【96】分かりづらい彼女の愛情
「メイコさんの事情の方は、すでに聞いてます。イクシスさんと恋仲になったんですよね」
「うん……まぁね」
大地に言われて頷く。
やっぱり目の前の義兄・大地がジミーだと思うと違和感があって、ぎこちない動きになってしまった。
「ヒルダとジミーは、元の世界に帰らなくてもいいの?」
「構わないわ。ワタクシはあの世界に未練なんてないもの。本当はこれといった特徴もなく、肩も凝らない平凡の固まりのようなこの体が気に入っているのだけど……大地がこれはあなたのモノだって言うから、返してあげる」
問いかければ、感謝しなさいというようにヒルダが言い放つ。
棘が私にチクチクとささるけれど、ヒルダの表情は本気で残念そうだ。おそらく悪気は一切ないんだろう。
平凡の固まり……間違ってはいない。
しかし、ヒルダの豊満なナイスバディや美貌と比べたら、大抵の人は平凡になるんじゃないかと思った。
「メイコさん、ヒルダは平凡に憧れてるんです。ヒルダは前世からずっと、人にしては身に余る力を持って生まれてきて、周りに利用されてきたから……悪気はなくてうらやましいと本当に思っているんですよ」
気を悪くしないでほしいと、大地がフォローを入れてくる。
だからこそ、ヒルダはここでの生活を望んでいるんだと大地は付け加えたけれど。
前世というワードが、耳にひっかかった。
「前世ってどういうこと?」
「ヒルダもぼくと同じで転生者だったみたいなんです。幼いときから大人びたところがあったので、もしかしたらとずっと思ってたんですけどね」
私の問いに、大地が答える。
ヒルダの方に目を向ければ、くすっと面白い事を思いついたというように唇を歪める。
テーブルを避けて、ヒルダはオウガとイクシスの間に座っている私の前に立った。
それからソファーに片膝を乗せて。
その指先で、私の顎をくいっと上げた。
警戒したイクシスとオウガに、ヒルダは軽く視線を流す。
まるで手出しするなというように。
二人が中腰のまま固まれば、ふっとヒルダは笑う。
「待てができるなんていい子ね、ヒース。クリフ?」
「俺たちはそんな名前じゃない」
「オレたちはそんな名前じゃない」
ソレに対して、イクシスとオウガが同時に不機嫌な声で答える。
「ふふっやっぱり双子ね」
ヒルダは二人の様子を見て、楽しそうに笑った。
ヒースとクリフは、前に竜族の里でイクシスに読んでもらった絵本に出てくる竜だ。
金色の瞳を持ったヒースという竜と、黒い体を持つクリフという竜。
絵本の内容は勇敢で清い心を持ったお姫様に、二匹の兄弟竜が力と知恵を貸すお話。
国に危機が訪れて、お姫様は二匹の竜の力を借りて民を救う。
けれど最終的には、竜を従えるお姫様の力を恐れた人々によって、彼女は殺されそうになってしまう。
その時に二匹の竜が現れ、愚かな人間ごと国を滅ぼし。
お姫様を白い竜へ変えて空へと連れて行く。
そういうストーリーだ。
この二匹とお姫様が今の竜族の祖先だと言われていて。
イクシスとオウガは、物語に出てくる双子の竜の特徴を受け継いでいた。
イクシスはヒースと同じで、魔法陣を見ることができる金色の瞳を持っていて。
魔法を打ち消すことが可能だった。
一方オウガは、クリフと同じで黒竜。
古い竜の知識を持ち、空間を操ることに長けた竜族の中でも特別な存在だ。
かつてヒルダは、イクシスにこの竜の片割れであるヒースという名前を付けて呼んでいた。
――心を差し出したのに、結局欲しかったものは半分しか手に入らなかった間抜けな竜。
そんな事を言って。
「あなたがワタクシと入れ替わったのは、きっと運命ね? またこうやって、双子竜をひきつけるのだから」
ヒルダからは、花のような良い香りがする。
私の頬をなぞる爪は綺麗に手入れがされていた。
甘く密やかに囁くヒルダの笑みは壮絶に色っぽくて。
女の私でもドキっとしてしまうほどだ。
同じ顔でも何が違うんだろう。
そんなことをちょっと真剣に考えて。
中身だなと、身も蓋もない結論に辿りついて少し泣きたくなった。
「ワタクシの子孫たちを、せいぜい振り回してあげなさい?」
「子孫……?」
呆ける私の顔を見て、愉快そうにヒルダはクスクスと笑う。
「……ヒルダは、竜族の絵本に出てくる白竜の生まれ変わりなんだ。だから空間も渡れるし、強力な魔法も使える。こんな女が伝説の白竜の生まれ変わりなんて、最悪の一言に尽きるな」
イクシスが嫌味たっぷりに口にする。
「ヒルダが元白竜!?」
