【番外編5】ニコルくんの優しい竜教育(後編)
ニコルに連れて行かれたのは、前にも行ったことのある竜族の修行場だった。
竜族の里はいくつもの浮島でできている。
修行場は高い場所にあるほどレベルも高いのだと、前にニコルによって攫われた時に説明を受けていた。
修行場である森には、凶暴な魔物を模した試験獣が放たれ。
翼を持っていても飛べない制限がついている上、空間を渡ることもできない。
瀕死の状態になれば回復をほどこされ、また入り口からスタートするという、そういう修行場だ。
当然のようにニコルが足を運んだのは、一番高い場所にある修行場。
修行場の最奥にある塔の上に降り立つと、私を下ろした。
ちなみに里の長であるニコルくんに、修行場の制限はない。
ラスボスのような存在なので、当然なのかもしれなかった。
「ニコルくん、大人姿になってまたこんなことして……オリヴィアさんに怒られますよ?」
「封印状態だとお前の黒竜の力が暴走した際に、容易く収められないだろう。許可はとってある」
小さな望みをかけて揺さぶりをかけてみたのだけれど、無駄だったらしい。
オリヴィアさんが許可したなら、誰もニコルを止められる者はいなかった。
「さて特訓をはじめようか。時間はイクシスがここに辿りつくまでだ」
目の前のニコルはいい笑顔。
私の特訓に立ち会うとイクシスは言ってくれたのだけれど。
『心配なら見にこればいい。ただし自力で辿り付けるならの話だけどな?』
そう言って、ニコルはイクシスの前で私を攫った。
人生でそうそう攫われる機会なんてないと思っていたけれど、ニコルに攫われるのは二度目だ。
本当、ニコルくんは魔王が板についてる。
天職と言っていい。
「まずは魔法を使ってみろ。ヒルダや前の小娘の体の時に使った魔法なら使えるはずだ。属性があれば、だがな」
「わかりました」
ここまでこれば従うしかない。
もしも私の持っている魔力が高くて何か起こったとしても、ニコルくんがいるなら大丈夫だろう。
「リプカ!」
炎の球が出る初級魔法を唱えて、手を前に向かって翳す。
何も起こらない。
というか、魔法が上手く発動した気がしなかった。
やっぱりこの体でも、あれをやらなくちゃ駄目なのかなとそんなことを思う。
しかし、側にはニコルくんがいる。
――ちょっと恥ずかしい。
「なんだちらちらとこちらを見て。さっさと次の魔法に行け」
言われて、一度大きく息を吐く。
足を肩幅に開き、右目を押さえるポーズをとれば何事だとニコルが顔をしかめた。
「明るき真白の闇よ、閉ざされた幽玄の扉よ。メイコの名において、轟き閃け――《光の協奏曲》!」
明るいのに闇とか意味がわからないよねとか、幽玄ってそもそもなんだろと思いながら呪文を紡ぐ。ザッザッとキレのいい動きでポーズを取って、前に手を突き出した。
その瞬間、眩しい光があたり一面を包む。
目蓋の裏まで白く塗りつぶすような光。
その白さは、目を開けても周りが見えないほどだ。
うっかり自分の魔法で目をやられてしまったらしい。
「どうやら光属性は使えるようだな……しかし、自分が食らってどうする。《ゾルン》」
呆れたような声が耳元でして、そっと目蓋を押さえられる。
次に目を開けたときには、元通り目は見えるようになっていた。
光属性の目くらましの魔法・メレスに対して、ニコルが使ったのは対応する闇属性の魔法・ゾルンだ。
こっちも目くらましの魔法なのだけれど、ゲーム内では効果を互いに打ち消す関係にあった。
光属性と闇属性は、同じ効果を持つものや、逆の効果を持つものが多い。他の四属性と違って、対応する関係だったりする。
「ニコルくんありがとう」
「礼はいい。他の属性魔法も使ってみろ」
言われた通りに、他の属性も試してみる。
けれど……光以外は全滅だった。
「まさかの……光属性だけ? 使えない、まっっったく使えないことで有名な、あの光属性なんて……」
