【47】イクシスの兄
いったいなんなんだイクシスは。
花街の子たちがヒルダと色んなことをしてるのは、イクシスだって知っていたはずだ。
それにちゃんと躾けて、そういう事はしないように言い聞かせている。
なんでイクシスに怒られなきゃいけないのか。
ちょっと納得いかない。
さっきまで絵本を読んでもらって、いい気分だったのに台無しだ。
しかたなく不貞寝していたら、乱暴にドアが開いた音で起こされた。
全くなんだと思いながら、上半身を起こして。
「おい、イクシス! 帰ったって本当か!」
ドアのところにいる人物を見て、いっきに夢から覚めた。
「な、なんでオウガがここにいるの!」
目の前には、二十代後半くらいの青年がいた。
精悍というにふさわしいその顔は彫りが深く、紺を一滴落としたような黒髪は跳ねが多い。
しかしその眼光は、今まで何人も殺ってきてますよと言わんばかりに鋭く、普通の人なら睨まれただけで震えてしまうこと間違いない。
私が怯まずにいられたのは、それがよく知った顔だったからだ。
前世のとき会社の同僚だった、桜河・ストエル・東吾。
高校生の時にひょんな事から知り合った外国人のハーフで、妙に懐かれていた。
その鋭い眼光は一度見たら忘れられないインパクトがある。
「誰だお前は? 何でその呼び方でオレを呼ぶ?」
眉間にシワを寄せて凄んでくるの彼の頭には、イクシスと似た色の羊っぽい角。翼も尻尾も黒で、威圧感がある。
前あわせの着物のようなものを着ていて、その喉元には桜色に染まった逆鱗。
野性味の溢れた顔立ちを歪ませて、こっちを睨んできた。
思わず飛び起きた心臓がドクドクと音を立てて、ゆっくりと状況を理解する。
ここは竜族の里にあるイクシスの部屋だ。
つまり目の前のオウガと似た人物は、全くの他人の空似。
異世界にまできてこの顔を見るなんて思いもしなかった。
「ごめんなさい、知り合いに似ていたものだから。寝ぼけちゃって」
「知り合いって誰だ。名前を言ってみろ」
謝った私に、男が近づいてくる。
近くで見るとますますオウガにそっくりで、警戒されているのに懐かしく思ってしまう。
前世で車に引かれて死んだ私だけれど、あの時側にはオウガもいた。
あいつも死んだりしてないだろうかと心配になる。
たぶん立ち位置的に大丈夫だったとは思うけど、私が死んだことを自分の責任だと思いこんでいそうだ。
凶悪な顔つきのわりに、繊細なところがあって、情に厚い奴だったから。
「人違いだってわかってますから」
ちょっと胸が苦しくなるのを感じながらそう言えば、男が驚いた顔になる。
それからベッドに片膝を乗せてきて。
「……お前もしかして」
深く眉間にシワが刻まれる。
考え込むときのオウガは、まるで悪いことを企むような顔になるのだけれど、そんなところまでそっくりだ。
「《ゼルン》」
男が呪文を唱えた。
瞳の周りにゆらゆらと炎のような魔力の揺らめきが見えて、全身に薄い黒く発光するような光の膜が張られた。
以前幽霊姿のジミーを見るときに、イクシスが使った光属性の魔法・ギャルクと同じ効果を持つ、闇属性の魔法だ。
幽霊や精霊などを、見たり触れたりできるようにする魔法なのだけれど。
男はそれを使って、私の瞳をじっと覗き込んでくる。
じりじりと距離を詰められて、不躾に見つめられて。
けれど、嫌な感じは全くしなかった。
「――やっぱり。ようやく見つけた!」
今にも泣きそうな顔で、男が笑う。
崩れたその顔は、さっきまで怖い顔だっただけに破壊力があった。
驚いているうちにぎゅっと抱きしめられて。
勢いがつきすぎて、ベッドに押し倒された。
「オーガストが帰ってきたみたいだからそろそろ起きろ――って、何してるんだ!」
部屋に入ってきたイクシスが、男に押し倒されている私を見て叫ぶ。
イクシスがすぐに男を引き剥がして、私を背に庇った。
「っ! 挨拶だなイクシス」
「人の花嫁に何してるんだオーガスト。惚れっぽいのもいい加減にしろ!」
男がベッドに座ったまま、くるりとこちらを向く。
どうやらこの男が、イクシスの双子の兄のオーガストらしい。
