【101】ここが私の帰る場所
ふわりと、地面が足につく。
目の前にあるのは、ヒルダの屋敷。
私がティリアに飛ばされてしまう前と、全く変わらない。
「ここがメイコのお世話になった人たちがいる場所なんだね。前に見た屋敷とは同じなのにこっちの方が温かみがある気がする」
「いい屋敷だね」
ユヅルの言葉に、この世界のユヅルが同意して頷く。
同じ世界に滞在するだけで、時が来ると勝手にユヅルたちは融合するらしい。この世界のユヅルも、しばらくヒルダの屋敷に滞在することになった。
二人とイクシスと一緒に、門へと向かう。
門に行けば、顔見知りの門番達。
私の後ろに控えるイクシスを見て、私が誰か気付いたらしい。
お辞儀をして門を開けて。
うやうやしく礼をしてくれた。
屋敷の扉を、ドキドキしながら開く。
足を踏み入れれば、軽い破裂音と共に、小さな花火のような閃光が瞬いた。
「お帰りなさい! お姉ちゃん!」
重なるいくつもの声。
目の前には、少年達がずらりと勢ぞろいしていた。
屋敷の使用人たちもそこには控えていて、懐かしい顔ぶれを見ると胸に熱いものがこみ上げてくる。
お帰りなさいの一言に。
本当に、ようやく帰ってこれたんだなって嬉しくなった。
「ただいま、みんな!」
この一言を言う日を、この四年間ずっとずっと待ち望んでいた。
会える日を信じて、望んで。
諦めそうになったり、心が折れた日もあったけれど。
ここにようやく――たどり着いた。
笑みと共に、自然と涙が溢れて零れ落ちる。
「主、主なのだな? 心配したのだぞ! 無事でよかった!」
パタパタと翼をはためかせ、興奮気味に鷹の獣人フェザーが抱きついてくる。
「お姉ちゃん会いたかった! もう一体どこ行ってたの!」
涙声で怒りながら飛び跳ねるように抱きついてきたのは、ウサギの獣人ベティだ。
愛らしいその容貌は変わりなく、すりすりと私に頭をすりつけてきた。
「ごめん、ごめんね心配かけて!」
ヤヨイの世界で会えなかったフェザーと、そちらの世界では死んでいたベティ。
ここにいるんだということを確かめるように、二人の背中に手を回して抱きしめる。
ぎゅっと力強く抱きしめれば、ベティが幸せそうに目を細め、フェザーが主と私の事を呼ぶ。
「お帰りなさいませ、メイコ様」
柔らかく響くその声に、そちらを見れば。
執事服のクロードが綺麗なお辞儀をして、そこに立っていた。
「クロード?」
「はいそうですよ。もしかして、私のことは忘れてしまいましたか?」
名前を言えば、クロードにしては珍しい冗談を口にする。
銀髪に優しい青の瞳。
その微笑みは相変わらずで。
「忘れるわけ、ない……よかった生きてて! クロードが生きてる!」
「メイコ!? 一体どうしたというのですか?」
がばっと音がするほどに勢いよく抱きつけば、クロードが目を白黒とさせた。
あの世界ではヒルダを排除して屋敷の主人になったルーカスに逆らって、殺されていたクロード。
死んだと聞かされた時、どれだけショックを受けたか計り知れない。
「またメイコに再会できて嬉しく思います」
見上げればクロードの瞳は潤んでいて。
私ともう一度会えたことを、喜んでくれていた。
「メイコがいつ帰ってきてもいいように、あなたが好きなリルケの花のお茶を用意して、ずっと待っていたんですよ? 後でいれて差し上げますね」
「うん……ありがとう」
ほら泣かないでくださいと苦笑しながら、クロードががハンカチで涙を拭ってくれる。
その優しい仕草が懐かしくて、余計に涙が溢れた。
少し落ち着いたところで、ふいにトントンと背中をつつかれて振り返る。
そこに立っていたのは、アベルだった。
背が高くなって少々大人びた顔立ちをしていて。
