第6章 登場人物
どうにか、三方ヶ原の戦いを引き分けに近い形で、終結に持ち込んだ真田敦。
だが、甲斐の虎こと、武田信玄の死を持ってしても、戦国の世の終わりは見えない。
全国の大名に密使を送り、暗躍をする足利義昭、室町幕府に忠誠を誓う上杉謙信、摂津に本拠を置き、全国各地の一向衆を纏める本願寺顕如。
そして、中国地方の覇者毛利輝元に、瀬戸内海に本拠を置く村上水軍。
織田信長と、真田夕夏は、これらの強敵を相手にどのように戦うのか?
そして、真田敦の重大な決断により、真田家に異変が?
波乱万丈の戦国奇話第6章、開演です!
四条舞
読みは、しじょう まい
従三位権中納言である、四条久継の次女。
お市御寮人が東国一の美女であれば、四条舞は西国一の美女である。
教養の高さと、絶世の美女である為か、求婚話が耐えない。
(真田敦曰く)美しすぎて、言葉もありません。
余がもう少し若ければ、求婚をするのであろうが。
あ、いや、何でもない何でもないからな。
だだの戯れ言に過ぎぬが故に、気になさらぬように。
浅井綺
読みは、あざい あや
浅井備前守長政公の、四女。
茶々、初、江の姉達を見て育った為か、姉の初に似て、おしとやかな女性になる。
お市御寮人と、浅井備前守長政の血を引いている為か、舞には多少劣るやも知れぬが、絶世の美女である。
(真田敦曰く)この子が成長した頃には、戦国の世も終わってるやもな。
平和な世にて、良い殿方に嫁ぎ、幸せな家庭を築き上げて欲しいものよ。
若葉
読みは、わかば
鉢屋党のくの一。
幼い頃から、忍術、情報収集、剣術に優れ、のちに、柳生新陰流の使い手になる。
色彩兼備であるが故に、真田敦からも一目と言わず、二目も、三目も置かれ、将来を期待されているだけではなく、真田敦の秘蔵っ子として、八面六臂の活躍をする事になる。
世の中の数多くの男達をたぶらかし、いくつもの重要な情報を手に入れる。
(真田敦曰く)本当に、女はいくつもの顔を持つのだな。
女の裏切りは世の常だが、例え、若葉が余を裏切ろうとも、余は最期まで、若葉を信じ続ける事であろう。
八条那美
読みは、はちじょう なみ
従四位参議である、八条直道の長女。
明るく素直で、笑顔の素敵な娘。
算術と弁舌に優れ、商人顔負けの商いを得意とする。
貧乏公卿の多い中、八条直道の家だけは、そこそこ財産を所有している。
(真田敦曰く)公卿の娘には、勿体ない才能だな。
余の家の、財産管理を任せたいぐらいだ。
真田美穂
読みは、さなだ みほ
母親は、お犬御寮人。
真田敦の九女である。
とにかく、明るい性格の持ち主。
千宗易の弟子となり、茶道を学ぶに至る。
茶道真田流初代家元になり、平成の世まで血を残す。
数々の茶道具などの、作製にも携わる。
(真田敦曰く)不甲斐ない父親で、本当に済まない。
莉沙
読みは、りさ
曲直瀬道三の養女。
幼い頃に、医者であった父母を山賊に殺され、一人残された莉沙を、曲直瀬道三が引き取る。
(莉沙の父親は、道三の弟子)
両親を殺害された事から、滅多な事では他人に心を開かない。
口数も少なく、暗い印象を持たれやすいが、1回心を開いた相手には、とことん笑顔で対応する。
(真田敦曰く)心を開くまで、どれだけかかった事やら。
南条小助勝成
読みは、なんじょう こすけ かつなり
基本的には、4章の南条小助のこと。
三方ヶ原の戦いの後、主君である、真田敦より、勝成の名を頂く。
その意味は、(戦に)勝つ(事を)成す、と言う事から。
土屋優梨
読みは、つちや ゆり
若狭の、海船商人土屋権兵衛の長女。
土屋権兵衛は、真田敦が若狭の支配者になった頃より、真田家の御用商人として財をなす。
元亀4年(1573年)3月に、敦賀城に御用の品物を納めに行ったときに、城主である真田夕夏に目を付けられて、無理矢理に等しい勢いで、真田夕夏に仕官をさせられる。
商才と軍才に長じている事により、島清興と共に、真田夕夏の補佐役を勤める。
(真田敦曰く)余の妹である、夕夏の我が儘に堪え忍び、兄としてお詫び申し上げる。
清水義勝
幼名 慎之助
読みは、しみず よしかつ
瀬戸内の名門、竹田小早川家の血を引く若武者。
だが、既に竹田小早川家と、本家である沼田小早川家は、毛利元就の三男小早川隆景が家督を継いでおり、日陰者として成長をする事になる。
初陣は、16才の時に起こった、木津川合戦になり、小早川隆景からの信頼を得る為に、意気揚々と合戦に繰り出す。
(真田敦曰く)若御子ならぬ、若獅子のような容姿端麗な若者よな。
織田信忠
幼名 奇妙丸。
