織田信長、浅井長政、真田敦の三者面談
1月6日、幕府近習の者達と、近江の浅井備前守長政が京の都に上洛し、そのまま本圀寺の警護に回った。
一方、明智光秀は山崎の地にある勝竜寺城に入り、南条小助と大内勝雄の二人は、天王山の山頂に陣城を築き始め、三好三人衆が京の都に攻め上がる道を塞いだ形になったのだ。
もちろん三好三人衆とて、もう一度、京の都に攻め上がる事を考えているであろうし、先手を打っていたのだ。
「山頂に続く道を塞ぐように、柵を築けば良いのだろうか?」
大内勝雄は、細い道を眺めていた。
「人が1人通れれば、防御面で都合が良いだろう。
山頂に屋根付きの建物を造り、雨風をしのげる状態にしなくてはな。」
作業をしながら、南条小助は回りを見渡す。
「山頂に続く道の途中で広い平野があれば、小さくとも屋根付きの建物も欲しいな。
足軽達の事も、考えなければならんだろうし。」
大内勝雄らしく、足軽達の事も気を使う。
「しかし、湿地帯である天王山に何故、陣城を築くのだろうか?」
南条小助は、首を傾げた。
「よくわからないが、真田の殿様の考えてる事だからね、何かしらの考えはあるのだろう。」
大内勝雄は、水筒の水を飲みながら簡潔に答えた。
一方、明智光秀の方は、勝竜寺城が手狭の為に、湿地帯の街道筋の近くに簡単な陣城を築いていた。
何故そのような事をするかと聞かれたら、こう答えると思われる。
摂津から京の都に向かう道は、山崎の地を通らなくてはならなかったからだ。
天王山に一度登り、そこから天王山を下ってから進む道と、湿地帯の中にある小道を進むしか無かったからだ。
その2つの道を塞いでしまえば、京の都を防衛しやすいと言えるのだ。
まぁ、真田敦には別の考えもあったようだが、その事は今はあまり関係無かったと言えよう。
同じ頃、岐阜に滞在していた織田信長は、足利義昭が三好三人衆に襲撃されたと報告を受け、すぐさま兵をかき集め、通常3日は掛かる道中を、悪天候と言える雪の降る中を、なんと僅か2日で、京の都に到着したのだ。
織田信長の上洛を聞き付けた三好三人衆は、将軍殺害の機会を逃がしたと悔い、四国の阿波に撤退を決断を下した。
三好三人衆の阿波撤退を聞いた、明智光秀や南条小助と大内勝雄も京の都に引き上げた。
三好三人衆の将軍襲撃を機に、織田信長は本圀寺の守りの弱さを懸念し、二条の地に新しい城を建築することを考えた。
二条城建築の最高責任者は、なんと織田信長本人が指揮を取り、僅か70日ほどの工事で、二条城を完成させた。
二条城建築が始まった頃に、ポルトガル宣教師であるルイス・フロイスとも会い、イエスズ会の布教活動も許可している。
ルイス・フロイスから献上された品々の中で一番気に入ったのが、ポルトガル語の砂糖菓子と言う意味で、コンフェイト。
そのコンフェイトが訛り、現代で分かりやすく言うのであれば、砂糖菓子の金平糖である。
お酒の飲めない織田信長は、甘い砂糖菓子の金平糖をいたく気に入り、よく口にしていたと言われている。
二条城建築の最中に、織田信長の命で真田敦は配下を引き連れて岐阜に戻っていた。
岐阜の山奥に、秘密のたたら場を作る為である。
真田敦が堺から連れてきた、梨那と和花姉妹を筆頭に、鉄砲職人育成を開始したのだ。
「その道具は、そこに置いてくれ。
それは、右の壁側に寄せてくれ。」
職人の1人が、指図をしていた。
ほとんど人目の無い岐阜の山奥にて、新しいたたら場が完成しようとしていた。
「真田様、最初はどれぐらい育成するのですか?」
鉄砲職人副頭の和花が、真田敦に質問をした。
「最初の1年目は、職人を5人ほど育てる予定だが。
2年目には、10人ぐらいを、3年目には25人を育成して、岐阜のたたら場では、最終的には40人の鉄砲職人を作る。
もちろん、他に良い予定地が見つかれば、また新しい職人を育成する。」
「最初の5人が、次の10人を育成して、その10人が次の25人を育成するのですね。」
鉄砲職人頭の梨那が、真田敦に確認するように質問する。
「梨那の言う通りだ。
2人には、2年ほど鉄砲職人育成をお願いする。」
真田敦は、考えていた事を口にすると、和花はある疑問を抱いた。
「では、2年過ぎたら真田様の元に、戻れるのですか?」
「正直分からぬが。
後日にでも信長様にお願いをしてみる。」
真田敦は、前もって考えていた事を和花に答える。
「しばらくは、真田家中の方々とお別れですね。」
「和花、2年我慢すれば、良いのですよ。」
姉である梨那が、悲しみにくれる和花を慰める。
「なに、私が岐阜に滞在している時には、どきどき様子を見に来る。
だから、和花はそんな悲しい顔をするな。」
真田敦は、和花の頭を撫でながら慰めていた。
「それと、これは信長様にも極秘なのだが、この武器を密かに製造して貰いたいのだ。」
真田敦は、1枚の大きな絵図面を広げて、梨那和花姉妹に見せた。
「これは、なんですか?」
絵図面を見ながら、和花が真田敦に聞く。
「ここでは言えぬが、後々必ずや、織田家に必用になる武器なのだ。」
真田敦は、真顔で答える。
「分かりました。
他ならぬ、真田様からの頼みです。
時間はかかりそうですが、試作品を早急に製造してみます。」
梨那は、大船に乗ったつもりでいてくださいと、言わんばかりであった。
真田敦がたたら場から戻り、季節は夏が来ようとしていた頃、真田敦は書斎に妹の夕夏と正信を呼び出した。
「2人共、楽にして欲しい。
先程、鉢屋衆から報告があり、将軍がなにやら企てているとな。」
真田敦は、あのろくでなし将軍が大人しくしているとは思っていなかってので、密かに鉢屋衆を二条城付近に潜らせていた。
「将軍が企んでいる?
