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真田公記  作者: 織田敦
32/33

安土会議 そして、織田家の行く末

天正10年7月15日、安土城の大広間にて、今後の織田家の方針を決めるべく、4大軍団長が揃っていた。

上座に、会議進行役として、真田政長が座る。

左の2位の席には、真田夕夏、右の2位の席には、柴田勝家、左の3位の席には、丹羽長秀、右の3位の席には、滝川一益、左の4位の席には、羽柴秀吉、右の4位の席には、池田恒興。

この席順は、朝廷の官位官職の高さと、もう1つ別の意味が込められている。

左右の1位の席が空いているにも関わらず、会議が始まる。

最初の一声を発したのは、議長を任されている政長である。

「さて、本日、宿老の皆様方にお集まり頂いたのは、他でもござらん。

今後の織田家のあり方に付いて、話し合いを持つ為に、安土城にお越し頂きました。

私、本日の会議の議長を任されました、真田政長にございます。

若輩者ですが、精一杯努めさせて頂きます。」

政長が織田家の宿老達に頭を下げると、柴田勝家が言葉を発する。

「政長殿が議長を努めるのは問題はないが、本日の議題は何であろうか?

織田家の家督の問題と、領地の分配の事も含まれるのであろう?」

勝家の言葉に、政長が返事をする前に、夕夏が手を上げて発言の許可を求める。

議長の政長は、首を縦に振り、夕夏の発言を許す。

「議長に成り代わり、私が説明を致します。

本日の議題は、関東地方、奥羽地方、九州地方の制圧に関する事でお集まりを頂きました。

織田家の家督相続及び、領地の分配に関しては、議題には含まれません。

それが故に、皆様方のご了承を願います。」

夕夏の発言に、安土会議に出席した宿老達は、頭が混乱をしていた。

最初に安土会議を開く議題には、織田家の家督相続及び、領地の分配の事に関する議題も含まれていた。

しかし、状況が変わった為に、その2つの議題を外さなければ、ならなくなったのである。

他の宿老を代表して、勝家が発言をする。

「聞き間違えでなければ、家督相続の件と、領地の分配の話し合いは行わぬ。

そう聞こえたのだが、言い間違えではないか?」

勝家の発言は、安土会議に出席をしている宿老達の、本心である。

織田家の家督相続は、今後の織田家の中での発言力に繋がり、領地の分配に関しては、重要な検案である。

領地の広さこそが、自分の力を示すからである。

本能寺の変の前は、あくまでも上様から領地を預かり、管理をしているだけである。

しかし、上様、岐阜大将の両人が亡き今では、預かっている領地を自分の物にして、直接支配をしなくてはならない。

その為には、この安土会議にて自分の意見を押し通し、少しでも多くの領地確保をしたい。

そんな思惑を抱きながら、安土会議に参加をしたのに、会議の始まる前に、いきなり家督相続及び、領地の分配の件を話し合わないと言われれば、誰も黙って会議に参加をする必要性がない。

怒り心頭とばかりに、最初に立ち上がり、安土会議を抜けようとしたのは、羽柴秀吉である。

だが、真田夕夏は、秀吉に向けて、冷たい言葉を言い放つ。

「正当な理由もなく安土会議を途中で抜ける者は、織田家より追放処分とする!