眉を寄せるその姿に、ヤヨイだったときに向けられた冷たい視線を思い出す。
「ア、アベル……ただいま」
「……」
アベルは、無愛想な顔でこちらを睨んでくる。
「ほらほら、アベル。頑張って」
トンとアベルの背中を押したのは、猫の獣人・ディオだ。
私と目が合うと、軽くウィンクしてくる。
褐色の肌に黒の猫耳、金色の瞳。
別れた頃と変わらず見た目は十歳の彼なのに、相変わらず色気の滲む仕草だった。
「おかえり、なさい」
そう言ってアベルが、背中に隠していたものを私に押し付ける。
綺麗なリボンが付けられていて、メッセージカードまで添えられた花束。
「母さんのことで疑って……すいませんでした。酷い事を言って、ごめんなさい。薬は体を治すためのものだから、そんな体を蝕む薬があって、それを母さんが自分から欲しがるなんて思わなくて……」
俯きがちに、ポツポツとアベルは口にする。
彼がそんな風に謝る姿を、初めて見た。
「……皆の言うことの方が正しいんじゃないかって、後で思いはしたんです。でも、あの頃の僕にとっては母さんが全てで。捨てられるのが、いらない子だって言われるのが怖かった。だからあなたが僕のために色々してくれたのに……それに気付けなかった」
顔をあげたアベルと視線が合う。
蜂蜜色の瞳が揺れていた。
「僕は、母さんとは決別しました。これから先この屋敷で、あなたの家族として過ごして行きたいです。どうか僕を許してくれませんか」
「アベル……」
オースティン家の一員にはならない。
頑なだったアベルの宣言に目を見開く。
プライドの高いアベルが、頭を下げていた。
――それはアベルが、完全に過去と決別した証に他ならなくて。
「うん、もちろんだよ!」
「ありがとうございます……メイコ姉さん」
顔を上げてほっとした様子のアベルの面立ちに、成長を感じる。
姉さんという言葉には、照れがあって新鮮だった。
もう、アベルは大丈夫だ。
そう確信する。
乙女ゲーム『黄昏の王冠』のアベルに、ヤヨイの世界で出会ったアベル。
彼らの瞳にあった暗い影は、目の前にいるアベルにはなかった。
話を聞けば、すでにアベルはオースティン家の戸籍に入っているらしい。
ちなみに朝倉メイコの方も、その戸籍にヒルダの養女として名を連ねている。
今後私がこの世界で過ごすにあたって。
どうやってヒルダから、私に屋敷や領土の権限を譲渡するんだろう。
それを考えた私だったけれど、すでに一年ほど前から種は蒔かれていたらしい。
ヒルダには亡くなった夫との間に、実子がいない。
だから、屋敷の権利を手放した場合、亡くなった夫の唯一の家族である弟の方に大方の権利が行くことになっていた。
けれど、ヒルダの夫の弟は私がいない間に、偶然にも不運な事故で亡くなったらしい。
それでいて、朝倉メイコ――メイコ・オースティンはこの国に去年から、ヒルダの養女として戸籍登録されていた。
養子に入ってすぐにヒルダの後を継ぐのは、あまりよろしくない。
だからと、先にヒルダの養子として登録だけしておいたようだ。
屋敷を私に譲るというヒルダの署名と印が入った紙は、すでに用意されている。
後はそれを提出するだけだ。
これらは全部ヒルダが言い出したことらしい。
自分が朝倉メイコとして、あちらの世界で暮らすために、私が文句のない環境を作り出そうしたんだろう。
それが大分ありがたかった。
屋敷の子たちも、私が帰ってくるときのために頑張ってくれていたみたいで。
村の少年キーファや、ハーフエルフのピオやクオは魔草の栽培研究を進めて、地域の特産品にすることに成功したらしい。
水属性の魔法使いであるアベルと鷹の獣人フェザーはその魔草を薬にし、街で売るルートを開拓していたみたいだ。
