【67】大人の遊具の遊び方
「メイコ様、エレメンテの祝福って知ってますか? 僕のいた領土では春になるとある、子供の行事なんですけど」
とても過ごし易い春の日。
星組の少年・バイスが、私に話しかけてきた。
さらさらの金髪に青空色の瞳。
どことなく品がある立ち振る舞いは、絵本の中の王子様のよう。
バイスは私がヒルダとして目覚めた初日に、猫の獣人・ディオとお粥を持ってきてくれた少年だ。
背筋がいつもピンと伸びていて、真面目で気が利く男の子だったりする。
私のカップに、バイスはお茶を注いでくれる。
その動作はやけに絵になっていた。
バイスはクロードに仕事を習って、紅茶の入れ方もマスターしていた。
「ううん知らない。何をする日なの?」
「男の子が三歳になったらするお祝いなんです。母親が子供のためにハンカチに刺繍を入れて、家で一番高い場所でそれを渡すっていう、ただそれだけの儀式なんですけどね」
尋ねた私に、バイスが説明してくれる。
高いところでというのは、子供が将来高い地位に上り詰めますようにという願いが。
ハンカチはその子が大きくなって、将来花嫁になって欲しい人に渡すアイテムになるのだという。
「ぼくの弟……ティルは今年で四歳になりますが、ぼくたちにはもう両親がいません。一年遅れではありますが、母代わりとしてティルにハンカチを授けてもらえないでしょうか」
バイスがお願いしますと頭を下げてくる。
彼は本当によくできた子で、同じく星組にいる弟で四歳のティルの面倒をよく見ていた。
それに彼の素性を知っている者としては。
懸命に生きているバイスを見ていると、手助けしたくなる。
エレメンテの祝福の日までは三週間ほどあるし、刺繍も問題なくできそうだった。
「もちろんよバイス。戸籍上二人は私の養子だし、家族みたいなものだからね。まかせておいて!」
「ありがとうございます!」
請け負えばバイスは嬉しそうに微笑んだ。
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屋敷の少年バイスと、その弟であるティルの両親はすでに亡くなっている。
私がヒルダになる丁度一ヶ月ほど前、彼らの両親は死んでしまった。
父親はこの国の貴族で、とてもいい領主であると評判もよかった。
ただこの父親はもの凄くお人よしで、友人の借金を肩代わりし、その友人に裏切られてしまったのだ。
財産は全て抑えられ、裏切られたショックから父親は心を病み、一家で無理心中を図ろうとした。
クロードによるとこの話は、都市の方ではかなり大事になっていたらしい。
バイスもティルも、この火事で死んだことになっていたりする。
あの火事の中、バイスとティルの兄弟は助かった。
屋敷から火が上がって、子供部屋にまで押し寄せ来て。
もう駄目だと思ったけれど、ティルの魔法の力が発動してバイスとティル自身を守ったらしい。
もしも自分達が生きていると分かれば、借金取りに売り飛ばされてしまう。
そうなれば弟であるティルと、離れ離れにされてしまう事だろう。
賢いバイスはそれを察して、ティルを連れてヒルダの元を訪れた。
美しい少年ばかりを集めている、綺麗な女の人がいる。
噂を知っていたバイスは、ヒルダに弟ごと自分を買ってもらおうと考えたのだ。
借金取りに生きていることがばれて、知らない誰かの元へ売り飛ばされて。
弟と離れ離れになるのだけは、絶対に嫌だったらしい。
バイスは自分の強みをわかってる賢い子だなぁと思う。
それでいて、ヒルダのところに行こうなんて勇気があるというか大胆と言うべきか。
ヒルダは二人に新しい名前を授け、二人はこのショタハーレムの一員になった。
バイス……この国の言葉で『悪』もしくは『欠点』という意味と、『尻尾』を表すティルという名前にヒルダの悪意を感じなくもないけれど。
二人はこの屋敷でのびのびと育ってくれていた。
こんなに幼いのに苦労して、辛い思いをしてきている。
そんな彼らだからこそ、是非幸せになってもらいたい。
ハンカチを刺繍して渡す事くらい、大したことはなかった。
何を刺繍しようかな?