亡き岐阜大将様の正室である、茜御寮人の許しも得ている。

それでも途中で退室をするなら、好きにいたせ!」

そこまで言われれば、秀吉は苦虫を潰したような顔をする。

そして、頭の回転の早い秀吉は、ここで途中退席をする不都合を考える。

ならば、腹の具合が悪いと言って厠に向かい、会議を一時中断にさせて、その隙に安土城に連れてきている官兵衛と、相談をしなくてはならない。

そこまで知恵を出した秀吉は、急にお腹を抑えながら、厠に行きたいと言い出す。

会議を始めたばかりであるが、腹の具合が悪く、厠に行きたいと言われれば、さすがに許しを出さなくてはならない。

秀吉が厠から戻るまでの間、暫しの休憩と言う形を取り、議長である政長は、四半時後に会議の再開を命じる。

しかし、夕夏と政長の両人は、他の宿老達に分からぬように、一瞬だけ目を合わせる。

安土会議の中断後に、秀吉は、官兵衛と密談、勝家は、一益と話し合いを持ち、長秀は織田家の行く末の事を考え、恒興は、兵の士気を確かめていた。

夕夏は、政長と話し合いを行い、二つ目の謀略の発動を考えていた。



四半時が過ぎ、再び会議が再開をされると、夕夏は宿老達に書状を手渡す。

勝家達が手渡された書状を開き、内容を確認すると、無茶ぶりとも言える内容が目に入る。

柴田勝家及び滝川一益は、来年の夏に予定をしている、北条征伐の準備を、急ぎ執り行う事。

丹羽長秀及び、池田恒興は、石山本願寺の跡地に巨大な城を築城する為の準備を執り行う事。

羽柴秀吉は、毛利との正式な和議締結の条件として、出雲石見の2か国を、改めて譲渡する約束を取り付ける事。

宿老達は、誰しもが言葉を失う。

これが、上様か、岐阜大将からの命令ならば、黙って従うだけである。

しかし、この命令が、夕夏からの命令ならば、黙って従う道理はない。

勝家、一益は、苦虫を潰したような顔をし、長秀は、深いため息を吐き、恒興はしぶしぶ従う様子を見せ、秀吉は顔が青ざめていた。

なぜなら、勝家、一益にしてみれば、強大な北条家に対して、単独で当たる危惧を予想している。

長秀は、築城の費用の捻出だけではなく、木材や石材などの調達の期間を考える。

恒興は、もはや織田家は、夕夏と政長に乗っ取られたと思い込み、ここで逆らうよりは、上様の遺児達や家族の今後の身の振り方を考えるしかない。

秀吉にしてみたら、とんでもない話である。

5か国の割譲だけでも、相当苦労をして取り決めたのに、新たに2か国割譲の要求を毛利家に突き付ける事が、どれだけ大変かを分かっているからである。

「さて、皆様方には、その書状に書かれている事を、やって貰います。

意見のある方は、この場にて発言をして下さい。

なお、会議後の発言は許しませんので、予め御理解をお願い致します。」

議長の政長がそう発言をすると、真っ先に手を挙げて発言をしたのは勝家である。

「この書状を読む限り、某と一益だけで、強大な北条家討伐をせよと申されるのか?

いくらなんでも、無理でござろう。

もちろん、援軍を出して貰えるのであろうな?」

勝家の発言を受けて、一益も首を縦に振り、援軍の要求を要請する。

「もちろん、援軍を出します。

勝家殿と、一益殿には先陣をして貰い、本隊は約8万の兵を率いて上野に向けて進軍をして貰います。

勝家殿、他に質問はございますか?」

議長の政長の発言を聞き、約8万の援軍を約束させた以上、勝家や、一益達からのこれ以上の質問はない。

次に手を挙げて質問をしたのは、長秀である。

「石山本願寺跡に、巨大な城を築城せよと申されるが、どれだけの期間と費用、そして人材を出して貰えるのか?

