開があったので、それを真似ただけだと断言できる。
林太郎は私にくっついてきて。
オウガの家に遊びに行っては、怖がってるのを隠してオウガに近づく。
人見知りな癖に、妙にオウガには興味津々で懐いていた。
オウガは、林太郎の話を馬鹿にしなかった。
真面目に受け取って、この世界の魔法体系がなんだとかそういう話をしていた気がする。
意外とオウガって、ノリいいんだな……とか遠目に見ていたけれど。
話を聞けばオウガは、林太郎を最初この世界の魔法使いだと勘違いしていたようだ。
色々林太郎と情報交換をしていく中で、オウガは何かがおかしいことに気付いた。
林太郎の話がこの世界のアニメをベースにした妄想だと知った時には、時はすでに遅く。
自分が竜族だとか、他の世界が空間の向こう側にあることを教えてしまった後だったらしい。
林太郎は自分に魔法の属性をくれとしつこく、オウガは折れて全く使っていない光属性をプレゼントしたようだ。
ちなみに使える魔法は、メレスという目くらましの魔法と、セレスという幽霊などを見たり触れたりできるようになる魔法の二種類。
特に使い道もないし、危険もないだろとオウガは思っていたらしい。
しかし、まさか林太郎がオウガの使い魔になっていたなんて。
予想外の告白に唖然とする。
「メイコの家族である林太郎が、すぐ側でメイコの体のフォローをしている。だからどうにか……いや、もっと面倒なことになってるかもしれないが大丈夫だと思いたい」
そう口にしたオウガの目は泳いでいる。
林太郎にまともなフォローができるわけないと思っているんだろう。
私の体の中にどんな魂が入っているかは知らない。
けど林太郎のことだ。
堅苦しく難解で、意味があるようで全くない言葉を連ね。
妄想や設定を語ったあげく、私の体に入った魂を激しく混乱させているに違いない。
あっちの私が心配だ……!
知らない誰かが入っているということ以上に、林太郎がフォローにまわっているという事が不安要素でしかない。
あっちの私が、林太郎のような言動をしていて周りに白い目で見られたりなんかしていたら、泣けてくるところだ。
一刻も早く様子を見に行きたいと言えば、オウガはわかったと頷いてくれて。
早速支度をして、近日中にニホンへと旅立つことになった。
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竜の里の時のように、クロードが屋敷にいてくれると安心だ。
けれど、さすがに異世界となると、ヒルダと距離制限のある誓約をしているクロードも連れていかなくてはいけない。
そう思っていたら、オウガがどうにかできると言ってくれた。
クロードと私の間の空間距離を固定して、誓約に錯覚させて何たらかんたら。
難しくてよくわからなかったけど、空間を操る才を持つオウガが手を貸してくれれば、クロードは屋敷にいて問題ないらしい。
それでも一週間ほど屋敷を空けることになるので、留守中の処理を急ぐ。
書類の方はオウガが片付けてくれていたので、屋敷の少年達に家を空ける旨を伝えに行こうかなと思ったら、ノックの音が三回してバイスが入ってきた。
「メイコ様、本当に異世界に出かけてしまうのですか!」
どうやらすでに情報がまわっていたらしい。
空色の瞳には、困惑が見えた。
「うんそのつもりだけど、何かまずかった?」
「えっ、いや……その。異世界に行くなんて危険です! それに、エレメンテの祝福は十日後なんですよ?」
尋ねればバイスが顔を曇らせて、そんな事を呟く。
それを見て、私はピンときた。
「大丈夫よ、バイス。ちゃんとそれまでには帰ってくるつもりだから」
異世界が元々の私の故郷だという事は話してあった。
それで向こうに行った私が、そのまま帰ってこなくなるんじゃないかと不安になってしまったんだろう。
可愛いなぁと思いながら、さらさらした髪を撫でる。
子供じゃないんだからやめてくださいと、少し照れた様子で大人ぶるバイスがやっぱり可愛い。
「それにね、もう刺繍の方はちゃんと終わってるから」
ふふんと胸を張って、ハンカチを見せる。
バイスは私の手からティルのハンカチを受け取ると、その刺繍部分にそっと指で触れた。
「白い蝶……と、赤い花ですか」
「将来の恋人に渡すものって言ってたから、女性向けのデザインにしてみたの」
我ながら、なかなかいい出来だ。
シンプルだけど可愛いんじゃないかと思う。
「……」
バイスは何かを考えこむように、ハンカチの刺繍部分を撫で続けていた。
もしかしたら、ティルにハンカチを渡す事ができなかった母親の事を考えているのかもしれないと思う。
「……どうして白い蝶にしたんですか?」
バイスはうかがうような目で私を見つめてきた。
まるでこちらの真意を探るような、注意深い響きがそこにはあった。
「えっ? このハンカチの青に映えるかなって思って。白い蝶は駄目だった?」
