【100】二人の兄
次の日の朝早くニホンを旅立ち、空間にいるユヅルとエリオットと合流した。
「メイコ、お帰り。ちゃんと兄の元に帰ってきてくれたんだね!」
横にヤヨイの体があるのに、ユヅルが迷いなく私を抱きしめる。
「兄さんただいま。待たせてごめんね」
「ごめんと思うなら、待たせた分可愛い顔をもっと兄によく見せて?」
見上げて言えば、蕩けそうなほどの色でユヅルが見つめてくる。
体が変わってしまっても、ユヅルの私に対する態度が全く変わらなくて、そのことにほっとしている自分がいた。
「ふふっ、前より兄と歳が近くなったね。くりくりした目に、綺麗な黒髪。ヤヨイの見た目よりも、物凄く兄好みだ」
可愛い可愛いと、ユヅルがぺたぺた私の顔を触ってくる。
「だから、メイコに触りすぎだ。あんたの妹はこっちだろ!」
イクシスがぐいっと私の肩を引いて、代わりにレニの入ったヤヨイの体をユヅルに押し付けた。
「よぉ兄さん。オレ、今日からあんたの妹らしいんだけど」
「……僕の妹は、ヤヨイとメイコだけだ」
軽く手を上げて挨拶したレニに対して、ユヅルがブリザードが放たれそうなほどの冷ややかな視線を向けて、そんな事を言う。
僕の妹を名乗るなと言わんばかりに。
こんな無表情で怖いユヅルは、初めて見たかもしれない。
「だ、だよな。いや、悪かった!」
仮にも暗殺者であるレニが、ユヅルの殺気に怯えた様子を見せる。
「おいあんたの兄さん何者だ。ヤバイ奴のオーラが出てる。職業柄そういうのわかるんだよ。こいつ関わったら駄目なタイプだ!」
私の後ろに隠れ、小声でレニが尋ねてくる。
「兄さんなら退鬼士だよ。鬼っていう生き物を退治する、戦士みたいなやつで……」
「そんな職業知らん。強いか弱いかで言えばどっちだ!」
「超強いかな。若いけど、国では五本の指に入る実力者だったよ?」
レニに聞かれて答えれば、やっぱりと言うような顔をしていた。
乙女ゲーム『黄昏の王冠』に出てくるユズルは、先生キャラだからか、後半にしか探索パートで仲間になることは無かった。
その分能力値は最初からずば抜けて高かったけれど、ここにいるユズルには敵わないと思う。
私が退鬼士になると言ったことにより、ユズルは戦闘中でも私を護れるようにとさらに強くなっていた。
妹の蘇生術を捜して文献を読み漁る日々と、私を護るため体を鍛える日々の違いがはっきりと目に見える。
「あぁそうだ、一応ヤヨイの体だから、傷一つつけたら許さないよ?」
私から離れて、ユヅルがレニの前に立つ。
警戒したようにレニは後ずさる。
その額には脂汗が垂れていた。
「いや、それは無理な相談というか。戦いに傷って付き物だし。そんなんじゃ暗殺家業なんてやってられな」
「……ヤヨイの体で暗殺業なんてする気なの?」
口答えをしたレニに、すっとユヅルが瞳を細める。
ひっ、とレニが喉を引きつらせた。
「いやいや、するわけないだろ! 折角抜けられたんだし、平和にお花摘んで生きてくから!」
「ぜひそうしてね」
慌てた様子でレニが言えば、雰囲気を和らげてユヅルが微笑みかける。
「暗殺業なんてしたら、酷い目に合わされそうだ……あれ絶対ニコル様と同類だぜ。あんたとんでもないのを兄にしてたな」
ぼそりと呟くレニの声が耳に届く。
その顔を見れば、げんなりしていた。
優しいユヅルをつかまえて、ニコルと一緒なんて酷い言い草だとそんな事を思った。
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懐かしい世界へと足を踏み入れ。
巨大な石が並べられた草原で、うーんと思いっきり伸びをする。
「やっと戻ってきたなぁ」
空気も何もかも、違うようなそんな気がした。