一体、何をですか?」
本多正信は、分からないと口にする。
「正直、わしにも分からん。」
真田敦は、本多正信に言葉を返した。
「あの男は、性根が腐っています!
信長様の力を借りて、征夷大将軍に任命されたのでしょう!
その信長様に隠れて企みを考えるなど。」
真田夕夏は、足利義昭が嫌いなのである。
だから、足利義昭を平気で罵る事も平気なのである。
「それを考える為に、2人を呼んだのだ。
3人寄れば文殊の知恵と申すからな。」
真田敦がそう言うと、3人は頭を使い始めた。
その3人の中で最初に閃いて口を開いたのは、本多正信であった。
「越前の朝倉義景殿を、上洛させたいのでしょうか?」
「それは無いでしょう。
手元に足利義昭がいたのに、上洛をしなかったのですから。」
直ぐ様、真田夕夏が反論をする。
(越前の朝倉義景か?
鉢屋衆から報告が来たか、それほど恐れる人物ではあるまい。
足利義昭公は、誰を待っている?
一体誰を、期待しているのだ?)
真田敦は、頭の中が混乱していた。
「ならば、上杉謙信公は?」
本多正信が言葉を出すと、真田夕夏が直ぐに反論をする。
「越中から加賀、更には越前から若狭から近江と道を通らねば、上洛は現状では不可能です。
それと、毛利元就公は、大友宗麟と揉めています。」
(朝倉義景に、上杉謙信でもない。
毛利元就が、上洛をする?
夕夏の言う通り、背後に大友宗麟がいる。)
真田敦は、黙って考え事を続けていた。
「三好三人衆は、力は尽きたかと。」
本多正信の正確な意見に、真田夕夏も追従する。
「北条氏康は、関東統一が夢の野心家。」
(三好三人衆は論外。
北条氏康は、上洛には興味ない。)
真田敦は、顎に手を当て更に考え事をしていた。
「では、誰ですか?」
本多正信は、お手上げの姿を表した。
「そうか!
1人だけ、いたわ。
口にもしたくないけど、かの御仁なら上洛を狙う!」
真田夕夏は、ようやく気がついたのである。
「そうか!
甲斐の武田信玄か!」
真田敦も、ようやくそこにたどり着いた。
やはり、歴史を忘れていたのであろう。
昔の真田敦であれば、即座に思い付く事を、思い付かなかったからだ。
いや、忘れていたのでは無かろう。
それとも、記憶が無くなっていたと、言うべきか。
「武田騎馬隊の名声は、天下に響いております。」
本多正信は、世間の評判を口にする。
「だからなに?
騎馬隊と言っても、小型の馬じゃないの!
あれじゃあ、馬に乗って突撃なんて出来やしないじゃない!」
真田夕夏は、戦国時代の馬を見たことがあるからだ。
そう、戦国時代の馬と言えば、現代のポニー位の大きさなのだ。
せいぜい、130センチ位の大きさである以上、鎧武者を乗せての突撃はあり得ない。
恐らく、馬を横に連れての突撃であろうか。
普通の人間であれば、迫り来る馬の重圧に耐えられないだろう。
(武田騎馬隊か。
その名声も、じきに終わりだな。
あの武器さえ完成すればな。)
真田敦は、あの武器の組み合わせの完成を待ちわびていた。
3人の会話から数日が過ぎた頃、織田信長から登城するように、真田敦の元に小姓が来た。
なぜか、真田夕夏と本多正信も連れて来いとの伝言であった。
3人は急ぎ岐阜城に登城して、織田信長の前に姿を出した。
「うむ、3人共、顔を上げよ。」
いつものように、織田信長のカン高い声が広間に響き、真田敦達は素早く顔を上げた。
「信長様、本日はいかなる命を下されますか?」
いつものように、真田敦は主君である織田信長の言葉を待った。
「来年の正月に畿内の大名達を上洛させて、将軍足利義昭公に新年の挨拶を執り行おうと思う。
そこで、お主ら3人に畿内の大名達に上洛するように使者を命じる。」
信長の言葉は、いつもながら唐突である。
「お恐れながら、申し上げます。
私はともかく、なぜ正信と夕夏の2人を使者に選ばれましたか?」
真田敦は、主君である織田信長に素直に質問をした。
「そなたが、その2人を特に重く用いておると聞いてな。
どれ程の才の持ち主か、確かめて見たくなっただけよ。」
たしかに、本多正信は真田敦の最初の家臣であり、夕夏は実の妹でもあり、また真田家の唯一の軍師でもあるからだ。
「信長様、畿内の大名達と仰せられましたか、どこまで声をお掛けになられますか?」
真田敦からの質問に、織田信長はすらすらと何名かの大名達の名前を上げたが、何故か浅井備前守の名前は無かった。
その言葉に即座に反応したのは、本多正信であった。
