【66】好きと両想いと
「メイコ、でれでれしすぎだ」
「いやだって、あの二人がそんなこと言うようになるなんて思わなかったんだもの」
午後はイクシスと出かける約束をしていた。
いい感じの場所があるからと誘われていたのだ。
イクシスは自然の多い場所と、にぎやかで面白い店がある場所を好むみたいだった。
空間を飛び越えて連れてきてくれた場所は、森の中にある小川。
二人で少し大きめの岩に座る。
流れる水の音が、耳に心地いい。
「そんなにあの二人に好きって言われて嬉しいのか」
何故か、イクシスの声は不機嫌だった。
「当たり前でしょ? だって出会った頃はエリオットの目は死んでるし、フェザーになんて憎まれてたんだよ? やってきたことが無駄じゃなかったって感じがするもの」
今日はとてもいい日だと思いながら口にする。
横に座っていたイクシスが、急に頬へ手を伸ばしてきた。
どこか怒ったような表情が近づいてきて。
熱っぽい瞳に落ち着かない気持ちになる。
イクシスはやっぱり距離が近い。
好きだと自覚してしまってからは、こんな他愛無いふれあいにさえ、心臓が壊れそうなほどにうるさくて困ってしまう。
「俺はメイコが好きなんだぞ? なのにああやって、目の前で告白されて嬉しそうにされると……妬く」
「へっ?」
拗ねたようなイクシスの言葉。
思わず耳を疑って、それから意味を理解して顔が赤くなる。
「えっと、あのその……!」
「悪い、こういう事言うべきじゃなかったな。側にいてくれるだけでいいって言ったのは俺なのに」
焦った私に謝って、イクシスが何故か辛そうな顔をする。
それから岩から立ち上がって、私に手を差し出した。
「ほら、メイコ。そろそろ帰るぞ」
イクシスは普段どおりに振舞っているように見えたけれど。
その瞳が苦しそうに揺れていた。
もしかして不安にさせてしまっていたのかと、今更気付く。
竜の里から帰ってきてイクシスの私に対する態度は、里に出る前とほぼ何も変わりなかった。
恋人のフリをしていた時のように甘くはないけれど、それでも十分優しくしてくれる。
私のこと好きなんだなってわかる目で、こっちを見てくれていた。
なのに私ときたら。
イクシスの側にいるとドキドキしすぎて恥ずかしくて。
恋人っぽくするどころか、緊張してぎこちない態度をとったり、逃げてしまうことすらあった。
「あ、あのね、イクシス! 私ちゃんとイクシスが一番好きだからっ!」
ここはちゃんと言っておかなきゃと、ぐっと拳を握り締めて叫ぶ。
恥ずかしくてぎゅっと目を閉じてしまった。
「……?」
イクシスからの反応がない。
ゆっくりと目を開ければ、イクシスが目を見開いて固まっていた。
「イクシス?」
なんでそんな顔をしているかわからなくて名前を呼ぶ。
「……っ!」
イクシスの顔がゆっくりと綻んで、くしゃっと泣きそうな顔になった。
そのまま後ろに倒れてしまうんじゃないかというくらいの勢いで、抱きつかれる。
「イクシス!?」
「……嬉しすぎて、どうしていいかわからない」
戸惑う私の耳元でイクシスが呟く声がする。
そんなに喜んでくれるなんて、思ってなかった。
「イクシスったら大げさすぎ。大体、名月の日にちゃんと返事したんだから、不安にならなくていいのに」
思わずちょっと照れて、そんな事を言えばイクシスが体を私から離した。
「あれは……俺が好きだってことだったのか?」
イクシスは戸惑った顔をしていて。
何を今更言っているのかと思った。
「イクシスと一緒にいたいって言ったと思うんだけど……?」
「メイコは優しいから、俺のお願いを聞いてくれただけだと……思ってた。好きだとも言われなかったから」
呟く私の言葉に、イクシスが口元を覆う。
その顔は赤く染まっていて。
目元が少し潤んでいた。
「好きって……私言ってなかったっけ?」
「言ってない」
思わず首を傾げれば、イクシスが少し拗ねたような口調で呟く。
「両想いだったなら……この数ヶ月悶々としてた俺が馬鹿みたいだ。我慢も嫉妬も、嫌な思いもする必要なかったんじゃないか」
「ご、ごめんイクシス」
慌てて立ち上がって、脱力したように言うイクシスの顔を覗き込む。
太ももの中間あたりまである水がさらさらと流れ、足の裏当たる小さな石の感触が少し痛い。
どうやら私は、イクシスを相当に悩ませてしまっていたみたいだ。
「でも、イクシス私の感情読めるよね? 私の気持ちわからなかったの?」
「メイコの感情は俺が告白して後も、告白する前とそんなに変わらなかった。俺が近づけばドキドキするし、俺に対して好意的で。だから判断なんてつかなかったんだ」
純粋な疑問に、イクシスは眉間にシワを寄せて答える。
それって、告白される前から私がイクシスに対して、今と変わらずドキドキしてたってことだよね?