床に手をついて、うなだれる。
実をいうと自分の体で魔法が使えるのを、私は結構楽しみにしていた。
元の世界ではまっていた乙女ゲーム『黄昏の王冠』と似た世界で、自分がどんな属性の魔法使いなのかなと考えれば、楽しくならないわけがない。
なのに、ゲームでも現実でも残念すぎる攻略対象・レビン王子と同じ、光属性のみだなんて……あまりのことに泣けてきそうだ。
「しかし、思っていたより魔力が強いわけではなさそうだ。これならオーガストの時のようにならずにすみそうだな」
ニコルは少しほっとしているように見えた。
実はこう見えて、心配していてくれたんだろうか。
ニコルくんがただの嫌な奴ではないことくらい、私は知っていた。
「しかし、その詠唱は……恥ずかしくないのかお前は」
ただし、性格は物凄く悪い。
そこはどうあがいても否定できない、紛れもない事実だ。
これをやらないと魔法が使えないという事を気にしているというのに……というか、ニコルくんにだけは言われたくなかった。
「ニコルくんだって似たような詠唱使ってたよね?」
以前、バイスと対峙した時、エリオットの体を使ってニコルは詠唱をしていた。
「全ての色を白に染めあげろ――《聖なる太陽の祝福》!」
確かこんな感じだったはずと、あの時のニコルくんの真似をして詠唱する。
自分の中で、何かがうまくかみ合ったような感覚。
呪文と共に内に浮き上がってくる何かをすくいとって、それを正しく組み合わせれば魔法は発動する。
ふわふわと目の前にバスケットボールくらいの白い球が出現した。
「……あっ、できちゃった!?」
この技は見たことがあるだけで、詠唱したことはない。
古代魔法で、使えるものはほぼいない珍しい技だと聞いていた。
「聖なる太陽の祝福は古い竜の知識の中にある技だ。ただ、知識にあっても、習得して使えるようになるまでこのオレでも五百年はかかった」
「でも、エリオット使ってたし」
実は結構簡単に使えるんじゃないのか。
そう思った私に、ニコルが眉を寄せた。
「あれはオレの使い魔だから、光属性のレベルを引き継いでいる。引き出せるということは――やはり腐ってもお前は黒竜なんだな。そしてでたらめだ」
ありえないというように、ニコルくんは口にする。
「でたらめなニコルくんに、でたらめって言われるなんて……」
結構ショックだ。
古い竜の知識というヤツが具体的にどんなものかはよくわからない。
でも……ヒルダの体で魔法を使ったときの感覚に似ているな、とそんな事を思う。
自分が使用したことのない魔法でも、古い竜の知識にあれば使える。
そんな感じなんだろうと適当に理解しておくことにした。
「ほぅ、お前はオレのことをでたらめだと思っていたのか。先ほどの詠唱といい、オレを馬鹿にしているということが分かったところで、次は飛ぶ練習をしてみようか?」
飛ぶ練習と言いながら、何故かニコルくんは空ではなく、指で下を示す動作をする。
ものすごーく嫌な予感がした。
「……えい」
聖なる太陽の祝福でできた光の球を、ニコルくんの方へ放る。
この球に触れたものは、もれなく善人になる特典があった。
人が歩む速度より遅く、光の球はふわふわとニコルくんの元へ飛んでいく。
「《暗黒の月の夢》」
ニコルくんの手のひらから出た黒い塊に触れれば、ガラスが砕けるような音がして私の放った球が砕け散った。
魔法陣が見える金の目の竜であるイクシスはともかく、普通は魔法の相殺なんてできない。
ニコルが使った魔法は、聖なる太陽の祝福と対になる闇属性の魔法なんだろう。
光属性と闇属性の対応する魔法なら打ち消しは可能だ。聞いたことのない魔法だったけれど、何となくそう思った。
「いい度胸だな、メイコ?」
「いや、ちょっとニコルくんが優しくなってくれればいいなぁって思って……出来心だったんです。許してください!」
すっと赤い眼を細めたニコルに、ぞわぞわと背筋に悪寒が走る。