「お恐れながら、信長様に申し上げます。
北近江の浅井備前守様のお名前が、無かった気が致します。」
「備前は、特に呼ばなくとも問題は無かろう。」
信長は素っ気なく正信に言葉を返したが、その言葉に素早く反応したのは、真田夕夏であった。
「恐れながら、私も信長様に申し上げます。
越前の朝倉殿は、信長様からの上洛要請を拒否なされるのを予め承知で使者を出されるのですか。」
真田夕夏の言葉に織田信長は、こやつは出来ると、心の中で密かに思ったが言葉には出さなかった。
朝倉義景は、織田信長からの上洛要請を拒否するであろうと、最初から見ていたからだ。
それを、将軍に対する不敬と畿内の大名達に新年の挨拶の場ではっきりさせ、越前朝倉攻めの大義名分にするつもりでいたからだ。
「もしも、信長様が新年の挨拶の場で越前朝倉攻めの許可を足利義昭公から引き出させるのであれば、浅井備前守様も上洛させるべきかと思われます。」
真田敦は、織田信長が浅井備前守に事前に連絡をせずに、越前朝倉攻めの件を押し進め、越前朝倉殿を助ける為に浅井備前守の離反を招く愚を、避けたかったのである。
「敦、うぬは備前が、予を裏切ると申すのか!」
信長は、怒りを混めて真田敦に言葉を吐いた。
「浅井備前守様は、越前朝倉家から3代に渡り恩義を受けました。
一方、我が織田家はお市の方様を嫁に出されましたが、こちらは越前朝倉殿と比べましても、恩義は弱いと思われます。
義兄の信長様と、先祖代々から恩義のある朝倉家を比べましても、越前朝倉家に味方をするのは必定かと。」
真田敦は、自分の考えを織田信長にぶつけたのだ。
真田敦からの返答の言葉を聞き、織田信長は思わず唸ってしまったのだ。
そう、織田信長ですら気が付かなかった点を指摘され、怒りを収めながら冷静に考え始めた。
(恩義か、たしかに備前の性格であれば、あり得る話である。)
「信長様、浅井備前守様に上洛をお願いすると共に、浅井備前守様から越前朝倉殿に上洛をお願いする使者を出させてはいかがかと思われます。」
真田夕夏は、ここぞとばかりに具申を申し出ていた。
(備前から、朝倉義景に使者を出させるか。
それで上洛をすれば、朝倉義景を許す。
しかし、朝倉義景が上洛を拒否すれば、備前から朝倉義景に対する恩義を返したと思わせる事も出来るか。
なるほど、一石二鳥の策であるが、敦の妹の夕夏とか申す女も、かなりの切れ者であるな。
敦の家臣達は、皆が切れ者揃いか。
やはりあの時に、真田敦を配下として召し抱えたのは、正解だったのかも知れぬな。)
織田信長の考えていた時間は、どちらかと言うと長考であったのだが、最終的には真田敦達の意見を取り入れたのである。
「その方達の意見を、取り入れる。
敦、そなたは備前の元に向かえ!
夕夏は、朝倉義景の元に向かえ!
正信は、若狭の武田家に向かえ!
残りの大名達には、別の使者を出す!」
織田信長の決断は、素早かった。
指摘を受けて、いくつかの修正をしなければならなかったが、家臣からの優れた意見が出てその意見が効果的であれば、直ぐ様に取り入れるのも織田信長の長所と言える。
いや、真田敦だからこそ、その提案を受け入れたと言えよう。
信長様のワンマン体質は、少しも変わってはいない。
しかし、真田敦の進言や多方面の見方に関しては、一目置いているのは事実である。
そして、真田敦達は、素早く頭を下げて信長様の前から姿を消した。
そして、次の日にはそれぞれの大名達に使者が向かったのは、言うまでもなかった。
真田敦と真田夕夏、本多正信の3人は、今浜の町に滞在していた。
「北近江か、数年ぶりだな。」
真田敦が、昔を懐かしむと、真田夕夏が疑問を口にする。
「兄上は、前にも来た事があるのですか?」
「たしか、浅井下野守様が亡くなられた時に弔問の使者として、行かれておりましたな。」
本多正信が、真田夕夏に意見をする。
「そうだったな。
あの頃は、色々とあったがな。」
真田敦が言葉を出すと、本多正信が先に歩き始める。
「敦様、某は明日には若狭に向かいます。」
「私も、越前に向かいます。」
真田夕夏も、本多正信の後ろを付いていく。
「夕夏、その事だがな。
そなたには、越前の国内の情勢を調べて欲しいのだ。」
真田敦は、妹の夕夏に言葉を出す。
「兄上、何を言ってるのですか?
信長様の命令を無視するのですか?」
兄である真田敦からの言葉に、直ぐに噛み付いた。
「あのな、夕夏。
女性に使者が出来ると思うか?
