【24】竜の逆鱗に触れると恐ろしいことになるようです
目を開けると、私は自分の家にいた。
ヒルダの屋敷じゃなくて、ニホンにいた頃の自分の部屋だ。
シンプルな机とベッド。
テレビにはゲーム機が繋がれ、壁の方にある棚には、アニメや乙女ゲームのグッズなどが並べられている。
もしかして今までのことは全て夢だったのか。
そう思いながら鏡を見れば、懐かしい自分の姿が映った。
頭の上で適当にまとめた髪に、くりくりとした瞳。
顔立ちが少し幼く見えるせいか、仕事上も舐められやすく、愛嬌があるとはいわれるけれど、美人だよねとは一切言われたことのない顔立ち。
そして、見事なまでにぺったんこな胸。
なかなかに凝った夢を見ていた。
本編前に攻略対象に殺される悪役なんて、誰得だと思う。
けど……ちょっとだけ、物悲しいような気分になりながら胸に手を当てた。
あの世界にいた時、夢かどうか確かめるために、よくヒルダの胸を揉んだものだけどあの質感はもうない。
それどころか、胸を触っている感覚が手に伝わってこない。
「ん?」
おかしいなと思って、頬を抓ったら痛くない。
もしかしてこれは夢――?
「ここは夢の中で当たっていますよ」
声がして振り向けば、いつの間にか私の部屋の机の上にジミーが座っていた。
「何でここにジミーが?」
「夢だからです。君の夢の中にお邪魔させてもらいました。メイコさん」
ジミーは笑いかけてくる。
「何で私の名前を……?」
「今日ずっと、メイコさんの側にいたんです。精神体――つまりは幽霊姿だったから、見えなかったと思いますが。時々こうやって体を抜け出してメイコさんの様子を見てましたから、前から名前は知ってました。イクシスさんが、メイコって呼びますしね」
私の問いに答えて、ジミーはぷかぷかと浮いて私に近づいてくる。
どうやら本当に夢のようだ。
「お願いだから、ヒルダの体を大切にしてくれませんか。ヒルダのように自分で自分の身を守れないなら、無茶はしないでほしいんです。それを言いにきました」
ジミーが真っ直ぐに私を見て、強く抗議するように口にする。
「イクシスさんがいるからって油断しすぎです。ぼくが念力を使って吹きとばさなかったら、イクシスさんが気付く前に、隠し通路に引きこまれてたかもしれないんですよ?」
その言葉に直前の状況を思い出す。
私は確か鳥族の城へ行って、男に後ろから口を塞がれて。
そこからの記憶がなかった。
「……もしかして、後ろだって教えてくれたあの声は、ジミーのものだったの?」
「一応、ぼくの声届いてたんですね」
驚く私に、ジミーは少しほっとしたようすになった。
「ジミーは私がヒルダじゃないって、知ってるんだ?」
この状況はよくわからなかったけれど、それだけはわかった。
「えぇ最初から知っています。ぼくは元々幽霊生活が長いので、人の魂を見抜くのはうまいんです。メイコさんだってぼくと同じ幽霊ですよね? まだ日が浅いみたいですけど」
「……幽霊? 私が? 何を言ってるのジミー?」
いきなりの言葉に、頭が混乱する。
ジミーが幽霊というのもわけがわからないけれど、私が幽霊ってどういうことだ。
私はこの世界に生まれ変わって、ヒルダになったんじゃないの?
「あれ、自覚ないんですか? ヒルダの部屋にいるとき乙女ゲームとか、死亡フラグとか言ってたから前世は覚えているんですよね? 今いるこの部屋もその姿もニホン風だし。メイコさんもぼくと同じでニホンで死んで、あの異世界に飛ばされた幽霊だと思ったんですけど……違うんですか?」
ジミーのその言葉に、思わず目を見開く。
――私と同じで、ジミーもニホン人で異世界から来た?
しかも幽霊っていったいどういうことなんだろうか。
「とにかく、ヒルダの魂の行方がわからない以上、その体はメイコさんが使っていいです。でもそれはヒルダの体だから、いつかは出て行ってもらうし、その時まで大切にしてください。見てられなかったから忠告しにきました」
まだ頭の整理がつかない私に、よろしく頼みますとジミーは口にする。
その姿が揺らいで、まわりの景色もぐにゃぐにゃと歪みだした。
――ちょっと待ってよ、ジミー!
