【15】主人と下僕
「一旦フェザーを牢にぶちこんでくる」
そう言って立ち去ろうとしたイクシスの衣を、私は無意識に掴んでいた。
「……大丈夫だ。クロードをすぐに呼んでやる」
イクシスの服は竜族の民族服なのか、元の世界でいうチュウゴクの民族衣装に似ていた。
チャイナドレスの男版みたいな、その長い裾を掴んで見上げれば。
イクシスは私の不安を感じ取ったのか、気遣う声色でそう言ってくれる。
「大丈夫ですかお嬢様!?」
目の前でイクシスが掻き消えてすぐに、クロードが私の元にやってきた。
荒い呼吸と焦った様子に、急いでかけつけてくれたことがわかる。
心の底から心配してくれているその表情に、張り詰めていた緊張がようやく解けたのを感じた。
怖かった。殺されると思った。
誰かからあんな風に殺意を直接向けられたことはなくて。
押し寄せてくる憎しみの感情に、押しつぶされそうだった。
あれは私じゃなくて、ヒルダに向けられている。
そう思っていたから私は今まで、フェザーの殺意をかわしてこれていた。
それでいて、側にイクシスもいたから死亡フラグ満載の状況とは言え、危機感が足りてなかったのだ。
油断していた。
それで、舐めていた。
憎まれているのは私じゃない。
そうやってヒルダを自分の中で切り離そうとするのに、フェザーの憎しみのこもった目を忘れられない。
私をフェザーは本気で殺そうとしていた。
緩んだ緊張のせいで、涙が出そうになったけれどそれを堪える。
ここで私が大事にしてしまえば、クロードは絶対にフェザーを許さないだろうと思った。
「大丈夫。平気」
強がった声は震えていて、クロードが顔を曇らせた。
「……お嬢様立てますか?」
差し出されたクロードの手をとって立ち上がろうとして、よろめく。
それをクロードが支えてくれて、抱き上げましょうかと言ってきたけれど、それは遠慮して腕だけ借りることにする。
ベッドの方に連れて行かれ、そこに腰を下ろす。
しばらくすると、クロードの部下が救急箱を持ってきた。
その場でクロードが手当てをしてくれる。
擦り傷はいくつもあって薬が染みたけれど、針で縫わなければならないほどの大きなものはなかった。
一つ一つを手当てしていくクロードの顔は、まるで自分が怪我をしてしまったかのように苦しそうだった。
「ありがとう、クロード」
「いいえ。すいませんお嬢様。やはり私がお側に離れずに着いているべきでした」
まだ震える声でお礼を言えば、クロードは首を横に振った。
案じてくれているのが嬉しいけれど、それは私を心配してるんじゃなくて、ヒルダを心配してるんだよねと頭の隅で思う自分がいた。
それでも十分だ。なのにどうしてこんなに心細く思うのか。
しっかりしなきゃと自分に言い聞かせる。
ヒルダは命を狙われていて、死亡フラグはたくさん転がってる。
それはわかっていたはずだ。
「お嬢様何があったか、状況を説明してもらってもよろしいでしょうか?」
クロードに言われて一部始終を説明すれば、クロードは眉をひそめた。
「枷の鍵が奪われていてフェザーがお嬢様を襲ってきたと、そういう事なのですね。イクシスは守護竜の癖に、一体何をしていたんでしょうか」
苛立たしげにクロードが呟く。
「二人を責めないで。フェザーが私を恨んでるのも、元々はギルバートに対して私が酷い仕打ちをしたことに対する自業自得みたいなものだし。イクシスの事に関しても……私が怒らせたのが原因だと思うから」
「お嬢様は二人の主人です。彼らに逆らう権利はなく、お嬢様の意向に沿うことこそ全てです。ましてやお嬢様を守れず、傷つけるなんてあってはいけません」
庇う私に、きっぱりとクロードが告げる。
「お嬢様はフェザーを獣人の国へ帰すつもりでいるようでしたが、処分を検討する必要があるかと思います」
「……処分って、殺すということ?」
「はい」
優しい執事であるクロードの口から出た言葉に、絶句する。
ここは私の住んでいたニホンとは違う世界だと、目の前に突きつけられた気がした。
獣人は人じゃなくて、動物と同じ扱いで。
人を噛んだ犬は、保健所につれていかれて処分される。
それと同じ事だ。
……人だろうと、動物だろうと、本来私に誰かの命を奪う権利なんてない。
けれど、ここでは当たり前で。
そうするのが正しいのだと、嫌でも思い知らされるようだった。
「処分はしない」
「記憶喪失になってから、お嬢様は変わってしまった。逆らう者は排除して、徹底的に潰すのがお嬢様のやり方だったはずです。それにフェザーを獣人の国へ帰すメリットはお嬢様になく、むしろデメリットしかありません」
ぞっとするような提案に首を横に振れば。
目の前で膝をついていたクロードが、聞き分けてくださいというように意見を述べる。
「フェザーは主人であるお嬢様を殺そうとしました。それを野放しにして、またお嬢様が狙われたらどうするつもりなのですか。ヘタに獣人の国に帰して、あの国がお嬢様の敵にまわったら? 私はお嬢様に危険が及ぶことを、見逃すわけには行きません」
クロードの言うことも、頭では理解できている。
私が獣人の国へ行くと告げたときから、クロードはあまりよく思っていない様子だった。
それに気づきながらも、強気で決めたことだからと言えば、クロードは手を貸してくれていた。
「でもだからと言って殺すなんて駄目。フェザーは子供だし、元はと言えば私が今までした仕打ちのせいで、あんな事をしたんだから」
悪いのは私だ。
そう言っているのに、クロードは一切それを聞き入れる様子はない。
ヒルダは主人で、フェザーは下僕。
ここに大きな隔たりがあるのだと、クロードは口にする。
同じ生き物でも、決して平等ではないのだ。