信長様は最初から、越前国内の情勢を調べさせる為に、使者を命じたのだ。
大体、朝倉義景が無位無官である夕夏に会うと思うか?」
「それでは、最初から上洛以前に、織田信長様からの使者との面会を拒否すると見抜いておられると言いたいのですか。」
真田夕夏の機嫌は、だんだんと悪くなるが、真田敦はある言葉を言い放つ。
「その通りだ。
信長様の考え方を正確に見抜く才覚が、織田家に仕える者に必用なのだ!」
真田敦の言葉に、真田夕夏は己の未熟を思い知った。
考えてもみれば、兄である真田敦は、約10年間も織田信長様に仕えているのだ。
それに比べて私は、約1年位しか仕えていないのだ。
「浅井備前守より朝倉義景の元に使者を出させ、私も一緒に越前に向かう。」
真田敦は、本来の目的を口にする。
「朝倉義景殿の暗愚を、浅井備前守様に知らしめる為ですな。」
真田兄妹の会話に、本多正信が意見を述べる。
「正信の言葉は、正しい読みだ。
浅井備前守様に使者からの報告が上がれば、それでよい。」
3人は宿で食事を済ませ、翌日に本多正信は真田夕夏を伴って、若狭と越前に向かった。
真田敦は、小谷城に向かった。
「頼もう、某は織田家の真田敦と申す。
浅井備前守様に、お目通り願う。」
大手門を守っている門番に伝えると、門番は直ぐに上役に報告をした。
前回と違うとすれば、織田家と浅井家は同盟関係にあるのだ。
しばらく待たされてから、小姓が真田敦の前に現れて、小姓の案内に従いながら大手門を通されて、山の中腹にある京極丸の広間に通された時には、浅井備前守長政が待っていた。
真田敦は、素早く頭を下げて挨拶を行った。
「浅井備前守様、お久し振りでございます。」
「今年の正月に起きた、三好三人衆による足利将軍襲撃以来ですな。」
「その節は、大変お世話になりました。」
真田敦と、浅井備前守との久し振りの再会である。
「さて、真田殿が参られた用件を承ろうか。」
「はっ、来年の1月6日に、将軍足利義昭公に新年の挨拶を行いまする。
畿内の諸大名にも上洛をして頂きます。
それが故に、浅井備前守様にも、新年の挨拶をする為に、上洛をして頂けませぬか?」
真田敦は、浅井備前守に織田信長からの言葉を伝えた。
「ふむ、足利将軍に贈る新年の挨拶であれば、浅井備前守長政は、喜んで上洛致しましょう。」
「そのお言葉を頂き、安堵致しました。
もう1つ、お願い事がございます。」
真田敦は、再び頭を下げていた。
「もう1つ、なんでござろうか?」
浅井備前守は、何事かと真剣な顔付きになる。
「浅井備前守様から越前朝倉家に、ご使者を出して頂きたいのです。
公方様より、越前朝倉家に使者を出して頂きましたが、念の為に浅井備前守様からもお願いいたします。」
真田敦の言葉に、浅井備前守はしばし考え事をしていた。
たしかに、公方様より使者が出向いても、上洛を拒否する可能性が高いからだ。
諸大名の中には、現在の足利将軍は、織田信長の傀儡に過ぎないとの見方をしている者も少なく無いからだ。
「なるほど、では此方からも使者を出しましょうぞ。
そうですな、重臣の遠藤直経を、使者として出しまする。
真田殿も、越前朝倉家に向かわれるのですか?」
「はい、このまま越前朝倉家の元に向かいまする。」
「そうですか、では遠藤直経を出しますので、越前の城下町で合流なされるように。」
浅井備前守は、真田敦に優しい言葉を伝えた。
「こちらからのお願いをお聞き頂き、誠にありがとうございます。」
真田敦は、頭を下げて浅井備前守の前から姿を消し、そのまま越前朝倉家に向かった。
2日遅れで、遠藤直経も越前朝倉家に向かったのである。
真田敦が小谷城に滞在する前に、本多正信と真田夕夏の2人は、若狭にある敦賀の湊町にいた。
ここから2人は別れて、本多正信は若狭の武田氏に向かい、真田夕夏は越前の朝倉氏に向かうのである。
勿論、2人には鉢屋党の忍びを数名ほど、護衛として付けてある。
「では、夕夏様、越前の朝倉氏の方をお願いいたします。
若狭の武田氏は、某にお任せあれ。」
「正信には、期待しております
兄上からの、信頼高き直臣ですからね。」
「そう申されますと、なにやら恥ずかしいですな。」
本多正信は、照れくさそうに言葉を返し、真田夕夏と別れた。
真田夕夏は、朝倉氏の治める越前に入り、一乗谷城の城下町に拠点を置いて、越前国内の情報収集を開始した。
真田夕夏の背後を陰から守るのは、鉢屋美海である。
さすがに、真田敦の妹である以上、鉢屋美海本人が護衛を申し出たのである。
真田夕夏がある程度の情報収集を終えて寺に戻った時には、夕暮れになろうとしていた。
その寺には、真田夕夏が泊まる前に浪人が宿を取っていた。
仕官の口を探して、あちらこちら回っていたらしいのだが、なかなか仕官にはあり得なかったのである。
その様な事を知らない真田夕夏は、鉢屋美海は2人で夕食を取っていた。
「しかし、越前国内はあまり治安が良くないですね。」
真田夕夏が口にすると、鉢屋美海も首を立てに振る。
「朝倉義景の暗愚が知られているのか。
それとも配下の者達が、やる気が無いのか。」
「どちらにしろ、朝倉景鏡は危険ですね。」
真田夕夏は、朝倉景鏡の人となりを聞いて判断を下し、鉢屋美海も配下からの報告を真田夕夏に伝える。
「朝倉義景の重臣にありながら、朝倉家の当主になりたいなどと、危険な野心を持つなど。」
「朝倉景鏡の父親が、謀反の罪で処刑されていますからね。」
鉢屋美海が昔の事を口にすると、真田夕夏は慎重になる。
「今後はもう少し詳しく、情報収集をしなくてはなりませんね。」
その様な会話を2人がしていた最中に、鉢屋美海は廊下側から人の気配を感じ取った。
なぜかその人物は気配を消して、2人の会話を廊下から盗み聞きしていたのだ。
(夕夏様、誰かいます!)
(えぇ、盗み聞きとは気に入りませんね。)
(では、捕まえますか?)
