【59】偽りのイクシス
「オーガスト、本当は俺とメイコは恋人なんかじゃない」
屋敷に戻るなり、イクシスはオウガの部屋へ行くとそんな事を言いだした。
「やっぱり恋人のふりだったのか。予想通りだな」
オウガがほっとした声を出す。
「だから、メイコを元の世界へ連れて帰れ」
「……お前はメイコが好きなんじゃないのか?」
淡々と告げたイクシスに、オウガが訝しげな声を出す。
「俺がメイコを? 冗談だろ。むしろ迷惑ばかりかけられて、うんざりしてたんだ。今回の恋人役だって、そもそもはメイコが起こした面倒事の罪滅ぼしだしな」
イクシスは笑いながらそんな事を言う。
ありえないという口調で。
その言葉に、傷つく。
そんな風に思ってたのかと思うと、苦しくなって。
泣いてしまいそうになるのをぐっと堪えた。
イクシスは肩に担いでいた私を下ろして、その背をオウガの方へ押してくる。
「よかったなオーガスト、花嫁が見つかって」
「……本当にそれでいいのか」
妙に明るい声でイクシスが祝福して、オウガが顔をしかめる。
「ヒルダが戻ってこようと、ただ前の生活に戻るだけだ。メイコの側にいると厄介事が多すぎて、まだヒルダの方が正直マシなんだよ。オーガストがきてくれてよかった。これで面倒事とおさらばできる」
出会った時のような、けだるい調子でそう告げて。
じゃあなと、イクシスは背を向けて去っていった。
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「イクシスと何かあったのか」
「……急に、オウガと帰れって言われた。あと邪魔でいらないって」
尋ねられて答えれば、オウガがなるほどなと呟く。
「それでどうする。オレと一緒に帰るか?」
「……」
部屋にいれてくれたオウガは、よしよしと私の頭を撫でた。
パタンとドアを閉めて、大きな体で私を覆うように抱きしめてくる。
「別にそう急かすつもりはないんだ。ゆっくり考えればいい」
オウガは私に甘くて、それでいて優しい。
困ったときはいつもそうやって、ただ側にいてくれた。
「イクシスの恋人候補っていうから、焦ってあんなこと言ったけどな。別にオレは無理やり花嫁にしたいわけじゃない。メイコにはちゃんとオレのことを好きになってもらいたいんだ」
体を離して、しゃがんで目を合わせてオウガはそんな事を言う。
眉間にシワがよっている、いつものオウガの顔はちょっと真剣で。
大人の男の人だなと、今更思った。
「帰りたいならいつでも言え。オレの花嫁にならなくても元の世界に戻してやる。ただ、アプローチは今まで以上にかけていくつもりだから、結局は同じことだけどな」
おどけたような口調は、落ち込んだ私を慰めてくれてるつもりなんだろう。
にっと笑うその顔は、ちょっと凶悪だけれど。
本人的には微笑んでいるつもりだと、私はよく知っていた。
「……ありがとうオウガ。私、帰ることにするよ」
ここにいたって、しかたないのかもしれない。
そう思って口にすれば、オウガが子供にするように私の頭を撫でた。
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「いいかメイコ。表向きはオレの花嫁候補ってことで、元の世界に戻してやる。そうじゃないと父さんが納得しない。お前は何をぬるい事言ってるんだって、色々しかけてくるに違いないからな」
「……わかった」
オウガの言葉に頷く。
昨日まではイクシスの花嫁候補だったくせに、今日からはオウガの花嫁候補だ。
どんな尻軽だろうと思わなくもない。
オウガは私に部屋のベッドを貸してくれたので、その日は広いベッドを独り占めして眠りについた。
基本的に竜族のご飯は、家族全員でだ。
朝になってオウガと一緒に食卓につけば、ニコルと目があった。
食卓は座る位置が決められていて、ニコルを中心に時計回りでイクシスの兄弟たちが座っていく形だ。