まさか、我々の懐から全てを出せとは、言わぬのであろう?」

長秀からの質問を聞き終えた政長は、側に控えている小姓に命じて、1枚の大きな紙を長秀の前で広げる。

その紙は、亡き真田敦が、上様に命じられて築城予定をしていた大阪城の図面である。

石山本願寺も、巨大な建物であったが、その数倍の大きさの巨大な城を築城する予定であった。

あまりのスケールの大きさに、長秀だけではなく、その図面を見た宿老達が声を出せない程である。

これだけの大きさを築城するとなると、数年ぐらいでは築城を完成させる事は、不可能であろう。

下手をすれば、10年以上掛かる計算である。

織田家の財力を使えば、そこまで財政難になるとも思えない。

「もちろん、築城費用や多数の人間は、織田家から全て出す。

長秀殿や、恒興殿には、木材、石材の調達だけに専念をして貰いたい。」

政長は簡単にそう言うが、木材や石材を集めるだけでも、相当な苦労をする。

下手をしたら、織田家の領内だけでは、集めきれない可能性もある。

そうなれば、敵地から多額のお金を支払い、調達をしなければならない。

そう考えるだけで、長秀の胃の辺りが痛み始める。

最後に秀吉は、終始渋い顔をしていた。

どうやって、もう出雲石見の2か国を、毛利から割譲をさせるのか。

秀吉のようすを見ながら、夕夏は更に追い討ちを掛ける。

「筑前殿が逆賊を討つ為に、毛利と一時的な和議を結んだ事は、不問に致す。

しかし、逆賊に負けたとあれば、話は別である。

懲罰の意味を込めて、出雲石見の2か国割譲を改めて申し渡す。

出来ぬと申されるのであれば、この場にてはっきりと申すが良い。

その場合には、改めて新しい使者を毛利に送り付けて、2か国割譲を約束させるだけである。

もちろん、中国地方の総司令官は、新しい人材を任命する。」

夕夏からの強い命令に、秀吉は直ぐには返答が出来なかった。

この命令を断れば、事実上の更迭を意味する。

暫しの沈黙の後に、秀吉からは、毛利から出雲石見の、2か国割譲をさせるとの返答が出る。

宿老達からの返答を聞いても、どことなく嫌々従っている事は、夕夏にも政長にも分かる。

だが、この命令は、夕夏から出たものではない。

「さて、これにて会議を終わりにしたいと思うが、その前に宿老の方々に、お引き合わせしたいお方がおります。」

そこまで政長が言葉を口にすると、すっと立ち上がり、そのまま下座に座ると一言を発する。

「会議は終わりましたが故に、部屋の中にお入り下さいませ。」

政長の声に合わせて、部屋の襖が大きく開くと、そこに立っていたのは、織田家当主である織田信忠の姿があった。

信忠の姿を見た宿老達は、まるで幽霊でも見たかのように、言葉を失う。

信忠は、宿老1人1人に対して言葉を掛ける。

「心配をかけて済まぬ。」

「幽霊ではなく、きちんと生きておる。」

と言いながら、宿老達の反応を見ながら左の1位の上座に座る。

勝家は、泣き顔になり、長秀は、織田家の滅亡を回避されたと安堵し、一益、恒興らは、ただただ信忠存命を喜び、秀吉は、表向きは喜んでいるが、腹の中では何を考えているか分からない。

信忠生存を確かめた勝家は、言葉を選びながら信忠様に質問をする。

「信忠様は、二条城で落命をされたと聞き及んでおりまするが、どのように二条城から、落ち延びたのでございますか?

明智勢の軍勢の前では、ありの入る隙間も無い筈ですが?」

勝家の質問は、他の宿老達も知りたい事である。

信忠は、その質問に答える前に、顔を部屋の入り口の方に向ける。

他の宿老達も、それに合わせて顔を向けると、そこには、本能寺の変で亡くなった筈の、上様と小姓の森蘭丸の姿があった。

勝家を筆頭に、他の宿老達も腰を抜かす程の驚きである。

信忠の生存だけではなく、上様の生存も確認をも取れれば、会議を続ける必要性はない。

誰しもが言葉を失い、どうしたら良いのか、分からないのである。

そんな光景を見た上様は、1人1人の顔を見て満足しながら上座に座り、蘭丸は太刀持ちの位置に座る。

いつもの上様であれば、短い言葉を述べるのに対して、なぜか今日は、少し長めにに言葉を言う。

「最初に言うが、余は幽霊などではない。

きちんと、この通り両足もある。

まぁ、本能寺で光秀に殺されかけたのは、紛れもない真実だがな。

あやつがおらねば、本当に本能寺で光秀に殺されていたであろう。

織田家は、今後も立ち止まる事は許されぬ。

それが故に、今日お主達をここに呼び寄せた。

残りの半年は、経済の回復と戦の準備に当てる。

来年には、この国を統一し、南蛮遠征の準備に取り掛かる。

その方達の、働きに期待をしておるぞ。」

上様がそう言うと、宿老達は自然と頭を下げていた。

やはり、上様あっての織田家である。

誰しもがそう思った時に、上様が言葉を繋ぐ。

「さて、もう1人、お主らに会わせたい人物がおる。

隣の部屋に待機をしておるであろうから、この場に姿を見せよ!」

いつものかん高い声が部屋に響くと、右隣の部屋の襖が開き、頭を下げて待機をしている1人の男の姿があった。

顔には、紫色の頭巾を被り、目の辺りだけが見える姿である。

上様は顎を軽く動かし、早く部屋に入り、先程の勝家からの質問を回答せよと合図をする。

その合図を見た男は、すっと立ち上がると、真っ直ぐに信忠の正面、つまり右の1位の席に座る。

これには、さすがの宿老達も文句を口々にする。

右の1位の席に座る資格があるのは、真田夕夏、上様の次男の北畠信雄か、三男神戸信孝である。

その3人以外に、その席に座るのは、とんでもない事である。

しかし、夕夏だけは、その男の目を見ただけで、背筋が凍るような状態になる。

そして、思わずある言葉を口にする。

「ま、まさか、あ、兄上?