本当はこのまま屋敷へ向かってしまいたかったけれど、その前にやるべきことがある。
オウガとエリオットには先に屋敷に帰ってもらい、ニコルとその場で別れた。
イクシスとレニ、それとユヅルと一緒に、この世界のユヅルに会いに行く。
自分がいる場所は、本人にはわかるものらしい。
それを頼りに行ってみれば、そこには本当にもう一人のユヅルがいた。
古びた図書館で、どうやら調べものをしているようだ。
おそらくは亡くなったヤヨイを蘇生させる術を捜しているんだろう。
この世界のヤヨイは、ゲームと同じなら十二歳の時だから一年ほど前に亡くなっている。
本を捲るこの世界のユズルの顔は、明らかにやつれていた。
「僕が話してくるよ」
「いきなり、自分そっくりの人が現れたら混乱すると思うんだけど!」
何の迷いもなく、もう一人の自分の方へ向かおうとするユヅルを止める。
「大丈夫だよ、僕だから」
なんでそんなに自信満々なのか。
けど、本人がそういうんだから様子を見ようとイクシスが言い、それに従うことにした。
椅子に座って、真剣な表情でこの世界のユヅルは本を捲っている。
眼鏡をかけていて、そう言えば『黄昏の王冠』のユヅルは眼鏡をかけていたなと思い出す。
妹を蘇生させる術を捜すために本を読みすぎて、目が悪くなってしまったのかもしれない。
私とイクシスとレニが隠れて見守る中、眼鏡のユヅルに、ユヅル――私の兄さんが近づく。
「ヤヨイを蘇らせる方法、見つかった?」
兄さんは眼鏡のユヅルの肩をトントンと叩いて、ちょっと休憩しないかと呼びかけるような軽さで、声をかけた。
「――そう簡単に見つかるわけがないんだ」
「だよね」
はぁと大きく溜息を吐いて、本を閉じたユヅルの側に兄さんは座った。
あれ、おかしいな。
どうしてこの世界のユヅルは、自分と同じ顔に驚かないんだろう。
今ちゃんと顔を確認していたのに――気づいていないのかな。
そう思っていたら、眼鏡のユヅルが兄さんにちらりと目線をやった。
「それで君は何者? おそらくは僕の幻覚だと思っているんだけど」
ちゃんと認識はしていたらしい。
とてつもなく眼鏡のユヅルは冷静だった。
そういえばユヅルは、不思議なことや予想外なことが起こっても、あまり動じない人だった。
ユヅルが焦ったり動じたりするのは、妹絡みのときだけだ。
「別の世界の君自身だよ。ヤヨイを蘇生させる術は存在するけれど、この世界にヤヨイの魂を呼び戻した瞬間、魔物に変質しちゃうんだって。だから蘇生はオススメしないよ」
「そうか……なら他の蘇生の方法を捜すまでだ」
兄さんの言う事を疑っているという様子もなく、沈んだ声で眼鏡のユヅルはそう答えた。
「蘇生っていう方法がいけないんだと思うんだ。ねぇ、僕と融合しない? 今の僕には素敵な妹がいるんだ。ヤヨイは死んでしまったけど、僕は新しい妹と幸せを見つけたんだよ」
「……話だけ、とりあえず聞いてみようかな」
ニコニコと話しかけてくる兄さんに、眼鏡のユヅルはそう言った。
それから兄さんが話し出したのは、私の事。
出会いから、これまでのこと。
「それでね、メイコは寝ぼけると抱きついてくる癖があって、それがとても可愛いんだ。喧嘩するときももちろんあるんだけど、悪い事をしたなって思った時は、僕の服を引いて上目遣いで、兄さんごめんねって言ってくるんだそれがもう可愛くて」
マシンガントークのように続く兄さんの話に、隣にいるイクシスとレニがうわぁと引いている。
さっきから兄さんは、デレデレの顔で私が可愛いとしか口にしてない。
こっちが――恥ずかしくなってきた。
眼鏡のユヅルは、別の世界の自分のシスコンぷりに呆れているのか、俯いたまま黙って兄さんの話を聞いている。
