【18】理想のキスとは程遠いようです
「理想のキスって、どんなものだ?」
獣人の国へ行く前日の夜。
そろそろ寝ようかなと思っていたら、イクシスが変なことを聞いてきた。
「はぁっ?」
「いいから答えろ」
そう言われてもすぐに思いつかない。
何でいきなりそんな事を聞いてきたのか戸惑ったけれど、イクシスの顔は真剣だった。
「誰もいない教室でとか、オフィスで壁ドンとか。あと景色が綺麗なところで……とかかな?」
「壁ドン? まぁいい、場所はわかった。そこでどんなキスをされたいんだ」
こんな恥ずかしいこと言わせるなと思いながらも答えれば、さらにイクシスは質問を被せてくる。
「そりゃまぁ情熱的な……って、一体何なのこの質問」
「ファーストキスは散々だったとなじられたからな。せめてセカンドキスくらいは、メイコの希望を叶えてやる。とりあえず景色が綺麗な場所で、情熱的にか。最初の時は舌を入れなかったんだが、むしろ入れるほうがメイコとしては正解だったんだな?」
眉を寄せて尋ねれば、イクシスはとんでもない気遣いをしてくれようとしていていた。
しかも真顔で。
からかってるわけではないようだ。
「普通でいいから!」
「俺の普通でいいのか?」
思わず真っ赤になって叫べば、イクシスが首を傾げる。
「いや……イクシスの普通は……」
何か経験値の差が果てしなくありそうだ。
竜であるイクシスの人型は十八歳くらいに見えるけれど、実際年齢はよくわからない。
それでいて、女慣れしていそうに見えた。
「なら、どんなキスをして欲しいか言ってみろ。叶えてやる」
ずいっとイクシスが距離を縮めてくる。
台詞だけ聞くと、物凄い事を言われている。
気づいてしまうと、無駄に胸が高鳴って、顔が熱くなった。
じーっとイクシスの金色の瞳が、見つめてきて。
その親指が私の唇をなぞってきた。
「触れるだけのキスは駄目だったからな。口の中のいい場所をくすぐって、気持ちいいヤツにしようか? それとも息ができないくらい激しいのが好みか?」
艶っぽくイクシスが囁く。
その内容を想像して、頭がから湯気が出そうになった。
「ぷっ、お前目がまん丸すぎ。本当お子様だな」
イクシスが吹き出す。
……そこでようやく、途中から遊ばれていたことに気づいた。
「もう! イクシス!」
「おっと」
おもいっきり平手打ちをしようとすれば、笑ってそれを避けられる。
「そう何度も喰らうかよ。それでどうする? またあんな風にいじけられても面倒なんだが」
「……その時になったら、私からするわよ」
肩をすくめるイクシスは、面白そうにニヤニヤと笑っていた。
「何よ」
「いや、大人なキスを楽しみにしてる」
あからさまに茶化したイクシスを叩こうとすれば、また避けられてしまう。
「何だよ、お子様って言ったら怒るから大人扱いしてやったのに」
「本当馬鹿にしてっ!」
怒る理由がわからないという風を装うイクシスにそう言えば、イクシスは窓からバルコニーに出てしまう。
「別に馬鹿になんてしてない。面白がってはいるけどな。それにしても、キスの事を考えただけでこんなにドキドキしてるのに、自分から俺になんてできるのか?」
「感情を読むな!」
「無茶言うな。そもそも読まなくても顔に出てるから。鏡見てみろ真っ赤だぞ?」
そんな事は言われなくてもわかっている。
本当この竜ときたら、デリカシーってものが足りない。
イクシスを閉め出すだすように窓を閉じて。
次の日に備えて、その日は早く眠った。
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本日はお日柄もよく、とてもいい旅立ち日和です。
獣人の国に行くのは、私と契約竜のイクシス、執事のクロードに鷹の獣人・フェザー。
それともう一人。
クロードとイクシスの他に、ヒルダが契約を施している子がいて。
ヒルダとあまり離れすぎると死んでしまう可能性があるため、その子も連れて行くことになった。
ヒルダの部屋に自由に入ることを許されている、たった一人の子。
