【98】あの日交わした約束を
朝倉メイコの体に戻って、一週間は家族と過ごすことになった。
異空間に置いてきたユヅルとエリオットの事が心配だったけれど。
ニコルによれば、あそこは空腹を感じたりしないし、時間の流れも曖昧だから問題ないとのことだった。
何より黒竜であるオウガとニコルが限界のようで。
異世界を行き来できる黒竜でも、本来は一日の間に何度も異世界を越えるものじゃないとのことだ。
異世界へ渡るには、相当な力を使うらしい。
私がヤヨイとしていた世界に、オウガも入り込もうとしてくれていたらしく、そのために相当消耗していたようだ。
その状態で、私とイクシスを連れて異世界を渡ったオウガは、もはや限界を超えていた。
無事に私が元の体に戻ったのを確認すると、オウガはその場で私にもたれかかるようにして寝てしまったのだ。
私のために無理をしてくれていたようだ。
一方のニコルは、イクシスを私がヤヨイとして過ごしていた世界に送り込み、その後ヒルダの体をニホンへ連れてきた。
短時間で四度ほど異世界を繋げた上、私たちの体と魂を入れ変えて固定する大掛かりな魔法まで使っている。
さすがのニコルくんでも、少々きつかったらしい。
眠そうに欠伸をして、オウガを連れて異空間へとひっこんだ。
「ぼくとヒルダはホテルを借りて泊まることにするね」
大地は久々に家族とすごしたらいいよと私に言って、ヒルダを連れて仲良さげに出かけて行った。
私が朝倉メイコとして過ごす一週間の間は、家を空けるとのことだ。
支度をする二人からはラブラブなオーラが出ていて、もう好きにしてくださいと言いたくなるいちゃつきっぷりだった。
そして残されたのは、私とイクシスと林太郎。
それと――レニ。
いや、レニくんは誰かに連れて行ってほしかったな……。
初対面同然だから、どう接していいかわからない。
家に戻ったのはいいものの、レニは物珍しそうにあたりを眺めていた。
好奇心旺盛な子らしく冷蔵庫を開けたり、掃除機の先を覗き込んだりしている。
扱いに悩んでいたら、林太郎がレニの前に進み出た。
「はじめまして、だなレニ。俺は燐世だ。かつては地獄の住人だったがこの世界に受肉し、黒竜オウガの力により光の力を得てここにいる」
胸に手を当てて、格好を付けながら林太郎が自己紹介する。
林太郎はこう見えてかなりシャイだ。
初対面の人相手だと、マトモに目が見れずどもる事の方が多い。
一度慣れるとかなり懐いてくるのだけれど、そこに辿りつくまで時間がかかる子だった。
特に女の人や女の子相手だと、上がりすぎて何もできなくなる。
恥ずかしがるところは他にあるよねと、姉としては切実に思うところだ。
面と向かっては言えないけど、例えばその服装とか、言動とか……ね?
それも個性の一つだと、諦めてはいるのだけれど。
それにしても、林太郎が自分からこうやって自己紹介をマトモに……いやマトモとは言いがたいけど、できるなんて驚きだ。
恥ずかしさより興味が勝ったのと、レニの中身が男の子で、見た目が十六歳の同学年という安心感があるからなんだろう。
「わりぃ、何言ってるかさっぱりわかんねぇ。とりあえずよろしくってことでいいか?」
自己紹介した林太郎に、レニが手を差し出す。
「あ、あぁ。それが言いたかった」
「そうなのか? ところでさ、オレ行きたいところあるんだけどお前案内してくれねぇ? オーガストの部屋にあるてれびで色々見たんだけどさ、デ○ズ○ーランドに行きたいんだわ」
林太郎に対して、気安くレニが肩を組んでくる。
その体が同年代の女の子のものだからか、林太郎が戸惑ったのが目に見えてがわかった。
「今の時間からだと無理だな。それに……そこへ行くだけで俺の持ち金が全て消えてしまう」
「じゃあ、明日でいいわ。なっ、頼むよ」
渋った林太郎の目の前へと移動し、パンとレニが手を合わせる。
「いやでも、二人分の入場料だけで俺の小遣いの一年分が……」
