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真田公記  作者: 織田敦
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魔王賤ヶ岳の戦い

6月22日、賤ヶ岳の地に、7万近い軍勢が、南北に別れて陣を敷いていた。

北側に陣を敷くのは、織田家最強の戦闘集団である真田政長率いる軍勢であり、南方に陣を敷くのは、逆賊である明智光秀率いる軍勢である。

真田政長が、約4万の兵を率いて、6段構えの陣を敷くのに対して、明智光秀は、約2万5000の兵を率いて3段構えの陣を敷いて対峙する。

大内勝雄は、水軍の別動隊として5000の兵を率いて、琵琶湖に水軍を浮かべながら、安土城奪還に備えて様子を伺う。

近江坂本城の包囲と、京の都の奪還の為に、別動隊を率いる西原詩織が約1万の兵を率いている。

それぞれの方面に、家臣達を分散出来る程に、真田家は大きくなったと言えよう。

23年前、突然のタイムスリップにより、室町時代に飛ばされた真田敦は、当然1人であった。

そこから、本多正信を始め、大内勝雄、南条小助達との出会い。

それからも、数多くの家臣に恵まれたと言えよう。

だが、真田家の大黒柱である真田敦は、もうこの世にはいない。

亡き真田敦の意思を継ぐのは、嫡男の政長公と、妹の夕夏である。

真田家の家臣の多くは、真田敦の魅力に心酔していたとも言える。

それなのに、真田敦が本能寺の変において、落命をした時でも、多くの家臣達は、真田家から去らなかったのである。

亡き主君の敵討ちに参加せぬ者は、真田家の家臣ではない。

ただただ、亡き主君の敵討ちをしたいだけである。

功を上げ地位の向上を目指したり、領地の拡大や、亡き主君の姫を嫁に欲しいなどと言う、邪な心を持つものもいない。

戦国の世にあって、珍しい光景とも言えよう。

賤ヶ岳に向かう軍団の総大将は、真田政長、副将に、真田夕夏、土屋優梨。

先陣大将は、南条勝成、副将に、真田信澄、津田勇祐。

最前線の足軽、鉄砲、弓隊の指揮を取るのは、塚原夏織、松宮暁、武藤仁、松下勇治、沖田隼。

真田騎兵隊を率いるのは、大将は前田慶治、副将に可児才蔵、佐竹義重、鳳野朝治。

安土城奪還の真田水軍を率いるのは、大将は、大内勝雄、副将に、九里原昌邦。

京の都の奪還及び、帝の保護を任された軍団の総大将は、西原詩織、副将に、雲斎、真田信繁、水野勝成。

まさに、真田家の主だった家臣達を、全て出陣させている。

本多正信は、北ノ庄の守りを任されており、島左近は、別動隊を率いて、岐阜城に滞在をしている。

山口美那、柳生綾夏は、本陣にて、総大将の真田政長の、身辺警護に当たっている。

3000丁を越える鉄砲隊に、1500余りの騎馬隊、60門のキャロネード砲に、3隻の安宅船、40隻の関船、多数の弓矢隊に足軽を率い、8割5分の戦力を賤ヶ岳に配置し、逆賊である明智光秀討伐に全力を注ぐ。

対する明智光秀の陣容は、近江坂本城に3000の兵と、明智秀満を守将として置き、安土城に2000の兵と、松田政近を守将として置き、山崎の戦いによる負傷兵の手当ても行う。