その目元は、忘れようとしても、決して忘れられない。

いや、兄上は、二条城で討ち死にをしたはず。

でも、その目は、兄上にうりふたつと言える。

本当に、本物の兄上なのですか?」

そこまで夕夏が言葉を口にすると、その男は、被っていた頭巾を取る。

その男の素顔を見た者は、頭の中が混乱をしたであろう。

二条城の戦いで討ち死にをした筈の、真田敦の姿があったからである。

勝家を筆頭に、宿老達がざわつく中、顎に手を当てている真田敦が、少し息を吐いてから口を開く。

「まったく、どいつもこいつも、わしが生きているのが、そんなに不思議なのか?

上様と、岐阜大将が生きている以上、わしが生きていても不思議ではあるまい。

まぁ、分かりやすく説明をしないと、頭の中では理解に苦しむであろうな。」

軽く笑うと、真田敦は、ゆっくりと事の顛末を語り始める。



「さて、どこから説明をしたらよいかな。

それでは、甲州征伐を終えて、上様が安土城に戻られてからの頃から、分かりやすく説明をするとしようか。」

天正10年4月4日、真田敦は、突然上様に呼ばれ安土城の二の丸の茶室に来ていた。

上様は、密談などをする時には、よく茶室を使うからである。

主が信長、客が敦である。

「此度の武田討伐、大儀である。

天下布武の完成も後、一歩、いや、半歩ぐらいであろうか?

これからも、そちの力を余の為に使うように。」

いつになく上機嫌な上様は、敦と茶を飲みながら雑談をしている。

この当時、武田家が滅んだ事により、単独で織田家に戦える力を持つのは、関東の北条家と中国の毛利家だけである。

北条家は、恭順の意を示しており、毛利家は、秀吉の攻勢の前に、これ以上織田家による領土侵食を防ぐために、備中高松城にて必死の防戦をするだけであった。

「差し出がましいお言葉を述べさせて頂きますと、この様な時にこそ、用心に用心を重ねるべきかと思われます。

上様が安土に滞在をされている時は別として、京の都にお越しになられた時にこそ、ご注意を申し上げます。

関所を撤廃した為に、いつ何時上様の命を狙って、くせ者が入り込むやも知れません。」

真顔で言葉を口にする敦に対して上様は、ぴくりと眉を少し動かすも、普段と変わらぬ顔になる。

「まぁ、京の都には、そちがおるから安心出来ると言えるが、一応は気に止めて置こう。

本能寺の、改築工事の方はどうなっておる?

敷地を広げ、新しい建物を建築しておるようだが?」

真田敦は、武田討伐の約1年程前から、大掛かりな本能寺の改築工事を始めていた。

寺の周りの空堀を水堀に変更し、物見櫓の増築や武具や兵糧庫の拡大など、自らが本能寺に赴き色々と指図をしていた。

「本能寺の改築工事は、3日前に終了したとの報告を受けました。

いつ何時、上様が上洛をされても問題は無いと言えます。

新しい茶室や、お客の待機する部屋なども新しくしておりますので、上様にも使いやすいと思われます。」

この時の説明では上様には述べなかったが、この改築工事に紛れて、本能寺と二条城を繋ぐ抜け道を作り、更には京の都の外に通じる抜け道も完成をさせていたのである。

本能寺の変の時に、真田敦はその抜け道を使って京の都の外に脱出をし、そのまま美濃の正徳寺にまで逃げ込んだのは、この話し合いから約2ヶ月後の事である。

二条城にて、信忠の影武者を務めたのは、真田忍の若葉であり、若葉もまた抜け道を使って真田敦の後を追い掛け、美濃の正徳寺に到着後、名前を若葉から胡桃に変更をしている。

