【61】名月の告白
全員風呂に入って着替えるよう指示されて。
私はオリヴィアさんに、イクシスに買ってもらった服を着付けてもらうことになった。
「メイコちゃん……首の歯型は……イクシスの?」
下穿きの襦袢を着た私に、オリヴィアさんが気まずそうな声でそう言ってくる。
鏡を見れば、首に赤い歯型がくっきりとあった。
ニコルが相当強く噛んでくれたため、鬱血している。
「ちっ違います!」
「じゃあオーガストのなのね! 全然いいのよ! 二人貰ってくれるならあたしとしては大歓迎だから。首まで隠れる衣装にしましょう。ちょっと借りてくるから待っててね!」
慌てて隠せば、オリヴィアさんは早口でまくし立てる。
完璧に勘違いしてるようだった。
「落ち着いてくださいオリヴィアさん! これはニコルくんに噛まれたものです!」
「……ニコルが?」
すぐに部屋を飛び出して行こうとするオリヴィアさんの腕を掴んでそう言えば、ピタリとその動きが止まった。
振り返ったオリヴィアさんから、とてつもない殺気が放たれていて。
自分がとんでもない失言をしてしまったんじゃないか……そんな事に気付く。
飛んでいる鳥がその場で気絶して落ちてきてもおかしくない、そんな強烈な気をオリヴィアさん放っていた。
「……詳しく説明してくれるかしら?」
「もももも、もちろんです!」
怒気を隠さない声と鬼のような形相に、高速で首を縦に振る。
言ったらこれ、ニコルくん殺されるんじゃないかな。
そんな事が頭を過ぎったけれど、身の安全が第一。
何より、ニコルくんは痛い目にあった方がいい。
私は洗いざらい、オリヴィアさんにニコルくんがした事を白状した。
「へぇ、ニコルったらメイコちゃんをベッドに押し倒したあげく、胸まで触ってあの子たちを煽るような事を言ったわけね? しかも首にまで噛み付いたと」
「さ、さようでございます!」
落ち着いた……とはちょっと違う、怒りを通り越した冷たい気配がオリヴィアさんからは感じられた。
畏まって縮まる私に、うちのニコルが本当ごめんなさいねとオリヴィアさんは謝ってくれたけど、目が笑ってなかった。
とりあえずはその話は置いといて、服を着替えようという話になる。
チャイナドレスを借りて、これならどうにか隠れると鏡を見て確認してほっとする。
オリヴィアさんが手際よく髪を結ってくれて、簪を髪に挿してくれた。
「簪可愛いわね。イクシスからのプレゼントかしら」
「はい」
鏡越しに見るオリヴィアさんは、簪を見て目を細めていた。
イクシスの逆鱗が染まった事が、とても嬉しいんだなとその表情を見ればわかる。
「自分の体の色をした花に、瞳と同じ色の鈴。独占欲丸出しね。自分のものだって主張したいみたい」
イクシスみたいな色だと思ったけれど、オリヴィアさんも同じ印象を受けたらしい。
「メイコちゃん、浮かない顔ね? イクシスとは偽の恋人だったみたいだし、気持ちは迷惑かしら」
「いやそうじゃなくて……イクシスのつがいは、多分私じゃないんです」
心配そうに尋ねてきたオリヴィアさんに、そう呟く。
多分とつけてしまった事に、まだ希望を捨てきれてないのかと自分で呆れた。
イクシスが私を好きなんじゃないか……とも、どこかで思う。
私を見る眼差しが優しかったから。
でも、違ってたら。
イクシスに、また否定されてしまったら。
――いらない。邪魔だ。
そうやって言われるのが怖い。
どんなに私がイクシスを特別に想っていたって、相手もそうだとは限らない。
元の世界で父さんが死んで。
母さんを支えるために頑張っていたことを思い出す。
自分ではちゃんと頑張って、母さんの助けになっているつもりだったけど。
結局あれはいらないことで、母さんには私が必要なくて。
母さんは結局、あっさり父さん以外の誰かとくっついた。
一番母さんに頼りにされたかった。
母さんも頼りにしてくれてると思ってた。
でも、母さんにとって私は必要なくて。
必要とされたのは、その男だった。
イクシスに想われたい。
でも、イクシスが私と同じ気持ちを返してくれなかったらどうする?
次また同じようにいらないって言われたら?
気持ちを否定されてしまったら?
全部私の思い違いで、イクシスが他の誰かを好きだったら?
