【29】涙の降る日
「つまり階段から落ちたあの日に、メイコ様がお嬢様になっていた……そういうことでいいのですね?」
「はい。その通りです」
クロードに確認されて、かしこまりながら頷く。
部屋にやって来たクロードに、実は自分がヒルダではないことを告げた。
「……そういう事でしたか。記憶喪失というには、あまりにも別人のようだとは思っていました。少年たちに優しくなって、イクシスと仲良くなったのもそういう事だったのですね」
しばらくクロードは黙って考え込んでいるようだったけれど、やがて口を開いた。
「ジミーが言っていたこととあわせると、本物のお嬢様の魂は体を抜けて、そこにメイコ様の魂が入ってしまっている状態と考えていいのでしょうか」
「多分、そうだと思います」
まとめてくれたクロードに頷けば、少し変な顔をされる。
「敬語はやめてくれませんか、メイコ様。調子が狂います」
「あっはい、すいません」
困ったように笑われて、つい身を固くする。
てっきり騙してたことを怒られるかと思ったら、クロードはこの変な状況を困惑気味ながらも、受け入れてくれているように見えた。
「ジミーが言っていることが真実なら、ジミーを解放してお嬢様を捜してもらったほうが、メイコ様のためにもなりますね。お嬢様のままでいるのは……辛いでしょう?」
気遣うような視線をクロードが向けてくる。
そのことが少し嬉しい。
「メイコ様とお嬢様が元の体に戻る日まで、私はこれまで通り仕えます。なのでなんなりと命令をしてください」
そう言い残して、クロードは部屋を出て行った。
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次の日。
一人で考え事をしたい気分だったので、ちょっと街へ出ることにする。
「おい濡れるぞ?」
「大丈夫。小雨だし、それにちょっと暑いからちょうどいいしね」
護衛としてついてこようとするイクシスに笑いかければ、イクシスが目を見開いて固まった。
まるで見てはいけないものを見たような顔。
それを見て笑うのに失敗したんだと気付いた。
背を向けるようにして、足早に宿を出る。
昨日まで大荒れだった天気は、小雨程度に落ち着いていた。
イクシスは少し離れて私の後ろを歩く。気をつかってくれているんだろう。
ジミーをヒルダの誓約から解き放つため、魔法人形を壊すこと自体は別にいいのだけど。
気になるのは、私が幽霊だとジミーが言ったことだ。
私には死んだ記憶がある。
ゲームを買って帰りに事故にあった。
それでヒルダに転生して、階段から落ちたショックでその記憶を取り戻したんだとばかり思っていた。
なんでそう思い込んでいたんだろう。
よくよく考えててみる。どう考えても元の世界で読んでいた小説が原因だった。
主人公がニホンで死んで、転生して異世界で新しい人生をはじめる。
そういうタイプの小説が私の中で結構ブームで、何冊もそういう本ばかり読んでいたから、疑いもなくそう思ってしまったのだ。
転生だと思っていたのが、幽霊として憑依してるだけだった。
似てるようでこれは結構違う。
元のヒルダの魂が帰ってきたら、幽霊の私はどこへ行けばいいんだろう。
クロードは私に戻る体があると勘違いしているようだけれど、そんなものはないのだ。
ヒルダとして死亡フラグを回避して、この世界で生きようと思ってたのに。
そもそも私は死んだ幽霊で。この体も私のものじゃない。
死亡フラグを回避したところで、すでに死んでいる。
ヒルダが帰ってきたら私は用無しで、どこに行けばいいのかわからない。
そう思うと心が暗くなっていく。
そうか、私死んじゃったのか。
今更実感が湧いてくる。
ヒルダになって、少し気を抜けば死んでしまうような状況に置かれて。
そのせいで今まで考えずに済んでいたんだと気付かされる。
というか、私は意図的に見ないようにしていた。
まぁ……現実逃避とも言う。
私がいなくなってどうしてるかなと最初に考えるのは、弟たちのこと。両親が忙しくて私が面倒を昔から見てきた。