それでいてマリアの息子である少年は、クロードの補佐として立派に成長していて。
ちょっとしたことなら、私の代役も可能なんですよとクロードが嬉しそうだった。
褒められている彼はとても嬉しそうで、その様子をメイドのマリアが微笑ましそうに見ていた。
なんだかいい雰囲気だな、なんてそんな事を思う。
マリアの娘で病弱だったソフィアの方は、大分顔色もよくなって。
アベルによく頑張ったわねなんて声をかけていた。
ウサギの獣人・ベティの方は色んな種類のお菓子を作れるようになって、その腕前はかなり上達したらしい。
ウェイトレスよりもお菓子を作らせて貰える時間の方が長くなり、ベティの代わりのウェイターとして猫のディオがそこで働いているとのことだった。
店はかなり繁盛していて、近々二号店ができる予定なんだよとベティが嬉しそうに教えてくれる。
「メイコ様、その花束ピオとクオがそれ育てた」
「アベルが魔法で手伝って、花束にした」
皆の成長ぶりに浸っていたら、ハーフエルフの兄弟であるピオとクオが左右から私に近寄ってきた。
アベルが私にくれた花を指差して、ちょっと自慢げだ。
「二人ともすごい! こんなに綺麗な花を咲かせられるようになったの?」
言えば二人が顔を見合わせて、嬉しそうに笑う。
「ピオ、メイコ様にあげるために頑張った!」
「クオ褒められたの、嬉しい」
すっかり成長した二人は、兄のピオが十七歳、弟のクオが十六歳だ。
ヒルダと同じ花寄り人の母親から生まれた、父親違いの兄妹。
金髪に緑の目、少し尖がった耳。
美人系の顔立ちはヒルダと似た面影がある。
相変わらずの純粋な雰囲気は変わらなくて、二人が笑っていると癒される。
こんな二人だけれど、実は暗殺者で。
エルフの国で人体実験を受けていた二人は、ティリアの命令を受けると残忍な性格に変わってしまう。
私がいなくなって後、クロードが中心となって色々調べてくれて。
ピオとクオは、どうにかその呪縛から逃れることができたようだ。
特殊な魔法物質が、二人の体には埋め込まれていたらしく。
それを取り出した今、もう二度とその残忍な性格へ変貌することはないとのことだった。
「遅かったな……おかえりなさい」
声をかけてきたのは、二十歳前後の青年。
がっしりとした体つきで声も低く、精悍な顔だちをしていた。
一瞬誰だろうと思う。
「……もしかして、キーファ!?」
「驚きすぎだろ。まぁ結構背が伸びたからな」
二度見すれば、その反応に満足そうにキーファは言う。
背が高くなり男らしい体つきになって。
愛らしかった顔は、可愛いものから格好いいと言えるものに変化していた。
屋敷の少年の中で一番年上の十五歳だったキーファは、十八歳になって。
背は低く可愛いアイドル顔だったのに、私がいない間に急成長を遂げてしまっていたようだ。
「皆、メイコを待ってた」
驚いていたら、ゆっくりと馬の獣人のエリオットが歩み寄ってきてそう口にする。
「おかえりなさい、メイコ」
「うん……ただいま!」
先に屋敷に戻っていたエリオットが、改めてそう言ってくれて。
それに答えれば、その後ろではオウガがよかったなというような優しい目で私を見ていた。
「そういえばメアは?」
まだ見てない顔を探せば、皆がキョロキョロとしはじめる。
「メアのやつ、まだいじけてるのか」
その場にメアがいないのを確認して、はぁとイクシスが溜息を吐いた。
「たぶんいつもの場所じゃないか?」
「そうだな……メイコ、行くぞ」
レニの言葉に、イクシスが歩き出す。
クロードにユヅルたちのことをお願いして、私もその場を後にした。
ようやく屋敷の皆と再会です!