5月に入り、上様の小姓でもある森蘭丸が、真田敦の前に姿を出す。

どうやら、光秀の様子がおかしいと、相談に来たのである。

「光秀殿の、様子がおかしいとは、どの様な感じであるのか?」

真田敦は、蘭丸に詳しく説明を求め、蘭丸も、詳しく説明をする。

光秀殿の名前を呼んでも、直ぐに返事をしない。

ちまきの葉を取らずに、そのまま食している。

その他にもいくつかの不可解な点を上げている。

だが、真田敦は、顎に手を当て思案をするも、次の言葉を蘭丸に述べる。

「蘭丸殿、光秀殿は、疲れておるのであろう。

武田討伐から、家康殿の接待の準備と、休む間もなかなか取れないのであろうからな。」

蘭丸は、真田敦にそう言われては、何も言い返せず、その場を去る。

しかし、蘭丸からの相談を受けた真田敦の目は、鋭い目付きになっていた。

蘭丸が立ち去ったのを確認すると、直ぐに手を叩き、若葉を呼び寄せる。

若葉が姿を見せると、真田敦は指令を伝える。

「若葉、手の空いている忍を総動員し、丹波亀山城の明智光秀の様子を、昼夜問わず監視せい。

とりあえず、8月いっぱいまで監視を続ければよい。」

指令を聞き終えると、若葉は真田敦の前から姿を消し、6人の配下を引き連れて、丹波亀山城の明智光秀の監視に向かう。



5月30日、真田敦の元に、ある報告が上がる。

それは、明智光秀が奉納をした連歌の句である。

真田敦は、一通り目をやるも、その句を重要視をしていなかった。

しかし、続けて報告された別の句を見ると、顔色に変化がある。

真田敦は、そこまで和歌に詳しい訳ではない。

しかし、第六感とでも言うべき物であろうか?

良く言う、虫の知らせかも知れない。

2つの句を何度も読み比べをしながら、夜遅くまで考え事をしていたが、なんの答えも出ないまま眠りにつく。

翌日、真田敦は、変な夢を見る。

燃え盛る紅蓮の炎の中で、何かを叫んでいる自分がいる。

そして、紅蓮の炎に包まれたまま、建物が崩れ落ちるのである。

(嫌な夢だ。

正夢になるとは言いたくないが、何を叫んでいたのであろうか?

とにかく、水でも飲んで、気持ちを落ち着かせよう。)

真田敦は、井戸の水を汲み上げ、冷たい水を飲み始め、気持ちを落ち着かせる。

だが、この夢は正夢になるのである。

そう、本能寺の変に巻き込まれる正夢である。

6月1日の朝、雨が降っていた。

雷雲も出ているようであり、いつ雷が落ちても不思議ではない。

冷たい水を飲み、頭の回転が目覚めた真田敦は、廊下の縁側で、2つの句を読み合わせていた。

「時は今 雨が下知る 五月哉」

「花落つる 池の流れを せき止めて」

(この句には、何かある。

もう少し、もう少しで、何かを掴めそうな気がする。)

考え事をしている最中に、落雷が所司代の近くに落ち、雷が落ちた大木が燃え盛るのを見ながら、心のどこかで霧が晴れる気がしていた。

(時は、土岐。

雨は、天。

下知るは、こぼれ落ちる。

皐月哉は、5月。

花落つるは、誰かの命が落ちる。

池の流れをは、感情に流される。

せき止めては、思い止める。

つまり、上様の命を取り、光秀が天下を治める五月だと言いたいのか!

里村紹巴は、それを止めようとしているのか?

名前を呼んでも、返事をしない件、ちまきの葉の件、3度引いた御神籤の件。

京の都には、1000人足らずの兵力しかない。

光秀の率いる1万3000の兵に包囲をされたら、逃げ道はない。)