声を出そうとしたけれど、それは音にならずに。
白く目の前が霞んで、景色がゆっくりと遠のいた。
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「ん……?」
涼しい風が吹いていて、目が覚めたら空に月が昇っていた。
白いベッドの上から身を起こす。
さっきまで変な夢を見ていた気がした。
わりと重要なことだった気がしたけれど……思い出そうとして、まわりの景色に気をとられる。
ここ、どこ?
部屋……というには天井がない。
壁も破壊され、ベッドの上で上半身を起こした私の胸までしか高さがない。
ベッドから降りて歩く。
まるで廃墟だ。
静かで人がいない。
でも不気味というよりは、不思議とすがすがしさを感じた。
家というのかもわからない場所から外へ出て、周りを見渡す。
遠くの方に、半壊したお城が見えた。
ゆっくりと記憶が巻き戻り、そういえば私鳥族の国にきてたなぁと思い出す。
――ん? あれおかしいな。
何で城が半壊してるの? 街の方もボロボロに見えるんだけど。
確かイクシスが部屋の外に出て、揉めてて。
助太刀するべきかなって悩んでたら、男に襲われて意識が遠くなって。
それから記憶がない。
これ何かの夢かな?
そう思って、おもいっきりヒルダの乳をもいでみたけれど。
やっぱりこの質感は本物だったので、夢じゃないようだと確信する。
「メイコ、お前何アホなことしてるんだ?」
呆れたような声を出して、イクシスが目の前に姿を現した。
「イクシス! やっぱり夢じゃないのね。どうしてこんなことになってるの!?」
「あーそれなんだがな……」
問い詰めれば、イクシスは言い辛そうに顔をゆがめた。
「何、言ってよ。どうして城が壊れてるの? さっきまであそこに私達いたわよね?」
「………あいつら、俺の気をそらしている間に、メイコに薬を嗅がせて連れ出そうとしてたんだ」
服を掴むようにして揺さぶれば、眉を寄せてイクシスが呟く。
「メイコが気を失ったのが伝わって振り向いたら、隠し通路に連れ込まれるところだった。差し金は多分王で、メイコというかヒルダの体を手篭めにしようとしたんだろう。あの王は好色だからな。それで頭に血が上って……この有様だ」
そこまで口にして、気まずそうにイクシスは目を逸らした。
どうやらあの後、怒りが頂点に達したイクシスは、鳥族の王城で大暴れしたようだった。
暴れて城半壊って、すさまじいにもほどがある。
私が王をビンタしたいなと思ったのが可愛く見えてくるレベルだ。
「……これ、大丈夫なの?」
「悪い。メイコには手を出すなって言ったのに。本当に腹が立ったんだ」
イクシスが謝ってくる。
こんなつもりじゃなかったと言った様子だった。
「竜族の花嫁……とは言っても偽者だが、それに手を出そうとしたんだ。昔からそんなことをした連中は、竜の逆鱗に触れたってことで滅ぼされても文句は言えない。竜族の花嫁を虐げた大国は、昔話で必ず跡形も無く消されてるからな。あいつらも少しは懲りるだろ」
イクシスは当然の報いだというように口にする。
竜族はなかなかに規模がでかいようだ。
「逆鱗に触れるって、相手を怒らせるって意味の諺だよね? 俺の逆鱗が選んだのはこいつですからって、王様の前で言ったりしてたけど、逆鱗って何?」
気になって聞いて見れば、イクシスが上着のボタンを外して、喉の下あたりを見せてくれた。
そこには逆さになった鱗のようなものがあり、水色で下の部分だけが微かに桜色をしている。
「んっ……」
どんな感触がするのかなと興味本位で触れてみたら、イクシスが色っぽい息を漏らした。
「わっ、ごめん!」
思わず手を引けば、イクシスは頬を少し赤く染める。
「別にいいが、俺以外の竜族にこんなことするなよ? さっきも言ったが、竜の逆鱗に触れた奴は殺されても文句は言えないんだからな」
はぁとイクシスは、まるで自分を落ち着かせようとするように悩ましげな息を吐く。
イクシスによればこの竜の逆鱗というやつは、竜族の性感帯で重要な器官らしかった。
「逆鱗は普通水色なんだが、つがいを見つけると段々と桃色に変化する。完全に桃色になったら逆鱗を相手に食べさせて、子を産ませる。そうして竜の力を馴染ませることで、相手を完全な竜族にして、花嫁として迎えるんだ」
つまり、竜の花嫁は竜の逆鱗を体内に宿している。
それで竜の花嫁に手を出す事を、比喩で竜の逆鱗に触れるというらしい。