この世界の常識からすればクロードが正しい。
それはわかってるけれど、絶対に嫌だった。
まだ和解できる可能性があるのにそれを放棄して、殺して解決だなんて。
そんなの、受け入れられるはずがない。
「クロード様、ネズミも含め掃除が全て終わりました」
部屋がノックされ、クロードの部下がそう告げた。
クロードは私を立たせて、部屋の外へと連れて行く。
別の部屋に連れて行かれてテーブルに座ると、クロードが紅茶を入れてくれた。
飲むとじんわりと甘さが染みて、指先まで感覚が戻ってきたような心地がする。
「ねぇクロード。掃除って、さっきまでこの部屋を掃除していたの?」
いつだって屋敷内は綺麗に保たれている。
なのに、ネズミが出る部屋なんてあったんだろうか。
「いえそうではなく、さっきのアレは使い物にならなくなった護衛騎士の後始末をしたという意味です」
疑問に思って尋ねれば、クロードはさらりとそんな事を口にする。
――使い物にならなくなったということは。
つまりは死んだという事じゃないだろうか。
「役に立たない護衛ですいません。すぐに新しい者を用意させますので、お嬢様が心配する必要はありません。フェザーは牢屋に入れましたし、協力者も始末しましたが、心配なら三人ほど護衛を増やします」
呆然とする私に、申し訳なさそうな顔でクロードが謝ってくる。
死に対する価値観が私とは違う。
わかっていたはずなのに、私は見ないふりをしていたのかもしれない。
だんだんと、気分が悪くなってくる。
謝るクロードの言葉には、亡くなってしまった護衛の騎士に対する配慮よりも、私を守れなかったことに対する憤りの方があった。
この世界は、私の世界よりも死が軽い。
護衛の騎士は顔見知りだった。
そんなに話すわけじゃないけど、お疲れ様とか挨拶は毎日していたのだ。
「……フェザーが彼を殺したの?」
「いいえ。死体を見るに、その鮮やかな手口から殺したのは暗殺者の類と思われます。庭を警備していた者も同様の手口で殺されていました」
恐る恐る尋ねればクロードが答えた。
「フェザーに、協力者がいるってこと?」
「はい。でも安心してください。先ほどの掃除を終えたという言葉の中には、暗殺者の方も始末したという意味が含まれています」
私を落ち着かせるように、クロードが微笑みかけてくる。
柔らかな表情で物騒な事を口にするクロードに、違和感を覚えた。
「イクシス、あなたにも事情を聞きたいのですが。いるのでしょう?」
クロードがそう言えば、その場にイクシスが姿を現す。
「何故あなたがいながら、お嬢様を危険にさらしたのですか」
「……ヒルダの感情が俺に伝わらないように、魔法で妨害されてたんだよ。てっきり感情を閉じることを覚えたのかと思ったんだが、胸騒ぎがして戻ってきた。空間も繋がらないよう細工されてて、駆けつけたらフェザーに襲われてた」
睨んでくるクロードにイクシスは答えて、悔しそうな顔で赤い髪をかく。
「すぐ来れなくて悪かったな。怖かったろ?」
私の近くまでやってきて、乱暴な仕草でイクシスが頭を撫でてくる。
「主人であるお嬢様の頭を押さえるなんて、あなたは立場を弁えているのですか!」
側にいたクロードがありえないというように声をはりあげたけれど、イクシスはそれを無視した。
「……泣いていい。お前の不安はちゃんと伝わってる」
見上げる私に、イクシスはぶっきらぼうな態度でそう言って、優しく肩を抱き寄せてくる。
ヒルダではなく、私自身に向けられているその言葉と眼差しに、強がるだけ無駄だと言われている気がした。
「うっ……イクシス……」
「大丈夫だ。今度はこんな不覚とらねぇよ」
弱った声を出す私を勇気付けるように、イクシスが力強い言葉をくれて。
私は安堵して、泣き崩れてしまった。
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泣いて後、ヒルダの部屋に戻って少し眠ることにした。
すでに部屋は綺麗になっていて、ここでフェザーに命を狙われたことが嘘かのようだ。
「お嬢様、おやすみなさいませ」
「じゃあな」
クロードとイクシスが、部屋を出て行く。
一人で寝るのは心細い。
布団を頭から被って丸まっていたら、側に誰かの気配を感じた。
「いてやるからさっさと寝ろ」
一旦外に出てあと、戻ってきてくれたイクシスの背中がそう呟く。
それだけですっと心が軽くなって、気づけば寝ていた。
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起きたとき、イクシスは変わらない様子でベッドに座っていた。
「イクシス?」
「あぁ、起きたか」
名前を呼べばイクシスは、今回のフェザーの事について話して聞かせてくれた。
『そんなに俺とキスするのは嫌で、気持ち悪かったのかよ。悪かったな』
イクシスは庭で私にそう言って後、腹が立って遠くまで散歩に出かけていたらしい。
そうは言ってもヒルダと離れられる範囲はそう広くないので、街外れの丘で寝そべっていたとの事だ。
――そっちがその気なら、俺だって無視してやる。
そんな事を考えながら、イクシスは収まらない苛立ちを持て余していたらしい。
言葉を投げつけた瞬間に、イクシスは私から後悔の感情を読み取っていた。
そんなに嫌なら私が頼むまでキスはしてやらないと、心に誓った。
こうすれば獣人の国に短時間で行く方法もなくなり、困るのは私の方だと考えたのだ。
――今頃、俺に対する態度を反省していることだろう。
そう考えて、イクシスは私の感情を探ろうとして。
先ほどから、自分に私の感情が一切伝わってきていないことに気づいた。
――もしかして、感情を閉じる方法を思い出したのか?