必要とされたい人に、必要とされないのは苦しい。
だったら、最初から。
――期待なんてしない方が楽だ。
「いや、イクシスが好きなのはメイコちゃんでしょ?」
「私イクシスに迷惑かけてばっかりで、好かれること一つもしてないんです。直前に邪魔だから帰れとも言われましたし。前に好みのタイプじゃないってはっきり言われましたしね!」
きょとんとしたオリヴィアさんに、笑いながら言う。
嫌な気持ちを隠すときは、笑っていればいい。
けど、言葉にするとやっぱり辛くて。
自分の言葉で傷つくなんて、弱いなぁと嫌になる。
「よく思い出してみればイクシスの逆鱗、前に触らせて貰った時に……ほんの少しだけ染まってたんです。あの時からもしかしたら、マリアさんに惹かれてたのかも」
「いやあの子が逆鱗を触らせた時点で、好きなのはメ」
オリヴィアさんの言葉の途中で、部屋を誰かがノックしてきた。
そろそろ行こうと呼びにきたようだ。
「とにかくあの子のつがいは、メイコちゃんよ! 間違いなく。自信を持ちなさい!」
がっとオリヴィアさんが肩を掴んできて、さぁ行くわよと背を押してくる。
屋敷の外に出たところで、いつもよりも華美な衣装に身をつつんだイクシスとオウガがいた。
前あわせの衣は、いつもより色が多く帯も綺麗だ。
珍しくイクシスが喉元の出る衣装を着ている。
イクシスの逆鱗は鮮やかな濃い桜色で、鎖骨が少し見えてなんだか色っぽい。
そういう格好も似合うなと思わず見惚れてしまった。
「メイコ、ほらいくぞ」
イクシスがちょっと照れたように、手を差し出してくる。
その態度は、いつも通りとも言えるような気がして。
仲直りしようと言われている気がした。
何も考えずに、いつものように手をとって頷くだけでよかった。
なのに、一瞬それを躊躇する。
イクシスにとって私は、その他大勢の一人にしか過ぎなくて。
この優しさが、ただの優しさだと思うと胸がじゅくじゅくと痛みを持つ。
主人と守護竜。
死亡ルートを回避するために、共闘する同士。
それでよかったはずなのに。
どんな距離感で今までいたんだろう。
よくわからなくなって混乱する。
「どうしたんだ、メイコ? 苦しいのか」
固まった私に、イクシスが不安そうな顔で近づいてくる。
私の感情がイクシスまで伝わってしまっているようだ。
顔を覗き込まれて、頬に手が伸びてきて飛びのく。
イクシスが驚いた顔をした。
「だっ、大丈夫! 庭まですぐそこだし。今日は助けてくれてありがとう。それじゃ!」
「おいメイコ!」
イクシスの声が背中でしたけど、ダッシュして庭の方へ向かう。
この気持ちはどういう事なんだろう。
まるで私は、イクシスに好かれたいみたいだ。
イクシスに自分を想って欲しい。
イクシスのつがいが自分ならいいのに。
今更そうやって、あたりまえのように願っていたことに気付かされる。
手が触れてくるだけで、心臓がばくばくとうるさくて。
思わず逃げてしまった。
まさか、まさかと思いながら胸を押さえる。
もしかして私は。
――イクシスを好きになってしまったんじゃないだろうか。
それを肯定するように、血が体中を熱くなって巡って。
一度気付いたら否定なんてできそうにない。
むしろどうして今まで自分の気持ちに気付いてなかったんだろう。
驚くほど自然に、イクシスに好かれたいって考えていた。
イクシスに触れられるたびにドキドキしていた理由なんて、一つしかないのに。
「メイコ!」
後ろからイクシスが来ている。
どんな顔をしていいかわからずにとりあえず逃げる。
エリオットがいたので、盾にするようにその後ろに隠れた。
「なんで逃げるんだ」
「別に逃げてないよ!」
イクシスの声が固い。
上ずってしまった声でそう言えば、私を捕まえようとイクシスが手を伸ばしてきた。
それを避けるようにさらに逃げる。
「鬼ごっこ? ぼくもやるー!」
エリオットの側にいた竜族の子供たちが、ぱたぱたと走り出す。
「おい、こら邪魔だ!」
ちょこまかとイクシスのまわりを竜族の子供達が走り始めた。
何故かそこから全員で鬼ごっこのような遊びが始まる。
そろそろ始まるわよとオリヴィアさんにたしなめられて、ようやく鬼ごっこは終わった。
