【60】イクシスの逆鱗
「ご機嫌斜めだな、花嫁」
「……当たり前だと思うんですけど」
いつの間にか呼び方が女から花嫁に戻り、ニコルは威圧感たっぷりの空気を振りまくことをやめていた。
金縛りのような状態が解け、文句をつけれるくらいには余裕を取り戻す。
「安心しろ。まだ殺しはしない。何事も舞台が整わないと面白くないからな」
つまらなさそうにそう言って、肩が凝ったというような動作をニコルがする。
どうやらここは塔の屋上のようだ。
パチンとニコルが指を弾けば、椅子が二つと小さなテーブルが用意された。
テーブルの上にはドリンクと煎餅に似た菓子がある。
「座って食べろ。どうせしばらくは暇だ」
さらにパチンとニコルが指を弾く。
魔法陣が現れて空中に巨大な水鏡が姿を現した。
中にはオウガとイクシスの姿が映っていて、二人とも魔物によく似た何かと戦っている。
「今二人がいるのは、竜族の男が修行をするエリアだ。自動操作の試験獣を大量に放し飼いしている。全部凶暴な魔物の動きを複製した特別制だ。瀕死状態になれば治癒がかけられ、自動的に入り口に戻される仕組みになっている」
空間転移も、竜の姿になることもここではできず、空を一定以上の高さで飛べば撃墜される仕掛けもあるようだ。
そしてここは一番強い試験獣がいる、奥の奥にある塔なのだとニコルは笑う。
「あいつらがここに辿りつくまで、観戦と行こうじゃないか」
のんきに私にドリンクを差し出して、ニコルは椅子に座って二人の様子を眺め始めた。
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「イクシス、飛ばしすぎだな。あれではここに来る前に魔力が尽きる。だが、先ほどの技は多数に対して有効だったな。オーガストは攻撃魔法の威力は高いが精度に欠けるな。回復魔法ばかり磨くからそうなる」
二人の戦いぶりを見ながら、ニコルは楽しそうだ。
評論しつつ、ドリンクを優雅に飲んでいる。
そんなニコルの側で煎餅もどきを食べて落ち着いた私は、なんとなくニコルの目的が読めてきた。
「もしかして、ニコルくんは二人を試すために私を攫ってきたんですか」
「まぁ半分はそんなところだが、お前を殺すというのも本気だ」
私の生死は二人次第だとニコルは呟く。
冗談じゃなく、その時がこればニコルはあっさり私を殺してしまうような気がした。
「気分を出すために折角大きくなったのに、くん付けは変わらないのか」
「……人をからかうような子はくん付けで十分だと思います」
もはや開き直って、ニコルにぞんざいな口を利く。
イクシスとオウガの父親だろうが、怖い人だろうが知ったことではなかった。
「オレを子供扱いか。面白いなお前は。殺すのは惜しい」
「そう思うなら、殺そうとしないでください」
くくくと笑うその笑い方はオウガに似てるのに、顔はイクシスで。
苛立たしいのに、憎みきれない自分がいた。
「ニコルくんは、まるでゲームに出てくる魔王みたいですね。性格の悪さとか、そういう人を小馬鹿にした態度がそれっぽいです」
「あぁ、元魔王だからな」
嫌味で言えば、にっこりとニコルは笑う。
「魔王?」
「あぁそうだ。昔魔族と呼ばれる一族が地上にいてな。オレはあいつらの常識を教え込まれ育てられて、魔王として担がれていたんだ」
思わず繰り返した私に、あっさりとニコルは答える。
「オリヴィアが女勇者だったことは話しただろう? 勇者が倒すのは魔王だと相場は決まっている」
どうやらニコルは、正真正銘の元魔王様だったらしい。
道理で性格の悪さがにじみ出る立ち振る舞いだったわけだ。
というか、勇者と魔王って敵同士じゃないですか。
二人がくっつくまでには、色々あったんだろうなと簡単に想像できる。
イクシスの両親は相当に濃い過去の持ち主のようだ。
ちなみに普段は勇者であるオリヴィアさんによって封印を施されていているから、あの小さな姿だということで。
本来の姿はこっちなのだと、ニコルは教えてくれた。
その姿だと本当の双子であるオウガより、ニコルの方が断然イクシスの双子っぽい。
表情はまるで違うが、顔の作りは同じだ。
声だって、思わず私が間違えるほどにそっくりだった。
「しかしオーガストはともかく、イクシスはここに来る理由がないはずなんだがな。よほどお前が大切と見える」
「……イクシスは人がいいから、私がどうでもよくても助けるんですよ」
楽しそうなニコルに答えた声は、まるで拗ねているみたいに自分でも聞こえた。
「何ですか。そのじと目は」
「お前にはあの必死さが、どうでもいいモノのために頑張っているように見えるのか」
ニコルが私に呆れた視線を向けてくる。
画面に映るイクシスは、剣を握っていて血だらけで。
それでも前に進んでいく姿は、なりふり構っていないように見えた。
けれど。
思い返すのは、直前に向けられたイクシスの冷たい瞳で。
「イクシスは私がいらないって……邪魔だって言ってたから」