真田敦の背中に、汗が垂れる。

残された時間は、限られている。

光秀の事であるから、今日明日にも、兵を引き連れて京の都に攻め上がるだろう。

6月4日には、嫡男の政長が、約4000の兵を引き連れて上洛をする。

つまり、6月1日から3日までは、先にも上げたが、京の都には守備兵が殆どいないのである。

光秀ほどの戦上手が、この機会を逃すとは思えない。

真田敦は、1通の書状と2000貫の金を用意すると、1人の忍びにそれを託し、その忍びに任務を与える。

それと同時に、真田敦は信忠の滞在をしている妙覚寺に向かい、光秀謀叛の報告を行わなくてはならない。

なぜ、上様からではなく、信忠の元に最初に向かったかと聞かれれば、こう答えたであろう。

「本丸である上様の元に真っ直ぐ向かえば、上様の気性から光秀本人に直接問い質す事をしかねない。

ならば、外堀を埋めてから本丸に向かえばよい。

光秀の謀叛を、嘘偽り等ではなく、現実的な事として認識をさせなくてはならない。

だからこそ、信忠様を説得し、京の都から脱出する時を、少しでも稼ぎたい。」

そう答えるであろう。

その真田敦は、妙覚寺に到着し、直ぐに甥の信忠に面会を求める。

その信忠も、叔父の真田敦の来訪を知らされると、直ぐに真田敦の元に顔を出す。

真田敦の最初の言葉は、簡潔であった。

「光秀謀叛。」

その言葉だけである。

その言葉を聞いた信忠は、顔面蒼白になる。

光秀が本気で謀叛を企めば、既に京の都は取り囲まれているであろう。

「光秀が動くとすれば、今夜か明日の夜中であろう。

京の都に滞在をしている兵が少ない内に、攻め上るのは必定である。

残された時間は少ない故に、上様を説得し、日が落ちると共に、上様、大将の両名は京の都から落ち延びる他ないであろう。

本能寺には某が、本圀寺には、手前の忍びを残しまする。

僅かではござろうが、時間稼ぎにはなりましょう。」

叔父の敦からの言葉を聞き、ここで命を落とすよりは、京の都から落ち延びて、再起を計るのが得策である。

信忠の素直な性格故に、真田敦からの提案を素直に受け入れ、上様の宿舎である本能寺に向かうのであった。

その本能寺には、上様が滞在をしているのであるが、6月1日の上様の予定は、昼間は公卿を相手の茶会を開き、夕刻からは囲碁の対局を見学すると言うものである。

午後4時ごろから始まった囲碁の対局は、午後6時近くに引き分けに終わる。

昔から、囲碁の対局の引き分けは、縁起が悪いと言われている。

その為、第2局目を上様が所望する時に、真田敦と、信忠の両名が本能寺に到着し、上様との面会を求めてきたのである。

囲碁の対局を見たいが、あの2人が揃って本能寺に来るのは何か重大な検案でも起こったと思った上様は、真田敦と信忠の両名を広間に通すように小姓に命じ、囲碁の対局を行った両名には、日を改めて対局をするように命じる。

その両名が大広間を後にし、入れ替わりで真田敦、信忠の両名が姿を見せる。

その2人を見た上様は、違和感を感じ取る。

いつもの陽気がなく、何かを思い詰めている様子である。

「述べよ。」

いつもながら、上様の言葉は短い。

その言葉を聞いた真田敦は、短く返答をする。

「光秀謀叛。」

その短い言葉に、上様はなぜだと言い放つ。

「光秀が心、余が確かめる。」

そのまま大広間を出て、馬に乗り込もうとする上様を、2人は強引に引き留める。

上様にしてみれば、5大軍団長に引き上げ、領地も与えた光秀が謀叛を起こす理由が分からない。

「上様、現実を見てくだされ。

村重が、久秀が、謀叛を起こしたのはなぜか?

理屈ではなく、現実を。

与えれば破られる。

どんなに重用しようとも、相手に邪な心がある限り、謀叛の芽は摘めませぬ。

光秀も同じ事です。

今、上様が亡き者になれば、誰が夢を叶えますか?