この前はイクシスのジャージに竜を刺繍したけれど、男の子が喜びそうな刺繍って何だろう。
でも将来恋人に渡すって言ってたから……女性向けにお花とかがいいんだろうか。
うんうんと唸る。
柄はどんなものがいいと尋ねれば、バイスは何でもいいと言ってきた。
夕飯だろうと何だろうと、何でもいいが一番作る側としては困るというのに。
ハンカチの刺繍に使う糸の一本に、血をしみこませた赤を使えば何でもいいらしい。
血色の糸で刺繍なんて、ちょっと儀式めいていて怖いなと思う。
でも、将来の花嫁に血を繋ぐ――家族になるという意味合いがあるのだとか。
そういう意味では、とても素敵な慣わしだなと思った。
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「イクシス、そっちの板をこっちに持ってきて!」
「わかった」
イクシスに板を持ってきてもらって、それを土属性の魔法デレミアで接合する。
二つのものを合成するデレミアは、応用すれば木と木を接着することもできた。
私が今何を作っているのかと言えば、子供が遊べる遊具だ。
公園にある遊具を思い出して、板を組んだりして作ってみた。
材木を買ってきて、力持ちのイクシスに手伝ってもらって。
遊具を作るのは思っていた以上に大変だけれど、楽しかった。
村の子供達も使用できるように、屋敷の外のヒルダの土地に建設中だ。
ブランコに、シーソー。
中でも力を入れたのは滑り台。
三つの踊り場を登って、そこから滑り台で降りてくる形式。
子供の頃はこういう滑り台の遊具が、ちょっとしたお城のように思えたものだ。
「ほぼ完成だね! ただ、滑り台の部分の滑りが悪いんだよね。滑りやすくするにはどうしたらいいかな?」
「悩むのは後にして、休憩するぞメイコ。お腹が空いた」
滑り台の遊具の一番高い位置にいるイクシスに話しかければ、そんな事を言ってくる。
確かにそろそろお昼の時間だ。
下の草むらで食べようとシートは持ってきていたのだけれど、イクシスが折角だから上で食べようと言ってくる。
「イクシス、そこ狭いよね?」
滑り台がある遊具の一番高い場所……とは言っても、ジャンプして飛び降りても怪我はしないくらいの高さ。
そこには、落下防止の柵が左右にあり、大人一人座るのがやっとなスペースしかなかった。
「メイコは俺の膝の上に座ればいい」
「いやいやいや、何でわざわざ広いスペースがあるのに、そんなところで食べるの!? それに物凄くそれ、食べ辛いよね!?」
さらりと言ったイクシスに、ついツッコミを入れる。
イクシスは少し眉を寄せて私を睨んだ。
照れて恥ずかしがっているような、怒っているような表情だ。
「……手伝ったんだし、恋人同士なんだから少しくらいご褒美くれてもいいだろ」
ぽそりと呟いてイクシスが下りてくる。
弁当箱を私の手からとって、遊具の一階部分に上がる。
私に早く来いというように視線を向けてきて。
ちょっと恥ずかしくて自分の顔が赤くなっているのがわかったけど、イクシスに導かれるままに一番上へと登った。
「ほら、座れ」
「そ、それでは失礼して」
狭い空間でイクシスの膝の上に座る。
イクシスが前かがみになってお弁当の包みを開けようとして、その髪が自分の頬に触れてドキッとしてしまう。
慌てて自分がやるとお弁当の包みを開けて、蓋も開く。
「イクシス……これ、どうやって食べればいいの? 私が膝に座ってたらイクシスご飯食べられないよね」
おにぎりならまだしも、今日のは普通に米をつめてきてしまった。
チンジャオロースもどきに、イクシスが気に入ってくれた味付けの卵焼き。他にも色々で、オウガに作ってあげていた弁当とほぼ同じ。
ちなみにイクシスのリクエストだ。
「そうだな。向かい合うようにして座って食べさせてくれればいい」
「なっ! 何言ってるのイクシス!? 今日ちょっと変だよ!?」
淡々と冷静な口調で言うイクシスに驚く。
さすがにイクシスの足の上に座って、この距離で向かい合うのは近すぎる。抱き合う寸前のような距離感だ。
戸惑いの声をあげたら、イクシスが私の背中に密着してくる。
肩に頭を置いてきて。
後ろから回された手が、お腹あたりで組まれた。
身じろぎしようにも狭くてできない。
背中を隔てた向こうにイクシスがいて、触れ合う部分から体温が伝わってくる。
痛いほどにうるさい心臓の音が、自分のものなのかイクシスのものなのか、わけがわからなくなった。
「別に今日からってわけじゃない。メイコに告白の返事を貰って、嫉妬しなくてすむって安心したはずなのにな……」
すり……と、イクシスが私の頬に顔を擦り付けるような動作をする。
声が艶っぽくて、脳が声に直接揺さぶられているかのような心地になった。