(出来るなら、穏便に済ませたいけどね。)
真田夕夏と鉢屋美海の2人は、目で会話をしており、鉢屋美海は音を立てずに立ち上がり、素早く部屋の壁に寄り添いながら廊下の障子に近寄る。
真田夕夏も、静かなままでは怪しまれると思い、会話を再開した。
「兄上は、いつ頃越前に来ますかね?」
「数日は、かかる」
そこまで言葉を発した時に、鉢屋美海は素早く障子を開き、真田夕夏もそれに合わせて廊下側の障子に向かった。
いきなり障子を開けられ、2人の会話を盗み聞きしていた人物は、慌てて逃げ出そうとしたが、忍である鉢屋美海の素早い動きには勝てず、廊下で捕まってしまった。
真田夕夏も続いて廊下に出て、鉢屋美海が捕まえた曲者の右腕を捻り上げた。
「許して頂きたい。
某は、悪気があって盗み聞きをした訳ではない。」
その曲者は男であった。
2人は用心をしながら、その曲者を部屋に連れ込こみ、尋問を始めた。
「私達の会話を盗み聞きしておいて、悪気は無かったですって?」
真田夕夏は、特技である空手の技を持ち出し、男の動きを封じる。
「白々しい事を申すな!」
鉢屋美海も、声を高々にする。
「そ、某は、大和の筒井家に仕えていた島清興と申す者でござる。」
曲者扱いされた男は、ようやく自分の名前を口にする。
「大和の筒井家?」
真田夕夏が、疑問を口にする。
「たしか、数年前に松永弾正に滅ぼされた大名でしたね。」
鉢屋美海は、真田夕夏の疑問に素早く答えた。
「ともかく、今はこいつを縛り上げて、兄上が来てから処分を検討しましょう!」
真田夕夏は、寺の小姓を呼び寄せて、縄を持ってくるように頼み、寺の小姓は急いで縄を持ってきた。
縄を受け取った真田夕夏は、島清興と名乗る男の両手を後ろで縛り上げて、寺の納屋に蹴り混み、扉を閉めて閉じ込めた。
ある意味、乱暴過ぎる2人である。
翌日の夕方頃、真田敦が越前の一乗谷城の城下町に入った。
一ノ谷の城下町に入る少し前に、鉢屋美海の手の者が、真田夕夏と鉢屋美海の滞在している寺を知らせてきたので、そのまま寺に向かった。
寺に着いた真田敦は、越前の状況を聞こうと2人を探そうとしたのだが、2人が先に真田敦の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「兄上、もうお着きなのですか!」
「忍の足でも、たどり着けるかどうかの道のりなのに。」
真田夕夏と鉢屋美海の2人は、驚きの声を上げた。
「敦賀の湊町まで、早馬を使ったからな。
ちょっと気になる事があってな。」
真田敦はそう答えると、愛用している水筒の水を飲み干して、手を頭の上に置き悩み出した。
そう、浅井家の使者があの遠藤直経であるからだ。
本音を言えば、真田敦は遠藤直経が苦手なのだ。
遠藤直経の目を見ていると、自分の心を見透かされていそうであったからだ。
その為か、遠藤直経の行動には、最新の注意をしなければならないと、神経質になっていたのだ。
その事を知らない2人は、昨夜の事を話し出した。
「そう言えば兄上、昨日の夕刻過ぎに曲者を1人捕らえました。」
「私達の会話を盗み聞きしていましてので、そのまま捕らえて納屋に閉じ込めました。」
その会話を聞いた真田敦は、呆れ返っていた。
「ちょっと待て!
素性も聞かずに捕らえて、納屋に閉じ込めたのか?」
真田敦の言葉に、真田夕夏と鉢屋美海の2人は、言葉を返した。
「たしか、筒井家に仕官していたとか。」
真田夕夏がそう申すと、鉢屋美海も追従して。
「名前は、島とか言っていたような?」
真田敦に言わせれば、呆れた話である。
「ともかく、その納屋に案内せよ。
私が、直接話し合いをする!」
2人は言葉を返せないまま、真田敦を納屋に案内した。
案内された納屋は、表の扉には内側から開かないように棒を倒してあった。
真田敦は棒を退かし、ゆっくりと納屋の扉を開き、中にいる人物に外から声を掛けた。
「中のご仁、某がそなたと話がしたいのだが、意識はあるかな?」
すると、両手を後ろで縛られていた島清興が言葉を返した。
「どなたか知らぬが、縄を解いて頂きたい。
某は、元大和にあった筒井家に仕えていた島清興と申す。
決して、間者ではござらん。」
真田敦は、用心を重ねながら納屋の中に入る。
もちろん、真田夕夏と鉢屋美海も用心を重ねながら納屋の中に入る。
「某は、織田信長公に仕える、真田敦と申す。
私の妹と、私の手の者が乱暴をしてしまい、誠に申し訳ない。」
真田敦は素直に謝罪の言葉を口にして、島清興の縄を解き始めた。
もちろん、真田敦に何かあれば、真田夕夏と鉢屋美海の2人が、直ぐに動ける状態を見極めてからであるが。
「織田信長公に仕える真田敦殿とは、前年三好三人衆を京の都より追い払った、お方ではありませぬか。」
島清興と名乗る男は、真田敦と名乗る人物に声をかけた。
「そのような事もございましたな。
ここでは話しも出来ませぬ故に、部屋に来て頂きましょう。」
真田敦は、そう返答をしてから、島清興と名乗るご仁の肩に手を回し、ゆっくりと部屋に向かった。
部屋に着くなり、島清興をゆっくりと座らせ、真田敦と真田夕夏、鉢屋美海の3人も床に座り、改めて話し合いの場を設けた。
夜遅くまで会談は続いたのだが、真田敦が島清興と名乗る人物に興味を抱いた瞬間は、戦略眼と戦術面での知識の豊富さであった。
真田敦の元には、妹の夕夏ぐらいしか参謀と言える人材しかいないからだ。
これだけの人材を野に放つより、召し抱えて使う方が特ではないかと思えたのだ。
「島殿、よろしかったら我が妹である真田夕夏に、仕える気はないか?
