【46】偽者の恋人と、小さなナイト
今旅に出てるのは、イクシスの他に後一人。
イクシスの双子の兄であるオーガストの到着を待って、夜になると宴会が開かれるとのことだった。
それまで昼寝でもして休んでおけと、イクシスがお菓子とお茶を用意してくれる。
「ねぇ、イクシス。なんであの時ヒルダじゃなくて、メイコだって紹介したの?」
「……そういえばそうだな。悪い、意識してなかった」
尋ねれば言われて気付いたというように、イクシスが呟く。
「でもまぁ、問題ないだろ。それにふりとはいえ、ヒルダと恋人っていうのは嫌な気分になるしな」
イクシスの言葉に、それもそうかと納得する。
「それにしてもイクシスのお兄さんのお嫁さん候補って、異世界の人なんだ? 異世界ってそんなに気軽に行けるものなの?」
「異世界は空間に歪みが生じた時、まれに繋がることがあるんだ。あいつは好奇心旺盛なところがあるからな。そこに飛び込んだんだろ。力のないやつだとそのまま帰り道を失う事もあるし、リスクもあるから異世界にわざわざ行くヤツなんてほとんどいないけどな」
私の質問に対して、イクシスが答える。
「オーガストは黒竜なんだ。黒い竜は竜族の中でも特別で、古い竜の知識と経験を身に宿してる。空間を操る能力も、魔力も桁違いなんだ。普通の竜には無茶な芸当だが、あいつなら異世界へ行くのもわけない」
イクシスはそう言って、呆れてるような感心しているような顔をしていた。
「それと多分、メイコも空間の歪みを通って、異世界からこの世界にきたんだと思うぞ? ジミーもそうだが、精神体……つまり幽霊だと空間に迷い込みやすいって言うしな」
「じゃあ、逆に行こうと思えばあちらにも行けたりするの……?」
私の呟きにイクシスが眉を寄せる。
「帰りたいのか」
「そりゃ帰れるならね」
問いに答えれば、イクシスは私から目を逸らした。
「……悪いが、無理だと思う。空間は複雑なんだ。竜族は空間を越えられるが、一度も行ったことのない特定の場所へ辿りつくのは不可能に近い」
「大丈夫だよイクシス。ちょっとでも考えてくれてありがとう。それに、帰ったところで死んでたら意味ないしね」
あれはどう考えても即死だった。
はははと力なく笑えば、イクシスが苦しそうな顔になる。
「だからそうやって無理して笑うな」
「うん……ごめん」
イクシスにはやっぱり私の落胆が伝わってしまうようで、怒られてしまい俯く。
すっと私の頭を、横にいたエリオットが撫でてきた。
「ありがとうエリオット」
「イクシス、メイコ泣かせるの許さない」
礼を言った私に対して、エリオットがきっとイクシスを睨む。
「誰も泣かしてないだろ。というか、エリオット。お前メイコの騎士気取りか」
「僕はメイコの味方」
睨むイクシスに対して、きっぱりとエリオットはそう言って私の手を握ってくる。
「メイコが望むなら、僕が元の世界に帰す」
「できもしない約束をするな。だからお前は子供なんだ」
エリオットの言葉に、イクシスが苛立ったように口にする。
「やるまえから諦めるなら、大人なんて大した事ない。イクシスにメイコは渡さない」
「……エリオットお前」
強くそう宣言したエリオットに、イクシスが戸惑いのような表情を見せる。
まるでエリオットは、イクシスに嫉妬してるみたいだ。
そんな事を思って、エリオットの顔を見れば。
真っ直ぐな意志の宿った瞳で、イクシスを見ている。
それは少年というよりも、男の子という感じで。
こんな顔もできるようになったんだと、そんなことを思った。
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「寝る前に、絵本読む」
最近のエリオットは絵本がお気に入りだ。
寝る前に読むと、幸せな気分になれるらしい。
前まではウサギの獣人・ベティや猫の獣人・ディオに読んであげていたのだけれど、最近はエリオット一人のために読んであげていた。
「しまった、絵本は持ってきてないよ」
「俺が昔読んでたヤツならある。ちょっと待ってろ」
私がそう言えば、イクシスがボロボロになった絵本を貸してくれた。
「イクシスありがたいんだけど、字が読めない」
「……そうか。これ、竜族の文字だしな」
うっかりしてたというように、イクシスが呟く。
「しかたないから、真ん中イクシス許す。読んで」
ポンポンとエリオットが、ベッドの真ん中を叩いて催促する。
「偉そうだなお前……まぁいい。読んでやる」
イクシスは絵本をもってエリオットの横に寝そべる。
何故か三人並んで絵本を読むことになってしまった。
絵本は冒険ものだった。
勇敢で清い心を持ったお姫様に、二匹の兄弟竜が力と知恵を貸すお話だ。
金色の瞳を持ったヒースという竜と、黒い体を持つクリフという竜。
二匹のお陰で国を救ったお姫様だけれど、竜という化け物に力を借りたと最終的にはお姫様の力を恐れた人々に殺されそうになってしまう。
