【34】ヒルダと村の少年
イクシスと執務室で待っていたら、クロードがやってきた。
その顔は深刻そのものだった。
私達が獣人の国に行っている間に、領土内で奇病が発生したらしい。
「どんな病なの?」
「それが体にオレンジ色に発色するコケが生え、そこから草が生えてくる病だそうです」
クロードによれば、最初の報告があったのは五日前のことのようだ。
領土の端にある小さな村でその病は確認された。
すでに体中にコケがまわり、そこから草が生えだしていたのだという。
それから被害は拡大し、その周辺の村でもこの病が確認されているらしい。
指先や足先にオレンジのコケが生えて、それがどんどん広がって行く。
しかし、その時点では元気で体調に異常はないらしい。
一週間ほどしたあたりでコケの生えた場所から草が生えだし、栄養を吸われたかのように衰弱していくとの事だった。
いざというときに代理を頼んでおいたヒルダの夫の弟は、ちゃんと村に医者を派遣してくれていた。
治療……というよりは調査が主の派遣だったようだけれど、それでも十分だ。
ただ、医者によるとこんな病気は見たことがないらしい。
お手上げだとのことで、結局のところあまり役には立たなかった。
けれど、報告書がないのとあるのとではかなり違う。
病気にかかっている村人の年齢はばらばらで、病にかかる家とかからない家の差が大きいらしい。
そして、コケは皮膚の上に生えているというより、皮膚が変質している。
むやみに剥がすことは難しいとのことだ。
コケから草が生えてくる……その点が頭にひっかかる。
「クロード。そのコケは黄色じゃなくて、オレンジなの?」
「はいそうですが。何か思い当たる事でもあるのですか?」
問いかければ、クロードが首を傾げた。
前世のニホンではありえない病。
でも、コケから草が生えてくるという現象だけは、覚えがあった。
乙女ゲーム『黄昏の王冠』において、土属性を高めた時にだけ起こるイベントをこなすと、特別なコケが採取できるようになる。
コウコウゴケと呼ばれる黄色のそのコケを畑の土に混ぜ、土属性の魔法で同化させると。
森にしか生えないような魔力を持った草……魔草の栽培が可能になるのだ。
丁度領土の特産物として魔草の栽培を考えていたところだったから、すぐにその存在は頭に思い浮かんだ。
コケの色の違いはあるけれど、コケから草が生えるという点はよく似てる。
生えてくる草が魔草なら、関係があるんじゃないだろうか。
「コケや生えていた草のサンプルはある?」
「いえ。ですが実はキーファがその病にかかってしまったようなのです」
尋ねれば、クロードが顔を曇らせる。
キーファは今日の朝食の席にいなかった、星組の少年の名前だ。
ヒルダが嫁いできたこのオースティン家が支配する領土の村出身で、歳は十五歳。
やりたい放題の悪政をしているオースティン家を心の底から憎んでいて、ヒルダにとても反抗的な子だったりする。
普段から一緒にご飯を食べることを拒否しているキーファだったので、いつもの事だと気に留めていなかったけれど、病にかかっていたらしい。
さっそくお見舞いも兼ねて病状の観察に行こうとすれば、クロードが止めてきた。
「お待ち下さい。感染経路もよくわからない病なのです。医者も初めて見る病だと言っていたようですし、むやみに近づくのはよくありません」
「でも見てみないとどんな症状なのかわからないし」
警戒するクロードの気持ちもわかるけれど、見てみないことにはわからない。
「屋敷で他に感染したやつはいるのか?」
「いえ今のところいません。キーファのみです」
イクシスの問いにクロードが答える。
屋敷の周りの街では感染者は見当たらないらしく、キーファが自分の村に帰った際に病を貰ってきてしまったのだろうとの事だった。
キーファはここのところずっと部屋に閉じこもっていたらしい。