「お前の? そいつがお前の花嫁候補だっていうのか?」
イクシスの言葉に驚いた顔をしていたオーガストが、いきなり笑い出す。
髪をかきあげ、くくっと愉快でたまらないというように。
オウガが笑うときの動作にそっくりだと思わず目を見張る私の横で、イクシスが顔をしかめる。
「あーなるほどな。まさかイクシスのところにいたとはな。そうか、オレと気配が似てるから間違えたんだな」
「何の話だ」
一通り笑ってから、オーガストはベッドから立ち上がる。
イクシスがわけがわからないと言うように呟いた。
「悪かったなメイコ。異世界で独りっきりで心細かっただろ? オレがいるからもう大丈夫だ。こっちにこい」
イクシスのお兄さんであるオーガストが、私に笑いかけてくる。
何か企んでいるような凶悪な笑顔。けど温かみを感じてしまうところが、オウガと被る。
そんなことを言われても戸惑うだけだ。
名前この人に言ったっけと思いながら、イクシスを見上げれば。
目があったイクシスもさっぱりわけがわからないという顔をしていた。
「まさかとは思うが、オレを忘れたっていうんじゃないだろうな。朝倉メイコ。こっちはずっとお前を探しまわってたんだぜ?」
「朝倉って……なんで私の苗字を?」
にっと笑って目の前の男が口にする。
まさか、まさかと心臓が早鐘を打った。
「もしかして……本物のオウガ、なの?」
「あぁそうだ。会いたかったぜ? メイコ」
戸惑う私に、男が笑いかけてくる。
前世の同僚であるオウガが、イクシスの双子の兄?
一体何がどうなってるんだと混乱する。
「おい、メイコ。オーガストと知り合いなのか」
「オウガは前世での同僚で、高校時代からの腐れ縁なのよ。死ぬ直前に一緒にいた相手でもあるんだけど……なんでここにいるの? しかもイクシスの兄さんってどういうこと? その姿竜族だよね?」
イクシスに答えながらも、もはや疑問だらけでわけがわからなかった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
オウガは、私が前世で死ぬ直前まで一緒にいた同僚だ。
出会いは高校一年生の夏。
家事も何もかも一生懸命頑張って、バイト三昧の日々を送って。
母親を家族を支えているつもりだったのに、母さんがあっさり再婚した。
父さんがいなくなって、それでも皆で頑張ってきたのに裏切りだと思った。
もう家に帰らない。
そう決めて逃げ込んだ公園で出会ったのがオウガだ。
夜だったので酔っ払いのおじさんに絡まれて、変な所へ連れて行かれそうになったところを、オウガが助けてくれた。
オウガは異国の衣装を着ていて、黒髪ではあったけれど、顔立ちはニホン人とは違っていた。
せめてものお礼にと缶ジュースを奢れば、開け方がわからないようだった。
名前を聞けば、桜河・ストエル・東吾と名乗った。
外国人とニホン人のハーフで、ニホンには初めてきたという。
国名を聞いたけれど、全く聞いたことのない場所だった。
宝石などを換金したいとか、知識を手に入れられる場所はないかとか。
暇だった私は、彼の相談に色々乗ってあげた。
服を買ってあげて、ホテルの予約の仕方とかを教え、彼の部屋にあがりこんだ。
今考えるとなかなかに冒険していたなと思う。
あの時は、全てがどうでもいい気分だった。
しかしオウガは大人で、私が家出してきたんじゃないかと見抜いていた。
結局宥められて、家に帰されて。
それでいて、しばらくはここにいるから遊びにきていいと言ってくれた。
私はそれからオウガのところに通うようになった。
オウガはギリギリ二十代後半に見える男で、よく見れば整った顔立ちをしてるものの眼光が鋭すぎて全てを台無しにしていた。
一見、ヤの付く自由業の人に見えなくもない。
けど、不思議と怖くはなかった。
最初に助けられたというのもある。
悪い人には思えなかったし、話すのは結構楽しかった。
母さんの再婚相手はお金持ちで。
バイトなんてする必要ないよと言われてしまった私は、どうにもやることがなかったし、家にも帰りたくなかったから毎日のようにオウガの所へ行った。
