【97】それぞれの体
しばらく談笑していたら、ニコルが到着した。
普通に玄関から入ってきた青年姿のニコルは、別れた時と変わらない黒ずくめの服だった。赤い瞳を隠すどころか、尻尾や角、翼もそのままだ。
ニコルの姿を見つけて林太郎が、ソワソワしはじめる。
林太郎が理想とするような見た目とオーラをニコルしてるから、興味深々なんだろう。
「父さん、ちゃんとタクシー乗ってきましたか?」
「そんな面倒なもの使うか。花嫁の誓約を追って飛んできたに決まってるだろう」
オウガの言葉にハッと、ニコルが鼻で笑う。
この世界に出入りするための空間の歪は、あの一箇所しかないらしい。
空間を渡って距離を短縮するには、ある程度慣れた場所じゃないといけないから、オウガはニコルにタクシーを使うよう言っていたようだ。
「この世界に竜族はいないんですよ! 人に見られたらどうするんです!」
「見られたら見た奴ごと消せばいいだけの話だ」
オウガに叱られながら、うんざりした様子でニコルは呟き、後ろに立つ人物の首根っこを掴んで突き出した。
「ちょっと乱暴じゃないすか、ニコル様!」
「体を与えずにその魂をひねり潰してやっても、オレは一向に構わないんだがな?」
ニコルに突き出されたのは、ヒルダの体に入った誰か。
ぞんざいな扱いをされて怒っている様子だけれど、妙に言葉遣いが雑というか、その立ち振る舞いが男っぽい。
「ほら、そっちの茶色い髪の女がお前の次の器だ」
ニコルがどうでもよさそうにそんな事を言い、ヒルダの体が私の方を見る。
そして盛大に眉を寄せた。
「えーっ、こんなちんちくりんかよ。絶対この体の方がいいだろ。胸でかいし美人だし色々エロイし。こんなんじゃ色仕掛けすら不可能じゃねーか」
「お前の意見なんて最初から聞いていない」
あからさまに嫌そうな顔をしたヒルダの体は、私を指差してニコルに訴えたけれど却下された。
「ニコルくん、そっちの……ヒルダの中に入ってる人は?」
「裏切ったメアを殺しにきていた暗殺者だ」
尋ねればニコルが答えてくれたけれど。
「えっ? 暗殺者!? それって敵じゃないのニコルくん!」
「あの日、ティリアはお前の魂を飛ばす事で精一杯で、その中に入れる魂まで準備してなかったらしい。そのせいでメアが直前に始末してた暗殺者の魂が、空っぽになったヒルダの体に入り込んで……この通りだ」
驚く私にニコルはそう言って、細かい事情を話してくれた。
私達がヒルダのいる異世界の情報を掴み、ティリアは焦った。
私が異世界へ行って、ヒルダが元の体を手に入れてしまえばティリアは終わる。
だから共謀しているアベルの父親のルーカスをおとりに使って、私達を足止めした。
竜族やメアさえいなければ、この状況をどうにかできる。
そう思ったティリアは、私の魂を別の場所へ飛ばすことを思いついた。
竜族やメアはヒルダというより、私に固執している。
私の魂がいなくなればそっちに構っている間、時間稼ぎもできて、ヒルダの体にも隙ができると考えたのだ。
私達がルーカスにかまけている間に、ティリアは私を異世界へ飛ばす魔法を練り上げて罠を張った。
その作戦はうまく行ったけれど。
私の魂を飛ばすための魔法で精一杯だったティリアは、私の代わりにヒルダの中に入れる魂までは用意できなかった。
魂のない状態でヒルダの体が死ねばティリアも困る。
誓約が解けなくなる可能性が高いからだ。
しかし、ヒルダが死んでしまえばイクシスが死ぬので、そこは竜族がどうにかヒルダを延命するだろうと思ったんだろう。
ティリアはそのままヒルダの体を放置して、遠くへと逃げたらしい。
しかし、ヒルダの体の側には、実はメアに殺された暗殺者の魂がいた。
そいつがするりとヒルダの体に入ってしまって。
……今に至るとのことだった。
話を聞けばヒルダの中に入っているのは、メアを育てた暗殺者の実の息子。
メアとは兄弟同然に育った兄貴分で、名前はレニ。
彼らの父親が指揮する暗殺者集団では、メアに次ぐ実力者とのことだ。
メアを確実に始末してこいと父親から命令を受け、レニは屋敷にやってきた。
ティリアとの対決前夜、メアに勝負を挑み命を落としたらしい。
父親に兄弟同然のメアの暗殺を依頼されて、そのメアに殺された。
この事情だけでも十分重い。
なのに、レニはメアを裏切らせる原因ともなったヒルダの体に憑依してしまったのだ。