今林太郎が通っている高校は、この地区でも有名な進学校でバイトは禁止だ。
弟たちは必要なものがある時に両親からお金を貰える形式なので、月々の小遣い自体は少ない。
どうやら林太郎の月々のこづかいは、千円くらいのようだ。
ちなみに、林太郎が進学校というと意外に思えるかもしれないけれど、林太郎はこう見えて頭がよく、運動もできた。
裏ではかなり努力していることを、姉である私は知っていた。
褒めると、くだらないとか、俺にとっては造作もないことだなどと、いかにも興味がないように口にするのだけど。
しかしどことなく、それを言うのが嬉しいという雰囲気がただよっている。
おそらく全ての努力は、その台詞を言いたいがための――キャラ作りの一環なんだろう。
友達いないから勉強する時間がたっぷりあるんだろうな……とか、優しい姉である私は思っていても決して口に出したりしない。
「ただでとはもちろん言わねぇよ? お前の嫌いな奴言って見ろ。オレがさくっと殺してきてやるよ」
レニはまかせておけといい笑顔で、林太郎に請け負う。
何をとんでもないことを持ちかけてくれてるのか。
「ちょっと待った! さすがにそれは駄目だから!」
慌てて私が止めれば、レニは心配するなと言うように笑った。
「もちろん足は着かないようにするから大丈夫だって。こっちはプロだぜ? あぁでも今の体じゃ、まだ動かすの慣れてないしな。オレの元の体と違って俊敏性もなさそうだし、あのヒルダって奴みたいに身体強化の魔法も使えなさそうだし」
私に答えて後、レニはうーんと悩んだ顔になる。
「悪い、殺しの依頼の方は半年くらい後でいいか? ちゃんとできるようにこの体調整するからよ」
「いやそもそも暗殺禁止! 林太郎に犯罪を勧めないでよね!」
そういう問題ではないのにレニはすまなさそうに林太郎に謝る。
「えーっ? じゃあどうやってオレは目的を果たせばいいんだよ。この体じゃヒルダの時のように色仕掛けも使えねーし。六年もこの体にいたのに何食わせたらこんな色気のない体型になるんだ」
私に対してレニが不満を口にする。
まるで私のせいでヤヨイの体に色気がないと言わんばかりの態度だ。
「イクシス、レニくんになんとか言ってやって!」
何て失礼な奴なんだと思いながら、何と言い返したらいいのかわからず、イクシスに助け舟を求めれば。
イクシスはソファーで寝てしまっていた。
「今日の所は近くにできた遊技場に行くというのはどうだ?」
「なんだカジノか? 賭け事は得意だぞ?」
林太郎の言葉に、キラキラとレニが目を輝かせる。
「いやそういうのじゃなくて、普通にスポーツして遊ぶタイプのやつで……」
「スポーツ? あーあの貴族がやる退屈な球ころがしのことか?」
困った顔をする林太郎に、レニがつまらなさそうな顔をする。
「とにかく行けばわかる。甘味が好きなら、近くにカフェもあるから奢ってやろう」
「甘いもの!? いいのか!?」
林太郎にずいっと顔を近づけて、レニが食いつく。
「あ、あぁ」
「よしじゃあさっさと行こうぜ!」
「ちょ、手が……」
頷いた林太郎の手を引きずって、レニが家を出て行く。
にぎやかだった部屋には、時計の音とイクシスの寝息の音だけが響いていた。
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ソファーに座って、首をうなだれて寝ているイクシスの体勢はちょっぴり辛そうだ。
体勢を変えてあげたいなと思うけど、寝ているから起こしたくないなとも思う。
少し悩んで、イクシスの前にしゃがみこんで見上げるように顔を覗き込む。
寝てるイクシスの顔立ちは普段より幼く見える。
思っていたより睫毛が長いなとか。
いつもキスしていた唇の形とか、そんなところをまじまじと見てしまう。
イクシス、疲れてるんだな。
私をずっと捜し回っててくれたんだよね。
そのことが嬉しくて、胸にじんわりと温かさが灯るようだった。
私の方はいっぱい泣いたはずなのに、不思議と疲れがない。