「えぇそうよ。とは言っても記憶は竜になる前の、人だった頃のモノが強いのだけれど」
叫んだ私にヒルダは、反応が面白いわねあなたと言って笑う。
金の目の竜と、黒竜から愛され。
逆鱗を受け取り、その花嫁になることで生まれる白竜。
空間を容易く飛び越え、誓約を結ぶのも解くのも自由自在。
魔法の基本六属性に加え、第七の属性である無属性までつかえるという、全ての頂点に立つ力を持つ伝説の竜。
ヒルダはその生まれ変わりで。
だから魔法も最初から基本の六属性が使えた。
六属性を持っていながらヤヨイのように体が結晶化しなかったのは――実は七属性目を持っていたのと、その魔力の器が巨大だったからのようだ。
「ワタクシが最初から恵まれた力を持っていたのは、あの過保護竜共が仕組んでくれたからよ。ワタクシはそんなもの……いらなかったのに」
ヒルダは私から離れると、ソファーに座りなおして足を組んだ。
次生まれ変わったとき、ヒルダが何者かに虐げられないように。
白竜の力をそのまま持って生まれるよう、ヒースとクリフが何か仕掛けたのだとヒルダは言う。
「大体――そうでもなければ、たかがエルフと人の間に生まれた子が、行き過ぎた力を持つのはおかしい事でしょう?」
確かにヒルダの能力は度が過ぎていたけれど。
そんな事情だったなんて、一切知らなかった。
前にヒルダに対抗できるのは、白竜くらいなんじゃないかなとは思ったことがあるけれど。
まさかヒルダが白竜の生まれ変わりだなんて思うはずもない。
イクシスにかつて、ヒルダがヒースと名前を付けたのは。
その外見が似ていて懐かしくなったからで、特に意味はなかったらしい。
過度な力を二匹の竜から貰い白竜になったヒルダの前世だけれど、その二匹のことを嫌いだったとかそういうわけではないようだ。
すでにもう過去の事。
そんな清々しさがヒルダにはあった。
「……どうしてヒルダは、イクシスに無理やり誓約を結んだりしたの?」
折角の機会だからと、前々から気になっていたことを口にしてみる。
「ジミーを外に出すためには、魔法人形の体が必要だったの。そのための素材として、竜の角が必要だったから異空間で永遠の眠りについている竜から拝借しようと思っただけの話よ」
死んでいるようなものなら、角をもらったところでいいでしょうとヒルダはさらりと口にした。
私が前に予想したことは、間違ってなかったようだ。
「そしたら若い竜のくせに寝てる奴がいたの。しかも逆鱗持ち。このワタクシでさえ下らない世界に身を置いているのに――楽になろうなんて甘すぎると思わない?」
トントンとテーブルを指でヒルダが叩き、指で二と合図を出す。
紅茶のおかわりを林太郎がそこに注ぎ、角砂糖を二つ入れた。
一口ヒルダが飲んで温いわねと言うと、代わりを持ってきますと林太郎は下がる。
……ヒルダにこき使われることに、何の疑問も持っていない様子の弟にちょっと悲しくなった。
「だから誓約を結んで引きずり出して、遠慮なく角を取るためのペットにさせてもらったわ。あとは愚か者共の牽制にも使えたしね」
「ペットってお前な……」
ふふっと上から目線でヒルダが笑い、私の隣にいるイクシスが苛立ちを露にする。
「仮にも子孫だから気になったって、素直に言ってあげればいいのに」
「大地……勝手な解釈はよしなさいと何度言ったらわかるのかしら」
大地が言えば、それをヒルダが睨みつける。
けれど大地は堪えたようすもなかった。
「ヒルダが本当にイクシスさんをどうでもいいと思ってるなら、大切なヒースって名前をあげないはずだよ」
「あんな愚かな駄竜の名前を、ワタクシが大切にするわけないでしょう」
「ぼくの体が出来上がってエルフの国を出て後は、イクシスさんは用無しだったはずだろ? それでも手元に置いておいたのは、また永遠の眠りに着こうとしないか心配だったんだよね」
「そんなんじゃないわ。まだ利用価値があると思っただけ」
優しい目を向ける大地に対して、居心地が悪いと言った様子でヒルダが答える。
ヒルダの顔からは、先ほどまであった余裕が失われている気がした。
最初ヒルダの体に入ったとき、乙女ゲーム『黄昏の王冠』の知識もあって、私はヒルダを悪役だと思っていた。
少年達を集めて虐げて。
豪遊三昧を繰り返しているとんでもない女性。
その情報はある意味間違ってはなかった。
ヒルダときたら、少年達に嫌われるようなことばかりしかしてなくて。
倫理的にそれはどうなんだということも、あっさりやってくれている。