イクシスは戸惑った。
その方法を自分で見つけ出してしまうほど拒絶されているのか。
最初はそう考えて、ショックを受けたようだ。
別にそれでも構わないと思いながらも、そこまで嫌われているとはどうしても思えなくて。
気になったイクシスは密かに私の元に戻って、様子を窺おうと考えた。
けれど、ヒルダの部屋に空間を直接繋げることができなかったらしい。
妙な胸騒ぎがして直接空を飛んで屋敷に戻れば、私の部屋には結界が張られていた。
それを無理やりこじ開けて、中に入ったところ。
私がフェザーに襲われていたとのことだ。
「じゃあ私に愛想を尽かして、助けにきてくれなかったわけじゃないんだ?」
「メイコが死ぬと俺も死ぬんだぞ? 大体あの程度で見捨てるなら、初日の奇行を見た時点で見限ってないとおかしいだろ」
確認すれば、少し考えればわかるだろという調子で返された。
「助けてくれてありがとう、イクシス。それと意地張ってごめんなさい……別にイクシスとキスするのが嫌だったわけじゃなくて、最初がアレって事に腹が立っただけだから」
「こっちもあんな形で奪って悪かったとは……思ってるんだ。最初ならちゃんと考えてやるべきだった」
改めて礼を言って謝れば、イクシスはバツが悪そうな顔になった。
「それでこれからどうするんだ。フェザーを獣人の国へ連れて行く気でいるのか?」
「……うん、そのつもり。こんな事までさせちゃったのは、やっぱりヒルダの責任だから」
私の言葉にイクシスは甘ちゃんだなと溜息を吐く。
けど、例え甘かろうと何だろうと。
自分が嫌だと思う決断をして、後悔をして生きるのは嫌だ。
それくらいなら自分が正しいと思う決断をして、失敗しようが受け入れて進む。
それが私のやり方だ。
「自分を殺そうとしたやつに、そこまで優しくする必要がどこにあるんだ。はっきり言って理解できない」
「それでも、このままなのは嫌なの。牢屋まで連れて行って」
立ち上がって宣言すれば、イクシスは呆れたような顔をする。
「……本当、面倒な主人を持ったな俺は。正直ヒルダの方がマトモだった」
「なにそれ!? ショタコンで変態なヒルダさんより、私の方が普通でしょ!?」
納得がいかなくて食いついたけれど、イクシスは本気でそう思っているみたいだった。
「普通の奴は普通って自分から言わない。それに、ヒルダは最悪な奴だったが、メイコと違って主人らしい主人だった。大体、さっきまで泣いてガタガタ震えてたのに、どうして自分を殺そうとした奴を守るために必死になれるんだ」
「それは」
説明しようとすれば、いらないと手で遮られる。
「聞いたところで俺の本音は変わらない。けどな俺はメイコの守護竜で、一方的な運命共同体だ……しかたないから付き合ってやる。ガキがどうなろうと別にどうでもいいが、甘くてどうしようもなくお人よしなご主人は、目を離すと自分から面倒事を抱えこむからな」
ふっとイクシスは、共犯者の笑みを浮かべる。
その瞳には私を好ましく思っているような色があって。
この竜は私にお人よしというけれど、自分こそお人よしだと気づいてないんじゃないだろうかと思う。
悪ぶっている雰囲気はあるけれど、面倒見がいい。
「ありがとうイクシス!」
「言っておくが別にメイコのためじゃない。最終的には俺のためだ」
嬉しくなって思わず抱きつけば、イクシスは念を押してくる。
「わかってるわかってる! イクシスありがとう!」
「……本当にわかってるんだろうな?」
調子のいい私の態度に、イクシスは不満げだったけれど。
側にいてくれたのがイクシスでよかったと、心から思った。
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