しかもその側には、自分を殺したメアが見張りとしてつくことになったのだと言う。
「それって大丈夫だったの……?」
「大丈夫って何がだ? 別にオレはメアに恨みがあったわけじゃねーし、メアを使い物にならなくしたヒルダって奴には少し恨みがあったが、自分自身がそうなれば殺す意味もねーだろ」
戸惑いながら聞いた私に、ぼりぼりと頭をかきながらレニが答える。
「親父の命令だったからメアを殺しにきた。それだけだ」
レニはかなりあっけらかんとした様子で、どうでもよさそうな口ぶりだった。
「思ったより混乱はなかったな。ヒルダの胸を揉んだり、食事を何度もおかわりして。メアと毎日楽しそうにナイフ投げ合ったり、組み手をしてじゃれあってたくらいだ」
「それ大混乱じゃないの!?」
冷静にいうイクシスに突っ込めば、ナイフ投げや組み手以外はメイコもやってただろと逆に言われてしまった。
男であるレニとあまり行動が変わらないってどうなんだろう……。
少し、自分の行動を振り返る。
しかし、やっぱり私というより、ヒルダのけしからんお胸様がいけないんじゃないかという結論に達した。
暗殺者のレニは気配を察知するのが上手く、身体能力も高かった。
自分の身は自分で守れるということもあって、ヒルダの護衛は必要最低限でよく。
護衛というよりは、見張りとしてメアとフェザーを付けていたため、そう手間はかからなかったという事だ。
「一生暗殺者のままで終えると思ってたからな。いや終えたと言えば終えたんだが、オレにはやりたいことがある。そのヤヨイって奴の体で我慢することにするわ。そっちの成長終わって見込みがない断崖絶壁より、若い分まだ希望があるしな」
ちらりと私の元の体の胸部分に目をむけ、これはないというように暗殺者の彼は首を横に振った。
「人が気にしていることを……!」
レニはとんでもなく失礼な奴のようだ。
「落ち着けメイコ!」
「あいつ口が悪いんだ。いちいち気にしてたら身が持たない」
一度殴っておかなければ気がすまないと拳を握りしめれば、オウガとイクシスに宥められる。
「二人の言う通りだ。胸くらいでくだらない。そんなの後でたっぷりオレの息子達に揉んでもらって大きくしてもらえばいい」
ニコルくんがさらりととんでもないことを言う。
殴るべきはレニよりも……ニコルくんのような気がしてきた。
さらりとセクハラ発言をかますニコルくんはショタ姿じゃない分、憎らしさが五割ほど増した気がする。
「さっさと体を交換するぞ。手間をかけさせるな」
ニコルはそう言ったけれど、私はレニに言っておかなくちゃいけないことがあった。
ヤヨイの体に関わる、重要なことだ。
魔法の六属性を持つヤヨイの体は、魔力が体内で結晶化する傾向にある。
一度完全に体内で結晶化したものは、魔力を削ぐ魔法を使おうと排出されることはほとんどなく、ヤヨイの体に溜まっていく。
現在は魔力回路があるため、ある程度魔力を排出し結晶化を遅らせることで健康な状態を保っているけれど。
大人になってヤヨイ自身の魔力が成熟すれば、体の結晶化が進行し病から逃れられない運命にあった。
それを回避するためには、花寄り人になる必要がある。
花寄り人には特殊な能力があり、たった一人の愛する人のために開花すれば、相手とその魔力と属性を共有することができた。
それによって二人分の器を得れば、結晶化から逃れられるのだ。
例え愛するただ一人のために開花できずとも。
花寄り人には相手の魔力を高める力があり、そこに自身の結晶化する力を乗せることも可能。
だから、花寄り人にさえなればヤヨイの体でも、生きることはできる。
ただ特定の相手を持たず開花してしまった花寄り人は、ビッ……とても快楽に流されやすく、複数人と関係を持っても平気な思考になってしまうらしい。
不特定多数の魔を持つ者を引き寄せる花寄り人の体質に、自身の心が壊されないための自己防衛手段なのだと乙女ゲーム『黄昏の王冠』で、主人公の養父が言っていた。
相手が複数人なんてとんでもないと思うけれど、結晶化する力を一人に渡すことは危険なため、ヤヨイやゲームの主人公の体質を考えると相手は複数人の方が好ましいらしい。
ゲーム内で主人公が複数人の好感度を上げながら、誰とも結ばれなかったときのバッドエンドでその事情が明かされていた。