兄弟の中で真ん中のイクシスとオウガの席は、必然的にニコルと向かい合うような位置になってしまう。
「いい心がけだな、花嫁。イクシスだけでなく、オーガストとも仲良くしてくれているようでなによりだ」
「その事なんですが、父さん。メイコはイクシスの花嫁候補じゃなかったようです」
ニコルにオウガが事情を話す。
上機嫌だったニコルの顔が、苛立ちを纏ったものになった。
「異世界に行くだと?」
「はい。メイコを元の体に戻し、側で暮らそうと思っています。メイコがオレの外見にふさわしい年齢になったら、逆鱗を飲ませて里に必ず連れ帰ります」
ピリピリとしたオーラがニコルから放たれる。
オウガは臆することなく、淡々とそう答えた。
「イクシスを見捨てる気か」
「そもそもメイコは、イクシスの恋人じゃなかったんです。父さん」
私に対して視線を投げかけたニコルに、オウガが口にする。
多分ニコルが言っていることは、そういう事じゃない。
ニコルは、イクシスに命をかけた誓約がかかっていることを知っている。
オウガもイクシスも、その事をニコルが知っているとは知らない。
ニコルの赤い瞳が、許さないというように私を射抜いていた。
ニコルくんは、私にどうしろというのだろうか。
そもそも――イクシスに拒絶されてしまったというのに。
見捨てるも何も、私を突き放したのはイクシスだ。
ニコルの提示した二つの案は、どれもイクシスの逆鱗を染めない事には実行できない。
――私では、無理だ。
黙りこんでいたら、遅れてイクシスが部屋に入ってきた。
すでに皆が席に着いていて注目の集まる中、オウガの隣に座る。
「イクシス。メイコと恋人でないというのは本当か」
「はい本当です。騙していてすいませんでした。花嫁候補も連れず里に帰るのが、心苦しかったもので」
ニコルの言葉に、イクシスが謝罪する。
抑揚のない声だった。
「……あれはすべてフリだったということか?」
「そうです。本当は恋人でも何でもありません」
眉間にシワを寄せるニコルに対して、淡々とイクシスが答える。
ニコルはあからさまに舌打ちをした。
「メイコが好きなわけではなかった。そういうわけか」
「はい。ですから、期待してもらっても逆鱗が染まることはありえません。それよりはメイコをオーガストに返した方がいいと考えました」
確認したニコルに、躊躇なくイクシスが頷いて。
胸の奥の方がずんと重くなる。
無意識に唇を噛みそうになって、それを耐える。
「おいそこの女。お前はオレにイクシスだけだと啖呵を切ったのに、あっさりとオーガストに乗り換えるつもりか」
花嫁呼びをしていたニコルが、女と私を呼ぶ。
くだらないものでも見るかのような色が、その瞳にはあった。
「そんな言い方はやめて下さい。メイコは元々オレのものだったんですから。イクシスとの事が全て演技だったというだけです」
「メイコが本当に好きなのは自分だといいたいのか、オーガスト」
私を庇ったオウガをニコルが睨む。
「そうです」
オウガが私の体をぐっと抱き寄せてくる。
「ならここでキスでもしてみせろ。そしたら信じてやる」
下らない茶番だというように、ニコルの目は冷たい。
「父さんがそれで信じてくれるなら」
オウガが私の方を向き、大きな手を頬に添える。
いつもよりオウガの眉間にシワが多い。
その瞳が、悪いと私に謝っていた。
顔が近づく。
イクシスと恋人同士のフリで、キスなんて何度もやった。
なのに、駄目で。
「イクシスっ!」
オウガの唇が触れる寸前で、その体を突き放してしまった。
私の叫び声で、周りの空気が固まったのがわかった。
突き放されたオウガが、痛みを堪えるかのように顔を歪める。
その横にいたイクシスが立ち上がり、私を一瞥して。
何もいう事なく、その場を去っていった。
「……ご、ごめんオウガ」
「謝らなくていい、メイコ」
オウガに悪い事をした。