つまりはヒルダの一番お気に入り。
月組の男の子で、名前はジミー。
顔立ちは元の私と似たニホン人風。
黒髪で親しみやすい雰囲気を持った、十三歳くらいの子なのだけれど、美少年かと言われるとそうでもない。
同じクラスにいたよねとか言われると、そんな気がしてきちゃうような。
整ってはいるのだけれど、あまり印象に残らない顔というか、正直地味な顔っていうか。
山田とか佐藤とかそんな苗字が似合いそうな……全国の山田さん佐藤さんごめんなさい。
まぁ地味で、ジミーと名前が覚えやすくていいんだけど。
こう、ヒルダのお気に入りとしては華がないような気がする。
むしろ美少年ばかりに囲まれていたから、こういう癒しを求めてしまったのかな。
でもこのジミーくん、最初に拾われてきたメンバーの一人みたいなんだよね。美少年ハーレムができる前からいるって事になる。
性格には問題なく、どこにでもいそうな感じ。
ただ、面接した時に素性を聞いたんだけど、結構謎が多い。
ヒルダに拾われる前の事をジミーは全く覚えてないのだ。
「これであなたはワタクシのモノ。だからずっと側にいなさい。わかったわね?」
そう言われて、気づいたら心臓の上に紋章が刻まれていたとの事。
ヒルダと魔法契約したのは間違いないみたいなのだけれど、どういう内容かはジミー自身知らないらしい。
それでいて本人が全く気にした様子がない。わりとのんびりしている。
とりあえずは、この五人で獣人の国へ向かうことが決まった。
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「早くしないと、あいつら庭で待ってるぞ?」
現在、出発の少し前。
以前連れてきてもらった花畑に、私はイクシスと一緒にいた。
目の前には座って私のキスを待っている、人型のイクシスがいる。
ニヤニヤとしてるのが小憎たらしい。
私の緊張が手にとるように伝わってるんだろう。
「別にそう気張らなくても、触れるくらいでいい。それならメイコにもできるだろ?」
目の前のイクシスは、親切からそんな事を言ってくれてるんだろう。
なんとなくそれはわかるんだけど……。
――メイコに大人のキスなんてできるわけもないし。
そんな、馬鹿にした雰囲気も同時に伝わってくるのが何だか腹立たしい。
ちょっと経験があるからって、イクシスめ。
自分の方が上だとでも思っているんじゃないのか。
あっちだけ余裕のある態度なのがどうにも気に入らない。
ぎゃふんといわせたくなってくる。
「イクシス、目を閉じなさい!」
「わかった」
イクシスが私に従って目を閉じる。
その肩に手を置いて、前かがみになってぐっと顔を近づけて。
綺麗な形をした眉に、すっと通った鼻筋、切れ長の眦。
やっぱりイクシスは美形で、今から自分がそれにキスをしようとしてると思うと、胸が騒がしくなる。
息がかかるような距離だから、つい呼吸を止めてしまって苦しい。
一旦体勢を変えてチャレンジしようと、イクシスの前に膝立ちになる。
深呼吸して心を落ち着かせる。
女は度胸だ。キスの一つや二つ、どうってことない。
イクシスが男だと意識するからいけない。本体はあの巨大な竜だ。あれにキスすると考えたら全然平気じゃないか。
イクシスの顔に両手を伸ばして、少し伸びをして。
ここは覚悟をきめて、ぐっと目を閉じながら、思いっきり引き寄せて唇を押し付けた。
「んっ……!」
勢いよすぎて、カチッと歯が当たって痛い。
しかし、これだと何だかイクシスに笑われそうな気がして、誤魔化すようにイクシスの唇を割って舌を差し入れてみた。
イクシスが驚いたように目を開く。
何か後には引けなくなって、舌を動かす。
人の口の中だというのに、嫌悪感は驚くほどない。
これでいいのかと思いながらもイクシスの反応を窺っていたら。
ふっとイクシスが鼻で笑って、私の腰をぐいっと引き寄せてきた。
「んぅ、あ……」
イクシスの舌が私の口の中に入ってきて、口内をくすぐる。
くすぐったいと心地いいが同時にやってきて、わけがわからなくなったところで、舌を絡ませられ、吸われて、頭の中がくらくらとした。