無理やり相手に誓約を結び、暗殺者でさえ懐に入れて飼いならす。
性格の悪い、唯我独尊の女王様と言ったイメージだった。
けどヒルダの体に入って、ヒルダとして過ごすうちに。
イメージは変化して行った。
執事のクロードは、ヒルダに誓約によって縛られて側で仕えている。
ヒルダ以外に体を許せば命がない――そんな重い誓約。
しかしそれと引き換えに、クロードは魔を引き寄せる花寄り人の体質をヒルダによって封じられて、平穏に暮らすことができている。
同じく誓約を結ばされた蛇の幻獣使いで、元暗殺者のメア。
ヒルダが死ねば自分が死ぬため、暗殺対象だったヒルダを守らなくてはいけなくなった。
自分を殺そうとした暗殺者に、自分を守らせる。
その屈辱を味あわせるのは最高に面白いと、そんなことをヒルダは言っていたようだけれど。
――見方を変えれば、メアに暗殺以外の道を示したようにも見える。
ヒルダは花街育ちの子たちと体の関係を持っていて、ショタに手を出すなんてと心から思ったけれど。
彼らと過ごしていくうちに思ったのは……彼らがそういう行為によって、心の安定を保っていた部分があるということ。
最初の頃、私が行為を拒むせいでウサギの獣人・ベティや馬の獣人・エリオットはかなり不安定になっていた。
ベティは自分にとっての存在価値はそれしかないと思い込こんでいて。
捨てられてしまうという強迫観念で、サービス過剰になったり、とんでもない行動に出て当初私を困らせたものだ。
エリオットの方は、信頼していた飼い主に裏切られて傷ついたことから、そういう行為に逃げていて。
それがないと、どうしていいかわからないと言った様子だった。
ヒルダのしてたことは決して褒められた行為ではないけれど。
花街の子達以外に手を出してないことからすると、彼らを安心させるためにそういう事をしてたんじゃないかと思う。
自分に反抗的な村の少年キーファを引き取ったのも。
おそらくは彼が家族に捨てられて行く場所がなかったからと考えることも可能だ。
同じく、母親に執着していたアベルを、金で引き取ったのも。
とんでもなく性悪でどうしようもない母親から引き離したかったんじゃないか。
メアと同じで、ヒルダに差し向けられた暗殺者だったピオとクオ。
このハーフエルフの兄弟にいたっては、実はヒルダの実の兄妹で。
だからこそ危険でもヒルダは、手の届く範囲に彼らを置いていたんじゃないかと思えた。
メイドのマリアの息子である家族思いの少年も、国を捨ててきた鷹の獣人・フェザーも、猫の獣人・ディオも。
全員が全員、事情をかかえていて。
ヒルダの手元にいることで、守られていたんじゃないかと思えた。
それでいてもしかしたら。
ヒルダはティリアにも――その手を差し出そうとしていたんじゃないかと思う。
例え性格が歪んでいても、ティリアはヒルダの姉妹で。
彼女の性格が歪んだ一因は、ヒルダの存在にもあったから。
まぁ側で屈辱を味合わせてやろうと思ったのも、間違いではないのだろうけれど。
敵には容赦がなく、女王様。
素直じゃなくて不器用で、感謝されるより憎まれようとするような悪癖があって。
けれど一度懐に入れたものは――それがどんなに危険なモノでも、抱え込んで離そうとしない。
「ヒルダって、実は悪ぶってるだけだったりして」
ヒルダはそんな人だと、初めて会ったのにそう確信する。
伊達にずっとヒルダの体と一緒に生活してきたわけじゃなかった。
「ワタクシに対してずいぶん生意気な口を利くのね? 林太郎のように躾をして欲しい?」
思わず呟いた私に、ヒルダが定規を手に唇に威嚇の笑みを浮かべる。
けど何故だかあまり怖くはなかった。
気のせいか、焦っているようにも見える。
「ヒルダはそういいながら、女の子には理不尽に手をあげたりしないよね。そういうところ好きだよ」
「大地……あなたはさっきから、余計なことばかり言うわね? 黙らせてほしいのかしら?」
ヒルダがギロリと大地を睨んだ。
けれど、大地は微笑を浮かべるだけで怯みはしない。
「その唇で塞いでくれるなら、黙るよ。ヒルダの愛情はわかりにくいけど……ちゃんとぼくには伝わってるから」
優しく大地が囁いて、ヒルダを見つめてその唇をなぞる。
「……ッ!」
あのヒルダが、声を詰まらせて顔を赤くする。
一見すると大地の方がヒルダの尻にひかれているように見えるけれど。
実は大地の方が、ヒルダよりも一枚上手なのかもしれないと……そんなことを思った。




