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真田公記  作者: 織田敦
21/33

岐阜城にて 

岐阜城に帰還をした浅井備前守長政と、真田敦達は、織田信長の前に座っていた。

三方ヶ原での、戦いの報告をする為である。

浅井備前守長政が、報告を終えた時に、織田信長公より、ある質問が2人にされた。

「武田信玄が甲斐に引き上げたそうだが、その事を2人はどう考える?」

浅井備前守長政は、簡潔に答える。

「自身の健康が悪化した為に、養生をする為に帰国なされたのではないでしょうか?」

織田信長は、顎に手を当てながら、真田敦にも答えよと顎を前に動かす。

真田敦は、どことなく知らぬ顔をしながらも、やはり簡潔に答える。

「武田信玄公は、病により病死なされ、後継者として、武田家を継いだ武田勝頼は、その事を隠す為に、甲斐に引き上げたと思われます。」

真田敦の一言は、浅井長政だけではなく、織田信長ですら、絶句に値する物であった。

なんとか言葉を捻り出したのは、浅井長政である。

「あ、義兄殿!

憶測で、物事を言うのはどうかと。」

浅井長政の言葉に続いて、織田信長も言葉を繋ぐ。

「敦、真の事を言っておるのか?

備前の言う通り、憶測で物事を軽々しく申すでないわ!」

浅井長政と、織田信長からの言葉を聞いても、真田敦は動揺すら見せない。

「昨日、配下の者から報告がありました。

武田信玄公は、二俣城にて病死。

武田勝頼が後を継ぎ、国力の回復に専念するとか。」

真田敦は、嘘の言葉を並べた。

もちろん、武田信玄が二俣城にて病死をしたのは事実であるが、信玄病死の情報を確実にする為の確認作業を、配下の者にさせているのである。

浅井備前守長政と織田信長の2人は、その言葉に騙されてしまったのである。

だが、武田信玄が病死をしたのであれば、当分の間は、武田からの脅威に怯える事も無いのである。

で、あれば、浅井長政と真田敦の軍勢を岐阜に置いておく必要もない。

織田信長は、2人に対して、北近江と、越前に軍勢を引き上げるように命じる。

2人は、その命令に従い、軍勢を帰国させる前に、真田敦が織田信長公に、1つのお願いをしていた。

「信長様に、お願いがございます。

某と500の兵を奈良に立ち寄らせてから、越前に軍勢を引き上げる事を、お許し願いたく存じ上げます。

それ以外の軍勢は、某の妹である夕夏に率いさせて、越前に先に帰らせます。」

真田敦からの意外な願い事に、織田信長は首を捻る。

わざわざ、奈良に立ち寄ってから、越前に帰るのに、疑問を感じたからである。

それが故に、織田信長は真田敦に質問をする。

「それは別に構わぬが、奈良に立ち寄る訳を申せ。」

織田信長からの質問に、真田敦は簡潔に答える。

「最初は、多聞山城を見てみたいと思いますが故に。

次は、私の剣の師匠である、上泉伊勢守信綱様が、奈良に滞在をしているからでございます。」

真田敦の返答に、織田信長は納得をした。

多聞山城を見たいと、真田敦が願い出たのは、いずれ自分の城を築城する時に、何かしらの役に立つと考えたからであろう。

多聞山城は、元々、松永久秀の城であったが、先年降服したときに、手持ちの茶器と一緒に織田信長に取り上げられており、現在は明智光秀が城代として管理をしている。