竜族はかなり愛情深く、花嫁を大切にする。
基本的に温厚で平和的な一族なのだけれど、その愛情深さゆえ、花嫁を害する奴らには一切容赦しない。
竜を利用しようと花嫁を人質に取った国を一夜で滅ぼしたり、敵は常に一掃してきたとのことだ。
それで、こんな諺が広がってしまったとイクシスは説明してくれた。
「なるほどね……私の世界まで伝わってるから、竜の逆鱗って相当なものなのね」
私の元いた世界には竜が存在していない。
伝説上かつ空想上の生き物という事になっているけれど、諺もある。
この世界の事を知っている人が、私達の世界でそれを伝えたのかもなぁなんて、不思議な気持ちになった。
「おい……いつまで触ってるつもりだ」
イクシスが何かに耐えるような顔で眉を寄せていたけれど、なんとなく逆鱗から指が離せなかった。
ちょっと冷たくて、つやつやした貝殻のような感触が癖になる。
ウサギの獣人、ベティの耳のもふもふも止められないが、この触り心地も私の中でかなりの高ポイントだ。
「別にいいってイクシス言ってたじゃない。結構触り心地よくて」
「俺はそんなこと言ったか?」
私が指摘すれば、イクシスはついさっき自分が言った言葉なのに、驚いた顔をした。
「俺以外の竜族にこんなことはするなよって言ってたでしょ? それってイクシスにはしていいってことじゃないの?」
呟いた私の肩を押して、イクシスは体を離した。
「……確かにそう言ったな、俺は。俺以外も何も、触れさせることがありえない場所なのに、何でそんな事を言ったんだ?」
困惑気味の表情で、イクシスは呟く。
そんなことを私に聞かれても困る。
「さっきのは忘れろ。とにかく、竜族の逆鱗っていうのはそういうものだから」
コレでこの話は終わりだというように、イクシスはボタンをきっちり閉め直した。
「……話は変わるが、できれば怒らないで聞いてほしいことがある」
イクシスが急に神妙な顔になって、私に向き直る。
「何? 別に鳥族の国を破壊したことなら、怒ってないわよ? ちょっとすっきりしたし」
「そこじゃなくてだな……寝てる間に、その……」
どうにもイクシスは煮え切らない。
寝てる間に、これ以上の大きな問題が発生したのかと、身構えてイクシスの言葉を待つ。
「……キスしたんだ」
「はい?」
思わず首を傾げれば、イクシスが悪いことをした子犬のようにうなだれる。
「悪い、寝てる間に女の唇を奪うなんて最低だよな。でも頭に血が上って、全部竜の姿でぶち壊してやりたくなったんだ。あそこまで馬鹿にされて黙ってるなんて、竜族の男じゃない」
そこまで口にして後に、まぁ言い訳にすぎないよなと言って、イクシスは私との距離を詰めた。
「殴っていい。それだけのことを俺はした」
私にイクシスは、頬を差し出してくる。
イクシスはどうやら反省しているようだ。
平気でいやらしいキスをしたりするくせに、意識のない時にキスをするのは、イクシスの中で駄目なことらしい。
ちょっとずれてるイクシスが、なんだかおかしかった。
「別にいいわよそれくらい。私のために怒ってくれたんでしょ?」
「……許してくれるのか?」
イクシスはまだこちらを窺うような顔つきをしていた。
どれだけ私が怒ると思っていたんだろうか。
まぁファーストキスだけで三日は拗ねたから、それもしかたないのかもしれない。
「当たり前でしょ。大体ここに連れてきてって頼んで、イクシスを面倒事に巻き込んだの私だしね。色々ありがとうね」
礼を言われるとは思ってなかったらしい。
イクシスは目を丸くして、それから複雑な顔になる。
「……現実を見て甘さを知れば、少しは無茶しなくなるんじゃないかと思ったんだ。危険にさらすつもりはなかったが、メイコが少し嫌な目にあって傷つけばいいと思って連れてきた。感謝される覚えはない」
つまりは、無茶をしてしまう私が心配だった――そういう事だ。
それでいて、イクシスは私を危険な目にあわせた自分を責めてる。
本当にこの竜はお人よしだ。
なのに、自分では全くそれに気付いてない。
そういうところが、とても好ましく思えた。
「ふふっ」
「? なんでそこで笑う? 胸がふわふわするような感覚が伝わってくるんだが」
思わず笑いが漏れる私に、イクシスが戸惑ったような表情になる。
異世界に来て、私を知る人がいないこの状況。
そんな中、こうやって思いやってくれる相手がいるなんて、私は恵まれてるなと思った。