上様以外、誰も叶える事など出来ませぬ。

もうじき日が落ちます。

闇夜に紛れて、京の都より落ち延びて下され。

この私が、本能寺に残り、上様と岐阜大将が落ち延びられる時間稼ぎを致しまする。」

真田敦からの言葉を聞き、上様は、岐阜大将の顔を見る。

信忠も、上様の顔を見て、京の都を落ち延びる決意をする。

「しかし、安土に落ち延びても、直ぐには兵は集まらん。

どこに落ち延びよと?」

上様の言葉を遮るように、真田敦は返答をする。

「堅田の水軍衆には、金を積ませて話を付けてあります。

安土に拘らなくとも、落ち延びる先はいくらでもあります。

そこから先は、上様と、岐阜大将のお好きなように。」

逃げ道は確保してあるから、自由に落ち延びて下さい。

真田敦は、そう返答をしている。

真田敦からの言葉を聞いた上様は、一言命じる。

「死ぬな。

必ず生きて、余の元に帰ってこい。」

「分かりました。

その時は、名を代えて、上様の前に姿を出します。」

真田敦はそう答え、上様はその言葉を聞くと、京の都を落ち延びる準備を始める。

岐阜大将も、僅かな馬廻り衆を集めて、落ち延びる準備を始める。

真田敦は、本能寺に蓄えられている火薬と武具の大半を、二条城に運び込む。

本能寺には、約300人が、二条城には、約1000人が待機をしている。

本能寺の守りは、それほど弱くはない。

回りは、水堀仕立てに白壁の造りになっており、建物の屋根には、この時代にはあまりない瓦を使用している。

もし、本能寺に3000の兵がいれば、3日間は敵の侵略を凌げるだけの防御力があったであろう。

真田敦は、すべての支度を済ませると横になる。

その真田敦の眠りを覚ますのは、火薬の匂いであった。



6月2日、真田敦は、微妙な火薬の匂いが、鼻に付き目が覚める。

まだ、午前5時少し前であろう。

こんな時間に、火薬の匂いがする事が、異常事態を素早く脳裏に伝える。

「誰ぞ、あるか!

この火薬の匂いは、何であるか!」

その声を聞き付けた1人の小姓が、部屋に飛び込んでくる。

「本能寺の回りに、多数の軍勢と旗印が見えます。

その旗印は、水色桔梗にございます!」

「水色桔梗だと!

光秀の馬鹿めが!

起きている者は、守りを固めよ!

眠っている者は、直ぐに叩き起こせ!」

真田敦は、まるで上様のような素振りを見せながら、弓を手に取ると、素早く境内に走りだし、光秀の軍勢目掛けて弓矢を射る。

他の家臣達も、弓矢に、鉄砲、槍などを持ち出し、光秀の軍勢に立ち向かう。

真田敦と、300人の家臣達がどうあがいても、約1万3000の敵に勝てる道理がない。

一刻あまりの激戦の末、南側の大手門は既に破られ、光秀の軍勢の侵入を許している。

真田敦が育ててきた家臣達も、次々と討たれていき、数を減らしていく。

50人あまりの敵を弓矢で射殺すも、弓の弦が切れ使い物にならなくなると、槍を手に取り数十人を刺し殺すも、流石に疲れが見え始めてくる。

42才の身体であるが、鍛えにきたえあげた身体能力は、20代前半の体力を誇るも、多勢に無勢の言葉の通り、劣勢に立たされる。

本能寺の本堂も、多数の火矢の攻撃にあい、あちらこちらで火の手が上がる。

持ちこたえる限界を察した真田敦は、本堂の中に逃げ込み、紅蓮の炎の中で、敦盛を舞い始める。

「人間50年

下天の内をくらぶれば

夢まぼろしの如くなり

一度生を受けし者の

滅せぬ者の

あるべきか!」

まるで、桶狭間の戦いに挑む時の信長様が乗り移ったかのような、歌声を響かせると、秘密の地下道に素早く移動をして、本能寺より脱出をする。

本能寺を襲撃した光秀は、燃え盛る本能寺を見ながらも、上様と、真田敦を討ち取った事に酔いしれていた。

別動隊を率いている軍勢からも、岐阜大将である信忠を討ち取ったとの、報告も上がって来ており、光秀の天下取りが動き始めた。

しかし、信忠の影武者をしていたのは、真田忍の若葉であり、その若葉も秘密の地下道を通り二条城より脱出をし、無事に京の都の郊外に姿を見せる。

先に脱出をしていた真田敦と共に、美濃正徳寺向けての逃避行を行うのであった。

3日後、無事に美濃正徳寺にたどり着いた真田敦は、頭を丸め自らの名を天海と変え、先に岐阜城にたどり着いていた信忠と、面会をするのであった。

真田敦は、これまでの回想を述べ終えると、その場にいた誰しもが、真田敦の才覚と悪運の強さの前に、言葉を失っていた。



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