今日の朝クロードが様子を確認しに行って、病にかかっているのが発覚した。
すでにコケが生えてから一週間以上経過しているらしく、そこから草も生えているとの事だった。
同室の子はジミーだったため、私達が獣人の国に行っている間、キーファは一人部屋だった。
加えて一匹狼のようなところがあり、部屋にこもってばかりいたから、誰も異変に気付けなかったらしい。
やっぱり現物を見てみないと話にならないという事になり、三人でキーファの部屋を訪れる。
「バニラの匂いが強いな。香でも焚いてるのか」
「いえ、コケが発する香りのようです」
ドアを開ければ濃いバニラの香りが漂ってきて、顔をしかめたイクシスにクロードが答える。
バニラエッセンスを入れすぎたクッキーでもこんなに香りはしない。
むわっとして、胸焼けがするレベルだ。
ふいに、コウコウゴケは微かにバニラのような香りがすると、ゲーム内のアイテム図鑑に書かれていたことを思い出す。
ほとんどのプレイヤーが読み飛ばしているだろう図鑑ページだけど、ゲーム内の錬金術要素が好きだった私は結構読み込んでいた。
でもこれ、微かにっていうレベルじゃないような……。
窓を開けて換気を始めるクロードを横目に、ベッドに横たわるキーファの側に立った。
「キーファ、大丈夫?」
「なんだお前……帰ってきたのか……」
声をかければキーファが弱々しく口を開く。
キーファは前より痩せたように見えた。
彼は十五歳なのだけれど、背が低く童顔で十歳くらいに見える。
亜麻色の髪にくりくりとした目。いつもヒルダに悪態をついているけれど全く迫力はなく、怒っている様子さえ愛らしく見えてしまうアイドル顔だ。
「ちょっとゴメンね」
そう言って毛布を捲れば、キーファの腕と足はコケにびっしり覆われていて。
そこからはすでに草が生えだしていた。
毒消しの材料になる草に、回復薬の材料になるもの。加えてキノコまで生えている。
全部森に行かないと手にはいらない、魔力を持つ魔草と呼ばれる種類の植物だ。
これではまるで森の豊かな苗床みたいだ。
そしてクロードの言う通り、コケは黄色じゃなくてオレンジ色だった。
香りが強い事といい、もしかしてコウコウゴケのバージョンアップ版なんじゃないかとあたりをつける。
「どうしてこの病気になったのか、原因は分かる?」
キーファは黙り込む。
それは肯定のように思えた。
「教えてくれないかな、キーファ。これは重要な事なの」
「……お前がいない間に、こっそり村へ帰った」
問い詰めればキーファがぼそりと呟いた。
ムチで叩かれるとでも思っているのか、キーファは唇を噛み締めて何かに耐えるような顔をしていた。
「別に怒るつもりはないわ。これからは私かクロードに一言声をかけて、いつでも帰っていい」
キーファは目を見開く。
絶対にヒルダは許さないと思っていたんだろう。
けれど、私はすでにクロードから報告を受けていた。
それにキーファが時々屋敷をこっそり抜け出し、村へ通っているのは以前から知っていたのだ。
食べ物の一部や、ヒルダから与えられたものを持って、キーファは三日に一度くらいのペースで村へと帰る。
わかっていて私は自由にさせていた。
甘いと言ったら甘い処置だ。
けれどこれは私が決めたことではなく、以前のヒルダがクロードに指示していた事だったりする。
キーファが村へ抜け出すのを見逃して、知らないふりをしていろ。
そうヒルダはクロードに言い含めていたようだった。
もしかしてヒルダって、いいところもあるのかな……?
なんて思ったりしたのだけれど。
「あの子は逃げないわ。あそこに居場所がないと気付いて、何度も絶望して。それで嫌いな私に飼われるしかないって、気付いて帰ってくるのよ」
そんな事を言って満足そうに笑っていたらしいから、いい人説はすぐに立ち消えた。
うんヒルダさんただのドSだね!
