【番外編4】ニコルくんの優しい竜教育(前編)
「イクシス……なんか眠い……」
竜化の儀式を始めて十三日目。
私は眠ってばかりいる。
「もうそろそろ完全に竜化するかもな。いっぱい眠れ」
嬉しそうな声で、イクシスが寝かしつけるように頭を撫でてきた。
イクシスからいっぱい愛されて。
逆鱗がそれに反応し、私の体を竜へと変化させていく。
変化があるのはいつだって寝てる時。
著しい竜化の兆しがある時は、私の周りに色の卵のような膜ができて、その中で私の体は変わっていく。
――竜化のための眠りはとても心地いい。
揺りかごの中で守られているみたいだ。
魔力でできているらしいその卵は、私が起きた瞬間に砕け散るのだけれど。
そのたびに、新しく生まれ変わったような気分になる。
血が全て入れ替わって世界が一新したような、そんな心地を毎回味わう。
爽やかなな目覚めのたびに、自分が竜に近づいたんだとわかる。
心地いい眠りと、爽やかな目覚め。
でもその度に、人間だった今までの自分を手放すみたいで。
知らない自分になることを――恐れる気持ちがあった。
「大丈夫だ。俺と同じになるだけだから」
不安そうな顔をしてたんだろう。
イクシスがそんな事を言って、額にキスしてくれる。
「メイコには俺がいる。そうだろ?」
寄り添うようにして、ベッドの上の私をイクシスが抱きしめてくる。
「ずっと待ってたんだ。こうやって寄り添える相手に出会えるのを。俺だけの竜を――子供の頃から、ずっと。それがメイコでよかった」
待ち遠しいと告げるように、イクシスが翼や尻尾に触れる。
その仕草や目が優しくて、心の底から私を求めてくれてるのがわかるから、強張っていた体から力が抜けていく。
イクシスと同じなら大丈夫。
それは、とても幸せなことだ。
「――おやすみ。次目が覚めたら、メイコは俺の竜だ」
イクシスの声が遠くなって。
ゆっくりと目を閉じた。
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『メイコ』
イクシスの呼ぶ声がした。
でもまだ心地よくて、眠っていたい。
まどろみの中でそんなことを思う。
『――メイコ、早く会いたい』
甘く蕩けるような、そんな声。
どんな顔をイクシスはしてるんだろうとそんなことを思えば、見たくなる。
「ん……」
目を開けば、パリンと何かが割れる音。
ひんやりとした空気に、体が冷やされていく。
まるで永い眠りから覚めたかのようで、ベッドの枕に顔を押し付けて、猫のように伸びをすれば、背中の翼がパタパタと音を立てた。
「メイコ」
名前を呼ばれて、ゆっくりと上半身を起こす。
イクシスがベッドの側にいて、慈しむような目で私を見ていた。
「おはよう、イクシス」
挨拶すれば、イクシスがそんな事を言って目を細める。
「あぁ、おはよう。ようやく――会えたな」
昨日だって、おとといだってずっと一緒だったのに。
イクシスは少し泣きそうな感極まったような顔。
不思議に思って首を傾げれば、ベッドのふちにイクシスが腰掛ける。
「ひゃぁ!」
尻尾に妙な感覚がして声をあげる。
私の尻尾に、イクシスが自分の尻尾を絡ませていた。
「俺の竜。たった一人の花嫁――ようやく会えた」
イクシスは幸せそうで。
この日をどんなに待ち望んでいたのかということがわかる。
絡まる尻尾は赤と黒。
乳白色だった私の尻尾は漆黒に染まっていた。
振り返って背中を見れば、同じ色の翼がそこにある。
「綺麗だメイコ……これで完全に竜の仲間入りだな」
嬉しそうにイクシスが言って、わたしの黒い尻尾や翼を撫でる。
唇で角に触れて、それから色んな所をなぞっていく。
竜化の儀式を始めて、十五日目。
わたしはとうとう、完全な竜になった。
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竜化の儀式が終了して後、もう儀式は必要ないはずなのに、これでもかというほどたっぷりイクシスに可愛がられた。
それから数日が経って。
私はイクシスと一緒に、ニコルくんの執務室を訪れていた。
「花嫁が黒竜なんて例がないんだが……本当にお前は退屈しないな」
竜化の報告に行けば、面白がるような表情でそんなことを言われる。
「それで持ってる属性は何だ」
「まだ測定してないんで、父さんに立会いを頼みたくて来ました。一応俺がいれば大丈夫だとは思いますが、仮にも黒竜なので魔力を注ぐ際に……色々あったら大変ですから」
尋ねたニコルに、イクシスが少し含みのある雰囲気でそんな事を言う。
それもそうだなと呟いて、ニコルが体に対して大きすぎる椅子から降りた。
