【番外編12】ヒルダと新しい兄弟(ヒルダ視点)
★9/22「ヒルダとティリア」を一部引き下げた代わりのお話となります。
「ワタクシはヒルダ。ヒルダ・オースティンよ」
「俺の名は燐世だ。朝倉林太郎という少年の体を借りて、この世界に顕現している」
自己紹介をすれば、少年――燐世がふっと老獪したような笑みを浮かべて口にする。
「あなたはいったい何者? この体のことも含めて、教えてくれないかしら」
「いいだろう」
尋ねれば燐世は説明してくれた。
この体の名前は『朝倉芽衣子』。年はワタクシと同じ二十歳の、この世界ではごく一般的な女性。
対する燐世は、この世界とは別にある通称『地獄』と呼ばれる場所からやってきた魔法使いのようだった。
メイコの弟である林太郎の体を借り、『地獄』からこの世界に流出してしまった特殊な『魔法具』を集めながら、追手を退けつつ、裏切者を捜しているらしい。
「それで今度はそちらの事情を話して貰おうか」
言われるままに、ワタクシがここに来るまでの事情を口にする。
エルフの国で生まれ育ったこと、人間の老人の所へ嫁にいったこと。
姉であるティリアが人間の少年のふりをして、ワタクシになんらかの術をかけたことまで話した。
「なるほどな。大体の内容はわかった」
組んでいた足を燐世が戻し、にやりとワタクシに笑いかけてくる。
「ヒルダもまた俺と同じように、魂のみで異世界からやってきたというわけだ」
「異世界? ここはワタクシが住んでいた世界とは違うということ?」
燐世の言葉に眉を寄せる。
世界がいくつも存在していること自体は知っていた。
けれどまさか、それを飛び越えてしまうなんて――ありえないことだ。
「あぁそうだ。察しがいいな。ヒルダのいう大陸も、国もこの世界にはない。もう一つ言えば、この世界に魔法なんてものは存在しないことになっている」
ゆっくりと口にする燐世は、ワタクシの表情を楽しんでいるかのように笑う。
驚くとわかっていたかのようだ。
「衝撃的だろう? 魔法を使うこと自体は可能だ。ただし、この世界のありとあらゆる生物が、その体内に魔法を使うための回路を持っていない。空気中に魔力を使うための元素があっても、それを魔力に変換できなければ無意味だ」
燐世は肩をすくめた。
俺もこの世界に来たときは驚いたと言いながら。
魔法が存在しない世界。
そんなものがあるなんて。
ティリアがワタクシをここに飛ばした理由がわかった気がした。
ここにいれば、いくらワタクシでもただの無力な人間。
ワタクシから魔法の力を奪うため、わざわざこの異世界を探し出したんだろう。
体を始末して戻れなくした上で、魔法が使えなくなったワタクシを嬲ろうという考えが透けて見えるようだ。
「……でも、あなたは魔法使ってるわよね? 霊体を見る魔法を使ったから、ワタクシが姉と別の魂だと気づいた。そうでしょう?」
指摘すればうっすらと燐世が笑う。
見抜いたワタクシに対して、面白がるような視線を向けてくる。
「まぁそのことはおいおい話してやる。元の世界に帰るにしろ、しばらくはその体だ。この世界の常識を俺が色々教えて面倒を見てやろう。ヒルダが異世界の者だとばれて、追手に気づかれるのは避けたいからな」
「えぇ、よろしくお願いするわ」
思っていた以上に協力的だ。
断る理由もなく、笑顔を作って頷いた。
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「それにしても、お腹がすいたわ。そこにあるリンゴをむいてくれないかしら?」
横の棚にあるリンゴを指さして言えば、燐世は一瞬考えるような表情をしてあと、いいだろうと頷いた。
リンゴを片手で少し弄んで後、棚の引き出しからナイフを取り出し、その刃先をリンゴにあてる。
そしてザクリと、自分の指に刃を滑らせた。
「……っ!」
燐世のクールな顔立ちがくしゃりと崩れ、情けない顔になる。
血のにじむ指をくわえて涙目だ。