オウガはニホンの事というよりも世間一般の常識がなくて、大分ズレていた。
その割りに妙にニホン語は上手い。
私はオウガに、色んなことを教えてあげた。
オウガは飲み込みが早く好奇心旺盛で。
教えたことをすぐに吸収していくのが面白かった。
ある日私は高校というものの存在を、オウガに教えた。
勉強をして社会生活を学ぶところだと言えば、なるほど学校かと興味を持ち、通いたいと言い出した。
さすがにもうすぐ三十歳のオウガに高校は無理だ。
そうやんわりと伝えたのだけれど。
次の日、オウガは留学生として転校してきた。
どう頑張っても二十代後半にしか見えないくせに、高校生とかふけ顔すぎる。
何をどうしたのかと言えば、さらりと戸籍を偽造したなんて言ってたから、聞かなかったことにしたけれど。
「さすがに無理があると思うよ……オウガ。本当はいくつなの?」
「四百四十五歳だ。人間に換算すると二十代くらいだが、細かいことは気にするな。外国人だから老けて見えると言えば押し通せる」
尋ねた私に、そんな適当なことをオウガは言って。
本当謎の多いやつだなぁと、そんなことを思った。
オウガは私と同じクラスだったため、自然と私が面倒をみる事になった。
かなりオウガは目立つ上、外見が怖い。
しかも、腕っ節がやたら強かったオウガは、高校で不良の親玉を締め上げてしまい。
校内で一目置かれる存在になってしまった。
そんなオウガが私に絡んでくるものだから、私まで注目を浴びてしまっていて。
影では私がこの地域一体を仕切っている裏ボスだという噂まで流れていた。
悪い奴ではないのだけれど、オウガに絡まれたせいで、高校時代はかなりの迷惑を被ったものだ。
友達の紹介で付き合った、私の事を知らない他校生の男子も、オウガのせいで結局別れることになってしまった。
まぁあの彼氏は私を財布程度にしか思ってなかったから、結果的にはよかったかもだけれど。
気付けばオウガは、私にじゃれついてくる大型犬みたいな存在になっていた。
「今日もお前の弁当は美味しいな。さすがメイコだ。オレの花嫁になってくれないか」
「はいはい、弁当くらいで大げさな。私も嫌いじゃないですよー。だから午後頑張ってお勉強しましょうねー」
「なぜメイコはそう適当にあしらう。オレはいつだって真剣なのに!」
「オウガって本当、ロリコンだよね……」
そんな感じの会話を繰り広げて、オウガを邪険にもできずに腐れ縁は続いた。
そして気付いたら、就職先も一緒。
まわりからは名物コンビみたいな扱いを受ける始末。
私が二十歳になってからは、オウガが何故か食事やら遊びやらにやたら誘うようになってきて。
そんなことより乙女ゲームがしたいよと、思っていたことが今や懐かしい。
「本当に、オウガなの?」
「そうだ。久しぶりだなメイコ」
再度確認すれば、目の前の男がようやく会えたというように嬉しそうに笑う。
「確かに顔は同じだけど……竜族だよね? なんでここにいるの? しかもイクシスのお兄さんってどういうこと?」
「オレの本名はオーガスト・エルトーゴ。この世界の生まれで竜族の末裔だ。竜族の掟に従って花嫁を探して旅をしてたんだが、この世界に俺の運命の相手はいないんじゃないかって思えてきてな。偶然そこにあった異世界に飛び込んだら、お前に出会ったんだ」
戸惑う私にオーガスト……オウガが告げてくる。
まさかの前世の同僚が、異世界の住人だった。
しかも竜族なんて驚きすぎてわけがわからない。
「いやでも、尻尾とか翼とか、角とかなかったよね?」
「あぁそのことか――《ケセラン》」
問いに対して答えるように、オウガが呪文を唱える。
すると尻尾や角、翼が消えて、私が知っているオウガと同じ姿になった。
ケセランは闇属性の魔法。
ゲーム内では弱点を隠し、相手がクリティカルヒットを出せないようにするという微妙な魔法だった。
ちなみに光属性にも、同じ効果の技がある。
どうやらこの世界では、耳や尻尾などの身体的特徴を隠すときに使う魔法のようだ。