黒竜は竜の中でも特別な存在。
古い竜の知識を持ち、高い魔力の他に空間を操る能力に長ける。
竜の中では強い固体で、滅多に生まれることがない。
現在生存が確認されている黒竜は、ニコルとイクシスの兄であるオウガだけだと前に聞いたことがあった。
「色々って何があるの?」
「力が暴走する可能性があるんだ。オーガストが昔学校で魔力測定して……学校を半壊させたことがあるんだ」
尋ねればイクシスが少し苦い顔でそんな事を言う。
「やはりアレは俺の元で教え育てるべきだった。学校で黒竜の力が制御できるわけがなかったんだ。おかげでアレは……無駄に傷つく羽目になった」
「……まぁ、それはそうかもしれないですけど」
ニコルに対してイクシスは何か言いたげだったけれど、言葉を飲む。
その微妙な空気が気になった。
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「イクシス、さっきニコルくんに何か言いたそうだったよね」
「あぁ、あのことか」
測定のための水晶を取ってくると、ニコルが空間に消えて。
イクシスと一緒にニコルが指定した部屋まで移動する。
「元々父さんが魔王だったってことは知ってるだろ? 勇者だった母さんに一番目の兄さんを生ませて、無理やり花嫁にした父さんは……兄さんに対して酷い育て方をしたらしいんだ」
魔族に育てられた竜であるニコルは、子供の育て方をよく知らなかったらしい。
力がなければ虐げられるような世界で暮らしてきたニコルは、一番目のお兄さんを守ろうとするオリヴィアさんから引き離し。
毎日死ぬぎりぎりまで、しごいたのだという。
お陰で一番目のお兄さんは、父親であるニコルを恨むように。
ニコルにしてみれば、息子が誰かに虐げられることがないようにという愛情だったのかもしれないが、完全にそれは裏目に出た。
それに加えて、当時のニコルは愛情表現の仕方がよくわかってなかった。
息子の前で母親であるオリヴィアに対し、酷い仕打ちばかりしていたらしい。
他の竜を見たことがなかった一番目のお兄さんは、それを見て竜が残酷な生き物なんだと思い込んだ。
家から出れる歳になると、竜であることをやめて、誰とも関わりたくないとジャングルに引きこもってしまったのだと言う。
一番目のお兄さんは、ニコルのおかげで大分歪んでしまったとのことだ。
「二番目の兄さんは、一番目の兄さんが庇ってたから父さんから直接教育を受けたわけじゃないんだ。三番目の兄さんが生まれた時は、蜜月だったから父さんの教育を受けずにすんだ」
でも四番目のオウガと五番目のイクシスがは、特別な黒竜と金の目を持つ竜だった。
それを理由に、当初はニコルが二人を直接育てようとしていたらしい。
けれど、それはニコルをよく知る一番目や二番目の息子たちに阻止されて。
結局イクシスとオウガは、二人のすぐ上の兄であるアルザスさんが育てることになったのだと言う。
「最初から父さんが育ててたら、オーガストはもっと早く力を制御できたかもしれないとは思うんだ。でも……」
「その場合は、オウガの性格が歪んでたかもしれない……と」
まぁそういうことだとイクシスが頷く。
ニコルくん、容赦なさそうだからな……。
簡単に想像がつく。
「一番俺が心配なのは、メイコを教育するって父さんが言い出さないか……なんだよな」
「えぇっ、それは嫌だよ! 絶対ニコルくん容赦なさそうだし、喜んでいじめてきそうだもの!」
曇り顔のイクシスに、思わず叫ぶ。
他人事のように頷いている場合ではなかったらしい。
「ならお前は、オレ以外の誰から力の制御を習うつもりだ?」
艶っぽくからかうように耳元で囁かれる。
勢いよく振り向けば、そこには大人姿のニコルが立っていた。
「メイコには俺が教えます」
「古い竜の知識も、空間の渡り方も。最初から黒竜なら扱い方はなんとなく理解しているものだ。だが、メイコは違う。万が一を考えれば、力をよく知る黒竜が教えたほうがいいだろう」
イクシスが私を庇うように前に立って言えば、ニコルがそんな事を言う。
確かにそうなのだけれど。
教わる相手がニコルだというのが、はっきり言って物凄く不安しかなかった。
「なんだその思いっきり嫌そうな顔は。黒竜であるオレが直々に教えてやろうと言ってるんだ。光栄に思うならまだしも、そんな態度を取るのはお前くらいだぞ?」
嫌がる私の顔を見て、楽しそうにニコルはくくっと喉を鳴らす。
普通嫌がられたら、落ち込んだり傷ついたりするものだけれど、ニコルくんは私が嫌がる顔を見るのが楽しくてしかたないらしい。
真性のドSだ。
気付いてましたけど!