決戦の地となる賤ヶ岳に、本陣の前に堅固な三段構えの柵を用い、更に大規模な砦を築き上げ、真田政長の軍勢を待ち構えている。

2000丁に及ぶ鉄砲隊に、2門の石火矢、800を越える騎馬隊、弓矢隊に足軽と、9割近い軍勢を賤ヶ岳に配置し、真田政長の軍勢をを迎え撃つ。

織田家の未来ではなく、それぞれの思い描く天下太平の実現の為に、賤ヶ岳の地にて、決着を付けようとしていた。



決戦2日前、淡路島の沖合いにて。

浅井長政率いる1万の軍勢が、摂津の堺に向けて、多数の関船を動かしていた。

京の都の奪還が目的であるが、真田夕夏との連絡が付けば、安土城の奪還か、近江坂本城の包囲に軍勢を進めようと考えていた。

2人の義兄を1度に亡くしたのであるから、長政の落胆は想像を絶するものであった。

しかし、正室のお市や、娘達、家臣達からの度重なる進言を聞き入れ、明智光秀討伐の軍勢を引き連れる。

もう少し進軍が早ければ、堺の地に駐屯をしていた神戸信孝と連絡を取り、明智光秀討伐に乗り出したのであるが、土佐の長宗我部元親との話し合いが長引き、その為に進軍が遅くなったのである。

浅井長政の軍勢は、賤ヶ岳での決戦当日には、京の都に到着したのであるが、京の都は焼け野原であった。

下京はもちろん、朝廷のある上京までもが全て焼き尽くされていた。

後の世に伝わる、天正の大火災である。

その光景を見た浅井長政は、直ぐに越前北ノ庄城に向けて使者を送り出す。

この状態を早く、真田夕夏に知らせなくてはならないからである。

京の都の再建の為に、浅井長政は、数日の間京の都に滞在をする事になる。



「足軽隊、弓隊は前進せよ!

最初の柵を打ち破り、次の柵を目指すのだ!

鉄砲隊は、弓隊の両脇に回り、援護射撃の準備をしておけ!」

副将である真田信澄が、大声を張り上げ命を下す。

弓矢隊を率いる塚原夏織、足軽隊を率いる沖田隼、松下勇治は、意気揚々と、進軍を開始。

鉄砲隊を率いる松宮暁、武藤仁は、火縄に火を付けの準備を整える。

「命を惜しむな!

名を惜しめ!

後世に名を残したい物は、1人でも多くの敵を討ち取るのだ!」

真田家の特攻隊長を自称している沖田隼は、自ら先頭に立ち自慢の大槍を手に持ち、斎藤利三を討ち取る為に槍を振るい始める。

対する光秀の先陣大将である斎藤利三は、柵を守る事に専念をさせ、こちらから撃って出る事を避ける。

兵力の差は、約1万5000近くある為に、専守防衛に専念する事で、少しでも兵力の差を埋めようと考える。

敵の足軽隊には、鉄砲隊を当て、敵の弓隊には足軽を当てて対抗をする。

鉄砲隊の一斉射撃で、足軽隊の隊列を乱し、弓隊の懐に素早く潜り込み暴れる事で、弓隊の隊列を乱す作戦である。

「足軽隊は、敵の弓隊の懐に素早く潜り込み、一通りの大暴れをしたら陣に逃げ込め!

鉄砲隊は、敵の弓隊を引き付けてから一斉射撃だ!

光秀様が天下人であり続けるか、失うかはそなた達の働き次第である!」

利三は、足軽達を鼓舞すると、自ら先頭に立ち、柵を破壊しようと攻め寄せて来る敵兵を、槍を振り回して倒していく。

戦には、天の時、地の利、人の和が重要になってくる。

真田夕夏の方は、天の時、人の和を持つ。

戦を仕掛けたタイミングは、目を見張る物がある。

明智光秀は、羽柴秀吉との戦いを制したと言えども、十分な休養も取れずに、賤ヶ岳の戦いに望んでいる。

士気の高さで言えば、主君の敵討ちを望む気勢は、天をも貫く程である。

明智光秀の方は、賤ヶ岳の堅固な地に、3重の柵を建築する事により、十分な防御力を兼ねた陣地を手に入れた事である。

長期戦を望む真田夕夏、短期決戦を望む明智光秀の考え方の違いが、運命の歯車を動かすのであろう。

斎藤利三の率いる足軽達が、塚原夏織率いる弓隊の隊列を乱せば、代わりに、沖田準、松下勇治率いる足軽隊が、松宮暁、武藤仁率いる鉄砲隊の援護射撃の支援を受けて、明智鉄砲隊の弱点を突き大暴れをする。