真田敦が、上泉信綱と会いたいと言うのは、尾張にある小牧山城から岐阜城に、織田信長が居城を移す頃の話である。

真田敦にとって、上泉伊勢守信綱の存在は、織田信長公を尊敬している事に似ているからだ。

その事を知っている織田信長は、真田敦の願い事を許可した。

武田信玄の病死により、織田信長はある事を考えていた。

そう、京都に居座る将軍足利義昭の存在が、邪魔になったのである。

その事を真田敦に相談をしようと考えていたのであるが、先を読む真田敦の事であるから、余の知らぬ所でまた動いていると考え、しばらくは相談をする事を止めた。



織田信長の前から姿を消し、岐阜の城下町に戻った真田敦は、自分の屋敷に戻った。

ここには、妹の夕夏を始め、今回の遠征に向かった者達が身体を休めていたからである。

屋敷に入り、大広間に向かった真田敦は、配下の者達を集めるように小姓に命じ、自分は上座に座り込み皆が揃うのを待っていた。

ぞろぞろと家臣達が座り、皆が揃った所で真田敦が口を開いた。

「信長様より、帰国の許可が降りた。

夕夏、勝雄、小助、清興らは、6000の兵を引き連れて、越前に帰るように。

余は、残りの兵を率いて、奈良と京都をを経由し、若狭に戻る。」

真田敦の言葉に、真っ先に反応したのはやはり真田夕夏である。

「兄上、なにゆえに、兄上の別動隊だけが、奈良と京都を経由するのですか?

正当な理由があるならば、きちんと言ってくださいませ。」

真田夕夏の言葉に、小助も口を揃える。

「夕夏様の、言う通りです。

理由も告げず、敦様だけで別動隊を率いるのは、納得が出来ません!」

真田夕夏と南条小助の言葉に、大内勝雄、島清興らも、反対意見を口にする。

思わぬ反対意見の多さに、真田敦は内心辟易をしていた。

真田敦は、摂津で継続をしている石山本願寺包囲戦に参加をする訳ではない。

奈良に滞在している、上泉伊勢守信綱様を訪ねるだけである。

京都に寄るのは、足利義昭公の様子を探る為であるからだ。

だが、ここで訳も言わずに強行すれば、夕夏達が、実力行使で真田敦を止めに入るのは目に見えている。

仕方無く、真田敦は簡潔に訳を話す。

「奈良に寄るのは、余の剣術の師匠である、上泉伊勢守信綱様を訪ねるだけである。

京都に寄るのは、馬鹿者の様子を、それとなく探る為であるからだ。」

この時代に、将軍足利義昭公を、馬鹿者と言えるのは、将軍を将軍と思わぬ真田敦と、真田夕夏だけであろう。

だが、その言葉に、南条小助が噛みつく。

「上泉伊勢守信綱様にお会いするならば、某も付いていきます!

たとえ、反対をされましても、必ず付いていきます。」

その言葉に、その場にいた者達は、きょとんとしていた。

あまり、自分の意見を言わない南条小助が、なぜかこの時だけは、自分の意見を出したのである。

真田敦以外は、小助が自分の意見を出した事に理由が分からないのであるが、真田敦には何となく理由が分かったような気がした。

上泉伊勢守信綱様は、剣術だけではなく、槍術の使い手であるのである。

剣術に関しては、真田敦は上泉伊勢守信綱様の弟子として新陰流を学んだのであるが、槍術に関しても弟子として技を学んだのである。

南条小助にしてみれば、自分の槍術の師匠は、真田敦であるが、剣聖として名高い、上泉伊勢守信綱様に、自分も教えを学びたいとの欲が、自分自身を押さえられなかったのであろう。