「同じ黒竜ならオウガが」
「お前は傷心のオーガストに、里にいる間の領地の管理までさせて、さらに竜になるための教育も頼むつもりか。好いた女が自分の弟のために竜になるところを、側で手伝えと? 容赦がないのはどっちだろうな?」
言えばすぐにニコルが返してくる。
領地の管理に関しては、オウガが自分から申し出たことだった。
私やイクシスが無理強いしたことじゃないし、悪いからと遠慮もした。
けど甘えてしまっているのは事実で。
さらにそこで、私の面倒を見て欲しいなんていえるわけもない。
悔しいけれど――全くニコルの言う通りだった。
「まぁそう身構えるな。この水晶で属性と魔力量がわかる。測る許容量のかなり大きいやつを持ってきた。これに収まる程度の魔力量なら、オレが教える必要もない」
リンゴ大の大きさをした水晶を、ニコルは私の目の前に翳して見せた。
透明だった水晶の中に赤、青、紫、緑の四色の光が浮かび上がり、ゆらゆらと揺れる。
「赤が炎、青が水、緑が風で、紫が闇属性だ。今オレの光属性はエリオットに貸し出してるが、それは黄色の光になる。土属性はオレンジ色だ。全ての魔力を込めるつもりで、注ぎこめ。なんとなくでできるはずだ」
水晶の中で光が踊る様子は綺麗で、思わず目を奪われた。
「ちなみに魔力量が多いと……こうなる」
ニコルがそう言った瞬間、水晶の表面が真っ黒に曇る。
これが測定不能ということのようだった。
この水晶玉を曇らせなければ、ニコルくんの地獄の特訓を受けなくてすむ。
なら話は簡単だ。
全力で魔力を注げとか言われたけれど、調整してちょっとだけ魔力を込めればいい。
「じゃあさっそくやってみろ」
「わかった」
差し出した私の手の上に、ニコルが水晶を置く。
魔力はちょっとだけ。
緊張しながら、それを受け取る。
手のひらに触れた瞬間、水晶がぐにゃりと溶けて液状になった。
「……」
イクシスも私も、ニコルくんですら無言になる。
ぽたぽたと半固形の水晶が、私の手のひらから零れ落ちて。
液体は床の上を転がり、サイコロ大の小さな水晶になっていく。
慌てて零した分をかき集めようとすれば、私が触れた瞬間だけ溶けて液体状になるのでうまくいかない。
「水晶が曇ってないから……セーフだよね?」
恐る恐る振り返ってニコルくんを見上げる。
「アウトだな。何をどうやったらこうなる。この水晶はオレのコレクションの一つで、かなり貴重なものだったんだがな。どうやら早速……特訓が必要なようだ」
「ひっ」
すっと細まったニコルくんの目に、心臓がひやりとして思わず声がでる。
特訓というかこれ、おしおきするつもりですよね!?
「べ、弁償しますんで……それだけは」
「いい心がけだな。水晶の代金分、オレを楽しませてもらおうか」
にいっとニコルくんが笑って。
大変なことになってしまった――そう、心の底からそう思った。
★8/15 微修正しました!




