【50】それぞれの事情
次はお前のほうの事情を話す番だ。
イクシスにそう振られ、オウガが煽るように酒を飲んだ。
気持ちを切り替えるつもりなんだろう。
コップにイクシスの分も酒をついで、オウガが渡してくる。
「まずはオレがメイコと出会った経緯から話そうか。竜族は男しか生まれず、成人すれば花嫁を探して旅をする。逆鱗が染まるつがいを見つけ、花嫁にして里に連れかえれば一人前だ。しかし百年前、とうとう末っ子が結婚しエルトーゴ家で結婚してないのはオレたち二人だけになった」
神妙な面持ちでオウガが話しを始める。
イクシスだけでなく、私にもわかりやすいように説明してくれるつもりらしい。
ほらと、オウガがコップを渡してくる。
一応成人しているのだけれど、私だけジュースだった。
オウガはやっぱり私を子供扱いする。
「あの時から、オレたち双子に対する風当たりが強くなった。四百歳になってからは、さらに家族が焦りだした。五百歳まで独りだと、大抵の竜族は病みだすからな……」
「心配は分からないでもないが、正直うっとおしかったな。こっちが一番悩んでるってのに、お見合いに催促に……追い詰められてたな俺たち」
溜息を吐くオウガに、イクシスがどんよりとした空気で相槌を打つ。
二人とも精神的に追い込まれていたことが、その顔つきでよくわかった。
どこの世界にも共通の悩みがあるんだな……と、前世での従兄妹のお姉さん(三十路)を思い出してそんな事を思う。
「それから今まで以上に、毎日のように二人でナンパしに行った。けど、どうにも上手くいかなかった。皆イクシス目当てだったしな。オレは顔が怖いらしい。それでも愛想よくしてくれる女もいたんだが……それは全部営業スマイルというやつだったんだ!」
くっと、唇を噛みながら悔しそうにオウガがそう口にする。
なにやらトラウマに触れたようだ。
「食料品店の店員に、弁当屋の看板娘。カフェの女の子。オーガストは、少しでも笑顔を向けてくれる女に対して、簡単に落ちるんだ。あっさり逆鱗が染まる」
私に補足説明してくれるイクシスは、呆れたようでいて、どこかうらやましそうに見えた。
どれだけ頑張っても染まらない自分の逆鱗が嫌でしかたない。
そんな風に眉を寄せて、無意識なのか自分の喉元に触れている。
「二十年ほど前か。イクシスが今度こそはって女を連れてきて、結局駄目だったのは。もう俺は花嫁なんていらないとか言い出して、いじけて異空間に引きこもったんだ」
オウガの言葉に、イクシスがうっと息を詰まらせた。
バツが悪いのか、思い切り視線をあさっての方向へと向ける。
「しかたないだろ。俺なりに頑張って付き合ったのに、相手が別れを切り出してきたんだ。もうこのパターン百回目くらいだったんだよ! うんざりだったんだ!」
「オレが思うにあれはお前の気持ちを試しただけだと思うぞ? 彼女引きとめて欲しそうだったのに、お前あっさりそうかって言って飛び去ったろ」
声をあげるイクシスに対して、オウガが肩をすくめる。
「別れたいって自分から言い出したのに、なんで俺が引きとめなきゃいけないんだ?」
「……だからお前は染まらないんだ。イクシス、お前誰も本気で好きになったことないだろ」
わけがわからないという様子のイクシスに、オウガが呆れたような目を向ける。
「恋愛なら何度もしてる」
「本気で好きなら、別れを切り出されようと追いかけていくものだろ。去って行くならそれでいい。相手に対して、その程度の愛情しか持ってなかったってことだ」
むっとしたイクシスに対して、オウガがそんな事を言う。
嫌味というよりも、イクシスの事を思って言っているようなそんな雰囲気が感じられた。
「まぁそんなわけで、無限に広い空間のどこかに、イクシスは自分の異空間を隠した。完璧に外界から切り離して閉ざし、誰も知らない場所で眠りに着いたんだ。そうなると探し出すのは不可能に近い。でも双子で空間を操る才に富んでるオレならってことで、イクシスを探してたんだ」
オウガの口調には、イクシスを責めるような響きがあった。