言葉にするだけで棘が胸に刺さるようで、痛い。
ポジティブに考えようとしても一度沈んだ心は傷つくのを恐れて、自分に都合のいい考えを受け入れられなかった。
「イクシスと同じでお前も鈍いのか。面倒な……」
黙り込んだ私に、大きくニコルは溜息を吐く。
物凄く失礼なことを言われた気がした。
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二人が来たからと、ニコルは私を縄で縛り口を布で覆った。
私を手に、ニコルが二人を迎え入れる。
「よくここまできたな、二人とも」
空には大きな満月がのぼっていて、すでに夜だった。
「屋敷で大人しく時を待っていればいいものを……コレの最後を見にきたのか?」
ニコルが滑稽だと二人をあざ笑う。
まさに魔王という風格がたっぷりだった。
「父さん、メイコはオーガストの花嫁候補だ。離してやってくれ」
「オーガストが花嫁を得ることは喜ばしいことだ。だか、そのためにお前を犠牲にするようなことがあっていいわけないだろう?」
険しい表情で進み出たイクシスに、優しい声色でニコルが話しかける。
けれどニコルからは、冷ややかな空気が放たれていて対峙する二人の顔色は優れない。
「誇り高い竜族が、下等な人間の誓約に縛られる。あっていけない事だ。ましてや金眼の竜であるお前を縛れる存在など――生きていて危険でしかない」
ニコルからピリピリとした殺気が放たれる。
肌が泡立ち、自分の背後にいる存在に当然のように恐れを抱く。
空気中の魔力が呼応したように震えるのを感じた。
「全部オレのミスだ。メイコは関係ない!」
「あるさ。コレをそのまま殺せば、誓約の半分は解除される。オーガスト」
叫ぶイクシスに答えて、ニコルはその後方にいるオウガに何かを放り投げた。
「魔力を回復する秘薬だ。イクシスに治癒をかける準備をしろ」
「……わかった」
小瓶をうけとったオウガは、少しの間の後頷く。
イクシスがありえないというような顔になり、オウガを振り返る。
「なんでだオーガスト! お前メイコが好きなんだろ!?」
「父さんが決めたことは……絶対だイクシス」
声を荒げるイクシスに、俯いたままオウガが答える。
「いい子だ。それでははじめようか」
ニコルに突き飛ばされ、床に倒れこむ。
まさに魔剣という刀身も全て黒々とした剣が、ニコルの手に現れた。
「一瞬で済む。せめて痛みがないように」
冗談だよね? と思うけれど、ニコルの赤い瞳からは感情が読み取れない。
勢いよく魔剣が振り下ろされて、目を閉じる。
金属のぶつかり合う音がして、衝撃はこなかった。
「何故邪魔をする? イクシス」
「……メイコは、殺させない」
私を庇っていたのはイクシスだった。
イクシスはそのままニコルと剣を切り結び始める。
イクシスが助けてくれた……!
助けてくれるとどこかで、無条件に信じていた自分に気付く。
じわじわと体に感覚が戻ってきて、安堵から涙が零れそうになる。
「お前のためだイクシス。コレを殺せば、誓約が解除される足がかりになる。何を躊躇う必要がある」
「……嫌なものは嫌だ!」
戦いはニコルが断然優勢だった。
余裕のある態度で、防戦一方のイクシスを切り刻んでいく。
「ん、んんぅ!」
どうにかしなきゃ。
私に何もできないのはわかってるけど、じっとなんてしていられない。
体の強張りはいつの間にか消えていた。
「大丈夫か、メイコ」
ジタバタしていたら、いつの間にか側にオウガがいて、上半身を起こして口の布をとってくれた。
「オウガ、イクシスを助けて!」
「平気だ。父さんのあれ全部演技だから」
叫んだ私の目の前にオウガが小瓶をチラつかせる。
そこには紙が一枚入っていた。
小さな文字が書かれているけど、読めない。たぶん竜族の文字なんだろう。
オウガに対する指示がそこに書かれているみたいだった。
「父さんはどうやらイクシスの逆鱗が見たくて、ここまでしたみたいだ。ほら見てみろ」
後ろの方をくいっと親指で示され、そっちに目をやる。
イクシスの上着が、見るも無残にボロボロになっていた。
はだけて切り刻まれて、もはや上半分しか残ってない。
「父さんの特技は、相手を切り刻みながら服を脱がすことだ。勇者だった母さん相手に使うために、技を磨いたらしい。イクシスのやつも時間の問題だな」
「ニコルくんそれって、変態……もがっ」
冷静な声で言ったオウガについツッコミそうになったが、口を押さえられてしまう。
「言うなメイコ。わかってるから。やることなすことアレだけど、一応オレたちの父親で家族思いなとこのある竜なんだ……」
そう言ったオウガは、肉体的にも精神的にも疲れきっているようだった。
一際高い金属のぶつかり合う音がしてそっちを見れば、イクシスの剣がニコルによって折られていた。
尻を付くようにして倒れこんだイクシスの首元に、ニコルが剣を当ててすっと滑らす。
