【43】竜の旅は婚活に似ているようです
「さぁエリオット、お昼寝しようか!」
イクシスにジャージを渡して後、振り返れば馬の獣人・エリオットが唇を引き結んで俯いていた。
「どうしたの、エリオット?」
尋ねれば真っ黒な瞳が、私を切なげに見つめてくる。
「ヒルダ……メイコはイクシスが好き?」
「えっ!?」
聞かれた内容にもそうだけれど、なんでメイコとエリオットが私のことを呼んだのかわからなかった。
私のメイコという名前は、クロードやイクシス以外知らないはずだ。
「なんでその名前を?」
「イクシス、時々ヒルダ様のことメイコって呼ぶ。二人だけの秘密みたいでずるい」
驚きながら尋ねれば、ぽつりとエリオットがそうこぼした。
「メイコが本当の名前?」
エリオットはどこまで感づいているのだろう。
その瞳は奥が見えなくて感情が読み取り辛い。
以前まで死んだようだった目は、つぶらで黒々として純粋で。
嘘をつくことが躊躇われた。
そういえば私がファーストキスで拗ねていた時。
イクシスは、私の気を惹くためにメイコと呼びまくっていたような気がする。
ちょっと無用心すぎないかなイクシス!
そんなことを思いながらも、どうしようか悩む。
「僕、秘密守れる。メイコ、僕は駄目?」
真っ直ぐ見つめてくるエリオットは、断られることを不安に思っているみたいだった。
私の服を握る手がちょっと震えている。
もしかしたら、前々から気になっていて、それで勇気を出して聞いてくれたのかもしれないと思う。
「わかったわ。他のみんなには内緒よ?」
少し悩んでから、ベッドにエリオットを寝かせて、全てを話す。
わけがわからないことだらけじゃないかと思ったのに、エリオットは全く動じてなかった。
感情が読み辛いから、本当は驚いているのかもしれないけれど……表情は全く変わらない。
「メイコはヒルダじゃなくなくなったら、イクシスのものになるの?」
「イクシスのものっていうか、一緒に旅に連れて行ってもらうつもりなのよ。さすがに幽霊姿で一人っていうのも寂しいしね」
質問に対して答えれば、エリオットは考え込むような顔になった。
「なら、ずっとヒルダのままでいて。本物なんて帰ってこなくていい」
ぎゅっとエリオットが抱きついてくる。
実はヒルダが別人だとか、私が幽霊だったとか。
エリオットにとっては、その辺りはどうでもいいらしい。
私を必要としてくれているという事に、思わず涙腺が緩みそうになってしまった。
私の事を知っているのは、クロードとイクシスとジミーだけで。
クロードやジミーは、ヒルダがこの体に帰るのを待ち望んでいる。
イクシスは違うけれど、こんな風に私にここにいて欲しいと態度で示されたのは初めてだった。
「ありがとう、エリオット。必要としてくれて嬉しい」
言われて初めて、心細かったんだなと思う。
ここに本来メイコは存在してなくて、幽霊という不安定な存在で。
誰も私を見ていないような、そんな気になってたのかもしれない。
いつも私がやってるように、エリオットが優しく頭を撫でてくる。
そんな気遣いができるようになってと、なんだかほろりとしてしまった。
「僕にはメイコが必要――だから」
ゆっくりとまどろみの中に落ちていく途中、エリオットの柔らかな声が聞こえる。
「――メイコも僕を必要として?」
その声が急に低くなって。
そして、ふわりと頬に柔らかな感触が落ちた気がした。
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「終焉の闇に埋もれし紅蓮の炎よ。幻想の蜻蛉を打ち砕き、ヒルダ・オースティンの名において爆ぜろ! ――《炎の球》!」
重々しい口調で呪文を紡ぎ、力を解き放つ。
目の前に、天まで届こうと伸び上がる火柱が上がった。
全てを焼き尽くすばかりの炎は、城一つ簡単に飲み込んでしまいそうなほどに巨大だ。
それとこの無駄な長台詞とポーズは、周りに人がいなくても羞恥心が後から襲ってくる。
蜻蛉ってなんだろう。とりあえず格好良さげだから口にしてみたけれど、何かの生き物だろうか。
まぁとりあえず……ここが人目も何もない砂漠で本当によかったと思う。
現在ここは砂漠のど真ん中。
魔法の練習ができるよう、イクシスが空間を渡って連れてきてくれた。