「お前がやったことは、生きることを放棄することだ。異空間を空間から切り離して殻を閉ざして眠りについて。そうなると、一生会えないこともザラだ。皆に迷惑をかけたこと、わかってるんだろうなイクシス」
「……悪かった」
残された者の気持ちを考えろとオウガに叱られて、イクシスがうなだれる。
オウガの目には、家族に対する親愛の情があった。
異空間に引きこもっていたとイクシスは前に言っていたけれど、思った以上にそれは大事だったらしい。
全てから自分を切り離して、殻に閉じこもって。長い眠りについたイクシスは、このまま永遠に起きず、誰にも見つけられない可能性があったのだという。
「まぁ、お前の気持ちも……オレにはよくわかるんだがな。竜族にとって、花嫁の存在は必要不可欠だ。花嫁がいない竜は一人前と見なされないし、長い時を一人で生きることに、多くの竜族は耐えられない。竜族の寿命はどこまでもキリがない。大抵終わるときは相手が死んだ時、独りに耐えられず死を選ぶ」
それだけ花嫁の存在は竜族の男にとって、大切なものらしい。
オウガの言葉は、イクシスに向けたもののようで、自身にも向けられているようだった。
「というか、オレはお前を叱れない。つがいを選んでも好いてもらえない。オレにびびるような女ばかり。もう疲れたし、イクシスと同じように異空間にでも引きこもろうかなと思った時、目の前に空間の捩れが現れた。オレはそこに飛び込んで、異世界に逃げたんだ」
いっそ異世界へ行ってしまえば、掟なんて煩わしいものに縛られずにすむ。
つがいがどうとか、花嫁がどうとか。
もはや全てが面倒だと、オウガは考えてしまったらしい。
ふらりとその異世界に足を踏み入れ、そして私に出会ったとのことだ。
「変な男に絡まれてるメイコを助けたのは、気まぐれだった。メイコもオレにビビってて、頭を下げてどこかへ走って行った。異世界人でもオレの顔は怖いんだなと思って密かに落ち込んでたら、メイコが缶コーラをくれたんだ」
こっちの世界に缶詰はない。
大抵のものはガラス瓶に詰められているため、オウガはそれの開け方を知らなかった。
ベンチにオウガを座らせた私は、自分の分の缶コーラで手本を示して見せた。
オウガはそれを真似て飲んで、ぶーっと勢いよく噴き出したことを今でも覚えている。
蒸し暑い夏の夜だったからコーラをチョイスしたのだけれど。
それががいけなかったらしい。
炭酸飲料を初めて飲んだオウガは、目を白黒させていて。
年上なのにその驚く顔がとても可愛くて、思わず笑ってしまったことを覚えてる。
むっとしたように睨まれて、やばい殺される! とビビったことは、今ではいい思い出だ。
「メイコのいる異世界は変わった場所だった。竜族はいなくて、人族が繁栄している世界。魔法は使えるし、魔力も確かに存在している。けれど生き物も土も魔法を使うための回路を持ってなくて、魔法の存在を知っていても使える者がいない。魔法の変わりに、カガクというモノが発展していた」
オウガは魔法を使って、角や尻尾を隠し。
そして、私に対して言語が伝わるよう魔法をかけたらしい。
最初からニホン語がペラペラなように思えていたけれど、あれは私にだけ伝わっていたようだ。
後半は自分で勉強してちゃんと喋れるようになったんだと、オウガは口にしていた。
私の世界に興味を持ったオウガは、そこでしばらく暮らすことにした。
ニホン語は、竜族の言葉と構成が結構近いらしい。
さらりと覚えたオウガは、ありとあらゆる知識を吸収して行った。
パッと見た感じ無骨なように見えるオウガだけれど、割と勉強熱心でハイスペックだ。
「最初メイコは毎日通ってきてたな。オレの事をあまり怖がらなくなってきて、距離が縮まって。メイコはオレに対して遠慮がなくなってきた。最初はただの面白いちびっ子だと思ってたんだがな。気付いたら女として見るようになってた」
オウガがこっちに甘い顔を向ける。
そんな目で見られると戸惑ってしまう。
まるで本気でオウガが私を好いてるみたいだ。
いや、そうだと本人は言っていたけれど、未だに実感が湧かない。
「一体いつからそんな事に……?」