思わず唖然としていたら、ワタクシの視線に気づいてなんでもないような顔をとりつくろった。
「ちょっと失敗しただけだ。少年の体は使い勝手が難しい」
その言い分からすると、燐世の元の体は大人なんだろう。
前かがみになってリンゴに顔を近づけ、慎重に皮に刃を滑らせる。
はっきり言って手つきが危なっかしいし、表情はどこか焦っている気がした。
しかも、皮を剥くのがかなり遅い。
ちまちまと皮を剥き、しかもそれでも時々指を切っている。
初対面でしかもこれから助けてもらおうという相手だ。あまり悪い印象は与えないほうがいいだろうと待つことにする。
その間に、棚に置いてあった鏡を手に取り、自分の顔を確認する。
先ほどの母親や燐世と血のつながりを感じさせる顔は、不細工でもなければ、特別美人というわけでもない。
ワタクシと同じ二十歳のわりにはかなり幼く見えるけれど、それは異国人だからそう感じるだけなのだろうか。
「待たせたな!」
燐世の声でそちらを見れば、ようやくむかれたリンゴがあった。
しかし表面に少し血がついていて、あまり食べる気にならない。
リンゴを一つ剥くだけで、どれだけ手を傷つけているのか。
クロードがしゅるしゅるとリンゴの皮を剥くところを見たことがあったから、簡単にできるものだと思っていた。
「やっぱりそれ、いらないわ。ワタクシが自分で剥く」
「ここまで剥いたのに!?」
やりとげたみたいな顔をした燐世にそう言えば、酷いというように声を上げる。
クールな少年だと思っていたが、そうでもないんだろうか。
少し驚いて目を向ければ、コホンと燐世は咳払いした。
確かにここまで剥いたのに、やり直しというのも面倒ね。
何よりお腹がすいていた。
しかたないので血がついていた部分をかなり厚めに切り落とし、食べられそうな部分だけを皿に乗せた。
「食べさせてもらえるかしら」
当然のようにそう言い放てば、しかたないとフォークでリンゴの欠片を刺して燐世が口へと運んでくれる。
つい癖で命令してしまったものの、やってくれるとは思わなかった。
気難しい魔法使いかと思えば、そうでもないらしい。
よくわからない男ね。
そんなことを思いながら、リンゴを食べる。
「……やっぱり苺が食べたいわ。買ってきてもらえるかしら」
このリンゴ、そもそも皮を厚く剥きすぎて食べるところが少なすぎる。
そう口にしたところで、がらりとドアが開いた音がした。
立っていたのは二十歳くらいの優男。
サラサラとした髪は、走ってきたのか乱れていて。
私と目が合うとその瞳を見開き――涙をこぼした。
まるで、その場に縫いとめられてしまったかのように、彼はその場から動かない。
「ワタクシは無事よ。泣く必要はないわ」
「……そうみたい、だね」
声をかければ、泣いていた彼はワタクシに近づいてきた。
顔立ちは全くワタクシや燐世とは似ていない。
端正な顔立ちは優しげで、女性を引き付ける類のものだ。
年齢とこの様子からして、この体――メイコの彼氏なのだろうか。
「怪我はなかったってきいた。本当、よかった」
そう言って彼がワタクシの目を見つめる。
心の底から喜んでいると伝わってくる視線に、胸の奥が騒ぐような感覚がした。
初めて出会ったはずなのに、どこかで会ったような。
そんな妙な心地になる。
この体の記憶に、感情が引きずられているのかもしれないとそれを抑え込んだ。
「あなた、名前は?」
「名前?」
「姉ちゃん、事故のショックで記憶が飛んでるみたいなんだ」
どうしてそんなことを聞くのかと彼が目を見開けば、燐世が少年らしい声で説明してくれる。
どうやら燐世は魔法使いとしての顔と、この世界での『朝倉林太郎』としての顔をうまく使い分けているらしい。
「記憶が……?」
「そうよ。だから、あなたのこと教えてほしいの」
見上げて尋ねれば、大地という青年は口元を緩めた。
自分のことを聞かれたのが嬉しいというかのように。
彼女が記憶喪失になったというのに、おかしな態度だ。
そこは普通、自分のことを忘れてしまったのかと嘆くところのはずだ。