はらりと首周りを覆っていた布が取れ、イクシスの逆鱗が姿を現した。
――赤に近い桜色。
もはやそれは鱗というより花びらのようだった。
「くっ……」
イクシスが顔をゆがめる。
ニコルが剣をしまって、やはりなと呟く。
「全く手間をかけさせる。イクシス、これで自分の逆鱗を見てみろ」
イクシスの目の前に、ニコルが水鏡を魔法で展開させる。
「……染まってる?」
自分の喉元を確認したイクシスは、これ以上ないというくらいに目を見開いていた。
「それくらい自分で気づけ。周りから見ても丸分かりだったというのに、何故ようやく見つけたつがいを手放すという暴挙ができる。あがきもせずに逃げるとは、それでもオレの息子か」
イクシスを叱咤して、ニコルが元の小さな姿に戻る。
「次馬鹿な事を言えば、本気でメイコを殺す。覚えておけイクシス、オーガスト。愛は奪い取るものだ」
ニコルがイクシスに笑いかける。
幼い顔立ちに浮かんだのは……それはそれは凶悪な笑みだった。
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「さすがにそろそろ帰らなければ、オリヴィアに叱られる。いっきに転送するぞ」
ニコルがそう言って指を弾けば、一瞬にして屋敷の中にいた。
「あなた、何をしていたのかしら。もうすぐ儀式の時間なんだけど?」
低く響くその声に、ニコルがビクッと体を震わせる。
「オ、オリヴィア。今から準備しようと思っていたところだ」
「なんでイクシスとオーガストがこんなにボロボロなのかしら? ねぇ、ニコル?」
さすがのニコルもオリヴィアさんには弱いらしい。
おろおろとして、逃げようとしたところ首根っこを掴まれてしまう。
「あなたの気、膨れてたわよね? 封印が破られたのを感じたんだけど……お約束を破って、あたしの許可なしに魔王モードになったのかしら」
冷ややかなオリヴィアさんの声に、あのニコルがだらだらと脂汗を垂らしていた。
「……オリヴィア見てみろ。イクシスの逆鱗が染まった」
「そんなんで騙されませんから」
ニコルはどうやら、話を逸らす作戦に出たようだ。
しかし「あっUFOだ」くらい信憑性がない冗談だと思われているのか、全く相手にしてもらえてない。
「本当ですよオリヴィアさん」
私の声に、オリヴィアさんがイクシスを見る。
イクシスはどうしていいかわからないように、居心地悪そうにしていた。
オリヴィアさんはイクシスを見て、目を見開いて。
がばぁっと凄い勢いで、イクシスを抱きしめた。
「痛い痛い! 母さん痛いって!」
「よかったっ! とうとうやったわねイクシスっ!」
イクシスの背中からみしみしと音がしそうなほどに、熱い抱擁だ。
けどオリヴィアさんが嬉しそうでよかった。
イクシスも嬉しそうだ。
それはそうだろう。
ずっと逆鱗が染まらないと、イクシスは苦しんでいたんだから。
ただちょっと疑問なのは。
――その逆鱗を染めたつがいが、誰なのかなというところだろうか。
ニコルは私がイクシスのつがいだと思い込んでいるようだけど。
イクシスが好きなのは、確かマリアさんだったはず。
けど、なんだかその考えは物凄くもやもやとする。
イクシスが誰かを好きになった。
そう考えると、とても嫌だと思ってしまう。
イクシスが嬉しそうなのに、素直に喜べない自分が嫌いだ。
ふいに、昨日恋人扱いされたことを思い出す。
あんな風な視線を、別の誰かに向けるのかと思うと。
苦しくて泣きそうになる。
キスも他の子とするんだろうかと思うと、胸の奥に黒いモヤができてイライラとする。
あの異空間の部屋の皿を、私以外が使うのかと考えて。
唇を噛み締めてる自分に気付いた。
イクシスの好きな人が……私だったらいいのに。
あんな風に見つめるのも、キスするのも私だけだったらいいのに。
自然とそんな事を考える。
けど、そんなことってありえるのかな。
好かれるには、好かれるくらいの何かをしないといけない。
私はイクシスに対して、好かれるような何かをしていたっけ?
小さな期待を裏付ける材料を探すように、今までを思い返してみることにする。
フェザーに殺されそうになったときも助けてもらって。
鳥族の国にも付き合ってもらって、攫われそうになって助けてもらって。
なきついた挙句、風邪ひいて看病してもらって。
ジミーの件でも色々協力してもらった。
奇病騒動の時も、イクシスがコケガシラを片付けてくれたし、魔法の練習にも付き合ってもらった。
なのにとんでもない勘違いをして、イクシスに不快な思いをさせて……。
あれ……おかしいな。
邪魔だ、帰れと言われて腹が立ったけど。
そう言われてもしかたない程度には、迷惑しかかけてないような?
好かれる要素が一切見当たらない。
今更そんなことに、気がついてしまった。
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