「いえ……素敵だと思います。花の部分の糸はちゃんと血で染めてくれたみたいですね。ありがとうございます」
この白い蝶に意味があったんだろうかと思いながら尋ねれば、バイスはお礼を言って頭を下げてきた。
「それ染めるのかなり大変だったんだよ?」
「本当すいません」
言えば申し訳なさそうにバイスが謝ってくる。
「別に謝らなくていいよ、家族なんだから。それよりはありがとうの方が嬉しいな」
「はい、ありがとうございます」
はにかんだようなバイスの笑みに、頑張った甲斐があるなぁと思う。
誰にもこの行事の事は内緒にして欲しいとバイスには頼まれていた。
当日にはバイスとティル、それと私だけで屋上に登ることになっている。
他の人にハンカチを貰う日や場所、そのハンカチの事を漏らしてはいけないという決まりごとがあるらしい。
その小さなこと一つ一つにも意味があるのだと、バイスが力説していた。
だからメアとハンカチを買いに行った時も、ただ二人にハンカチを買いに行くとしか言ってなくて儀式のことは一切言ってない。
特に隠すのが大変だったのは、指を切って糸を血で染める時だ。
守護竜であるイクシスは主を守るため、痛みの感情はかなり敏感に伝わる設定になっているらしい。
怪しまれないように台所に行って、うっかり包丁で切ったという設定でざっくりとやってみた。
血を皿に垂らし、イクシスが来る前に布をかけて隠した。
予想通りすぐにイクシスが現れて、血相を変えていた。
「メイコ、血が。そうだオーガストに!」
大丈夫だよと答える隙も与えずイクシスは私を抱き上げ、空間を裂いてオウガの元に連れて行った。
あまりの取り乱しっぷりに、こっちが焦るくらいだった。
「……どうやったら料理中に、手のひらをこんな風に切るんだ?」
イクシスはともかくオウガは冷静だった。
私の料理の腕前を知るオウガは、この怪我を怪しんでいて。
治療するからとイクシスを外に出して、質問してくるオウガはちょっと……いや、かなり怖かった。
声が低くて、目が怒っていて。
もう少し切る場所を考えればよかったと後悔しながら、手の上に果物を置いて切ろうとして力加減を間違えたのだと説明した。
「そんな嘘でオレを騙せると思ってるのか? 誰かに切られるにしては変な位置だから、自分で切ったんだろうが……」
「っ! 痛い!」
オウガが傷口を押して、思わず口から声が漏れて涙が浮かぶ。
「メイコを傷つけるのは、例えメイコ自身でも許さない。今回はワケを聞かないでおいてやるが、次から絶対にするな」
叱るオウガの声には私のことを想ってくれてる響きがあって。
水色の光の魔法陣が繋がれた手の間で発動して、傷口が熱くなり、やがて痛みが引いていった。
「……ごめんなさい」
「あとでイクシスにも謝っておけ。あいつも心配してる」
素直にそう言えば、オウガは綺麗な布で手についた血をぬぐってくれる。
そこにはもう傷跡はなかったけれど。
罪悪感が、胸の中に残った。
オウガは怖い顔をしてるけど、私に対して滅多に怒ることはない。
怒るというよりは叱る。
理不尽に叱ったりはしないから、そういう時は確実に私が悪い。
だからこそ、オウガから真剣に怒られてしまうと……やっぱりへこむ。
「そうそう、バイスの分もできあがったんだよ!」
そんなことを思い返して、しゅんとうなだれるような気持ちになってしまう自分を励ますように、明るくバイスに話しかける。
月色のハンカチに、同じ蝶と花の刺繍。
思ったより血が沢山採取できたため、こっちの方の赤い糸にも血を混ぜてみた。
「ティルと同じ模様で血入りの糸を使ってるんだ。バイスがお母さんから貰ったハンカチは、火事で焼けてしまったんだよね。私からでよければ……なんだけど」
バイスは目を見開いて。
それから薄っすらと微笑む。
「……ありがとうございます」
それは子供らしくない、ぞくりとするほどに妖艶な笑みだった。
バイスにあげるハンカチは、イニシャル入りで普段使いできるものにしようと最初考えていた。
でも、気付いたのだ。
バイスが母親にかつてもらったハンカチは火事で焼けてもうない。
そのことや血を繋ぐという意味を考えれば、バイスの方にも私から祝福を込めてこのハンカチをプレゼントしたいと思ったのだ。
「あぁ、嬉しいです。これがあれば……ティルもきっと喜びます」
バイスはうっとりと目を細める。
今までで一番幸せそうな顔。
まるで長年の夢が叶ったかのような大げさな言い方に、やってよかったと思った。
「このハンカチ、儀式の日までぼくが預かっていてもいいですか? 本来は駄目かもしれませんが、帰ってくるという約束の証として」
「もちろんいいわよ!」
二つ返事で頷けば、バイスはハンカチを胸に抱きしめて。
「本当メイコ様は優しい方です。メイコ様がヒルダ様で……本当によかった」
くすっとバイスが微笑む。
褒め言葉のような響きの中に、気のせいか――ちょっとした棘が含まれているような気がした。