その為に、先程の発言に繋がったのであろう。

真田敦は、小助からの申し出に、頭を悩ましていた。

約8年ぶりに師匠である上泉伊勢守信綱様に会える機会を設けたと言うのに、小助を連れていって、迷惑になるのではないかと思い始めたのである。

しかし、小助が言い出した以上、説得をしても聞き入れないと思い、渋々小助の同行を許可したのである。

「仕方ないな。

小助の同行を許そう。

それと共に、三方ヶ原での功績を認めて、小助に新しい名を授けようと思う。

勝成、南条勝成。

この名の意味は、勝つ事を成すと言う意味である。」

真田敦からの突然の申し渡しに、小助は飛び上がるほど驚いた。

名を授かると言う事は、正式に武士として活躍をする事を、認められた証であるからだ。

「南条小助勝成。

ありがたく、その名を拝命致します。」

小助は、頭を床に付けてお礼を申していた。



翌日、真田夕夏、大内勝雄、島清興の3名は、6000の兵を引き連れて越前に出発。

真田敦、南条勝成は残りの兵を引き連れて、大和にある奈良に向けて出発をしたのである。



真田敦率いている軍勢は、数日後には奈良の町に到着をしていた。

兵士達を、分散させて寺などに宿泊させると共に、真田敦は南条勝成のみを引き連れて、上泉伊勢守信綱様の所在を探し始めた。

夕暮れ近くになり、近くの道場に上泉伊勢守信綱様が滞在しているとの情報を得た真田敦は、現在の時刻を考えて、翌日に訪ねる事にしたのである。

翌朝、上泉伊勢守信綱様に会えると、内心うきうきしていた真田敦は、道場に向かうのであった。

一緒に付いてきている南条勝成は、剣聖として名高い上泉伊勢守信綱殿にようやく会えると、心を弾ませていた。

柳生宗厳の道場に、上泉伊勢守信綱ヶ滞在をしていたのであるが、偶々所用で外出をしていた時に、真田敦達が到着をしてしまったのである。

「ここに、師匠がいるのか、頼もう!」

真田敦が、声を張り上げて、道場の中にいると思われる弟子に知らせる。

その声を聞き付けた、1人の男性が道場の中から表れる。

「ここに、何か用事があるのか?

物売りならば、何も買わぬぞ。」

上から目線の言葉使いに、南条勝成がカチンとする。

遠方から訪ねてきた人物に対して、配慮と言うものを持たない態度に頭にきたのである。

「てめえ、何様のつもりだ?

遠方から訪ねてきた人物に対して、その言葉使いはどうなんだ!」

喧嘩腰の言葉使いで、南条勝成が無礼千万の相手に対して対応する。

その言葉使いに、また中から出てきた男性が言葉を返す。

「お主らが何者かは知らぬが、それが訪ねてきた人物の取る態度と言えるのか?

道場とは神聖な場所!

その方らが、気安く立ち入る場所ではないわ!

痛い目にあわぬうちに、返るが良いわ!」

挑発的な言葉を返された南条勝成は、怒りを隠しきれずにいた。

「敦様、このような無礼千万な奴は、叩きのめしても宜しいでしょうか?

某の、我慢も限界でございます。」

真田敦は、あえて言葉を出さないでいたのであるが、正直に言えば真田敦も頭にきたのである。

だが、織田信長公の重臣の立場から、我慢をしていたのである。

そこで、ある提案を申し出たのである。

「我々は、武芸者ですが、ここ奈良の町に強いお方が織られると聞き及んで、上総の地から参ったのです。

よろしければ、御指南を御願い出来ないでしょうか?」

真田敦は、あえて下手に出て、相手の気持ちを少しでも和らげようとしたのであるが、元から上から目線の輩には、全く通用しなかったのである。

「上総の地から参った?

しょせんは、田舎武芸者であろう。

そのような不審な輩とは、関わりを持ちたくはないから、さっさと返るが良いわ!」

この言葉に、怒りを抑えていた南条勝成が、ぶちぎれたのである。

最も敬愛をしている真田敦様の言葉を、馬鹿にした上に、無礼な言葉を返された事に対してである。

荷物として持っていた槍を取りだし、穂先の反対に付けてある石突きの部分で、その男のお腹に突き出したのである。

南条勝成の突きは、その男の胴体を突き飛ばし、床に激しく叩き付けられ、大きな音もしたのである。

その音を聞き付けた弟子らしき男達が5人ほど、奥の部屋から出てきたのである。

そして、床に寝ている弟子を見つけ、乱暴を働いた人物を探そうと道場の入り口に目をやると、真田敦と南条勝成の姿を見付けたのである。

1人の男性が、真田敦と南条勝成に向かって言葉を出す。

「この男に乱暴をしたのは、お前達であるか?

さては、己の名を上げるための、道場破りであろう。

決して逃がさぬ故に、覚悟を決めるがよい!」

真田敦と南条勝成は、その言葉に呆れていた。

上泉伊勢守信綱様を訪ねて来ただけなのに、なぜ道場破りに間違われたのであろうか?

真田敦と南条勝成が呆然としていたら、その男達により道場の中に無理矢理連れ込まれてしまったのである。

真田敦は、この状況を打開するべく言葉を出そうとしたのであるが、その前に5人の男達から、槍を構えられたのである。

「小助?

これどうする?