「あの日メイコと一緒に事故にあって、オレはお前を助けられなかった。そのせいでメイコの魂は体を離れてしまって。オレがここにくるときに使っていた空間を通って、この世界に迷い込んだんだ。ずっとこの世界を旅してメイコを探してた」
絶対会えると思っていたんだと、感極まったようにオウガが呟く。
「まさか体を手に入れて、イクシスの側にいるなんて思わなかった。この世界でオレを探して、似た魂を持つイクシスに自然と引き付けられたんだな。よかった無事で」
オウガが私に近づいてくる。
しかし、間にいたイクシスがそれを邪魔した。
「……感動の再会なんだ。邪魔するなイクシス」
「事情はわかった。けどメイコは俺の花嫁候補としてここにいる」
睨むオウガに対して、イクシスがそうきっぱりと口にする。
「そういえばさっきもそんな事言ってたな。悪いがイクシス、これはオレの花嫁だ。今まで世話してくれてありがとな」
そう言って、オウガが私の手を引く。
けどイクシスが私の体を腕で抱き寄せ、それを阻止した。
「そんなの認められるわけないだろうが!」
「事実なんだからしかたない。どうせお前の逆鱗は染まってもいないんだろ? オレのコレとは違って」
怒ったように叫ぶイクシスに対して、余裕の笑みでオウガが自分の喉元を指差す。
そこには桜色に染まった逆鱗があった。
「……それでもメイコは俺の花嫁候補だ」
「諦めろイクシス。他を探せ」
呟くイクシスに対して、オウガが圧力をかけるような低い声を出す。
二人の交わす視線が、火花を散らせていた。
「ちょっと待ってよ! 勝手に話を進めないで! というか、オウガ。私はあんたの花嫁になんてなった覚えはないんだけど!?」
イクシスの腕を外し、下から睨みつけるようにしてオウガに言い放つ。
「いずれなる予定だったから別にいいだろ」
「よくない。私は一切オッケーしてないし、そもそもあんたって私が好きだったの? 冗談じゃなく?」
さらりと言い放ったオウガを叱りつけるようにそう言えば、大きな溜息を吐かれてしまう。
「オレはお前が好きだって何度も言ってたよな? 本気にしてくれてなかったのか」
「歳が離れすぎてるから、冗談だとしか思えないでしょうが! ロリコンだよオウガ!」
戸籍上は同じ歳だったみたいだけれど、私が十五のときオウガはすでに三十近くに見えた。
つまりは歳が二倍。
……本気にするほうがどうかしている。
私の中でオウガはやたら私に構ってくる、顔は怖いけどどこか頼りない年上のお兄さんといった感覚だった。
「歳なんて竜族にとって何の問題にもならない。けどメイコが見た目を気にしてるようだったから、オレと釣り合いが取れる歳まで待って逆鱗を飲ませるつもりでいたんだ」
「いやそもそも私、オウガと恋人でもなんでもないよね? 何勝手に決めてるの!」
真顔で言ってくれているが、オウガとはそもそも付き合ってすらいない。
あの告白の数々が本気だったことすら、今知ったばっかりだ。
「時間の問題だった。それにあの世界でオレ以外の恋人を望むのは無理だったぜ? メイコに気がある連中は、皆潰してきたからな。メイコを合コンに誘おうとしてた会社の連中は、オレが丁寧に……お断りしておいた」
……だから私だけ今まで誘われなかったのか。
若い社員の多い会社で、皆わりと合コンとか飲み会の話題になるのに、どうして私だけ誘われないんだろうとは思ってたよ。
飲み会も誘われたとしてもいつもオウガとセットだったな……そういう事か。
丁寧にとか言ってるけど、絶対無理やり黙らせたよね。
人相の悪さが今三割り増しだったもの。
というか、オウガは何勝手に私の出会いを摘み取ってくれてるんですかね!?
前世で男が寄ってこなかった原因の一つは確実にオウガだよ!
「積もる話は後だ。そろそろ宴会が始まる。行こうメイコ」
オウガが手を差し出してくる。
「何言ってるんだ。メイコは俺の花嫁だって言っただろオーガスト!」
ぐいっとイクシスが後ろから私の体を抱き寄せてくる。
「あぁ? やるのかイクシス」
「そっちがその気ならな?」
オウガとイクシスは、一触即発の雰囲気だ。
なんだか面倒なことになったなぁと、心の底から思った。
とうとうお兄さん登場で、修羅場です。