ヒルダにどんな魔法が使えるのか、それでいて王子との魔法対決に使う魔法はどれにするのか。
それを考えるために真夏のこの暑い中、私とイクシスはこんな場所まで来ていた。
「そろそろ休憩するぞ。ほら、こい」
イクシスが空間を切り裂いて、汗だくの私を自分の部屋へと入れてくれる。
どこでもすぐに繋げるイクシスの異空間にある部屋は、とても便利だ。
「しかし、ヒルダは恐ろしいな。六属性が全て使える上、土属性を除いて全て最高クラス……ありえない。本当に人間か?」
「人間とエルフのハーフだよ?」
「そういう意味じゃない。規格外すぎるってことだ」
呟いたイクシスに答えれば、大きくイクシスは溜息を吐いた。
今日ここにきて、いくつか魔法を試したのだけれど。
驚いたことにヒルダは、フェザーに付与した水属性も含め、この世界の基本六属性を全て使うことができた。
風、水、炎、土、光、闇。
基本の六属性の中で、普通の人が使えるのは一つか二つ。多くて三つ。
色んな属性を持っていても、使わなければその属性の魔法レベルは上がらない。
第一属性に決めた魔法だけを極めるという人が多く、第二、第三属性は補助、もしくは使い魔に付与するパターンがほとんどだ。
こんな風に全属性を使えるのはまれで、全てを極めることができる者なんてほとんどいない。
それこそ、大魔法使い、大賢者などと呼ばれる本にしか載ってないような伝説の存在だ。
ヒルダって高スペックだよねーとは思っていたけれど、ここまでとは思ってなかった。
大魔法使いレベルなんて相当だった。
「しかし、こんなに強いなら俺が守護する必要なんて少しもないな」
イクシスがそんな事をいいながら、冷たく冷やしたお茶を飲む。
「守ってくれないの?」
少し不安になって、目の前に座るイクシスを見上げる。
「……守るに決まってるだろ。ヒルダは確かに強いが、メイコはドジだから心配だ」
その言葉にほっとするのと同時に、ドジっていうのは少し酷いんじゃないかと思う。
「それにメイコの魔法は、あの恥ずかしい呪文を口にしないと発動しないみたいだからな。例えどんなに強い魔法が使えても、あれじゃ隙だらけだ」
「……うっ」
指摘されて、息を詰まらせる。
王子との魔法対決は明日。
色々試したのだけれど、どうやら私の魔法は呪文なしには発動しない。
しかも前世の弟がやっていたような、無駄に恥ずかしく、かつ格好をつけた謎の長台詞のみでしか魔法が使えなかった。
ちなみに、ノリノリでやった時の方が精度も効果も高いというオマケつきだ。
その上、細かい調整は無理。
ちなみに先ほどやってみたのは、炎属性の初歩の初歩でリプカという魔法。
この世界ではランプや松明に火を灯す際とかによく使われたりする、日常でも使えるような魔法だ。
本来は拳一つ分くらいの炎の球が、ぷかぷかと出現するらしい。
しかし見ての通り、私の魔法でランプの火を灯そうとすれば、ランプどころか建物全てが燃え尽きる勢いだ。
攻撃タイプの魔法は威力が強すぎるので、人に対して使わないようにしようと心に決める。
「それで、王子との対決ではどれを使うんだ?」
「やっぱり風属性がいいかなって。それなら暴走しても、前みたいにイクシスが打ち消すことも可能でしょ?」
尋ねられて答えれば、イクシスがそうだなと答えた。
「そろそろ続きするか? 呪文使わなくてもできるようにしたいんだろ?」
「ううん。魔法が使えるだけでいいってことにして、諦めることにする。イクシスも疲れたでしょ? それに物凄く暑そうだし」
立ち上がろうとしたイクシスに対して、首を横に振る。
「……イクシスってその服しか持ってないの?」
「なんだ唐突に」
ふいに思って尋ねれば、イクシスが眉間にシワを寄せた。
「だって夏でも竜族の首まで隠れる衣装ばかり着てるから。暑そうだなって思って」
ちょっとした世間話のつもりだったのに、イクシスが不機嫌になるのがわかった。
聞いちゃいけないことだったのかもしれない。
「あっ、もしかして竜族はその衣装しか着ちゃいけないきまりがあるの? だったらジャージ贈ったのも、迷惑だったり?」
ふいにその可能性に気付いて口にすれば、イクシスは違うと口にした。