言葉で、解決はしないよな?」

真田敦の言葉に、槍を構えた南条勝成が真面目に答える。

「売られた喧嘩は、買うだけです。

降りかかる火の粉は、自らの手で振り払うだけですよ。」

南条勝成の言葉に、仕方ねえなとばかりに、真田敦も愛刀である村正を鞘から引き抜いて、その刀を逆に持ち、峰打ち狙いを企み始めた。

道場破りと間違われた以上、ここでの敗北は死を意味するが、無駄な殺生は好まないのがこの2人である。

だが、そんな考え方を知らない5人の男達は、じりじりと距離を縮めながら様子を伺う。

決断をした真田敦は、南条勝成に声をかける。

「わしが、2人、やるから。

小助は、3人やれるか?」

「3人?

まぁやれますわな。

それと、もう小助ではなく、勝成ですが。」

いつまでも小助と呼ぶ真田敦に、南条勝成が口を酸っぱくして反論をする。

真田敦はわずかに苦笑いをするも、次の瞬間には1人目をやるべく、素早く前に進み出したのである。

「真田流奥義!

散水龍鱗!」

真田敦は、槍を構えている男の右肩を的確に狙い、上段から下段にかけて刀を素早く降り下ろす。

真田敦の降り下ろした刀は、目の前の男の右肩に当り、その男の右肩は骨に軽くひびが入る。

右肩に軽くひびが入った男は、手にしていた槍を床に落とし、前のめりに床に倒れたのである。

真田敦の声を聞いた南条勝成も、最初の1人目を倒すべく、真田敦の、スピードよりも素早く前に進み、槍を反対に持ち石突きの部分を、目の前の男の腹に突き出す。

「真田流奥義!

桜花乱舞!」

南条勝成がそれを口にした瞬間にはもう、石突きの部分が目の前の男の腹にめり込んでおり、その男は勢いよく壁に飛ばされて、そのまま壁に叩き付けられた。

一瞬の間に、味方の2人が倒された事により、残りの3人は改めて槍を構え直し、三方向に散らばり直した。

3人が同時に攻撃をすれば、負けないと思ったからであろう。

しかし、真田敦は桶狭間山の戦いで初陣を済ませて以来、約13年間ほど、戦場で戦い続けており、南条勝成の方も、約5年近く戦場で戦い続けているのである。

戦場に出ている者と、戦場に出た事の無い者とでは、経験の差はもちろん、戦場を駆け回り、幾多の死闘を繰り広げた者達と比べても、気迫も違うのである。

真田敦と南条勝成の2人は、戦場に立つのと同じ殺気を全身に出す。

その殺気と言うか、恐ろしい気迫に、残りの3人は完全に飲まれていた。

「これ以上、まだやるか?

やるならば、死を意味するがな!」

真田敦の冷たい言葉に、背筋が凍る思いを3人は感じ取った。

「素直に、降参したらどうだ?

つまらぬ意地を張り、犬死にをしてもつまらぬのであろう!」

南条勝成からの追加の言葉に、3人の戦闘意欲は完全に失っていた。

3人が槍を床に下ろそうとした時に、道場の入り口から声が突如聞こえた。

「一体、なんの騒ぎであるか!」

その声を聞いた3人は、声を揃えていた。

「し、師匠!

道場破りが来ましたので、それを返り討ちにしようと、致しましたら。」

そこまで言葉を発した時に、真田敦の声が響き渡る。

「貴様ら、いい加減にしろや!

余は、道場破りなとではない!

こちらに滞在をしている上泉伊勢守様を訪ねて来ただけだ!」

その言葉を聞いた、師匠と呼ばれた人物が、真田敦に質問をする。

「某は、この道場の主の、柳生宗厳と申します。

上泉伊勢守様は、某の剣術の師匠でありますが、どのような関係であらせまするか?」

柳生宗厳と名乗る人物から声をかけられた真田敦は、刀を鞘に収めてから、返答をする。

「某は、織田尾張守様にお仕えをしている、真田敦と申します。

隣におりますのは、某の配下の者で、南条勝成と申します。

上泉伊勢守様は、余の剣術の師匠でもありまする。」

柳生宗厳は、真田敦と名乗る人物の名前を聞き、びっくりをしたのである。

(真田敦殿と言えば、東海道一の弓取りと言われた、今川義元公を討ち取り、美濃にある稲葉山城を謀略を用いて落城させ、足利善昭公を京の都に上洛させた、陰の功労者と聞き及んでおるのだが。

本当に、本人なのであろうか?)