その時に、二体の竜が現れて。
愚かな人間ごと国を滅ぼし、お姫様を白い竜へと変えて空へと連れて行く。
そういう物語だった。
「そうしてお姫様は白き竜となって、黒い竜と金の目の竜の花嫁となり。竜の王国を作り上げたそうです。おしまい」
イクシスの声は朗々としていて、聞いていて心地いい。
耳元で聞こえるその声に、思わず夢中になっていた。
パタンと絵本を閉じる音がして、ようやく夢から覚めたような心地になる。
「イクシス、絵本読むの上手」
「まぁ、この本はガキの頃からオーガスト……兄と一緒に読んでたし、弟たちにも読み聞かせてたからな。ほらもう寝ろ」
エリオットが褒めるのは珍しい。
イクシスはツンと答えて、エリオットの頭をくしゃっと撫でた。
照れてるらしく耳が赤い。
「ねぇイクシス。前までヒルダがイクシスにつけてたヒースって名前、間抜けな竜の名前だって言ってたけど、この竜が由来?」
「言っておくが、俺たちの先祖の話だ。間抜けじゃない」
私の言葉に、むっとしたようにイクシスが眉をひそめる。
「いやだって同じ名前だったし、イクシスと同じ赤い竜で金の目をしてたからそうかなって」
「きっと同じ名前の別竜だ。このヒースのどこが間抜けなのか、俺にはさっぱりわからない。ちゃんと花嫁を守ってるじゃないか……あ」
答える途中で、何か思い出したのかイクシスがはっとした顔になる。
「やっぱりこのヒースの事だったかもしれない。心を差し出したのに、結局欲しかったものは半分しか手に入らなかった間抜けな竜……なんて言ってたからな」
ヒルダの言葉を聞けば、ちょっとわかるような気もした。
一見ハッピーエンドに見えなくもないこの話。
お姫様が好きでそれぞれの竜は力を貸す。
力や知恵を貰っておいて、お姫様が竜に何かを返すシーンはない。
最終的にお姫様は、二匹のものになるけれど。
それはしかたなくという風にも見えなくもない。
絵本なんだから素直に見ればいいのに。
ヒルダって相当捻くれた子供だったんだなぁ……。
そんな見方をしたら、三角関係のお話みたいに見えてきちゃうよ?
ふいにノックの音がして、イクシスが部屋を出て行く。
どうやら一番上のお兄さんたちに呼ばれたらしい。
夜の宴会になったら呼びに来るから、寝ておけとイクシスに言われた。
「……エリオット、変なことはするなよ」
「しない。するのはイクシス」
何故か釘を刺すイクシスに対して、エリオットはむっとしたような顔になる。
「大丈夫よイクシス。最近のエリオットはおりこうさんだから。キスもしてこようとしないし、服の下に手をいれたり、胸もんだり、足の間を撫でたりもしなくなったし!」
元々競走馬として飼われていたエリオットだけれど、飼い主に花街に売られてしまった過去がある。
そのためエリオットは傷つき、快楽や睡眠に逃げているところがあった。
最初の頃はよく体を触られたりして、その手つきにちょっとヤバイなとよく思ったものだ。
「お前……そんなことされてたのか!」
安心させようと思って言った言葉は、どうやら逆効果だったらしい。
イクシスがいきなり怒鳴ってくる。
「花街の子供達は結構やってくるわよ? イクシスだって知ってたでしょ?」
驚いたようすのイクシスに、何を今更と思いながら口にする。
ドアの所に立っていたイクシスが、ベッドに座っている私の前までやってきて。
手首を掴んで、私の体を引き上げた。
「何? ちょっとイクシス!?」
「どこまでされた」
低い声で尋ねられる。
金色の瞳に鋭い光が宿っていて、イクシスは見たこともない怖い顔をしていた。
「どこまでって、どういう意味? 変なことはいっぱいされたけど、ちゃんと途中でやめさせたわよ?」
何でそんなに怒っているのかわからなくて戸惑う。
「具体的には何された。言ってみろ」
何でそんなことをイクシスに言わなきゃならないのか。
そう思ったのだけれど、視線が怖くて口にはできなかった。
しかたなく素直に、花街の子たちにされた他愛のない悪戯のことを口にすれば。
イクシスの顔が余計に強張っていく。
「そこまでされて、なんで俺を呼ばなかった」
「だって子供のやることだし。花街育ちだから、挨拶みたいなものだと思ってるのよ、あの子たち」
イクシスが手首を握る手が、きりきりと痛い。
戸惑いながらも口にすれば、イクシスは自分を落ち着かせるように、深く息を吐いて私の手を離した。
「メイコ、お前は馬鹿じゃないかと思ってたが、相当な馬鹿らしいな。子供でも男だ。無防備すぎるんだよ。警戒しろ」
さすがにそこまで言わなくてもいいんじゃないかと思う。
むっとして言い返そうとすれば、イクシスが隣にいるエリオットの手を引いて、ドアへと歩き出す。
「ちょっとイクシス!」
「エリオットには他の部屋が割り当てられてる。恋人同士の部屋に従者が寝泊りしたら不自然だろ」
そう言ってイクシスは、エリオットを連れて行ってしまった。