読みは、おだ のぶただ
生まれた時に、奇妙な顔をしていたらしく、父親である信長が付けたと言われている。
戦国の魔王と言われた、織田信長の嫡男。
(兄とされている信正が実在すれば、次男になるが、この小説では嫡男にします。)
元服をした頃には、勘九郎信重と名乗り、後に信忠と名前を代える。
(この小説では、信忠に統一させて頂きます。)
初陣は、第二次伊勢長島城攻めであり、少なからずの戦功を立てる。
武田信玄の五女である、松姫との婚約関係にあったが、三方ヶ原の戦いを期に、事実上の婚約破棄に繋がる。
幼い頃より、帝王学を徹底的に学ばされ、信長公の後継者として、厳しく育てられる。
後に、真田敦の長女である茜を正室として迎え入れ、幸せな家庭を作り出す。
(真田敦曰く)信忠様を補佐するのは、某のような老人達ではなく、同世代の若者達ですぞ。
津田信澄
読みは、つだ のぶすみ
父親は、織田信長の次弟である織田信行。
織田信長と織田信行は、二人の父親である、織田信秀の継室である、土田御寮人の息子である。
織田家で起きた信長と信行の家督争いの影響がある為に、織田と名乗らずに、織田家の傍流に当たる津田性を名乗る。
(1557年、信行は、信長に殺害をされ、家督争いに終止符が打たれる。
誕生年は諸説がありますが、1555年生まれにさせて頂きます。)
教育係は、織田家重臣である柴田勝家。
才能に関しては、織田信忠の補佐役を勤められると思われ、叔父である織田信長からも信頼は高い。
元亀4年(1573)年4月、真田敦の妹である真田夕夏の元に、婿入りをするように信長公より命じられる。
(真田敦曰く)余の嫡男である、政信と共に、信忠様の補佐役として、名を後世に残して欲しいものよ。
松宮暁
幼名 玄四郎
読みは、まつみや さとる
父親は、松宮重斉。
若狭の国人衆であったが、織田信長による越前征伐のおり降伏をする。
まだ幼かった玄四郎は、人質の意味を込めて、真田敦に預けられる。
成人になり、元服の儀式の時に、真田敦から暁の名前を付けて貰う。
のちに・・
(真田敦曰く)小助に優るとも劣らぬ人物よ。
後々が、楽しみだ!
武藤仁
幼名 庄九郎
読みは、むとう じん
父親は、武藤一成。
但馬の国人衆であったが、真田敦が若狭の支配を織田信長公より任された時に、時勢を見た武藤一成が降伏の証として、嫡男である庄九郎を真田敦に差し出す。
成人になり、元服の儀式の時に、真田敦から仁の名前を付けて貰う。
のちに・・
(真田敦曰く)仁の名に恥じぬ、魅力溢れる才覚の持ち主よ。
真田千尋
読みは、さなだ ちひろ
真田夕夏の長女。
父親である信澄の美形と、母親である夕夏の才覚を受け継ぐ。
まぁ、色彩兼備と言っても、過言ではない。
(織田家の血を引く者は、美男美女が多い。)
幼い頃から、鬼才の持ち主と言われ、将来を期待されている。
数々の内政の案を出し、国内の改革に意欲を見せる。
(真田敦曰く)才能に溺れる事無く、その才を天下万民の為に使うように。
真田孝晃
幼名 藤次郎
読みは、さなだ たかあき
真田夕夏の嫡男。
元服をした時に、孝晃の名を付けられる。
ちょっと頼りないが、心は強い。
帝王学とまではいかないが、それなりの教養(国を治める知識)を持つ。
(真田敦曰く)余の嫡男である政信と共に、信忠様の補佐役をして欲しい者よ。
黒田孝高
読みは、くろだ よしたか
一般的には、通称である官兵衛か、出家をした後の、如水の方が広く知られている。
(小寺の姓を名乗っていた時もありますが、この小説では、最初から黒田姓を使います。)
一を聞いて十を知るほど、頭の回転は速く、おそらくは、日の本一の知将かもしれない。
真田敦は、一を聞いて三を知る。
真田夕夏は、一を聞いて五を知る。
これを見ても、理解力の高さには驚きである。
合理的な考え方を持ち、ある意味自信過剰の面もある。
(真田敦曰く)頭の回転の速さゆえに、後悔をする事も、多いのではなかろうか。
余は、後悔をしたくないので、あれこれ考えてから決断をする。
上杉謙信
読みは、うえすぎ けんしん
やたらと名前の改名をしているので、説明は省きます。
越後の龍と呼ばれ、甲斐の虎こと、武田信玄を人生の宿敵と勝手に思い込んでいる。
その証拠に、信濃にある川中島の支配を巡り、5度に及ぶ戦いをする。
(史実を見てみると、実際に戦いになったのは、第4回目の川中島の戦いだけであり、それ以外は睨み合い程度である。)
上杉憲政より、関東管領の位を譲り受けて以降は、関東の北条氏康、甲斐の武田信玄との戦いを繰り広げる。