しかし兄さんはそれを気にした様子もなく、幸せそうに語り続けていた。
……やっぱり融合に同意させるなんて、最初から無理だったんじゃないか。
そんな事を思っていたら、兄さんが喋り終えて。
「絶望しかないと思っていたけど。僕が夢中になれる存在が、そんな奇跡のような幸せがあるんだね……」
眼鏡のユヅルが、少し震えた声で呟いた。
……気のせいかな、この世界のユヅルの声が涙声なんだけど。
涙のような雫が、机に垂れてる気がするんだけど。
眼鏡を外したユヅルが目じりをシャツで拭おうとすれば、そっと兄さんがハンカチを差し出す。
ありがとうと言って、それで涙を拭ってこの世界のユヅルは眼鏡をかけなおした。
「今のドコに感動して泣くような要素があったんだ」
「あの人が異常なほどシスコンっていう事しかわからなかったな。引く要素しかなかったぜ?」
全くわからないと言ったようすのイクシスのツッコミに、レニが同意する。
「融合した方がどう考えても幸せだ。よろしく頼むよ」
しかし、眼鏡のユヅルは。
救われたような、爽やかな顔をしていた。
兄さんには悪いけれど、私も全面的にイクシスとレニに同意だ。
今の話は兄さんが超シスコンだという事以外、情報が何も伝わってこなかった。
あまりにあっさり融合を許可するこの世界のユヅルに、戸惑いを隠せない。
融合すれば自分がそんな超ド級のシスコンになってしまうという事に、異論や不満はないんだろうか。
「あんたの兄さん、変人だな」
「……」
悔しいけれど、レニに何も言い返せなかった。
「僕ならそう言ってくれると思った。実際にメイコを見てもらえば、そのよさはわかるよ」
そう言って、兄さんが私達を呼び寄せる。
「ヤヨイ?」
やっぱり眼鏡のユヅルは、妹の姿をしたレニに目を引かれたらしい。
「……こんにちは、レニです」
前に兄さんに凄まれたことが怖かったのか、礼儀正しくレニが挨拶をする。
「そっちは体だけ。こっちが僕のメイコだよ。後ろにいるのは気にしないでいいよ」
「俺の扱いが酷くないか!?」
兄さんにぞんざいな扱いをされたイクシスが声をあげたけど、しーっとその唇に指を当てられる。
「駄目だよイクシスくん、図書館では静かに」
「お前な……」
図書館と言っても、私達以外には誰もいない。
ユズルに窘められて、イクシスは納得いかない顔をしていたけれどそれに堪えてくれた。
「よろしくお願いします、兄さん」
兄さんに紹介されて、眼鏡のユヅルの前に進み出る。
目が合ってにこっと笑えば。
「……っ!」
衝撃を受けたような顔をして、眼鏡のユヅルが口を多い、私の前に膝をついた。
「だ、大丈夫ですか!? もしかして兄さんがいるから、何か影響が!?」
急に気分が悪くなったのかもしれない。
不安になって慌てれば、ぐっと腕をつかまれた。
「もう一回……」
「えっ?」
小さな声に、思わず聞き返す。
「もう一回……言って?」
「よろしくお願いします?」
潤む瞳を向けられ、少し混乱しながら口にする。
「そこじゃなくて、僕のことを――兄のことを呼んで?」
切なささえ感じさせる声で、この世界のユヅルが私に願う。
「兄さん」
「うん、もう一回」
「兄さん」
「……もっと呼んで? あぁ、君の兄になれるなんて、僕は幸せだ」
甘く蕩けそうな瞳で見つめられて。
その後何回も兄さん呼びをリクエストされる。
その顔は、私の知っている兄さんそのものだ。
私の何がその琴線に触れたのかはわからないけれど、世界が変わっても――ユヅルはユヅルらしい。
満足そうな兄と、目の前で幸せそうなもう一人の兄。
横で呆れているイクシスとレニの視線を受けながら……そう心底思った。