柳生宗厳が疑惑を抱いていたときに、別の声が外から聞こえていたのである。

「宗厳、ただいま所用を済ませて戻った。

ん?

なにかあったのか?」

その聞き覚えのある声を聞いた真田敦が、即座に反応をして声のした方に一目散に駆け寄り、言葉を発する。

「そ、その声は、上泉伊勢守様ではありませぬか。

上泉伊勢守様が尾張に滞在をしていた頃、弟子入りをした真田敦でございまする。」

今度は、その声を聞いた上泉伊勢守信綱が、真田敦の姿を見て言葉をかける。

「おぉ、お主か、久しいの。

尾張を離れてから、約8年近くも経つのであろうか?

そなたの活躍は、奈良におっても聞き及んでおるわ。

しかし、織田尾張守様にお仕えをしておるお主が、何故この場所におるのだ?」

その質問に、真田敦は簡潔に答える。

「師匠、その事に関しましては、後程お答えを致しまする。

まずは、御体をお休め頂けませぬか。」

2人のやり取りを見ていた柳生宗厳は、3人の弟子達に、床に這いつくばっている2人の弟子を奥の部屋に運ぶように指示をすると、上泉伊勢守信綱様に声をかける。

「師匠、立ち話もなんですから、奥の部屋にお越しくだされ。

お客人達も、案内を致しまする。」

柳生宗厳の声に、3人は軽く頷き、奥の部屋に案内をされたのである。



奥の部屋で、上泉信綱、柳生宗厳、真田敦、南条勝成の4人が、座っていた。

上座に座っているのは、上泉信綱様、上座から見て右側に真田敦、反対の左側に柳生宗厳、真田敦の隣に南条勝成の順である。

最初に口を開いたのは、上泉信綱である。

「さてさて、真田敦よ。

どのような用件で参ったのかな?