「キスはこうやってやるんだ。メイコからやってきたんだし、次からの手本ってことで怒るなよ?」
ようやく息を吐いたところで、イクシスがまだぼーっとする私にそう言って笑う。
「イクシスのスケベ竜。あんないやらしいキスをする必要はないでしょうが!」
「挨拶程度だろ、あんなの。花街の奴らのはもっと凄いぞ?」
私の抗議に、何てことのないようにイクシスが口にする。
ふいに、私はとんでもない可能性に気づいてしまった。
本当に今のキスが、この世界では一般的な挨拶レベルのキスなんじゃないかという可能性だ。
花組の子たちもキスをよくねだってくるし。
ヒルダも性には自由奔放だし。
イクシスの態度を見ていると、それもありえる気がしてくる。
なんという恐ろしい世界。
つつしみ深いニホン人の私からすると、とんでもない話だ。
「どうしたんだメイコ? よすぎて呆けてるのか?」
「……そんなわけないでしょ! イクシスこそ、どうして変身してないの!」
とんでもないこと言われてイクシスを叩こうとしたら、簡単に手を止められてしまう。
「あいつらの目の前で変身しようかと思ってな。俺が竜になった姿を見たことない奴がほとんどだから、見せといたほうが同一の存在だってわかるだろ?」
確かにここでイクシスが竜になって屋敷に戻ったら、警戒してしまう子がいるかもしれないと納得する。
「キスしても、すぐ変身するわけじゃないのね」
「我慢しようと思えばできるってだけだ。くしゃみするのを我慢するのに似てるな。ほら行くぞ」
人型のイクシスに抱きかかえられて、屋敷へと戻った。
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皆の目の前でイクシスが竜の姿になる。
クロードが宝玉もなしに本当に変身できるんですねと、驚いていた。
ちょっと半身半疑だったのかもしれない。
ちなみに、クロードには宝玉自体は渡さず力だけ与えているのだと説明してある。
具体的な力の与え方は、一切教えてない。
イクシスとキスをして……なんて言ったら。
絶対に怒って、どこからかムチを取り出すに決まっているからだ。
竜になったイクシスの背に、騎乗用の機材を取り付ける。
イクシスが自分の異空間にしまってあったやつだ。どこぞの猫型ロボットの四次元ポケットみたいで便利だなと思う。
それから、私は鷹の姿になったフェザーを抱きかかえ、その背に座った。
同じようにジミーとクロードが、私の後ろに座る。
『それじゃ、行くか』
イクシスの声が響き、斜め上にある空間が縦に裂ける。
まるでジッパーを引き下げたような不自然な穴が、目の前に出来ていた。
奥の方にはまるで星空に緑や紫のスプレーをかけたような空間が広がっている。
「ななっ、なにこれ! これが空間の割れ目なの?」
「お嬢様の目には、何か見えているのですか?」
驚く私に対して、クロードが戸惑うような声を上げる。
どうやらクロードには目の前のソレが見えてないらしい。
「? 何も見えないが、一体なんの話だ」
私に抱きかかえられているフェザーも、首を傾げた。
『空間の割れ目は、空間を操る才がある奴にしか見えないんだ』
そう言って、イクシスが羽ばたきを開始する。
その巨体が浮き、空間の割れ目が私達の目の前に近づいて。
耳鳴りがするくらいの静寂が訪れたかと思ったら、星空の中を飛んでいた。
上も下もわかり辛いどこまでも続く空は、霞がかったように色んな色が混ざり、幻想的で綺麗だった。
『もうそろそろ着くぞ』
「早くない!? 三十分も経ってない気がするんだけど!」
三日かかるとか言っていた気がするのに、イクシスがあっさりとそう告げた。
『空間の中は時間の流れが違うんだ。外に出たら、あれからもう三日は経ってる』
目の前に、白い光が差し込む空間の割れ目が見えて。
私達は、とうとう獣人の国へと降り立った。
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