次に母親と、義理の父と兄。それで友達。
普通この歳だと真っ先に恋人の顔とか思い出しちゃったりするんだろうけど。
それよりも大好きな乙女ゲームのキャラを思い浮かべて、続編プレイできないんだなって落ち込む自分の女子力の低さ。
まぁ恋人なんていないからしかたないんですけどね……ははっ。
死んでしまうなら、もう少し恋愛方面頑張っておけばよかったよ。
キスもまだだったのに……まぁ、こっちで経験はしたんですけどね。
……これはちょっとマズイかも。
空元気さえうまくいかない。
しとしとと降り注ぐ雨が、服に吸われていく。
熱を奪っていくその水滴が、じゅくじゅくと痛んで熱を持った心を、どうにか冷まそうとしてくれているように思えた。
「……おい、ぶつかる」
イクシスに手を引かれて、前を見ていなかったことに気付く。
もう少しで壁にぶつかるところだった。
「あっ……ごめんイクシス」
謝って方向転換して歩き出そうとしたら、イクシスが急に抱きしめてきた。
「なぁ、なんでそんなに絶望してるんだ? ジミーが消えるのがそんなに嫌なのか?」
問いかけられて、そうかイクシスには私の気持ちが伝わってるんだったと思い出す。
理由のわからない感情のせいで、私以上に戸惑っているように見えた。
「そうじゃないよ。ごめんね」
「別に謝らなくていいから、理由を言え。感情は伝わっても、何でメイコがそんな気持ちになってるのかまで、俺はわからないんだ」
謝ればイクシスはそんなことを言ってくる。
迷惑をかけてしまっているなと思った。
小さく息を吐いて、口元を無理やり引き上げて。
それから優しいイクシスの腕から離れる。
「いやー私、ヒルダに転生したとばかり思ってたんだよね! でもそうじゃなくて取り憑いた幽霊だったみたいで。元の世界では死んじゃってるし、ヒルダが帰ってきたらどうしようかなって、ちょっと暗くなっちゃったの。もう大丈夫だから!」
後頭部をかきながらあははと笑えば、イクシスは眉を寄せた。
「あーあ、折角生まれ変わって、こんないいおっぱいの美女になれたって思ったのになぁ。そりゃ、常に危険と隣あわせだけど。どうにかなるような気がしてきてたのにね。そもそも死んでて、これが自分の体じゃないなら。今までの頑張りもあまり意味なかったね!」
いつものように胸を揉みながら言う私に、イクシスが痛みを堪えるような顔になる。
そんな顔をしてほしいわけじゃなくて、いつものように軽い調子で流して欲しいのに。
「おい、メイコ」
「あっ大丈夫だよ、イクシス! 心配しなくてもちゃんとイクシスとの約束は守るから。宝玉も返せるように努力する。ただ五年経つ前にこの体が死んだり、ヒルダが帰ってきたらその時はゴメンね!」
言葉を遮ろうとするイクシスを無視して、明るい調子でまくしたてる。
今止めてしまったら……泣いてしまうと思った。
「俺はそんな心配をしてるわけじゃない。メイコの心配をしてるんだ!」
叫びながら、イクシスが強い視線を私に送ってくる。
ヒルダじゃなくて私を見ているとわかるその眼差しに、心の脆い部分が崩れそうになって、思わず息を飲んだ。
「……雨強くなりそうだから、そろそろ帰ろうか! 私先に行ってるね!」
ふいっと顔を逸らして、この場から逃げ出そうとしたのに、イクシスはそれを許してはくれなかった。
手首を痛いくらいに握られる。
「離してよ、イクシス」
「なんで辛いのに笑う必要がある。泣けばいいだろ」
イクシスは簡単に言ってくれる。
それをしたら弱くなってしまうのに。
嫌なことがあろうと、辛い事があろうと。
泣いたところでどうにかなるわけじゃない。
あっちの世界で実の父親が死んだ時に、私はそう悟った。
どうにもならない事を嘆くよりは、泣いている誰かの支えになるように笑いながら、前に進んでいく方が有意義だ。
例え道がないように見えても、目の前に途方もない難題が積み重なっているように見えても。
立ち止まって考えてる時間があるなら、進みながら考えて行った方がいい。