一進一退の戦いは、約一刻にも及び、膠着状態に至る。

攻め寄せては引き、攻め寄せては引きを繰り返すばかりで、両方とも決定的な決め手に欠ける。

だが、明智光秀は、膠着状態を解消するべく策を打つ。

2門の大筒を使い、戦況を動かすのである。

それだけではなく、もう1つの策もあるのだが、その策を発動させるには、まだ時が早いのである。

「大筒を使い、戦況を優位にするのだ!」

明智光秀は、大筒による攻撃を開始すると共に、先陣全軍に突撃命令を下す。

2門の大筒から轟音と共に、球体の鉄の塊が発射をされる。

2門だけとは言え、当たり所が悪ければ即死に繋がる。

斎藤利三は、大筒の轟音を聞き付けると、自らから先頭に立ち、沖田隼の陣に攻めかかる。

残りの先陣を預かる武将達も、それぞれの近い敵陣に向けて兵を前に進める。



真田の先陣大将である南条勝成は、大筒の有効射程距離から離れる為に、少しずつ陣を後方に下げながら応戦をするしかない。

勝成は、後ろに下がりながら槍を振り回し、少しでも味方の損害を少なくする努力をする。

塚原夏織、松下勇治らも、勝成の手助けをする為に、槍を振り回し足軽達を次から次に、なぎ倒していく。

本陣の真田夕夏も、明智側からの大筒の轟音を聞き付けると、速やかに決断を下す。

「狼煙を上げ、竹生島に待機をしている水軍に連絡をせよ!

水軍の半分を援護射撃に回し、残りの半分で安土城を奪還する!

本陣に、2000人程を残して、残りを全て前線に送り込め!」

真田夕夏は、右手に握り締めている軍配を降り下ろすと、すぐに5本の狼煙が上がる。

竹生島の北側に待機をしていた真田水軍は、5本の狼煙を見ると、直ぐに全ての水軍を動かす。

狼煙の本数で、何をするかを決められている為に、5本の狼煙が上がる事は、明智の先陣に対する砲撃と、安土城を奪還する作戦命令と判断をする。

「野郎共!

俺達の出番が、ようやく来たぜ!

昌邦率いる半数は、明智の本陣及び、敵が密集している場所に、ありったけの砲撃を喰らわせてやれ!

残りの半数は、安土城を奪還する!

亡き先代の敵を取るのは、今しかないぞ!」

大内勝雄が声を張り上げ命令を下すと、 真田水軍は直ぐに行動を起こす。

昌邦率いる半数は、25門の大筒を使い、明智本陣や密集をしている場所に、炮烙玉をどんどん撃ち込んでいく。

「手持ちの炮烙玉を使いきるまで、とにかく撃ちまくれ!

こちらの攻撃は敵に届くが、敵の攻撃はこちらには届かん!

安心して、攻撃を続けるのだ!」

昌邦は、配下の者達を鼓舞しながら、攻撃を続ける。

大内勝雄も、水軍を動かして、安土城の北側にある船着き場の占拠を目標に兵を動かす。

「安土城の守備兵力は、さほど多くはない!

速やかに占拠をし、逆賊の逃げ道を塞ぐのだ!」

勝雄は、安土城に向けて右手を向ける。

まるで、獲物を狙う猟犬に、合図を出すかのようである。

一糸乱れぬ水軍の動きは、長年の訓練の賜物であろう。

大内勝雄が安土城の奪還の為に、水軍を動かした頃、美濃の関ヶ原を突破し、光秀本陣の裏手に進むべく兵を進めている軍勢があった。

「もうじき、光秀本陣の裏手に回れるぞ!

三河州の強さを、天下に知らしめるのだ!

