【番外編7】レニと乙女の特訓2
お昼すぎ、屋敷の図書室に行けば、そこにはソフィアの姿があった。
本を開いているものの、先ほどからページを捲る指は動いてなくて、溜息ばかり吐いている。
その憂いを帯びた表情は、はかなげな容貌を持つ美少女であるソフィアによく似合っていた。
メイドのマリアの娘であるソフィアは、乙女ゲーム『黄昏の王冠』の攻略対象であるアベルより三つ年上。
現在アベルが十五歳だから、十八歳。
幼い頃から病弱だった彼女は、最近ようやく人並みの生活ができるようになった。
同じ年頃の子が外で遊んでいる間、彼女はずっとベッドの上。
辛いはずなのに、それでも泣き言も言わずにいつも笑っているような強い少女で、母親と兄を気遣うような子だ。
色に例えると汚れない白で、守ってあげたくなる女の子。
たぶん、誰に彼女の印象を尋ねても似たような答えが返ってくると思う。
常に微笑みを絶やさない彼女が曇った顔をしている原因は、暗殺者の少女レニにある。
今日の朝方、二人は散歩に出かけた。
そこでソフィアが見つけた綺麗な鳥を、レニが欲しいなら取ってやるとナイフで落としてしまったのだ。
……ちゃんと仲直りできるかな。
それが心配で、本棚の奥からこっそり見守ることにする。
ここだと入り口からレニが入ってきたときにばれてしまうので、もうちょっと奥にと移動したところで、同じくソフィアをうかがう影を見つけた。
驚かせないように肩をそっと叩いたけれど、その人物はびくりと肩を震わせた。
「アベル、何してるの?」
「……」
そこにはアベルがいた。
小声で声をかければ、変なところを見つかってしまったと眉を寄せ、瞳が不機嫌な色を帯びた。
「……ソフィアの様子がおかしかったので」
あなたに関係ないでしょう。
前ならそんな台詞が返ってきたところだけれど、アベルは素直に答えてくれた。
誰かの心配をすることが格好悪いとでも思っているのか、ぶっきらぼうな言葉の中に照れのようなものが感じられる。
「だからここでこっそり見張ってるわけ?」
「しかたないじゃないですか。どうかしたのかと聞いたら、なんでもないと言われてしまったんです。本を読むから一人にしてくれと……僕には話せないことみたいで」
私の質問に答えながら、アベルがどんどん落ち込んでいく。
いずれオースティン家の当主になるアベルと、現当主である私の距離は昔より大分近くなった。
アベルに接するうちにわかったことなのだけれど、かなり彼は打たれ弱く、拒絶に弱い。
勉強も運動も魔法もかなり高レベルなものを身につけているのだけれど、彼はどうにも自分に自信がなかった。
母親に愛されなかったせいか……自分は人より劣っているから、誰よりも努力しなければ愛されないと思っているふしがある。
こういうとき、どうしていいかアベルはわからないんだろう。
困り果てた顔をしていた。
こんな風にアベルが弱みをさらしてくれるようになるなんて、人は変わるものだ。
以前のアベルなら悩みも苦しみも葛藤も何もかも、自分の内にしまいこんで隠してしまっただろう。
矛盾してるようだけど、弱さを人に見せられるようになったのはアベルが精神的に強くなった証しだ。
「一人で考え事したかっただけだと思うよ? 別にアベルが頼りにならないとかそういうことじゃないから大丈夫。ソフィアはちょっと友達と喧嘩しただけ。今からその子が仲直りにくる予定なの」
「そうなんですか……?」
私の言葉に、アベルは少しほっとしたような顔をした。
ソフィアが落ち込んでいる理由がわかっただけで、心持ちは違うんだろう。
もうちょっとしたらレニが来るはずだ。
二人してじっと息を潜めていると、五分も経たないうちにレニがやってきた。
朝に着ていたドレスではなく、普段のパーカーにズボンという少年のような格好をしている。その手には花束があった。
ドアを開けたのに音もなく、足音もしない。
気配を消すってこういうことなのかと思うほど、ソフィアへと近づくレニの存在感は薄い。ドアを
見張ってなければ、レニが入ってきたことに気付く事すらできなかっただろう。
気のせいか微妙に目があったような気がしたけれど……レニはそのままソフィアの横へと移動した。
「おい、ソフィア」
声をかけられて、ソフィアはようやくレニに気付いたようだった。
びくっと肩を震わせて振り返る。
その眼前に、レニが花束を突き出した。
「これやる。好きだろ?」
「……お花? わたしに?」
大ぶりのオレンジと赤の花たちとレニを見比べて、ソフィアが目を丸くする。