まぁ、大体の予想は付いておるがな。」

師匠である上泉信綱様からの言葉を聞き、ゆっくりと真田敦は口を開く。

「久し振りに師匠にお会いをして、唐突なお願いで恐縮でございます。

1つ目のお願いは、余の隣におりまする南条勝成に稽古をして頂きたいと思います。

ですが、師匠にもご予定がございましょうから、3日間だけ稽古をお願いできませぬか?」

真田敦は、深々と頭を下げて、師匠である上泉信綱様に願い出ていた。

「やはりその事か。

まぁ5日後には、奈良を出て、故郷の上野に戻るがゆえに、その間は稽古をしても構わぬ。

先に申しておくが、真田家の剣術指南役の仕官であれば断るからな。

残りの余生を、故郷の上野で過ごしたい。」

上泉信綱様からの言葉を聞き、真田敦は僅かながらに動揺を隠せなかった。

その僅かな動揺を見過ごさなかった上泉信綱は、立て続けに言葉を繋げる。

「余は仕官をせぬが、ここにおる柳生宗厳であれば、剣術指南役に相応しかろう。

そなたと同じ、新陰流の許可印を与えたのでな。

門弟も中々おるし、それらを養う事も考えれば、今のお主の立場であれば、そこそこの知行を与えられるであろう。」

いきなり深々と切り込んでくる上泉信綱様の言葉に、真田敦は返答に困る。

新陰流の許可印を与えられる程の人物であれば、剣術指南役にしても申し分はないのだが、知行に関しては真田敦の一存では決められないからである。

若狭と越前の2か国を支配しているとは言えど、石高に換算をしても、約50万石程のであるからだ。

本多正信を始め、多くの家臣達にも知行を与えている為に、どこまで知行を与えられるかが不明である。

だが、一人でも有能な家臣を欲している真田敦は、重たい口を開く決意をする。

「分かりました。

5000石の知行をお与え致しますがゆえに、柳生宗厳殿を真田家の剣術指南役として、迎え入れたいと思います。」

その返事を聞いた柳生宗厳は、動揺を隠しきれずにいた。

柳生の里にある田畑を石高に換算しても、約1000石程でしかない。

それが、剣術指南役として真田敦に仕官をしただけで、約5倍に当たる5000石を知行として与えられるからである。

「それほど、知行を頂けるのですか。

しかし、剣術指南役として仕官をしたばかりの某に、本当に宜しいのでしょうか?」

柳生宗厳の言葉に、上泉信綱様が口を開く。

「なに、真田の御仁は誰にも計り知れぬお方ゆえにな。

まぁ、仕官をしても、退屈はせぬであろうな。」

上泉信綱は、豪快に笑いだし、真田敦は苦笑いをし、柳生宗厳は困り顔をし、南条勝成は平然としていた。



5日後、上泉信綱様は故郷である上野に向かい、南条勝成は柳生宗厳とその弟子達、真田敦の配下の兵を引き連れて若狭に戻っていった。

真田敦は、100人の兵を連れて、多聞山城を見物をした後で、京の都に入っていた。

真田敦が京の都に入った理由は、大きく分けて2つある。

1つ目は、将軍足利義昭の動きを、それとなく調べる為である。

2つ目は、従四位参議八条直道様に、お会いする為である。

八条直道様とは、織田信長公が足利義昭を奉じて京の都に上洛をして以降、細川藤孝殿の紹介により、時折会話をしたり、進物をしたりする関係である。

真田敦は、奈良に滞在をしていた時に、京の都にいる従四位参議八条直道様に手紙を送り、都合のよい日を予め教えて頂いていたのである。



2月15日、真田敦は従四位参議八条直道様の屋敷にて、久し振りに再会をしていた。

「八条様、お久しぶりでございます。」

真田敦は、床に額を付けながら挨拶をする。

従四位参議八条直道様と、無位無官である真田敦とでは、天と地程の差があるからである。

「真田殿、麿とそちとの仲である。

堅苦しゅう挨拶は抜きにしようぞ。

さっさ、頭を上げられよ。」

八条直道様にそう言われて、真田敦はゆっくりと顔を上げ、八条直道は言葉を続ける。

「さて、真田殿。

本日の来訪は、どの様なご用件であろうかのう?

そなたの事であるから、大事な用事であろう。」

真田敦は、後ろに置いてある2つの袋を手に持ち、その2つの袋を八条直道様の家臣に手渡し、家臣はその2つの袋を八条直道様の前に置く。

「僅かで心苦しいのでございますが、今年も朝廷に献金を致しまする。

何卒、お納め下さりませ。」

真田敦は、再び床に額を付けている。

八条直道様は、1つの袋を手に持ち、重さを量っていた。

(この重さであれば、約100貫程はあろうか。

それが2つあるとゆう事は、約200貫程を献金致すか。

まぁ、それだけではあるまいが。)