光秀の身柄を押さえ、義叔父上達の無念を晴らすのだ!」

そう叫ぶのは、三河の松平信康である。

信康率いる三河衆の背後を固めるのは、岐阜の織田衆である。

三河衆、織田衆の約1万の軍勢が、賤ヶ岳の地に進軍をしていた。

真田水軍が動いた頃、真田本陣は、光秀の4000人あまりの伏兵に襲われていた。

開戦前から、伏兵を忍ばせていた光秀は、真田本陣が手薄になった時を見計らい、伏兵部隊に総攻撃を狼煙で命じたのである。

もちろん、真田夕夏も、光秀の伏兵を計算していたのであるが、予測を上回る伏兵の数に、防戦一方であった。

本陣から一番近い、軍監の土谷優梨の部隊に救援を要請するも、約2000人対約4000人の戦いである。

土谷優梨も、1500人の兵を率いているので、救援さえ間に合えば、互角に持ち込む事も不可能ではない。

だが、そんな不安を一掃する出来事が起きたのである。

丹後の地を任されていた細川藤孝が、嫡男の忠興と、6000の兵を連れて戦場に姿を出す。

本能寺の変が起きた時、藤孝は出家を考えていたのであるが、嫡男の忠興に、主君の仇を取ってからでも遅くはないと、説得をされ、直ぐに兵を集めて出陣の機会を伺っていたのであるが、北陸の真田夕夏の出陣を聞き付け丹後を出陣。

賤ヶ岳の地に辿り着いた時に、真田夕夏の本陣が光秀の伏兵に襲われていたのである。

それを見た藤孝は、3000の兵を忠興に預けて先陣を切らせると共に、自分の後ろにいる大将に目をやる。

その大将は、無言を貫くも、藤孝の兵の動かし方に満足をしているのか、顎に手を当てている。

同じ頃、光秀本陣に対しても、三河衆を率いる松平信康の猛攻に、手を焼いていた。

三河衆の強さは、尾張美濃衆の3倍に匹敵すると言われているからだ。

つまり、尾張美濃の足軽3人に対して、三河衆は1人の強さで、ようやく同じになる。

そんな強さを誇る三河衆の前に、光秀本陣の足軽達は徐々に数を減らしていく。

「叔父上の仇を討つのは、我々である!

光秀の首を取った者には、膨大な褒美をくれてやる!」

松平信康がそう叫ぶと、三河衆の足軽達は、猟犬のように敵を次々と殺していく。

「三河衆に、負けるな!

敦叔父上の仇は、美濃衆が討つのだ!

刺して刺して、刺しまくれ!」

馬上より采配を振るうのは、二条城の戦いにて落命をした筈の、織田信忠である。

伊勢の北畠信雄に、天海を使者として送り出したのも、信忠の命である。

若き織田家の当主は、采配を振るいながら、遠く細川の本陣を見ていた。

細川本陣には、あり得ない人物がいたからである。

戦の流れを引き寄せた真田夕夏は、前線に総攻撃を命じる。

中でも、塚原夏織の強さは、一騎当千と呼ぶよりも、万夫不当の勇士と言えよう。

「貴様ら、亡き敦様の仇を討つまでは、多くの血を流させて貰う!

私は、血を欲しているのだからな!

命が惜しい者は、今すぐ立ち去れ!

命が惜しくない者は、掛かってこい!」

夏織は、槍を振り回し、次々と足軽達を血祭りにあげていく。

そして、乱戦の中に、斉藤利三の姿を見つける。

「そこの大将!

私の名は、塚原夏織!

願わくば、一騎打ちを所望する!」

その声を聞いた斉藤利三も、名乗りを上げる。

「余の名は、斉藤利三!