「メイコが自分のものだって思うと、今度は触れたくてしかたないんだ。変だってことはわかってるんだが……こうしていたい」
「イクシス?」
甘いイクシスの言葉に混乱する。
そんな風なことを言う人だったっけ? と思ったところで振り返る。
体勢を変えてイクシスを見る。
開いたイクシスの股の間に、私がちょこんといるような感じだ。
その瞳をじっと覗き込む。
瞳は潤んでいてどこか熱を帯びているけれど、前にエリオットの魔法にかかったときのような症状は見られない。
それでいて当たり前だけれど、ニコルくんがイクシスのふりをしているわけでもない。
目の前にいるのは、ちゃんとイクシスだ。
「そんな疑うような顔しなくてもいいだろ。俺らしくないっていうのは……わかってる」
イクシスはふてくされたように声をあげて、目を逸らす。
苦しそうに大きな息を吐いた。
「メイコは最近……俺から逃げなくなったな。でも、それじゃ足りないんだ。欲張りになってるってわかってるのに、我慢できない」
向けられたイクシスの目は、私を捕えようとしているようで。
いつもと違う光を帯びていたから、反射的に後ずさる。
けれど狭い遊具なので、すぐ柵が背中に当たる。
まるでこの体勢はイクシスに追い詰められているようだ。
四つん這いのような体勢になっているイクシスの片手が、私の頬に触れた。
「なぁ、こうやって触れたいって思ってるのは俺だけか? メイコは俺とこういう風に過ごすのは嫌か?」
そっと頬を撫でられてぞくぞくとする。
イクシスとこうやって密着したり、仲良くして過ごすのは嫌じゃない。
むしろ嬉しい。
でも、それを口にできるかと言うと話は別だ。
感情は伝わってるはずなのに、イクシスは察してくれない。
揺らめく金の瞳。
鈍いのかわざと言わそうとしてるのか……私には全くわからない。
前のファーストキスの時に、確認を取らずにキスをして。
あの時、私を怒らせてしまったから、いちいちお伺いを立てようと思っているのかもしれなかった。
「わ、私も……その」
求めてる答えを、私も素直に返そう。
――イクシスに触れられるのは嬉しいし、私も触れたいと思ってる。
言葉はちゃんと思いつくのに、いざ恋人っぽい触れあいをイクシスとと具体的に想像してしまうと。
想像だけで恥ずかしすぎて、頭の中が白くなっていく。
「や、やだなぁイクシスったら。まるでニコルくんが化けた時みたいな事言ってるよ?」
気付けば、勝手に口がそんなことを口走る。
今までになかった事態に、脳の処理が追いつかなかった。
はっきり言って容量オーバーです!
甘い空気に耐性がなさすぎて、つい逃げる選択をしてしまうと、イクシスの瞳がすっと細まり鋭い光が宿った。
「……俺に化けた父さんは、一体何をメイコに言ったんだ?」
言わない方がよかったと後悔しても遅い。
問いかけるイクシスの声が冷たくて、それでいてわかりやすく怒っている。
「……す、好きだ、愛してるって」
口にするとなんて恥ずかしい言葉なんだろう。
かぁっと顔に血が上るのがわかった。
「へぇ? それでメイコは何て答えたんだ?」
イクシスの言い方は、少し意地悪だった。
「イクシスが謝りにきてくれたと思ったから、私こそゴメンなさいって言って、抱きついたけど……」
まるで愛情不足だと責められているみたいで、落ち着かない。
「変だなとは思ったんだよ? ただ、イクシスがここに来てくれたらなって思って、イクシスの事ばかり考えていたから騙されちゃって。多分嘘でもいいから、イクシスにそう言うことを言って欲しかったんだと……思う」
しどろもどろになりながら言葉を紡げば、イクシスがふいに抱きしめてきた。
「イ、イクシス!?」
「そういう事言うのはズルイだろ……」
耳の側で聞こえるイクシスの声は掠れていて、どこか吐息交じりで。
色っぽい息が耳にかかると妙な感覚がした。
そのまま顔をうずめるようにして、イクシスの唇が首筋に落ちた。
「んっ!」
ぬるりと舌の感触がして、思わず声が出る。
「ちょ、ちょっとイクシス!?」
「ここ……父さんに噛まれてたよな?」
ニコルが首筋に噛み付いたときのことを、イクシスは言っているようだった。
「もう痛くないから大丈夫だよ!?」
跡自体はもうない。
噛み跡は回復系の魔法を得意とするオウガが、あの後魔法で消してくれていた。
慌ててイクシスの頭を押し返そうとすれば、そうはさせないと片手を柵に押し付けられてしまった。
「だ、駄目! なんでそんな舐めて……んっ!」
ちろりとイクシスの舌が首を掠めて。
空気にさらされた唾液が熱を奪って、ヒヤリとする。
イクシスの唇が触れてる場所が熱を持ってる気がして。
ちゅ、ちゅっとイクシスの唇が出す音に、耳からおかしくなっていきそうだった。
「んぅっ!」
一際音を立てて、イクシスが首筋を強く吸った。