「いやはや、真田殿の忠勤の心は、帝もさぞや喜ばれよう。

織田尾張守殿からも、献上の品々が帝の元に届いたと、聞き及んでおるぞよ。

それに比べて、将軍足利義昭公は、忠勤の心構えが弱いであろうな。

献上も献金もせぬ上に、最近では参内もいたさぬ有り様とか。」

真田敦は、八条直道様の愚痴を聞き、朝廷内部からも、将軍足利義昭の評価が悪い事を察した。

これであれば、将軍足利義昭を京の都から追放をする事になろうとも、朝廷の方から将軍足利義昭を庇う事はないと考えたのである。

「某は、数日京の都に滞在を致しまする。

後日、八条様にも献上の品々をお届けする所存に御座います。

もちろん、八条様の好物で御座います、若狭の甘鯛と日本酒も入っておりまする。

日頃のお疲れを、癒して頂ければ、この真田敦の、喜びにもなりまする。」

真田敦の見え透いたお世辞であるが、献上をされている側にしてみれば、そうかそうか、善きに計らえと言えば良いのである。

「八条様、某は、そろそろ失礼をさせて頂きます。

本日は、お会いして頂き、恐悦至極に御座いまする。」

真田敦はそう言うと、八条直道様の屋敷を退散していた。



その入れ替わりと言うわけではないが、従三位権中納言である、四条久継様が、娘である四条舞を連れて、従四位参議八条直道の屋敷を訪れていた。

四条久継様の来訪を聞き及んだ八条直道は、直ぐにお連れするように家臣に命じ、四条久継と八条直道の会談が始まったのである。

「八条参議殿、先程、先客が参られた見たいであろうの。」

四条久継様の言葉に、八条直道は丁寧に返答をする。

「織田尾張守殿の家臣、真田殿が、朝廷に献金をする為に、参られました。

これが、今回の献金でございまする。」

八条直道は、2つの袋を権中納言四条久継様の前に差し出す。

「ふむ、忠勤に勤しむのであれば、良い心掛けであるの。」

四条久継と、八条直道が会話をしている時に、四条舞と八条那美の二人は、庭で会話をしていた。



最初に口を開いたのは、四条舞である。

「那美様、お久しぶりですわね。」

その言葉に、八条那美も返答をする。

「はい、舞様にお会いするのも、本当にお久しぶりでこざいまする。

最近は、なにかございましたか?」

那美からの質問に、舞は素直に返答をする。

「最近、父上がそろそろ良い殿方を探し始めましたの。

私はまだ12才、兄上もいますので、いずれはお嫁に行くのは分かりますが。」

四条舞の言葉に、八条那美も頷く。

「私も、舞様と同い年ですが、弟がおりますゆえに、八条のお家は任せられますが、少なくとも、良い殿方の元に嫁ぎたいと思っておりましても、八条の家柄のせいでつまらない公家の嫁に行くのでしょうか?」

溜め息混じりの八条那美の言葉に、四条舞も賛同をする。

「四条の家柄に縛られて、好きになった殿方の元に嫁げぬならば、四条のお家を捨ててでも、思いを叶える方が良いのでしょうか?」

現代で言うならば、思春期の女子の会話に近い物であろうか?

四条舞、八条那美、それぞれが数年後に、それぞれが好きになった殿方の元に嫁ぐのを、まだ知るよしも無かったのである。



八条家から退去した真田敦は、そのまま曲直瀬道三の元を訪れていた。

曲直瀬道三は、当代一の名医と言われており、真田敦も上洛をして以来、数年ぶりに会うのである。

今回の用事は、薬の調達である。

万金丹と言われている薬は、この時代には毒消しの効能があると、言われているからである。

真田敦は、曲直瀬道三の家に到着し、道三殿が滞在しているかを、家の者と思われる少女に聞いてみた。

「そこの小娘、曲直瀬殿は滞在かな?」

いきなり声を掛けられた少女は、回りを見渡して、それから自分に声を掛けて来たのだと理解をした。

そして、簡潔に返答をする。

「御在宅ですが、どなた様ですか?」

その言葉を聞いた真田敦は、名乗るのを忘れていた事に苦笑いをして、名乗りをする。

「余は、真田敦と申す者。

曲直瀬殿とは、前に面識があってな。

済まないが、取り次いで貰えぬか?」

その言葉を聞いた少女は、黙って屋敷の中に消えていった。

取り次ぎに向かったのであろうと思い、真田敦は門前でしばし待っていると、曲直瀬道三本人が、迎えに訪れたのである。

「これはこれは、真田殿。

懐かしゅう御座いまするな。

さっさ、中にどうぞ。」

曲直瀬道三に促され、真田殿は屋敷の中に入る。



診療所の隣の部屋に案内された真田敦は、曲直瀬道三殿と、久し振りの会話を始めたのである。

「真田殿、本日の御来訪、どのような用件ですかな。」

道三殿の言葉に、すらすらと真田敦は答える。

「少し、薬を分けて頂きたいと思いましてな。

奈良に滞在をしていた時に、少々水に当たりましてな。

前に、道三殿に頂いた薬のおかげで、だいぶ楽になりましたからな。

それと、あの少女は?