喜んで、一騎打ちをお受けいたそう!」

塚原夏織と、斉藤利三が一騎打ちを開始した時には、佐竹義重、前田慶治、他の真田家臣達が、戦場をところ狭しと暴れまわるのである。

真田夕夏が突撃を命じてから、約一刻が経過した頃、真田夕夏と、明智光秀の優劣がはっきりしようとしていた。

光秀の伏兵は、真田夕夏及び、細川忠興率いる軍勢の前に壊滅。

中でも、細川藤孝の一族になる、細川遊美の働きは目を見張る物がある。

約50人の足軽を討ち取り、大将首も1つ挙げている。

白の鎧兜を身に付けているのであるが、大部分が敵兵の返り血でどす黒い色に染まっていた。

明智光秀の前線でも、塚原夏織の鎧兜も、どす黒い色に染まっており、他の真田家臣達も、多かれ少なかれ敵兵の返り血で鎧兜を汚していた。



「斉藤利三様、討ち死に!」

「前線は、崩壊寸前!」

「真田の先陣の勢いに、こちらの先陣は押されております!」

「本陣の後方の備え、三河衆に突破されました!」

次々と舞い込んでくる凶報に、明智光秀は、言葉を失う。

開戦前は、地の理である賤ヶ岳の地を押さえ、優勢な状況下にあったにも関わらずである。

丹後の細川の援軍、三河、尾張衆による、本陣の後方撹乱。

計算外の出来事が、起こりすぎである。

(悪夢なら覚めてほしい。)

光秀は、心の中でそう呟くも、事態は悪化するだけである。

現在の光秀に出来る事は、余力を残して、坂本城に撤退。

後に、丹波亀山城に引き上げて、再起に掛ける。

光秀の決断は速く、前線の将達に撤退命令を出すと共に、わずかに10騎あまりの馬廻り衆を率いると、賤ヶ岳の地より撤退を始める。

戦の流れが変わったのを最初に感じ取ったのは、真田夕夏である。

僅かな空気の変わり方とでも、言うべきか。

光秀の伏兵を殲滅状態に追い込み、細川藤孝の軍勢が合流をすると、真田本陣の空気ががらりと変わる。

面を付け、素顔を隠している人物が、細川親子を連れて真田本陣に来てからである。

夕夏は、背筋が凍る感覚に陥る。

そして夕夏の全身が、がたがたと震え始めるのである。

真田夕夏、政長は、残りの明智勢の殲滅を命じる。

南條小助が、塚原夏織が、沖田隼が、鳳野朝治等が、何かに取り憑かれたかのように、明智勢を次々と殺していく。

安土城も、北畠信雄の軍勢の前に呆気なく落城。

守備兵の生き残りは、皆降伏を口にする。

信雄は、降伏をした兵を分散して再分配をすると、そのまま安土城の守備に当たる。

参謀の天海は、3000の兵を借り受けて、明智光秀の逃げてくる道筋を読んで布陣。

東に松平織田、北に真田、西に北畠、光秀の逃げる方向は、南近江方面しか無いのであるが、安土城落城を知らない光秀は、安土城に撤退する為に懸命に馬を走らせる。

(安土城が見えた、もう少しだ!)

光秀の安堵も空しく、目の前の光景は残酷であった。

天海率いる3000の兵が、光秀の前に塞がるだけではなく、火縄に火が付いてある状態の、無数の鉄砲か待ち受けている。

天海が、右手を上げると、無数の鉄砲隊が、一斉射撃を開始。

光秀の馬廻り衆は、鉄砲玉の前に次々と討ち死に。

1人残された光秀の身体にも、鎧を貫通した数発の鉛の塊が、めり込んでいる。

馬上の天海は槍を持ち直し、単騎にて光秀に近寄ると、素早く槍の穂先を光秀の喉元に突き出す。

鉄砲玉を受けている光秀には、その槍を弾く力もなく、天海の槍の穂先で喉笛を突き刺される。

光秀が見た自分の最期の光景は、信じられない事であったであろう。

自分を討ち取った人物は、この世に存在をしない人物であるからだ。

その事を言葉にしようにも、喉笛を切られている為に声を出す処か、呼吸すら出来ない。

「上様に十数年世話になっておきながら、最後の最後で、上様を殺そうとした。

しかし、貴様程度が、上様を殺害しようなぞ、身の程を知れ!