それからゆっくりと顔が離れて行く。
「――あぁ、悪い。付き合ったら嫉妬はしないものだと思い込んでたんだが……そうでもなかったみたいだ」
あまり悪いと思ってない様子で、イクシスが口にする。
それからイクシスは、私が作った自分の分の弁当を持って立ち上がった。
「これ以上は……なんか俺がマズイ気がする。弁当は自分の部屋で食べる」
「そ、そう?」
視線を逸らしてイクシスが呟いて。
ほっとしたような、残念なような気持ちになる。
「っ!?」
ふいにイクシスが、弾かれたように上に視線を向けた。
何事だと、つられるように見上げる。
そこには魔法陣があった。
ゆっくりと複雑な文様が、宙に光の筋で描かれていく。
「《ベリル》!」
イクシスが咄嗟に魔法陣を判断し、手を翳す。
魔法陣を相殺する、逆向きの力を加えたのが見えた。
けど一歩間に合わず。
氷柱を形成して敵に落とすこの魔法が、効力を弱めて完成する。
「《ヴィエント》!」
イクシスは魔法に干渉されたせいで不恰好になった氷柱たちを、風で弾き飛ばした。
私を抱いて飛んだ方がおそらく早かったけれど、氷柱が遊具を傷つけないように風の魔法を使ってくれたんだろう。
「おねえたん、ごめんなさい!」
下の方から声が聞こえて、遊具から見下ろす。
そこには三歳くらいの男の子がいた。
少々カールした癖のある金髪に、青空色の瞳。
絵画によく描かれている天使が、そのまま出てきたかのようなあどけない可愛らしい面立ち。
ヒルダのショタハーレムの中で最年少の少年ティルだ。
ティルと初めて出会ったときはまさかの三歳児に驚いた。
ヒルダったら真性のショタコンすぎるよ!?
少年っていうか、幼児だよね。守備範囲広すぎます……!
そんなことを考えて、頭を抱えたことも今ではいい思い出だ。
ティルの側には、兄であるバイスもいる。
「いいのよティル。大丈夫だったから」
下りてきた私のズボンにくっついてくるティルの頭を、よしよしと撫でる。
「おねえたん、おこってない?」
「うん怒ってないわ。ティルはまだ小さいから、魔法の扱いができないだけだもの」
優しくいえば、涙目だったティルがほっとしたようににぱぁっと笑う。
その可愛さと言ったら、まさに天使。
つぶらな瞳や、ふっくらとした頬。
体に対して大きな頭に、金色で艶やかな巻き毛。
愛らしさの固まりのようなティルに微笑まれたら、何でも許してしまいそうだった。
星組に配属されているティルは、四歳。
その小さな体に巨大な魔力を持っていて、自分で上手く扱うことができない。
感情が高ぶると暴走してしまう傾向があった。
だから兄のバイスと一緒に、難のある子が多い星組で面倒を見てもらっていた。
今の攻撃だって、ティルに攻撃の意志はなかった。
私とイクシスが作った遊具を見て、テンションが上がってしまっただけなのだ。
ティルは自分の感情を動かした対象に対して、攻撃魔法を自動で発動してしまう。
それが悲しい事でも、怒りでも、楽しいことでも関係ない。
ティルは私の事を大層気に入ってくれているらしい。
声をかけようかどうか迷ったあげく、悩みすぎて感情が高まり攻撃魔法が発動。
私から服を貰って、そのお礼を言おうとしたのだけれど、どうお礼を言っていいかわからず、困りすぎて攻撃魔法が発動。
大抵攻撃パターンはそんな感じだった。
ティルは引っ込み思案で奥ゆかしく、そういうところも可愛い。
兄のバイス以外には、私にしか懐いてなくて。
そこもまた優越感があるというかたまらなかった。
元々ティルがヒルダに懐いていたのかというと、そういうわけではない。
ティルとバイスの兄弟は、アベルと同時期に入ってきたので、ヒルダとあまり関わってないのだ。
そのためか、この二人だけは最初からヒルダとなった私を驚きもせずに受け入れていた。
「――おい、ティル。今のわざとだろ」
よしよしとティルを宥めていたら、イクシスがそんな事を言い出した。
「なんて事いうの! ティルは魔法が上手く扱えない事、気にしてるのに!」
イクシスがそんな風なことを言うなんて思ってもみなかった。
驚きながらも非難すれば、イクシスは眉を寄せてティルを睨む。
「あの攻撃、殺気が隠しきれてなかった。俺に対するものか、それとも――」
「イクシス!」
強く言えば、イクシスは黙り込む。
小さい子になんてことを言うのか。
私の腕の中で、ティルが泣き出し始めていた。
「イクシス様、ティルはメイコ様の事が好きなんです。イクシス様ばかり側にいるのが気に入らないんですよ。弟に変わってぼくが謝ります。申し訳ないです」
「……なんか俺が悪者みたいだな」
ティルの横に控えていた兄のバイスが、イクシスに向かって頭を下げる。
イクシスはそう呟いて、空間へと消えた。