上がった息を落ち着かせるように、木にもたれる。
皆が空を見上げていたから、私もそれに習っていたら横にイクシスが立った。
すでに逃げる気力がなかったので、じっと息を潜める。
イクシスが側にいるというだけで、落ち着かない。
いつもはむしろ側にいることに安心していたはずなのに。
そこにいるという気配が気になってしかたなかった。
「はじまったぞ」
イクシスがそう言った瞬間、どこからか歌が聞こえた。
唱和するように皆がその歌を口ずさみ始める。
イクシスや他の竜族の体が仄かに光を帯びて、そこからゆっくりと蛍のような光が空に向かって立ち上っていく。
その光景はとても幻想的で、空を見ればいくつもの光の粒が舞い上がっていくのがみえた。
ある一定の高さまでくると、今度はまるで空をなぞるようにゆっくりと左右へ流れ星のように落ちていく。
あの歌は竜族の歌で、魔力の一部を捧げる歌だったらしい。
空に見える天井には薄い膜があるようで、そこを流れて島全体に魔力が行き渡るのだということだった。
この空に浮かぶ島は、じつは古い竜の体そのものらしく。
里そのものである先祖に、感謝の念を込めて歌と魔力を贈り、一年の無事を知らせこれからを願う儀式だとの事だった。
「どうだ? 儀式を見た感想は」
「凄く綺麗だった!」
イクシスとギクシャクした雰囲気だったことも忘れ、興奮気味に答えれば、嬉しそうにイクシスが微笑んだ。
その顔にドキリとしてしまう。
どうしていいかわからずに逃げようとしたら、それを察したイクシスに手首を掴まれてしまった。
「悪かった。謝るから、逃げるな」
「……へっ?」
いきなり謝られ、何のことかと戸惑う。
「邪魔って言って悪かった。メイコの事をいらないって言ったのも、本心からじゃない。体が見つかって元の世界に帰れるなら、その方がいいと思った。俺のせいでここに留まらせちゃいけないと思ったんだ」
苦しそうな顔で、イクシスは告げる。
イクシスの側にいると落ち着かなくて、逃げることで精一杯で。
その事がすっかり頭から抜け落ちていた。
「元々メイコはこの世界の住人じゃないし、俺は前までの生活に戻るだけだ。そのはずなのに、大きな空白ができたみたいで。メイコの側に自分以外の誰かがって思うと、考えただけで苛立った」
イクシスの私の手首を握る手に、力がこもった。
「メイコを側に留めて置きたくて、ギリギリまで突き放す決心が着かなかった。できればこのままで……なんて思って。せめて一日だけでも本当の恋人になって欲しいと思ったんだ」
目を伏せ、イクシスは辛そうに言葉を紡ぐ。
「メイコのことを想うなら元の世界へ返した方がいい。分かってるんだ。ヒルダのままでいたって、メイコを危険にさらすだけでいい事なんて一つもない。けど……嫌なんだよ」
イクシスは顔を上げて、私の瞳を見つめてきた。
金色の目が切なげに揺れて、その中に私が映っている。
「俺の前からメイコがいなくなるって考えただけで、苦しくてしかたないんだ! 俺の代わりにオーガストが守ってくれる。安心できることのはずなのに、納得できない。メイコに触れるのは俺だけでいい……」
苦しそうに吐き出すイクシスに、嘘のように心の中のしこりが消えていく。
私を求める熱がこもった声に、幸福感が胸を満たしていくのが分かった。
「メイコが好きだ。これが俺のわがままだってことはわかってる。でも……もう少しだけでいい。ここに、俺の側にいてくれ。側にいてくれるだけで……いいから」
イクシスが私の手に両手を添えて、祈るような動作をする。
その手は微かに怯えるように震えていて。
イクシスが私を望んでくれている。
特別に想ってくれている。
嬉しくて、気付けば涙が出ていた。
「な、なんで泣くんだ!」
「あれ……本当だ」
イクシスがオロオロとしだす。
泣かれるとは思ってなかったんだろう。
私も泣いてしまうなんて思ってなかった。
ほっとして、幸せで、こんな気持ちで涙が出るのは初めてだ。
――イクシスが必要としてくれる。
それだけで、ここにいる理由には十分だ。
自覚したばかりの好きな人に。
ここまで求められて、嬉しくないわけがない。