「今日の朝のお詫びだ。泣かせるつもりはなかった。ソフィアが珍しい鳥を気に入ってるようだったから、獲ってやろうと思っただけなんだ。泣かせて悪かったと思ってる」
レニはいさぎよく朗々とそう言って、花束をソフィアの胸に押し付けた。
「目の前で殺したのが駄目だったんだろ? 次からソフィアの前で殺しはしない」
微妙にずれてる気がするけど、殺しを生業として生きてきたレニにそこをいきなり理解しろというほうが難しいんだろう。
それでもこれは、レニにしてみればかなりの譲歩だった。
自分の意志で誰かに合わせるという行為自体、あまりしたことがないんじゃないだろうか。
「……ありがとうレニくん。私こそごめんなさい。レニくんが親切でやってくれたことなのに、あんなこと言って」
「ソフィアが謝る必要ないだろ。女がどうしたら嫌がるとか、喜ぶとかよくわかんないオレが悪い。それでその花どうだ? 気に入ったか?」
謝ったソフィアにレニはそう言って、感想を求めた。
ソフィアははにかんだ笑みでもちろんと口にする。
「そっか……ならよかった。正直、花なんて貰っても何の役にも立たないし、嬉しくないんじゃないかって心配だったんだ。ピオクオがいうことは本当だったんだな」
ほっとしたように、レニは肩の力を抜く。
さらさらとソフィアに声をかけていたように思えたけど、実は緊張していたのかもしれない。
「これ、ピオとクオの花壇にあるお花だよね。レニが選んでくれたの?」
「まぁあいつらと相談して決めたやつだけどな。好きなの選んでいいって言われても、花なんてどれも同じだろ」
受け取った花束を手に、ソフィアがレニを見つめる。
「どれも同じだなんて、そんなことないよ」
「そういわれても同じにしか見えない。たくさん種類があっても花は花だ。あんなにいっぱいあっても、どれもオレにとっては一緒なんだよ」
何だが少し雲行きが怪しくなってきた。
そんなことを言うレニに、ソフィアが悲しそうな顔をする。
「ソフィアが喜ぶ花がどれか、あんなにあったところでオレにはわかんないんだ。一種類なら考えなくていいから楽なのに……おかげで時間がかかった」
チッとレニが舌打ちする。
それはつまり、ソフィアが喜ぶのはどれかと真剣に考えて、悩んでその花を選んだということだ。
「いっぱい考えてくれたんだ……」
ソフィアもそれに気付いたらしく、わたがしのように甘い微笑みを浮かべる。
まぁなと答えたレニはどこか照れてるようで。
えっ、なにこのピュアピュアな雰囲気。
青春の甘酸っぱい一ページを見てるみたいなんですけど。
少女マンガなら点描や花がバックに咲き乱れている。
女の子同士の友情っていうよりも、一見ツンツンした男の子が好きな女の子に対して珍しく素直になったときのような……。
いや、仲直りできたことはいいんだけど、ちょっと思ってたのと違う。
「……どうしてこの花にしたの?」
「オレはソフィアの好みを知らない。ピオやクオがソフィアに似合う花を選べばいいと言ったから、あんたに似てる花を選んだんだ」
ソフィアの質問に、照れたようにレニが頭をかく。
「わたしに似てるって……どのあたりが?」
レニの選んできた花は、鮮やかなオレンジと赤の花。
情熱的で元気いっぱいと言った感じで、あまりソフィアのイメージじゃなかった。
「鼻近づけてみろ」
素直にソフィアはその香りをかぐ。
「……もの凄くいい香りがする」
「そういうこと。あんたって、いい匂いがするからな。一番香りのいいやつを選んできた」
口にしたソフィアに、レニがにっと笑う。
ソフィアが照れたように顔を紅くした。
――なんか今のレニ、物凄くたらしっぽかった。
ちょっとキュンときてしまったことを、悔しく思う。
まぁ何にせよ、ソフィアと仲直りできてよかった。
女の子の気持ちを理解しようとしてる努力は見えたことだし、これで一件落着ということにしよう。
女の子っぽくなるためにマリアやソフィアに預けたのに、むしろ男らしくなってないかとか。
なんだかレニが別方向に行きかけてない? とか。
そんな疑問が頭をよぎらないわけじゃないけど――まぁ、それはそれだ。
いい方向に言ってるなら、それでよしとする。
ふたりは何だかよい雰囲気で、レニが何を読んでるんだとソフィアの隣に座って会話を始めた。
この様子だったら、見守る必要もなかったかもね。
アベルにそろそろ行こうかと声をかけようとして、異変に気付く。
「……」
目を見開いて、ショックを受けているアベルがそこにいた。
微妙に続いていますが、続きは近日投稿する予定です。