わかってはいたけれど、本人から聞かされて恥ずかしくなってくる。
「メイコ」
イクシスが自分の名前を呼ぶ響きが、特別なもののように感じる。
私の右手を、イクシスが自分の逆鱗へと導いた。
「……んっ」
逆鱗に指先が触れると、イクシスがぴくりと体を震わせて少し苦しそうな吐息を漏らした。
色っぽい艶のあるその声に、思わずかぁっと顔に熱が集まる。
「わかるか? 逆鱗がメイコに反応して呼応してる」
逆鱗の色が揺らめく。
まるで心臓が血を体中に送ろうと鼓動するように、濃い桜色が色づいていた。
私がイクシスに対してドキドキしているように、イクシスも私に対してドキドキしているんだと、逆鱗が教えてくれているみたいだった。
「逆鱗が染まらないってずっと悩んでたのに、今じゃこの通りだ。染まってようやく、今まで染まらなかったのが当たり前だって気づいた」
ふっと自嘲するように、イクシスは笑う。
「今迄誰と付き合ってても、メイコといた時みたいに感情が動いたりしなかったんだ。相手が去って行っても、俺以外の誰かと仲良くしたとしても。簡単に諦められた。メイコを手放すって決めたときみたいに、苦しくなったりは一切しなかった」
全部はオウガの言うとおりで。
自分は誰かを本当の意味で好きになったことがなかった。
今思えば酷い奴だとイクシスは呟く。
「……一体いつから、染まってたの?」
「最初はメイコの事は、面倒だがしかたないって思ってた。けど、いつの間にかメイコが俺を頼ってくれる事に、優越感を覚えてたんだ。感情も弱いところも、全部俺には見せてくれるから居心地がよかった」
逆鱗は喉の下、自分から見えない位置にある。
染まらない逆鱗を見ることが辛くなったイクシスは、意図的にそれが目に入らないようにしていた。
イクシスは異空間に閉じこもって後から、一度も逆鱗を見てなかったようで。
遡って考えても染まった時が……好きになった瞬間がわからないと口にした。
「異空間の部屋に入れたり、逆鱗触らせてたりしたから……獣人の国に行った時には染まりだしてたんだと思う。そこまでしてるのに、何でメイコが好きになってるってことに気付かなかったんだろうな?」
自分でも理解できないというように、イクシスはそう言って。
私の頬を両手で挟みこんでくる。
熱っぽい瞳に胸の奥が焦がされるようで、落ち着かなかった。
「私、イクシスに……迷惑しかかけてないよ?」
「迷惑かけられても嬉しいって思うんだから、しかたないだろ。俺だってこんなの初めてなんだよ」
照れ隠しも兼ねた問いかけに、イクシスが眉を寄せる。
その表情も、私と同じで照れからくるものだと知っていた。
「メイコが俺以外の誰かを頼ったり、仲良くしてると苛立つんだ。俺がいるのに、オーガストが帰ってきてから、オウガオウガって嬉しそうにして。それを見るたびに腹の奥がむかむかするのを感じてた。俺がそんな気持ちになってるのに、楽しそうに笑ってるメイコにも腹が立った」
まるで自分の気持ちを一つずつ確認するように、イクシスは言葉を紡ぐ。
イクシスは、どこか苦しさを噛み締めているようにも見えて。
そんな風に思っていたのかと驚く。
「これが嫉妬なんだって、オーガストに言われるまで気付けなかった。経験したことなかったからな。今日も俺の気持ちなんて知らずに、エリオットやフェザーに告白されて嬉しそうにしてるし。メイコは俺のものだって言えたらどんなにいいかって、ずっと我慢して見てた。だから……嫉妬なんてしなくていいように、ちゃんと安心させて欲しい」
こんな気持ちでいるのはもう嫌なんだと、イクシスは告げて。
真っ直ぐ見つめてくる。
「俺は、メイコが好きだ。メイコは……俺をどう思ってる?」
仕切りなおしだというように、イクシスが問いかけてきて。
期待を乗せた瞳が、答えを待っていた。
イクシスが私を好き。
そう思うと、胸の奥がふわふわとして幸せな気持ちになる。
耳までくすぐったくなって、今すぐに叫びだしたい気分だ。
けど、目の前で好きと言われて、逆鱗が私に反応しているのも見たのに。
嬉しすぎて、本当にそれが自分のことなのかと未だに戸惑う自分もいた。
自分の気持ちを相手に言うのは、こんなにも恥ずかしいことだったのか。
喉に詰まって、声が出てこない。
熱を伝えてくる瞳に蕩かされてしまいそうだ。
「わ、私も」
ようやくそれだけ口にしたけれど、イクシスは言葉の続きを待っている。
感情を読めるイクシスなら、答えに気づいているはずなのに。
それじゃ駄目だと言われてるみたいだった。
イクシスが一歩距離を詰めて、顔を覗き込んでくる。
続きは? というように。
もう少しで触れ合ってしまうような近さに、心臓が早くなる。
「……イクシスが、好き……です」
観念したように小さく、搾り出すようにそう言えば。
イクシスが安堵したように顔を綻ばせる。
私を見る瞳が甘い色を帯びて、近づいてきて。
よくできましたというように、イクシスがキスをしかけてきた。
「んっ……ふ」
鼻から抜けるような、色っぽいイクシスの吐息。
荒々しくて性急なキスに、求められてると思った。
夢中になってくれているということに、嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
イクシスにぎゅっと抱きしめられる。
ぬくもりが伝わってきて、その香りに包まれると安心するのに、やっぱりドキドキと心臓の音が落ち着かない。
「俺もメイコが好きだ」
ようやく手に入れた。
愛しくてたまらないというような甘い声で、イクシスが耳元で囁いた。