「心配するな」
どうかご勘弁を勢いよく頭を下げれば、ニコルが口を開く。
許してくれるのかなと、淡い期待を胸に顔を上げる。
「そんなことしなくても、たっぷり……優しく教えてやる」
にっとニコルくんが笑う。
私は甘かった。甘すぎた。
その言葉も表情も。
この間イクシスが私を神殿で攻めまくった時と、少し似ていて。
親子だなとこんなところで血を感じる。
それでいて、竜族の男の『優しく』ほどあてにならない言葉はない。
私はそれを身を持ってよく知っていた。
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「ギャァァァァ!」
ほら飛んでみろとばかりに、一番高い塔の上から綱なしで放り投げられる。
喉がかれるまで叫んで、本能的に翼をバタつかせて。
着地寸前で風がふわりと体を包んで、私をまた塔の一番上まで連れて行く。
「色気のない声だな」
こんなのに色気を求められても困る。
ぜぇぜぇと息を付けば、次行くぞとまた落とされた。
「ちゃんと飛ぶことを意識しろ。翼をはためかせるというよりも、竜の力を使って浮け」
「そんなこと……言われても……」
ニコルの風の魔法によって浮き上がってきた私に、ニコルがそんな事を言う。
そんな余裕があると思っているんだろうか。
「そうだな説明するより、体で慣れろ」
「いや、ちょっと待って! もう少し休ませ……ぎゃぁぁぁ!」
ニコルがパチンと指を弾けば、風の魔法で浮いていた私の体が落下を始める。
――ニコルくんは、本当容赦なかった。
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「ちゃんと飛べるようになったじゃないか」
「……おかげさまで」
叫びすぎてしゃがれた声で翼をばたつかせ、塔の屋上に降りたてば、ニコルくんが満足そうにそんな事を言う。
人間、命の危機を感じると必死になるものだ。
いや、今の私は人じゃなくて竜だけど。
本当ニコルくんは人でなしならぬ、竜でなしだ。
「優しく教えるって言ってませんでしたっけ……?」
「何を言ってるんだ。かなり優しくしただろう。落とすのも浮島の上からじゃなく塔の上から落としてやったし、着地の際は風の魔法まで使ったんだぞ?」
あれは、必要最低限の事だと思います。
というか、浮島から落とすって……一番下までどれくらいの高さがあると思ってるんですか!
地面に叩きつけられたら即死どころか、こっぱ微塵だよ!?
そもそも、飛ぶ方法を覚えるために、一番高い塔から突き落とすとか鬼畜以外の何者でもない。
あれは飛ぶっていうか、落ちてると言った方が正しい。
「一番目の時は、凶暴な魔物が多くいる谷に補助なしで突き落としたんだ。自力で這い上がってきたところを何度も突き落とした。あれを考えればかなり温くしたんだが」
ニコルくんは、本気であれでもかなり優しくしたつもりらしい。
私にそんな事を言われる理由がわからないと言った様子で、首を傾げている。
オウガやイクシスがニコルくんに育てられなくてよかったと、心から思う。
子供の頃にこんな育てられ方したら、性格歪む。絶対歪む。
断言していい。
「なんだその目は」
「いえ、ナンデモナイデス」
もちろんそんな事を素直に言うほど、学習能力は低くない。
「まぁいい。今日は――よく頑張ったな」
ふっとニコルくんが顔を綻ばせる。
邪気のない、笑みに思わず固まった。
「……なんだその間抜け面は」
「いえ、褒められるとは思ってなかったというか」
あんな風に笑えるのかと驚く。
魔王様な微笑みばかりしか見てこなかったから、結構破壊力があった。
「お前はオレを何だと思ってるんだ。出来の悪い嫁でも、ちゃんとできれば褒めはする。それとも褒められるよりは――もっと虐められたかったか?」
くくっと笑うニコルは、もういつものニコルくんだった。
★8/16 微修正しました!