前にお邪魔をさせて頂いた時には、おられなかったと思いましたが。」

真田敦の疑問に、少し考えてから曲直瀬道三は、ゆっくりと口を開く。

「あの娘は、私の弟子の長女でしてな。

2年ほど前に、但馬の国にある小さな村に立ち寄った時に、突然村を襲ってきた山賊に、莉沙の両親が殺されてしまったのです。

その事を哀れんだ村の者が、私の元に連れてきたと言うしだいです。」

曲直瀬道三の言葉を聞いた真田敦は、心の中で激しい怒りを覚えた。

但馬の国は、羽柴秀吉が攻め落とした国であり、現在は信長様が支配をしている領地である。

信長様の領内で、山賊ごときが治安を乱している現状に腹が立ったのである。

秀吉のいい加減な戦後処理のせいで、何の罪もない莉沙の両親が命を落としたのである。

真田敦は何かを思い詰めたのか、重たい口を開く。

「曲直瀬殿、莉沙殿の両親が殺されたのは、我々の詰めの甘さによるものです。

その責任を取る為に、若狭に戻りましたら、山賊討伐を致しまする。

その前にせめて、莉沙殿に謝りたいのです。」

真田敦は額を床に付けて、莉沙殿をこの場に呼んで貰いたいと、道三殿にお願いをしたのである。

その言葉を聞いた道三殿は、手を二回鳴らし、莉沙をこの場に呼んだ。

道三殿に呼ばれた莉沙は、床に座り頭を下げて、道三殿に用件を聞く。

「曲直瀬様、どのようなご用でありましょうか?」

「実はな、そこにおられる真田殿が、莉沙に謝りたいと申してな。」

道三殿の言葉に、莉沙は首を傾げる。

それはそうであろう。

つい先程、初めてお会いをしたばかりの客人から、いきなり謝りたいと言い出されても、莉沙には意味がわからないからだ。

そんな莉沙の内心も知らぬ真田敦は、額を床に擦り付けて謝罪を始めた。

「莉沙殿、本当に申し訳ない。

そなたの両親が殺されたのは、単に我々の手落ちであるからだ。

せめて、莉沙殿の両親の敵討ちを、この私にさせて頂きたいと願い出る。

もちろん、それで莉沙殿の心の傷が癒えるとは、某にも思えぬ事も分かっている。」

そこまで真田敦が言葉を出し、顔を上げて莉沙の顔を見た時に、突然、莉沙の身体が震え始める。

おそらく、胸の内に秘めていた感情が、一気に表に出たのであろう。

すっと立ち上がった莉沙は、近くにあった薬の調合用に使う皿を1枚手に持った。

震える手で持ったその皿を、いきなり真田敦の額に向けて投げつけたのである。

莉沙の投げた皿は、真田敦の額に見事に命中し、その皿は床に落ちて真っ二つに割れた。

その皿が額に当たった時に額の皮膚が切れたのか、真田敦の額からゆっくりと血が流れ出したのである。

皿が割れた音が回りに響いた時が契機になったのか、普段は口数の少ない莉沙が急に喋りだしたのである。

「あんたの、あんたのせいで、私の両親が山賊達に殺されたんだ!

私の・・私の両親を今すぐ返せ!

それが出来ないなら、せめて私の両親の恨みを晴らせ!

一人でも多くの人を助ける事に、やりがいを持っていたのに、無惨にも山賊達に殺されて、それが出来なくなった私の両親の無念を晴らせ!

口先だけなら、なんとでも言える!

出ていけ!

私の前から消えろ!

口先だけの輩の顔なんて、私は二度と見たくもない!

今すぐに出ていかないなら、力ずくでも追い出してやる!」

莉沙の感情が、爆発をしたのであろう。

曲直瀬道三殿が、暴走をしかねない莉沙を止めに入り、曲直瀬殿に頭を下げた真田敦は、額から流れている血を拭う事をしないで、曲直瀬邸を後にしたのである。



翌日、真田敦は兵を率いて若狭に戻っていった。

その道中、真田敦の心の中では、莉沙の言葉が深く刻まれていた。

理想の国を作る為に、織田信長様にお仕えをして、今日まで必死で頑張って来たのである。

しかし、自分の知らぬ場所では、山賊に襲われたり、疫病に苦しみ、日照りや台風に苦しめられる民がいることも、当たり前なのである。

もちろん、全ての事に対して、真田敦が対応出来る訳ではない。

1人の人間が出来る事など、たかが知れているからである。

都言葉と言うか、京言葉と言いますか、作者は、公家の言葉使いが苦手です。

その為、四条殿と、八条殿の言葉使いが普通になってしまいました。

おそらく、今後も公家の言葉使いは、普通になると思われます。

先に、お詫び申し上げます。

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