そうやって私は生きてきた。
「俺に隠すのは無意味だ。そんなに泣きたくないなら……雨のせいってことにしてやるし、見なかったことにしてやる。だからほら」
イクシスが私を腕の中に導こうとしてくる。
本当にこの竜は優しい。それだけでちょっと泣きそうになる。
でも、甘えてはいけないと思う。
その優しさにすがって心地よさを覚えて。
泣いてしまったら――私は弱くなる。
一人で戦おうとしてるのに。
駄目な私は、次もまた頼ろうとしてしまう。
ただでさえイクシスには色々迷惑をかけている。
なのに、これ以上は駄目だ。
それはこのお人よしな竜を利用するという事に他ならない。
息を一つ吐いて。
自分を気持ちごと切り離す。
遠くから他人事の見ている感覚で、何も考えない。
そうすれば楽だ。心を遠くすれば苦しさも遠のく。
「……いやーさすがイクシスさん。モテる男は言う事が違う! 普通の女の子ならコロリといっちゃうのがわかるわ。でもそれってちょっとタラシっぽいよ?」
茶化すように笑えば、イクシスの表情が変化する。
さっきまで私を思いやるような顔をしていたのに、何故か怒った顔になった。
あれおかしいな。
今の私はちゃんとうまく笑えているはずだ。
弟たちもお母さんも、こうやって私が笑えば安心してくれた。
なのに、イクシスは手を離してくれない。
「……今までできなかったくせに、そこで感情を隠すのかよ。俺じゃ、頼りにならないって言いたいのか」
「何の事?」
とぼけてへらっと笑って見せれば、イクシスが苛立ったようにギリっと歯を噛み締める。
私の手首を握る力が強くなった。
「俺は……メイコが笑ってるのを見るのが、そんなに嫌いじゃない。でも、今のその顔は大嫌いだ」
「そういわれても、これヒルダの顔だしね」
射るような眼差しを受けながらおどけて肩をすくめれば、建物の壁に背中を押し付けられた。
「そういう事じゃないのはわかってるだろ? なんで苦しいのに誤魔化そうとする」
「別に誤魔化してなんかいないよ。普段どおり。イクシスには私の感情が伝わってるはずでしょ?」
金の目が私の心を覗き込もうとするように見つめてくる。ちょっと苦笑するような感じでそう言えば、イクシスが私を抱きしめてきた。
「あぁ伝わってる。メイコが無理して普段どおりでいようとしてることくらい、お見通しなんだよ。情けないところももう十分見てる。だから、泣くくらいで引いたり、見捨てたりしない。最後までちゃんと面倒は見てやる」
だから泣けというように、イクシスが私の頭を自分の胸に押し付ける。
大きな手が濡れた髪を優しく撫でてきて。
喉元に熱い塊がこみ上げてくるようだった。
「……そんなの、イクシスに迷惑いっぱいかける」
「すでにいっぱいかけてる。自覚ないのか? それが今更少し増えようと、何も変わらないだろ」
呟けば馬鹿にしたようにイクシスはそんな事を言う。
でも私の髪を梳く手は温かくて、心地よかった。
「それに幽霊なら、ジミーみたいに魔法人形の体を持てばいいだけの話だ。人間と違って幽霊なら寿命……っていうのもおかしいが、いつまでも生きられるしな。俺と一緒に旅に出ればいい」
そういう未来もあるんだというように、イクシスが真剣な口調で呟く。
「メイコなら一緒にいて退屈しないし、連れてってやるよ。竜族は寿命がかなり長いし、一人旅も飽きてたところだ」
見上げたイクシスは、少し照れたような顔をしていた。
それを見れば社交辞令なんかじゃなく、本気で誘ってくれていることがわかる。
泣くのを堪えている胸の奥が、優しく揺さぶられたような気がした。
「イクシスって……物好きだよね」
思った事を口にすれば、私の方を見てイクシスはふっと笑う。
「それは否定しない」
悪戯っぽいその笑みに、気付けばつられるように笑っていた。
それと同時に我慢していたものが、胸の内からボロボロと溢れ出てしまうのを止められなくて。
私は遠慮なく、イクシスの胸を借りてわんわんと泣いてしまった。
シリアスが長続きしないので、次回はやっぱりギャグです。