光秀、お主は、余の手のひらの上で、踊らされていただけなのだ。

明智の三日天下。

その言葉を、後世に残すがよい。

そして、あとから来る家族と共に、地獄に落ちよ!」

天海は、そう言い放つと、槍を光秀の喉元から抜く。

光秀の喉笛から、大量の血が吹き出て、光秀は馬から落馬をする。

後世の人々は、明智光秀の事をこう記している。

武略知略に優れ、朝廷の礼儀作法に精通し、古典を好む人物であった。

主君の信長様に良く仕え、堅実な戦を好み、無益な殺傷を好まなかった。

しかし、主君殺しの名を自ら望んだ為に、地獄の業火に焼かれる事になる。

天海は、光秀の首を切り落とすと、3000の兵を引き連れて安土城に撤退をする。

賤ヶ岳の地でも、真田、織田、松平に降伏をした者以外は、皆殺しにされており、その数は万を超えたとゆう。

賤ヶ岳の地に、多くの血が流れたが、それは新しい時代を創る為の土台である。

明智光秀が討ち死にをした事により、賤ヶ岳の戦いは終結をするも、まだ、近江坂本城、丹波亀山城に明智の残党が残っている。

織田信忠、真田夕夏、松平信康等は、光秀から奪還をした安土城に入城。

安土城を守備していた北畠信雄は、そのまま安土城に残り守りを固める。

しかし、織田信忠は、自分の生存を秘密にする為に、箝口令を命じる。

その為か、信忠の生存を知る者は、一部の重臣に限られた。

真田夕夏は、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益らの重臣に使者を送り、今後の織田家のあり方を話し合いたいので、安土城に来るように要請をする。

一方、坂本城を包囲していた西原詩織、浅井長政の元に、3000の兵を率いた天海が到着する。

明智光秀を、賤ヶ岳の戦いで討ち取った事を両人に伝えると共に、坂本城に対して降伏促す矢文を打ち込む。

坂本城の守備兵は、明智光秀の直属が多く、降伏はあり得ないと強がるが、内心では主君も亡くなっている事から、戦を止めたいとの気持ちが強くなり始めていた。

城主の明智秀満は、これ以上の交戦はいたずらに損害を増やすだけと判断。

安土城から運び込んだ財宝を全て、攻め手の先陣大将に目録と一緒に引き渡す。

それと同時に、兵の助命嘆願を願い出る。

天海、西原詩織、浅井長政等は、秀満からの助命嘆願を受け入れ、坂本城の約半数の兵が降伏を申し出る。

降伏をして来た兵には、数日分の兵糧を持たせて、それぞれの村に帰るように言い伝える。

約束が守られた事を秀満が知ると、坂本城に火を放ってから、光秀の家族達は次々と自害。

秀満自身も、丹波亀山城の方角を見ながら切腹。

降伏をしなかった兵達は、お互いの喉を切り捨てたり、自害をする。

坂本城も、紅蓮の炎に包まれて、全てを灰にする。

光秀の一族で唯一生き残ったのは、行儀見習いとして、真田夕夏に預けられていた、明智玉姫だけである。

浅井長政の元に保護をされていた帝と、その一族は安土城に移動をし、真田夕夏を始めとする織田家の重臣達に、大切に扱われる。

だが、多くの公家は京都の大火により死亡をしており、生き残ったのは中流の公家が2名だけと言う有り様であり、これ以降、朝廷は事実上、名だけの存在になる。

西原詩織、天海は、丹波亀山城に向かい、降伏勧告をせずに力攻めを敢行。

いくら防御力の高い丹波亀山城と言えど、守備兵も500人足らずであり、万を越える軍勢の前になすすべもなく、開戦から僅か半刻あまりで落城。

守備兵は全て皆殺しにされ、丹波亀山城に火を放ち全てを燃やし尽くす。

近江坂本城、丹波亀山城を灰にしたのは、光秀に関わりのある城を、後世に残す事を嫌がったのであろう。

仕置きを終えた西原詩織、天海は、安土に帰城。

7月15日に開催予定である、安土会議に備えて、準備に取り掛かる事になる。

織田家の今後を左右する安土会議。

夕夏は、信忠殿と茶室で話し合いをおこなう。

会議の段取りや、座席の指定などを、事細かく決めていく。

7月10日に、丹羽長秀、神戸信孝が安土城に到着、7月12日に、羽柴秀吉が、7月13日に、柴田勝家、滝川一益が到着。

そして、運命の7月15日の朝を迎えようとしていた。


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