「ぼくは――大地だよ。メイコ、君の義兄だ」
引っ掛かりを覚えたワタクシに、大地は優しい声でそう口にした。
「義兄?」
「俺たちの兄ちゃんだよ」
思わず燐世に尋ねれば、頷いて答えてくれる。
「本当に、そうなの?」
「うん。血はつながってないけどね。親同士の再婚で兄弟になったんだ」
それでも納得できなくて、本人に確認するように問いただせば。
まるで睦言をささやくような甘い声で、大地が微笑んだ。
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たとえ向こうの世界からティリアがやってきても、ワタクシを守ると燐世が約束してくれた。
異世界から侵入者があれば、燐世にはわかるらしい。
それを聞いて少し安心した。
「悪いが俺にも事情がある。その体の持ち主には、戻ってもらわなくてはならないからな。しばらくは俺の姉として、ヒルダには暮らしてもらう」
時がくれば元の体に戻してやると、燐世は約束してくれた。
ワタクシが異世界を飛び越えたように、この体の持ち主の魂もまた異世界へと旅立ってしまったらしい。
その魂の行方を燐世の仲間が捜している間、私にこの体に留まってほしいようだった。
魂のない体は無防備になって、変なモノに入り込まれたり、衰弱していく運命にある。
それを燐世は避けたいらしい。
ワタクシとしても、この体がないと困るので異論はなかった。
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病院からはすぐに退院できた。
今ワタクシにとって大切なのは、この世界について学ぶことだ。
出会ったばかりの燐世に全てをまかせて安心できるわけがない。
どうすればこの世界から元の世界へ帰れるのか、魔法をどうやればこの世界でも使えるのか。
調べることはたくさんあった。
この世界というか、ワタクシが住んでいる国には身分というものがないらしい。
かなり平和な国だ。
それでいて、生活レベルはかなり高い。魔法はないのに魔法としか思えない現象に溢れている。
魔法がないのに夜でも光が各家に満ち、ボタン一つで食べ物を温める箱や、馬がなくても走る馬車が存在していた。
「それは魔法ではない、化学だ」
「化学?」
「この世界で発達した、魔法の代わりの技術のようなものだな」
燐世に尋ねれば、化学について説明してくれた。
この世界で魔法にあたる化学というものは、私たちの世界の魔法とは根本的に違う。
個人の素質に左右されるようなものではなく、権力の保持や貴族のステータスになるようなものじゃない。
化学は人々の発展のために、多くの人の手元にその技術がいきわたっているのだということだった。
正直、そこまで理解できたわけではない。
けれど、もしも魔法の代わりに身につけるなら、化学だということはわかった。
個人の素質は関係なく、勉強すれば誰にでもわかる原理だと燐世が言っていたのも心強い。
この世界で魔法を使いたいと言っても、燐世はなかなか教えてくれない。
いっそ魔法ではなく化学を身に着けようか。
なんにせよ、この世界の情報が足りない。
そう思っていたワタクシに、何よりも協力的だったのが大地だった。
書物を借りてきてくれて、尋ねればいろいろなことを教え。
外に行くことも必要だよと街に連れ出し、案内をしてくれる。
今日はこのあたりで一番栄えているという街へ連れて行ってもらった。
電車というものに初めて乗り、高い塔が立ち並ぶ灰色の街へ行った。
行きかう人の数は多く、店の中には動く階段や、謎の道具を売る店など摩訶不思議なものが多かった。
見たことのないものを自分の中で噛み砕こうにも、あまりにも未知の情報が多すぎて、一度に理解するのは疲れる。
休憩しようと大地が言って連れて行ってくれたのは、カフェだった。
パンケーキの味は、どこの世界でも共通らしい。
食べれば甘くてほっとする。
「メイコちゃん、美味しい?」
「そうね。美味しいわ」