余には参謀の夕夏がいるのだが、その夕夏の補佐役がいないのだ。
島殿ほどの知将を、野に下らせるのは勿体ないのでな。」
真田敦の一言に、真田夕夏が反応する。
「兄上!
私だけでは不足だと!」
「島殿の才能は、一流の軍才と言える。
2人が知恵を出しあい、余を助ければ良いのではないか?
1人より2人とも、申すからな。」
兄である真田敦からの返答に、言葉を返せない真田夕夏であった。
島清興の方も、4人での会談の最中に真田敦の才能を素早く見抜き、仕えるならこのご仁と心の中で決めたのだが、妹の真田夕夏に仕官せよとの言葉に、落胆を隠せなかった。
しかし、真田夕夏の才能は、ある意味で真田敦を凌駕する才能の持ち主であることに、島清興は気が付くのであるが、それは数年後の事になる。
この4人での会談により、島清興は真田家に仕官する事が決まり、真田夕夏の右腕としてその才能を発揮する事になる。
夜が明けた次の日、遠藤直経が一乗谷城の城下町に到着し、遠藤直経の姿を見つけて直ぐ様に駆け寄ってきた真田敦と合流するなり2人揃って一乗谷城に足を向けていた。
一乗谷城の大手門まで来ると、遠藤直経が門番に何かを伝え始めた。
ほどなくして、遠藤直経と真田敦は一乗谷城の中に案内され、大広間と思われる場所に案内され、そこには大名である朝倉義景を筆頭として、重臣達が左右に別れて座っていた。
朝倉義景の機嫌は悪く、朝倉景鏡の説得により、この場にいると言う有り様である。
真田敦の心の中では、愚者は所詮愚者であると、朝倉義景の評価を決めていた。
遠藤直経も、真田敦と同じ事を思ったが、出来る限りの事はしなくてはならないと、自分自身に言い聞かせた。
「それで、備前守の御使者殿は、この越前まで来て、何が言いたいのか。」
朝倉義景の言葉は、どこか投げやりである。
その言葉を聞き、遠藤直経は口を開いた。
「我が主、浅井備前守様は、朝倉義景様に御上洛をして頂きたいと、申しております。
何とぞ、御上洛をお願い致す所存であります。」
遠藤直経が頭を下げると、真田敦も引き続き頭を下げた。
「上洛だと?
馬鹿も、休み休み言え!
足利将軍は、信長ごときの傀儡ではないか!
信長自身が頭を下げて、御上洛して頂きたいと申せば考えない事もない!」
朝倉義景の言葉は、その場の空気を凍りつかせたのである。
この言葉を聞き、遠藤直経と真田敦の両名は、内心呆れ返っていた。
いや、朝倉義景の家臣達も、呆れ返っていた。
まさか、同盟国からの使者に対しての心遣いも無ければ、朝倉義景のつまらない自尊心の為に、下手をすれば朝倉家討伐の、大義名分を与えてしまうからである。
それでも、遠藤直経は再度説得を試みようとしたのだが、朝倉義景はそれだけを言うと、大広間からさっさと出ていった。
残された遠藤直経と真田敦は、困り果てていた。
朝倉景鏡は、困り果てていた2人に、話しかけた。
「遠藤殿、真田殿、申し訳ない。
改めて、家臣達からも上洛するように説得します故に。
今回は、このままお帰り頂きたいかと。」
遠藤直経と真田敦も、朝倉義景の態度を見て説得は無理だと感じていたから、朝倉景鏡の言葉に素直に応じた。
一乗谷城から2人は退出して、遠藤直経は北近江に戻り、真田敦は真田夕夏、鉢屋美海、島清興と共に、敦賀の湊町に戻り本多正信と合流をした。
本多正信と合流した真田敦達は、本多正信より驚愕の事実を知らされた。
実は、若狭の武田元明が数日前に朝倉義景の手の者により、一乗谷城に拉致されていたのだ。
これにより、若狭は朝倉義景の支配下に置かれたと言っても過言ではなかった。
真田敦は頭を抱え始め、真田夕夏は別の事を考え、鉢屋美海は若狭の国内の情報収集を考え、島清興は朝倉義景の上洛は無いだろうと考えた。
ここは岐阜に戻り、信長様に報告しなくてはならないと考えて、真田敦達は岐阜に向かい始めた。
岐阜に向かう途中、島清興は家族を迎えに行きたいと言い出したので、鉢屋美海の手の者を警護として付けた。
岐阜で落ち合う約束を取り付け、真田敦達は岐阜に向かった。
真田敦は、真田夕夏達を屋敷に戻し、自身の身体を清めてから、岐阜城の大広間にいる織田信長の前に姿を現した。
「敦、この度はご苦労であった。」
「いえ、信長様の御命令ですので。」
真田敦は、疲れを見せずに言葉を述べる。
「それで、備前はどうであった?」
「はっ、重臣の遠藤直経殿を派遣なされて朝倉義景殿の説得に当たられましたが、朝倉義景殿はこちらの申す事を聞く耳を持たない状態でありました。」
ありのままの事を、真田敦は織田信長に報告する。
「なるほどな、では上洛は無いと?」
「朝倉景鏡殿が、家臣達で説得に当たると申されておりました。
まぁ、あの性格では無理かと思われます。」
真田敦は、自分の考え方を織田信長に伝える。
「だろうな、我が織田家と朝倉家は、応仁の乱の頃からの因縁があるからな。」
織田信長の言葉を聞いた真田敦は、その事を知らなかったが故に、驚愕する事である。
であれば、朝倉義景の上洛は今後もあり得えないと、真田敦は頭の中で思った。
「遠藤は、備前にありのままを伝えると思うか?」