領土欲がなく、戦に勝っても支配をした領土を配下に与えて守らせる事をしなかった為か、上杉謙信が越後に引き上げるとその領土を治めていた大名達は、独立をしたり、前の支配者に降る事が多かったと言われている。
足利義昭が京都から追放された報告を聞いたときに、織田信長を打倒し、足利幕府再興を重要事項にする。
後に、織田信長との同盟を破り、加賀にある手取川にて、真田敦と真田夕夏率いる軍勢と戦う事になる。
(真田敦曰く)戦の才能に関しては超一流だが、政治力に関しては三流としか言えぬ。
公平に拘る事は、長所でもあり短所とも言える。
なかなかの人物であると、言わざるを得まい。
津田勇祐
読みは、つだ ゆうすけ
津田一族の出身であり、武勇に優れた人物。
津田信澄が、真田夕夏の元に婿入りをした時に、真田夕夏の家臣として召し抱えられる。
武勇に優れている為か、真田敦の家臣である南条小助勝成と仲が良く、よく酒を飲んでいる姿を、度々見られている。
戦に出る時には、先陣副将の地位で出陣をする事がある。
真田敦曰く(三軍は得やすく、一将は得にくい。
良き人物を得て、夕夏は果報者よな。)
彩夏
読みは、さやか
甲賀五十三家の出身であり、甲賀五十三家が織田信長に降伏をした際に、真田敦により見出だされる。
元々は、真田敦の家臣であるが、真田敦が南蛮に視察に向かった時に、真田夕夏の直属の家臣として与えられる。
まだ幼い故に、己を磨く為に日々研鑽の毎日に身を置く。
真田夕夏の見立てによると、彩夏の潜在能力は高いと思われている。
真田敦曰く(いずれは、夕夏を裏より助ける人物になるであろう。
日々研鑽の毎日の努力は、必ずや報われるであろう。)
綾
読みは、りょう
甲賀五十三家の出身であり、彩夏の事も知っている。
甲賀五十三家が織田信長に降伏をする前から、真田敦の名声を聞いており、甲賀五十三家が織田信長に降伏をした際に、素早く真田敦の直接の配下になる事を、真田敦に直接申し出る程の強い心を持つ。
その心意気を買って、真田敦が鉢屋党とは別に、綾が独自の忍の集団を持つ事を許される。
真田敦の南蛮に視察に向かった時に、真田夕夏の直属の家臣として召し抱えられる。
彩夏を最初の家臣として与えられ、後に多くの忍の育成にも熱心になる。
真田敦曰く(夕夏の心を読み、常に先手を打つ才覚は見事である。
その才覚が更なる高みに成長すれば、忍の頭として、やっていけるであろう。)
西原詩織
読みは、にしはら しおり
真田夕夏の幼なじみであり、6歳の時に、真田敦の祖父に弟子入りをして、真田流剣術、真田流槍術を学ぶ。
真田敦の祖父が交通事故により亡くなった後も、真田敦から引き続き、真田流剣術、真田流槍術の教えを学ぶ。
普段からの鍛練の賜物のせいか、心身共に強くなり、知勇兼備、色彩兼備、多少の事では落ち込んだり、泣いたりはしない。
祖母が華道西原流の家元の為か、華道もそれなりの知識を持つ。
16才の時には、剣道の全国大会で優勝、槍術の全国大会で3位入賞をした事を、師匠である真田敦に報告をしようとした矢先に、真田敦の失踪を知る事になる。
それから3ヶ月もしない内に、今度は幼なじみである、真田夕夏の失踪を知る事になる。
真田兄妹の失踪から4年が経過し、20才の成人式を迎え、成人式の帰り道の最中に、なぜかは分からないが、戦国の世に迷い混んでしまう。
神の悪戯か、悪魔の仕業かは知らぬが、詩織が目を覚ますとその場所は、真田夕夏の本陣の近くであった。
そして、真田夕夏との運命の再会により、西原詩織もまた、戦国の世にて生きる事になる。
真田敦曰く(余を超える剣術の使い手・・再びその美しき姿を見れようとは。
余には分からぬが、天の配慮か、はたまた運命的なのか?)
真千
読みは、まち
出雲阿国の姉弟子。
4才の時に、出雲阿国の父親に弟子入りをし、12才の時には、歌舞伎踊りを含め、一通りの踊りを覚える。
16才の時に、堺の町にて、歌舞伎踊りを披露している時に、偶々歌舞伎を見ていた真田敦の目に留まり、歌舞伎踊りの師匠として真田敦に召し抱えられる。
色彩兼備でもあり、その舞う時の姿は、乱世の天女とも言われ、いつまでも続く乱世に疲れ果てていた人々の心に安らぎを与える。
後に、真田敦の計らいにより、先右府織田信長公を始めとする、織田、徳川、浅井家臣達の前でも、舞を披露をする。
真田敦曰く(人々の心に安らぎを与える舞は、生半可な事では出来ぬ。
疲れ果てた人々の心に、安らぎと言う光を与えてやって欲しいものよ。)