頷けばよかったと大地が笑う。
「今日見て歩いたところは、ワタクシの思い出の場所だったりするのかしら」
「そんなことはないと思うよ」
病院を退院してから、大地はほぼワタクシにつきっきりだった。
夕飯の時間になると、母親――絢子が料理を作ってくれるのだけれど、それを食べるときもよくワタクシに話しかけてくる。
わがままを口にしても、わかったと嬉しそうにするばかりだ。
本当に甲斐甲斐しい。
「明日はどこへ行きたい? 水族館でも遊園地でも、メイコちゃんが行きたいならどこへでも連れて行ってあげるよ」
「どうしてあなたはそんなにワタクシに優しいのかしら。そんなに、自分のことを思い出してほしいの?」
妹に対する兄の態度としては行き過ぎている。
そう思って、探りを入れるように口にした。
「別にぼくのことは思い出さなくてもいいかな。メイコちゃんも無理して思い出す必要はないと思うよ。戻るときは自然に戻ると思うし」
意外な返答。
無理して言っているようでもなく、この大地という男はよく摑めない。
いつだって笑みを浮かべているけれど、どうにも本心が分からなかった。
「記憶を取り戻してほしいから、ワタクシに色々してくれるんでしょう?」
「お母さんも、武くんや林太郎くんたちも望んでるからね。記憶を取り戻すのに越したことはないと思うよ。でも、別にそれが目的でメイコちゃんに優しくしているわけじゃない」
真意がよくわからなくて首を傾げれば、大地はそう口にした。
「じゃあ、どうして優しくするの?」
人が人に優しくするときは、何か理由がある。
大地はメイコと血が繋がっていない。
それでいて、ずっと昔から兄妹というわけではなく、五年前に再婚で兄妹になったと聞いていた。
「もしかして、あなたメイコが好きだったんじゃないのかしら?」
ほぼ確信を持って、意地悪な口調で尋ねる。
大地にはからかいたく雰囲気があって、どうにも強気に出てしまうところがあった。
困り顔がかわいいというか、振り回したくなる。
「家族以上の感情はないよ。それにぼくはメイコちゃんには嫌われてたから」
問いかけに対して、弱ったように大地は笑う。
焦った様子もなく、全く見当違いな事を言われてしまったかのよう。
てっきり義妹であるメイコに気があったのかと思ったのだけれど――その様子を見る限り違うように思えた。
「義理でただの兄妹にしては、ワタクシに対して親切すぎるんじゃないかしら? それに絢子から電話でワタクシは無事だと聞いていたくせに、病室でワタクシに会って泣いていたじゃない」
けれどそれ以外に大地がワタクシに優しい理由が思い浮かばなくて。
紅茶を飲みながらそう言えば、大地は考え込むように黙った。
「……自分でも、よくわからないんだ。ただ、メイコちゃんがあの交差点で事故に遭ったって聞いて、いてもたってもいられなくて。病院でメイコちゃんの姿を見たら、勝手に涙が出て止まらなかった」
戸惑いを乗せた声で、大地がゆっくりと言う。
自分でも気持ちが整理できてないように見えた。
「そんなことより、パフェも食べる? 好きなもの選んでいいよ?」
話をそらすように、大地がメニューを差し出してくる。
「この苺が乗ったパフェと、チョコパフェと、このアラモラードスペシャルが食べたいわ」
「さすがに三つは……太るよ?」
気持ちのままに指させば、ぼそっと大地がそんなことを言った。
むっとして睨めば、慌てたような顔になる。
「じゃあ、苺とチョコのパフェをそれぞれ頼んで、半分ずつ食べてから交換しよう。もう一つは、また次の楽しみってことで」
なるほど、それぞれを少しずつ食べて、残りは次に来たときに……ね?
頭にもなかった。
「……そうね、それでいいわ」
頷けば大地はふっと笑う。
「次来るときは、絶対にアラモードスペシャルだから」
諦める気はないし、忘れたりはしないわよという意味を込めて言えば。
「うん、また一緒にこようね」
大地は嬉しそうにそう言って、ウェイトレスを呼び寄せパフェを注文した。