そもそも、キーファがどういう事情で、ヒルダのショタハーレムに加わることになったのかというと。
それは、ヒルダの結婚式での事件がきっかけだったらしい。
当時、この領土では日照りが続き、村人の多くは飢えていた。
その中で行われた盛大な結婚式には、貴族が多く招待されて。
キーファはどうやってかその中に忍び込み、客人の目の前でヒルダの純白のウエディングドレスに泥団子を投げつけたらしい。
「お前のせいで、家族が死んだ。兄妹たちや村の皆が飢えてるんだ。だから俺だって捨てられて……ッ! なのに盛大な結婚式なんて、お前達は悪魔だ! 誰が祝うものか!」
村の大人たちの誰もが全てを諦めて言えなかったことを、キーファはヒルダに直接ぶつけた。
オースティン家の当主はこれに激怒して、キーファを処刑しようとしたけれど、ヒルダがそれを止めた。
「――あなたいい顔をしているわね。ワタクシが飼いならしてあげる」
残酷な笑みを浮かべてご機嫌にヒルダはそう言って。
オースティン家の当主から、キーファを好きに扱っていいという権利を譲り受けたのだという。
そういう事情があって、キーファはショタハーレムの一員としてここにいる。
本人は村に帰りたがっているけれど、私がそれをしないのは、キーファが口減らしのため家族に捨てられたという過去があるからだ。
キーファは拾われた時に栄養失調気味だったせいか、成長が遅い。
十五歳なのに十歳くらいにしか見えないし、今でもかなり細かった。
自分だけが美味しいものを食べることに抵抗があるのか、食事も最低限しかとってくれない。
キーファは毎回、村にある家へお土産を持って帰る。
家族はそれを受け取ってすぐにキーファを追い返すのだと、クロードから報告は受けていた。
どうやらキーファの家族はあの事件の後、村の人たちに何てことをしてくれたんだと責められたらしい。
オースティンの領主により村の税金が上げられ、村人からは嫌がらせを受けて。
苦しめられた家族は、キーファのしたことを憎んでいるとのことだった。
それでもきっちり貰えるものは貰うあたり、なんとも言えない。
家族に捨てられて、さらには疎まれて。
でもお金や品物だけは搾取される。
キーファは家族を思って、まともにご飯さえ食べられないのに、それはないんじゃないかと、クロードから話を聞いて思ったものだ。
まぁその大きな原因は私だろっていうのは、ツッコミ入れられなくてもわかっているんですけどもね?
「父さんの症状が俺より酷いんだ……頼む、医者を……死んでしまう」
息も絶え絶えにキーファが紡ぐ。
嫌いなヒルダにでも縋ってしまうくらい、キーファが家族を大切にしていることはわかった。
どんな家族だろうと、キーファにとっては大切なんだろう。
その目には涙が滲んでいた。
妹や弟、親兄弟。
キーファの家族は全員病に冒されていたとのことだ。
「村人のほとんどか病にかかっているの?」
「……半分くらいだ。ただ、隣の家の奴らは一切病にかかったりはしてなかった」
キーファによれば、家ごとにかかる家とかからない家があるとの事だった。
これは何の違いなんだろう。
病人がいる家は大抵家族丸ごと、病にかかっている。
いない家は、一人も病に臥せったりしてない所がほとんどだという。
医者とキーファの報告は一致していた。
「何かいつもと違うことはしなかった?」
「普段どおり、家族に渡すものを渡して帰った。でもあの日は……」
「些細なことでもいいから教えて!」
「水を、妹がくれたんだ。熱いから飲んで行ってって言って。飲んだら……少しバニラの香りがしたような気がした」
問いただせば、ポツリとキーファがそんな事を言った。
「ありがとうキーファ。後は私が何とかするから、大丈夫」
しっかりと請け負う。
私にできることがあるなら、それを全力でしようと決めていた。
キーファが驚いたような顔で私を見る。
ヒルダらしからぬ行動に、戸惑いを隠しきれない様子だ。
私は幽霊で、本物のヒルダではないけれど。
今まで通り、この体である間は必死にあがいていくつもりだ。
私なりのやり方で、少しずつ前に。
考えたところで答えは出ないなら、後の事は後で考えればいいだけの話だ。
あの日イクシスの腕の中で泣いて、気持ちが驚くほど軽くなって。
そんな風に自然と考えられるようになっていた。