なのにオウガは、許してくれて。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
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オウガの部屋のベッドで、毛布を被って丸まる。
寝返りを打って横を向く。
なんであの時、イクシスの名前を呼んでしまったんだろう。
オウガは酷く傷ついた顔をしていた。
恋人のフリでイクシスとは、簡単にキスをしていたのに。
なんでオウガとは……できなかったのか。
わからない。
ただ、キスをするのはイクシスじゃないと、嫌だと思ってしまった。
背を向けて、去っていったイクシスの背中が思い出される。
何も言ってはくれなかった。
目を閉じて、ぎゅっと自分の体を抱きしめる。
本当にイクシスは私のことなんてどうでもいいんだ。
それを思い知らされたようで苦しかった。
「何だ泣いているのか」
イクシスの声がした気がして、目を見開く。
背中の方でベッドが軋む音がした。
私を気遣って、オウガは部屋を出ていた。
……イクシスが来るわけがない。
そう思うのに、ドッドッと心臓が早まる。
「さっきは悪かった。メイコがオーガストとキスなんてしようとするから、腹が立って無視したんだ」
ごめんとイクシスが優しい声色で謝ってくる。
「偽の花嫁候補だろうと、俺はお前が本当に好きだ。愛してる。だから、オーガストなんかじゃなくて俺を選べ」
愛してる、なんていうイクシスに違和感を覚える。
けど、謝りにきてくれたのなら。
私も踏み出すべきだと、勇気を振り絞る。
「イクシス、私こそごめんなさい! 今までのことは謝るから。だから……」
いらないなんて、邪魔だなんて言わないでほしい。
毛布を跳ね除けて、目を閉じたままぎゅっと抱きつく。
謝罪の言葉を口にしたところで。
ふわりと漂う香りに、これはイクシスじゃないと気付く。
見上げたそこには、涼やかな目元にすっとした鼻筋。
私の知るイクシスとよく似た顔。
けれどその瞳は赤く、髪は闇を溶かしたように漆黒で。
口元には、人を小馬鹿にしたような笑いが浮かんでいた。
「イクシスだと思ったか?」
つまらなさそうな目を向けて、はっと青年が鼻で笑う。
黒い衣装に身をつつんだ、イクシスとそっくりな青年がそこにいた。
「……ニコルくん?」
「お前もイクシスも。オレの思い通りに動かない。心底面倒だ」
イクシスと瓜二つの顔。
残虐性を秘めた赤い瞳に囚われて、身動きが取れない。
体の動かし方を忘れたみたいに、そこに貼り付けられていた。
「知っているか? イクシスの誓約を解く方法がもう一つあるんだ。抜け道のような方法がな」
私の頬に、ニコルが触れてくる。
「魔法の誓約においては体と魂両方が死んで、完璧な死と見なされる」
静かなその声には感情というものが一切なかった。
「ヒルダの体だけ殺せば、半分誓約が解ける。その状態なら、イクシスはギリギリ生きている。そして次にヒルダの魂を殺す。そうすれば同じように半死状態で留まる。分けて殺すことで、誓約の効力は半減するんだ」
ただしと、ニコルは続ける。
「ただ半分ずつ殺すにせよ、体と魂はセットでなくてはいけない。魂のみ、体のみの状態では誓約がそこに浮き上がらないからな」
つつっとニコルの指が私の首にかけられた。
「つまり誓約をかけてきたヒルダの体に、他の魂を入れて殺す。同じように別人の体へヒルダの魂を入れもう一度殺す。そうすればイクシスは助かるんだ。分かるか?」
ぐっとニコルの手に力が込められて、ベッドの上に押し倒される。
両手が首に添えられて、見下ろされる。
――目の前の生き物は、自分を殺そうとしている。
けれど、体が動かない。
圧倒的な存在に、本能が抵抗したって無駄だと感じ取ってしまったかのようだった。
赤い瞳が、すっと冷ややかな光が宿る。
――助けて!