「高校の時、お前に彼氏ができただろ。あの時に好きだって気づいた。その前からメイコは特別だったし、気付いてもよさそうなものだったんだけどな。オレを叱ったりどついたりしてるのを許してる時点で、ありえない事だ」
戸惑いながら尋ねる私に、オウガが淡々と告げる。
「オレに何の相談もなしに、男と付き合うことにしたのかと腹が立った。メイコにはオレがいるのに……ってな?」
鋭い光がオウガの目に宿り、視線に射ぬかれてぞくりとする。
肉食獣を思わせるその瞳に、自分が狩られる側だと思い知らされたようだった。
「……オウガに言ったら邪魔するでしょ。私がオウガの面倒みてるのに、オウガときたら私の保護者ぶるんだもの! オウガのお陰で、彼氏作るのも一苦労だったんだから!」
「メイコはオレが見てないと危なっかしいからな。あっちこっちに愛嬌を振りまいて、気を持たせるのが趣味なのかと思ったぜ?」
私の主張に対して、オウガは低い声で受け答えする。
まるで怒っているかのようだ。
そんな風に怒られる理由はないというのに、思わず謝って楽になりたいと思ってしまうようなプレッシャーが生じていた。
「まぁとにかくだ。気持ちを自覚したオレは、メイコをオレのものにするって決めた。けどメイコがオレを恋愛対象として見てくれてないのは気付いてたからな。それで外掘りからゆっくり埋めてくことにしたんだ。メイコにくっついて、他の男は寄せ付けないようにして。両親に顔を覚えさせて、弟共を物で懐柔して。かなり順調だったんだよ」
いつの間にそんな罠が張り巡らされていたんだろう。
全く気付かなかった。
「メイコがオレと釣りあう歳になって、意識してくれるまで気長に待つつもりでいたんだ。敵もいないことだしな。けどそれが間違いだった」
そこで言葉を切って、オウガがギロリとイクシスを睨みつける。
イクシスは無言でその視線を受け止めていたけれど、何か考え込んでいるようにも見えた。
「あの日、妙な胸騒ぎがして仕事で珍しくミスをして。メイコにフォローしてもらった。なんとなく一人で帰したらいけない気がして追いかけて、そこでメイコが事故に遭ったんだ。オレは……メイコを守れなかった!」
くっと悔しそうに、オウガが唇を噛み締める。
やっぱりオウガはあの事故の事を気にしていたらしい。
「別にオウガのせいじゃないでしょ。運命だったって割り切るには気持ちの整理がつかないけど……ここに一応存在してるわけだし」
生きてる、とは言えなかった。
幽霊という曖昧な存在なのは一番自覚していたから。
思わずぐっと握り締めた拳に、イクシスが手を重ねてくる。
横を見れば、その視線はオウガに向かっていたけれど。
きっと私の不安が伝わって、慰めてくれているとわかった。
大丈夫だと言われた気がして、苦しくなった気持ちがそれだけで軽くなる。
それがとても不思議だった。
「……オレがついていながら、怪我させた事がありえないんだ。人間は脆い。脆すぎてこんなにあっけないのかと絶望した。死にかけたメイコにすぐに治癒の魔法をかけて一命は取り留めたが、魂が抜け出てしまっていた」
「……えっ、ちょっと待って! 私の体生きてるの!?」
オウガの発言に驚いて、思わず身を乗り出す。
「どうにかな。ただオレが動揺したせいで近くに空間が開いてしまってて。メイコの魂は、そこに吸い込まれた。オレはその後を追って、今の今までこの異世界でメイコの魂を探していたってわけだ」
私は幽霊に間違いないけれど、元の体は生きている。
つまりは……元の世界に帰れるってこと?
オウガの言葉に、希望がむくむくと湧いてくる。
「じゃあ、私は元の体に戻れるの!?」
「あぁオレなら、戻してやれる」
食いついた私に、オウガが目を細める。
ちょいちょいと、顔を寄せてくるように指示してきたのでそれに従った。
「オレの花嫁になれメイコ。オレなら異世界へ空間を越えて、いつだって家族とも合わせてやれるし、メイコが望むならあっちで暮らしてもいい」
低く、甘く、懇願されるように囁かれる。
イクシスの目の前で、オウガは私の頬にキスを落とした。
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