泣いていたヤヨイの体ではなく、元のメイコの体になったからかもしれないと思う。
心の方は、どしゃぶりの後の晴れ空のようにすっきりとしていた。
やっぱり体勢を変えてあげよう。
とりあえずは横にしようと、片方の膝をソファーに乗せてその肩に手を触れる。
「ん……」
「イクシス、ソファーに横になった方がいいよ。疲れてるみたいだし」
薄っすらと目を開けてしまったイクシスに、優しく言葉をかける。
寝ぼけているのか、イクシスはぼーっとしていた。
「……」
「イクシス?」
私の髪に指を差し込んで、地肌をなぞったり、頬にふれたり。
その指先が確かめるように触れてくる。
「不思議だな。この姿になったメイコを見るのは今日が初めてなのに、なんだかしっくりくる」
見上げてくるイクシスの目は甘く、吐き出される言葉は無防備な響きがあった。
「メイコ」
引き寄せられて膝の上に乗せられる形になる。
優しく抱きしめられて、胸が急に騒がしくなった。
「ヒルダの時より、俺の腕にすっぽり収まるサイズだな。体温も高くて……気持ちいい」
そんなことを耳元で囁かれて、思わず固まる。
唇が触れそうな距離。
イクシスが私の目を見つめてくる。
もう完全にイクシスは起きてしまったみたいで、そこにはしっかりと意志の光が見えた。
私を求める色が、そこに見えることに体温が上昇していくのがわかる。
「キスして……いいか?」
「なんでそんなこと、わざわざ聞くの」
言わなくたっていいのにと思って口にして。
「昔はキスするとき聞かないと怒っただろ。こんな風に……メイコから欲しがる顔をする事もなかったのに、変わるものだな」
「……っ!」
からかうように言われて、自分がイクシスからのキスを待っていたことに気付く。
その事が恥ずかしくて逃げようとすれば、両手で頬を包まれて阻止されてしまう。
「好きだ、メイコ」
クスッと私の反応に笑ってから、イクシスが唇を重ねてくる。
濡れた舌が絡まってきて、味わうように口の中を這いずり回る。
ぞくぞくと背筋まで痺れるような感覚に逃げ腰になれば、逃がさないというようにイクシスがぐっと私の腰を寄せる。
「ん、ふっ……あ、イクシス」
執拗な長いキスに、蕩かされて苦しくなって。
どこか助けを求めるように名前を呼べば、イクシスが目を細める。
「可愛いな、メイコは……ん」
唇を離して吐息と共に微笑んだと思えば、余計に口付けは深くなって。
今のが逆効果だったとすぐに思い知る。
ようやく口付けが終われば、イクシスが私を立ち上がらせた。
体に力が入らない私を自分の体にもたれかからせて。
「俺たちがあの世界で別れる前に俺が言ったこと、覚えてるか?」
問いかけるイクシスの言葉に、別れる直前のことが思い出される。
ティリアの件が終わったら、イクシスの花嫁にしてもらう。
そういう約束だった。
あの時点では、イクシスと一緒にオウガも夫にする、白竜の道が一番の選択肢に思えていて。
色々揺れたけれど、元の体に戻ってイクシスの誓約も解けた今、私の気持ちは固まっていた。
「メイコ、俺の花嫁になってくれ。俺だけの――花嫁に」
願うようにイクシスが口にする。
改めてされたプロポーズ。
その大好きな金色の瞳には、私が――メイコが映っている。
「はい。私を……イクシスの、イクシスだけのお嫁さんに、してください」
イクシスの言葉が嬉しくて。
ちゃんと言いたかったのに、言葉は途切れ途切れになって嗚咽が混じった。
逆鱗のネックレスを、イクシスが私の首にかけてくれる。
喜びを表すように濃い桜色が、鼓動するように色を変えた。
「メイコ――ずっと俺の側にいろ。約束だからな」
ほっとするように、嬉しくてしかたないというように。
私の名前を呼んでイクシスが目じりを下げる。
優しく、でも力強く抱きしめられた。
「うん! イクシスが離れろって言ったって、もう離れないから!」
抱きつき返せば、自然とその後は口付けを交し合って。
幸せだと、心の底から思った。