真田敦は一瞬考えたが、生真面目で真っ直ぐな性格である為に、素直に伝えるでしょうと述べた。
織田信長は、真田敦に下がるように命令すると、岐阜城の天守閣に向かい京の都の方角を見始めた。
真田敦は、ある事を思い付いたのだが、それは島清興が岐阜に来てからでも遅くないと思い、屋敷に戻って行った。
12月下旬、真田敦は、家臣一同を屋敷の大広間に集めた。
出席者は、本多正信、大内勝雄、大内藍、南条小助、真田夕夏、島清興、鉢屋美海の、7人である。
本来であれば、梨那と和花の2人も呼びたかったのであるが、現在は織田信長公の手元にあるために、今回は見送ったのである。
「兄上、今日はどの様な集まりなのですか?」
上座に座る真田敦に向けて、妹である真田夕夏が言葉を出した。
「実はな、前から考えていた事を、皆に伝えようと思ってな。」
真田敦は、皆に向けて言葉を出す。
「敦様、考えていた事とは?」
本多正信が、家臣を代表して聞いたのだ。
「実は、その方たちに専門の仕事を任せようかと思ってな。」
真田敦は、本多正信達に簡潔に答える。
「専門の仕事と申しますと、得意な事を任せて貰えると言う事ですか?」
今度は、島清興が真田敦に質問をする。
「まぁ、そう言う事だな。
いつまでも、何から何まで某がやる訳には行かぬからな。
その方達の成長も考えなくてはならぬ。」
真田敦の言葉は、いつもよりも、一言一言に気迫を込めていた。
「それで、何方がどの様な仕事を?」
少し不安に聞いてきたのは、鉢屋美海である。
「それをこれから述べる。
最初に、小助からだな。
小助は、真田家の先陣大将にする!
真田家が戦に向かう時には、南条家以外を先陣大将にはしない!」
この真田敦の言葉は、ある意味とんでもない発言と言える。
担当部署の最高責任者の元で、家臣を使い分けて仕事をこなすのである。
夕夏は、特に顔色を変えなかったが、他の家臣達は呆然としていた。
「先陣大将?
某に、戦の指揮を取れと申しますか?」
南条小助は、確認をするように言葉を出す。
真田敦は、南条小助に返答をする。
「そうだ、先陣大将である小助の元で、戦の開戦をするのだ。」
南条小助は、感激したのか、嬉し涙を流していた。
次に真田敦は、大内勝雄に言葉をかけた。
「勝雄には、水軍総大将として、海戦の指揮を全て任せる。
もちろん某を始め、他の家臣達も指揮下に入ると共に、海戦に対する最高責任者である。
まぁ、まだ領地を頂いた訳では無いために、今すぐとは言えないがな。」
「某に、水軍総大将の地位を。
ありがたき幸せにございます。」
大内勝雄は、水軍総大将の地位を貰い、満足をしていた。
元々、瀬戸内に面した地域で生まれていたからである。
つまり、戦船の扱いに慣れているのである。
大内勝雄は、いつの間にか頭を下げていた。
真田敦の言葉は、次に移っていた。
「さてと、次は、勝雄の姉である藍だな。
真田家の、家中の取締役に任命する。
決まり事を守らぬ者は、どんどん取り締まるように。」
大内藍の反応は、と言うと。
「あら、家中取締役ですか。
敦様と言えど、違反をしたら厳しくやりますから。」
大内藍の反応に、真田敦は満足をしていた。
大内藍の性格からして、手抜きと言う事はしないと信用したからである。
真田敦の言葉は、まだ終わらない。
「さて、どこまで申したかな?
次は、正信であったな。
正信には、引き続き謀略の担当と、内政の担当をして貰うか。
内政に関しては、信長様から領地を頂いてからになるが、謀略の方は全て正信に任せる。」
「ほっほっほっ。
某に謀略と内政を、引き続きお任せ頂けますか。
褒美は、旨いお酒を頂ければ色々と働きますぞ。」
極度の酒好きである、本多正信らしい返答であると言えよう。
真田敦は、まだまだ言葉を続ける。
「次は、美海だな。
まぁ、分かっていると思うが、情報収集の管理を引き続き任せる。
いずれ領地を頂いたら、忍びの里を造る事も許そう。
鉢屋の里には、某や他の家臣達も始め、滅多に他人を入れないように、厳重に警戒をするように。」
「ありがとうございます。
この鉢屋美海、真田敦様に命を差し出す気持ちで任務を遂行致します。」
鉢屋美海は、表情を変えずに軽く頷いた。
鉢屋党の再興は、当主である鉢屋美海の夢でもあり、自分に従っている忍び達の願いでもあったからだ。
真田敦は、残った真田夕夏と島清興に声をかけた。
「最後になったが、夕夏と清興の両名には、余の参謀を命じる。
軍事に関する事は、その方達の好きなようにするが良い。」
真田夕夏はともかく、島清興は腰を抜かすほど驚いたのである。
新参者である自分に、真田敦様の参謀に任命すると共に、軍事に関する最高責任者の片割れに任命されたからである。
恐る恐る、島清興は真田敦に言葉を返した。
「お恐れながら、真田様にお聞きいたします。
新参者である某が、軍事の最高責任者に任命されましたが、他の家中の方々から異論が出ませぬか?」
島清興よりも先に仕官をした人物と言えば、本多正信に南条小助、大内勝雄に鉢屋美海といるからである。
真田敦は、笑いながら答えた。