声にならない声をあげる。
唇はいっさい動いてくれなくて、喉の奥で張り付いた音が出ただけだった。
首を絞める手に力が込められようとした時。
激しくドアが軋む音がした。
「父さん! ここを開けてくれ!」
「誓約の件は俺のミスだ! メイコは何の関係もない!」
オウガとイクシスの声が聞こえる。
どちらも焦った様子で叫んでいた。
ニコルは二人に、イクシスの誓約の件を知っていると教えたらしいと察する。
「うるさい。興ざめだな」
ニコルが私の首から手を離し、パチンと指を弾く。
ドアがいきなり開いて、オウガとイクシスが倒れこむように部屋に入ってきた。
二人のすぐ上に闇色の魔法陣が展開される。
「ぐっ……」
「父さん、何を……っ」
イクシスとオウガが苦しげに呻く。
立ち上がろうとしても、体が動かないようだった。
まるで上から強い力で床に押し付けられているみたいだ。
闇属性の重力系魔法、グランじゃないかとあたりをつける。
ゲーム内では対象の行動速度を遅くする魔法だったけれど。
顔を持ち上げる事すら困難らしく、二人は苦しそうにうつぶせて、顔を歪めていた。
ニコルはベッドの上に座り、私を膝の上に乗せた。
人形のように体が動かない私の首を、ニコルがそっと撫でる。
「お前達二人は、コレを白竜にするつもりがないんだろう?」
ニコルにもう片方の手で、内側のふとももを撫でられる。
嫌なのに、指先一つ動かすどころか、まばたきさえできない。
自分の体なのに、自分の体じゃないみたいだった。
「オレをイクシスだと間違えてすがりつくくらい好いているのに、可哀想にな? お前ではイクシスの逆鱗は染まらないらしい。花嫁になることも、白竜になることもできないお前にできるのは、たった一つだ」
耳元で囁くニコルは、くすくすと笑う。
蔑む響きがその言葉にはあった。
「お前の死で、イクシスを解放しろ。好いた男のために死ねるなら、嬉しいだろう?」
つっとニコルの指が、首から胸へと下がっていく。
「あぁでも、そのまま殺すのはあまりにも残酷だな。せめて死ぬ前に、オレがイクシスの変わりに優しくしてやる」
ニコルは色気を含む声で囁き、私の首筋に思い切り噛み付く。
「……っ!」
痛みで思わず顔をしかめれば、噛み跡を舐められた。
「父さん、やめろ……っ!」
「お前に止める権利などないだろう? 恋人でもなんでもないんだ」
イクシスがこちらを睨み、立ち上がろうとする。
膝に手を当てて、無理やり体を起こして。
その体から骨が折れた音がして、内臓がやられたのかイクシスが口から血を吐く。
「無理をするな。死ぬぞ? どうでもいい女のために、お前がそこまでする必要がどこにある」
「メイコを……離せ」
呆れたように言うニコルを、イクシスが睨みつける。
ニコルは私を横に置いて立ち上がって。
イクシスに近づくと蹴り上げた。
壁にぶつかって、くったりとしたイクシスの髪を掴んで、ニコルが顔を上げさせる。
「それが親に対する態度か、イクシス? お前は大人しく、オレの命令に従っていればいい」
そう言ってニコルは私の元に戻ってきて、体を担ぎあげた。
「父さ……メイコを、どこに……」
「今日は幸運にも名月の日だ。誰にも邪魔されない一番高い塔の上で、力の高まる時間に合わせて殺す。それに合わせて、イクシスの側で治癒をかけろオーガスト」
途切れ途切れになりながら尋ねるオウガに、ニコルが告げて。
そのままニコルは空間を使って、オウガの部屋を後にした。
★5/26 名月の日が「今日」なのに、「明日」となってたため修正しました。すいません。
5/30 誤字修正しました!
1/2 誤字修正しました。