「……私もイクシスと一緒にいたい! そりゃ元の世界に未練はあるけど、まだ遣り残したことたくさんあるしね。体もあるし、帰る方法もオウガのお陰でわかったんだから、それが少し後に延びたところで問題ないでしょ!」
明るくそう言って、にっと笑いかける。
いつもの調子でそう言えば、イクシスは目を見開いて。
それからくしゃりと顔を歪ませると、泣き笑いのような表情で私を抱きしめてきた。
「……ありがとな、メイコ」
「ううん、こっちこそありがとうね。イクシスには迷惑しかかけてないのに、そう言ってもらえて嬉しかった!」
どうやったらこの嬉しい気持ちが伝わるんだろう。
わからなくて、ぎゅっとイクシスを抱きしめ返す。
これだけじゃ足りない気がしたけれど。
あいにくこれ以上に気持ちを伝える方法を、私は思いつかなかった。
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名月の儀式が終わった次の日、色んな騒動があった竜族の里を後にすることにした。
朝の食卓で出会ったニコルは、何故か女装させられていた。
普段のニコルは長髪で、それを頭の後ろで一房結ったような髪型をしているのだけれど。
今日は両脇に結って、左右に牡丹のような花をつけている。
正直に言って、とても……可愛い。
「ニコルちゃん?」
話しかければギロリと下から睨まれる。
「お前のせいでオレはオリヴィアに散々怒られた。よくもばらしてくれたな」
どうやら私が暴露したことで、お仕置きの最中らしい。
顔には心底不本意だと書かれてあった。
「何で気高い黒竜のオレがこんな格好を……」
「あら、反省してないのかしらニコルちゃん? オレなんてはしたない言葉遣い、女の子はしないのよ?」
愚痴をこぼそうとしたニコルの横から、オリヴィアさんが無表情で呟く。
びくっとニコルが体を引きつらせた。
どうやらこの家で、最強はニコルではなくオリヴィアさんのようだ。
「そ、そろそろ許してくれてもいいんじゃないかオリヴィア。あれは全てイクシスに自覚を促すために必要な事だった」
お前からも何とか言えと、ニコルが私に視線で訴えてくる。
「噛む必要は一切なかった気がしますし、他にやりようはいくらでもあったと思います」
ぼそりと呟けば、裏切ったなというようにニコルに睨まれる。
自業自得だと思ってほしい。
「何でも面白そうな方向に持って行って、退屈を紛らわそうとするのはニコルちゃんのよくない癖よね? 自分の息子たちまで玩具にするような子は、逆に玩具にされても文句は言えないと思うの。後で大きなサイズで着せ替えに付き合ってもらうわ。そのままデートに行きましょう」
「頼むオリヴィア……オレは元魔王で黒竜なんだぞ……? そんな姿を見られたら尊厳が」
にっこりと微笑むオリヴィアさんに、ニコルは弱りきった様子だった。
「そんなの知りません。あたし以外を……口説いたり、噛んだりしたくせに」
ふいっとオリヴィアさんが顔を背ける。
「……もしかして、妬いているのかオリヴィア」
「だったら何だって言うんですか」
驚いたように言うニコルに、拗ねたような口調でオリヴィアさんが呟く。
「そうか、そうか。たまにはこういうのも悪くないな。オレのことを思って妬くお前もまた可愛い」
嬉しそうにニコルが手を伸ばせば、オリヴィアさんがその手を払う。
「あたしは面白くありません」
「そういうな。オレはお前以外に欲情なんてしない。オリヴィアだけだ」
そっけないように見えてオリヴィアさんの声は甘えるみたいで、ニコルがその顎を捉える。
「誤魔化されませんからね……」
「ならわかるまで、愛を囁くだけだ」
目の前でオリヴィアさんとニコルのいちゃいちゃが始まる。
もう一週間ほど竜族の屋敷にいるので、お腹いっぱいだ。
釣り目がちの可愛いらしい幼女と、屈強な女戦士が桃色の空気を放っているのは、なにやら倒錯的な雰囲気だった。
しかしもう、毎日のようにこれを見ていると耐性がついてくる。
朝だろうが昼だろうが夜だろうがおかまいなしだ。
今日もイクシスの家は平和だなぁ……。
皆で手際よく隣の部屋へ移動しながら、そんな事を思った。
竜の花嫁編終了です!
次回からは間章としてエリオットと竜の里が2話、その後本編が続く予定となってます。