「あのね、レニくんその体の事なんだけど少し問題があって。魔法の六属性を持ってるから」
「それならオレがここに来る途中で話しておいた。こいつも全て了承済みで、問題はない。今死ぬよりはましだそうだ」
レニに説明しようとすれば、ニコルがそれを遮った。
ニコルには事前にこのことは言ってあったのだけれど、私の代わりに説明しておいてくれたらしい。
「レニくん、本当にいいの? その……女性として生きることに抵抗は?」
「別に性別なんてどうでもいいだろ。オレはオレだ」
おずおずと聞けば、あっさりレニは答える。
ヤヨイとして生きるということは、いずれ花寄り人になるということ。
たぶんゲームの主人公の猶予からして、十八歳くらいまでに開花しないと結晶化が始まるんじゃないだろうかと思えた。
愛するただ一人のために開花――ヤヨイが女だから、きっと相手は男性になると思うのだけれど。
レニは中身が男性なのに、それができるんだろうかと他人事ながら心配になってしまう。
本当にちゃんとわかってるんだろうかと不安になって、とりあえず最後にもう一度だけ言おうと思えば、ニコルくんに肩を叩かれた。
「花嫁、本人が大丈夫だと言っている――それともお前はそいつに体を与えずに、そのまま消えろと言えるか?」
耳元で囁くニコルの言う通りだ。
レニにはヤヨイの体に入るか、死を受け入れるかの二択しか用意されてなかった。
「それは……言えないけど」
「本人が覚悟しているんだ。それを見届けてやろうじゃないか」
くくっとニコルが喉で笑う。
面白い玩具を見つけたときのような、意地の悪い顔つきで。
どうやらニコルは、レニの置かれた状況を楽しんでいるみたいだった。
「ニコルくん、レニくんで遊ぶつもりなの?」
「人聞きが悪いな花嫁。オレは見守ってやるだけだ。時折面白おかしく手を差し伸べてやろうとも思っている。親切だろう?」
じと目で睨めば、ニコルくんは悪びれもせずそんな事を言う。
面白おかしくと言っている時点で、レニで遊ぶ気満々だ。
「さっさとはじめるぞ」
ニコルの言葉を合図に、オウガが空間を開く。
その先には私とオウガが出会った公園が見えた。
そこで儀式を行なうつもりらしい。
人払いの魔法を周辺にかけて、ニコルが取り出したビンを投げれば、空中でそれが割れた。
虹色に輝く粉が空気中に舞う中、ニコルの詠唱に答えるように粉が地面に魔法陣を描く。
指示されるまま、私とヒルダとレニはその魔法陣の上に立った。
ようやく元の体に戻れるんだと、そんな事を思う。
ヒルダになって、ヤヨイになって。
ここまで本当に長かったなと思いながら、目を閉じた。
ニコルが詠唱を続け、その瞬間がいつくるかなと思っていたら、目蓋の裏で白い色がはじける。
浮遊感を覚えたと思えば、くるりと体が回転したような妙な感覚がして。
「メイコ」
名前を呼ばれて、ゆっくりと目を開ける。
目の前にはイクシスが立っていた。
「イクシス……」
口から出たのは、懐かしい自分の声。
名前を呼べば、イクシスが優しく微笑んでくれる。
「ようやく本当のメイコに会えたな」
私の頬の横の髪を、イクシスの指がすくいとる。
その色はヤヨイの茶色でもなく、ヒルダの金色でもなく。
メイコの――私本来の黒い色だ。
ヤヨイよりはちょっと高くて、ヒルダよりは少し低い目線。
自分の姿を確かめたくて、イクシスの金色の瞳に映っているはずの自分を探そうとしたけれど。
そこにある色が甘くて……それどころじゃなくなってしまう。
「私、元の体に戻ったんだね?」
ちょっと照れくさくて視線を下げれば、足元が見えた。
ヤヨイの時はともかく、ヒルダの時は胸が邪魔で見えなかった足元。
私の視線を阻むお胸様はもう、そこにはないけれど。
自分で自分の体をぺたぺたと触れば、朝倉メイコはこうだったなと懐かしく思えた。
「どうだ久々に自分の体に戻った気分は」
「うん……やっぱり嬉しいよ」
背後からオウガに話しかけられて振り向く。
オウガは、水属性の魔法で水鏡を出してくれた。
鏡に映るのは、黒髪に少し低めの背をした子。
くりくりとした目に、童顔。
そこには――私のよく知る朝倉メイコがいた。
確かに自分なのに、久しぶりだなぁとやっぱり思ってしまって。
ふいに涙が出そうになれば、今までよく頑張ったなと二人が頭を撫でてくれた。