「別に着るものは自由だ。ただ……普通の服だと逆鱗が隠れないだろ」
「そっか逆鱗って竜にとって大切だから、見せちゃいけなかったりするんだね?」
いつもより低めの声で呟いたイクシスに、なるほどと思いながら口にすれば、それも違うと小さな声で言う。
「……なんだ」
「え?」
ぼそりと呟かれた声が小さすぎて聞こえなかった。
聞き返せば、イクシスは嫌そうな顔をして、すっと目線を逸らす。
「行き遅れなんだよ俺は」
言いたくなかったと言うように、イクシスの顔は真っ赤だった。
「行き遅れ?」
「繰り返すな。馬鹿」
思わず口にすれば、ギロリと睨まれる。
「ご、ごめん」
「いや悪い……八つ当たりだ。それにどうせ里に帰る前に話しておかなきゃいけない事だしな」
イクシスは調子が狂うというように、髪をがしがしとかいて水を全部飲み干した。
「本来なら、俺はもうとっくに花嫁を得てなきゃいけない歳なんだ。九人兄弟の中で俺は真ん中の五番目なんだが、一度もつがいを見つけた事がないのは俺だけなんだよ」
疲れた顔でイクシスは溜息を吐く。
この顔は前にも見たことがあった。
たしかあれは鳥族の国に行く際に、竜族の花嫁について聞いた時だったと思う。
竜族は男しか生まれず、成人すれば花嫁を探して旅をする。
その説明を聞いて、イクシスも旅の途中なのかと尋ねたら今のような顔をされたのだ。
前世で従兄妹だったお姉さん(三十路独身)が親戚にまだ結婚しないのかと問われて、うんざりした顔とよく似てる。
あの時そう思ったけれど、あながち間違いじゃなかったようだ。
「ちなみにイクシスっていくつなの?」
「四百五十歳だ」
「よっ……ひゃくごじゅうっ!?」
竜が長生きなのは聞いていたけれど、見た目十代後半から二十代前半といったイクシスは、実はとんでもなく長生きだったらしい。
歳で驚いた私に、イクシスがだから言いたくなかったんだという顔になる。
イクシスによれば竜は個人差が大きいものの、百歳になるまでには成人して里を出るらしい。
そして花嫁を探して旅をして。
大抵の竜は、百年も経たないうちに花嫁を見つけるとの事だ。
「イクシスもてるでしょ? 花嫁なんて選び放題じゃないの?」
「……俺は選んだつもりでも、逆鱗が染まらなかったんだ」
私の質問に対して、イクシスが俯く。
もてるのは否定しないのかと思いつつ、ツッコミはしない。
見たことのない苦しそうな顔を、イクシスがしていたからだ。
イクシスの喉の下にある、貝殻を逆さにしたような水色の鱗。
逆鱗と呼ばれるそれは、つがい――花嫁になる資格がある者を見つけると、段々と桃色に染まるらしい。
それが完全に染まりきった時、花嫁となる女性にそれを食べさせ。
竜の力を馴染ませることによって、相手を竜族にできるという話は聞いていた。
ちなみに、人間の女だけが逆鱗を食べて竜族になることができ、竜の子が生めるらしい。
「花嫁を探そうと必死に色んな女と付き合ったんだがな。結局毎回女の方に振られる。私なんか本当は好きじゃなかったんでしょって言われるんだ。逆鱗が染まらないから、そう言われてもしかたないんだけどな。これじゃあいつまで経っても花嫁をとることはできない」
ずっとイクシスは悩んできたのかもしれないと思う。
その瞳には影が落ちていて、自嘲めいた響きがあった。
「小さい頃はいつか自分だけの花嫁をって夢見てたんだけどな。弟共に先越されるし、母親はうるさく見合いまでさせてこようとするし。俺と同じく花嫁を持ってない双子の兄は、ナンパしにいくぞってしつこく誘ってくるんだ。正直もう疲れてずっと異空間に引きこもってた」
意外なイクシスの告白にちょっとイメージが変わる。
てっきり、女慣れしているようだったから、自由気ままに遊んでいるタイプなのかなと勝手に思い込んでいたのだけれど。
まるでこれは……婚活に疲れた若者みたいだ。
ちなみにイクシスが婚活疲れで引きこもっていたところに、ヒルダが現れて無理やり誓約を結ばされて、守護竜をすることになってしまったらしい。
「俺とすぐ上の兄以外は、全員もう結婚してるんだ。兄のオーガストの方は逆鱗が染まるつがいを何度か見つけてるんだが、相手に想われなくて失敗してる。まぁ顔が怖いし、誤解されやすいからしかたないんだが……俺の方はそれ以前の問題で逆鱗がつがいを選ばない。染まらないんだ」
イクシスは、もう諦めたというような顔をしていた。
「久々の里帰りなのに、花嫁候補も連れて帰らなかったら確実にうるさく言われる。だから例えメイコだろうと、恋人役が欲しかったんだ」
しかたなく妥協したみたいな言い方で、イクシスは私に視線をむけてくる。
少しカチンときたけれど、イクシスにとって私が恋人なんて本来はありえないのだから、しかたないと言えばしかたない。
「イクシスも大変なのね」
「……はぁ、メイコに同情されると泣けてくるな」
人が折角共感を示してあげているのに、イクシスときたらこの態度だ。
けどその様子は、らしくなく落ち込んでいるようにも見えた。
竜族にとって花嫁が見つからないというのは、相当に辛いことなのかもしれない。
花嫁になれるつがいが見つかるまで、ずっと一人で旅をする。
それこそ成人してからだから、単純計算しても三百五十年という長い月日を、イクシスは一人で過ごしてきたことになる。
それはちょっと寂しい気がした。
「ねぇイクシス、相手がつがいってどうやったらわかるの? 逆鱗はどうやったら染まるとかあるのかな?」
「それをこの俺に聞くか」
興味を持って尋ねれば、イクシスが恨みがましい目を向けてくる。
「ほら私、ヒルダの体から出た後、イクシスと旅に出るでしょ? お嫁さん探し手伝ってあげようと思って」
「別にそんなことメイコに頼んでない。メイコまでお見合いババアになる気なのか」
親切でそういえば、苛立った顔でイクシスがそう口にする。
「俺はもうつがいとか煩わしい事を考えずに生きていきたいんだ。皆一目見ればつがいだとわかるらしいが、俺にはさっぱりわからない。相手の事を好きになってそいつのことばかり考えれば、逆鱗が自然と染まる。そう聞いたから、恋人になったやつのことをずっと考えるようにしてみたのに、一度も染まったりしなかった」
相手の名前を紙にずっと書いてみたり、相手のことばかり考えなくちゃいけないよう、四六時中側を離れずにいたこともあったらしい。
「でも駄目だったんだ。女に優しくして、側にいて、求められれば甘い言葉を囁いて。女なんて面倒だし精神的に疲れるのに、我慢して頑張ったんだ。なのに成果は一度も出なかった。もう楽になりたいのに、メイコまでそんなことをいうなら旅には連れていかない」
拗ねたような言い方。
味方だと思ってたのに、裏切るのか。
そんな子供っぽさの滲む口調だった。
「イクシスが嫌がるならしない。ただね、一応私も女なんですけど?」
「メイコは……あまり女という感じがしないからな」
この竜ときたら、酷いことをさらりと言ってくれる。
私にだって、女らしいところは探せば沢山あるはずというのに。
……どこと言われても全く自分で思いつかないけどね!
「なんだ怒ってるのか。別に悪い意味で言ったわけじゃない。褒めたんだ。メイコみたいに図太くて、向こう見ずで。どんな状況でも馬鹿みたいに笑ってる女なんて、そうそういないし見たことがないって言いたかった」
「いやそれ、全く褒めてないよね?」
思わずツッコミを入れたけれど、語るイクシスの顔は真剣そのものだった。
「とにかくメイコなら、側に置いて旅をしてもいい」
ふっとイクシスが笑う。
私がいれば、つがいなんていらない。
そんな風にもとれる言葉に、思わずドキリとする。
何故だかそれがわがままを言われて、甘えられているように感じた。
イクシスは、マリアが好きなんじゃないの?
そう思ってふいに気づく。
イクシスは逆鱗が染まらないから、マリアが好きでも諦めているのかもしれないと。
……なら、イクシスはずっと私と一緒にいてくれるのかな。
そうだったらいい。
ヒルダから幽霊のメイコに戻って、イクシスと旅をして。
イクシスに恋人ができたら……なんて考えて。
そうなってしまったら寂しいと思ってしまった。
こんなことを思うなんてどうかしてる。
イクシスだって本当は花嫁を望んでいるのに、この考えはイクシスの不幸を願うことと一緒だ。
でも。
――メイコなら、側に置いて旅をしてもいい。
そのイクシスの言葉に。
妙に心が満たされるのを、感じていた。
★5/12 微修正しました!
★7/22 微修正しました!