「ふっふ、正信には、軍事の才能はない。
小助と、勝雄は、この間初陣を済ませたばかり。
美海は、忍びの者である。
清興殿ほど、戦の経験者はおらぬからだ。
まぁ、清興殿の元で、勝雄や小助らを鍛え上げて欲しい。」
この言葉に、島清興は感動をした。
新参者であろうが、古参の家臣であろうが、分け隔てなく、同じ扱いをしてくれたからである。
ふと、夕夏は疑問を感じて、兄である敦に質問をした。
「兄上、梨那様と和花様には、どの様な仕事を任せますか?」
「あの2人には、種子島などの武具製造の最高責任者になって貰わねばな。
今は、信長様の手にあるが、いずれは返して頂く。」
敦は顎に手を当てて、妹の夕夏に返答をする。
この発表以後、それぞれの担当者は忙しい程の多忙を極めた。
12月が終わろうとしていた頃、織田信長公に従って、真田敦、真田夕夏、本多正信、島清興の4人は京の都に上洛をした。
将軍足利義昭公に対する、新年会の準備に取りかかったのである。
正月の5日には、続々と大名達が京の都に上洛をして、明日には将軍足利義昭公に挨拶をしなくてはならず、皆忙しかったのである。
永禄13年(1570年)1月5日の夕刻頃、本能寺に滞在していた織田信長の元に、浅井長政が突然訪ねてきたのである。
小姓は、主君である織田信長に浅井備前守様の来訪を報告し、織田信長は本能寺に滞在していた真田敦を書斎に呼ぶように別の小姓に命じ、報告をしに来た小姓にも、浅井長政を書斎に通すように命じた。
真田敦は、その時庭の散策をしていたのだが、小姓に案内されていた浅井備前守長政殿の姿を見つけたが、なぜか首を傾げただけであった。
小姓は、庭にいた真田敦を見つけると、織田信長様が書斎に来るようにと、真田敦に伝えた。
それを聞いた真田敦は、急いで書斎に向かった。
真田敦が書斎に到着すると、織田信長が上座に座っており、一段下がった左側に浅井備前守長政様が座っていた。
真田敦も、浅井備前守長政様の対面に座る。
3人が揃った所で、最初に口を開いたのは織田信長である。
「備前、今日の来訪の用件は?」
信長らしい短い言葉である。
「はっ、朝倉義景公の事についてです。」
浅井長政は、単刀直入に返答をする。
「やはり、朝倉義景殿は上洛をせぬと?」
真田敦は、浅井長政に確認をする。
「真田殿の申される通り、上洛を拒否なされました。
朝倉景鏡殿から使者が参り、はっきりと申してきました。」
浅井長政は、織田信長と真田敦に事の次第を的確に伝える。
「将軍足利義昭公に対する、不敬では無かろうか?」
真田敦は、用意していた言葉を述べる。
「備前よ、その事だけを申す為に来たのではなかろう。」
信長は、更に長政に本音を出せと迫る。
「正直に申しまして、朝倉義景殿の優柔不断には、愛想が尽きました。
我が浅井家は、三代続けて朝倉家から恩義を受けてきましたが、その恩義も上洛の使者を出した事で、ある程度はお返しをしたつもりであります。
もしも、義兄上が朝倉義景殿を攻めるのであれば、この浅井備前守を先陣としてお使い下さい!」
浅井長政の発言は、普通に取れば朝倉浅井の同盟解消とも取れる。
裏を見れば、最後の最後まで、朝倉家存続を願い出ているとも取れる。
「信長様、いかがなされますか?」
真田敦は、織田信長に判断を委ねた。
正直な話、真田敦の発言は必要ない事である。
あくまでも、最終決定を下すのは、主君である織田信長だからだ。
「備前よ、そちは最後の最後まで、我が織田家と朝倉家の和議を望むのか?」
信長は、長政の決意を確かめる。
「望むべく、先陣を願い出ております。」
浅井長政は、遠藤直経からの報告を聞いて以来、ずっと悩んでいたのである。
朝倉家の恩義を取るか、義兄上である織田信長を取るかである。
浅井長政の最終決定は、朝倉家と織田家との和議締結の道であった。
織田信長も、浅井長政からの申し出に悩んでいたのである。
本来であれば、長政には中立を保って貰い、朝倉義景を滅ぼすつもりでいたからだ。
しかし、朝倉攻めを開始する前に、浅井長政から先陣を願い出て来た以上、無下に断るのも悪いと思うからである。
「うむ、備前の申し出を受けよう。
先陣大将に備前を、副将として三河を付ける。
それから参謀として、真田敦を付けるがゆえに、困った事があれば相談をするがよい。」
織田信長が、浅井長政の申し出を受けた事により、遂に歴史の歯車は新しい方向に動き出したのである。
「信長様、明日は新年の挨拶がありますが、その時に朝倉征伐の許可を頂きますか?」
真田敦は、織田信長に確認をする。
「いや、取り合えず将軍に対する不敬だけを述べ、朝倉義景には後日、別の用件で、もう一度だけ上洛の機会を与え、その時にも、更に上洛を拒否したら、朝倉義景を攻める。」
織田信長の言葉に、真田敦と浅井長政も納得をしたのである。
浅井長政にしてみれば、和議締結の最後の機会を与えてくれたのであるから、心のどこかでは朝倉義景が上洛をしてくれないかと、願うばかりであった。
夜が明けて、1月6日に変わり、二条城にて、将軍足利義昭公に対する新年の挨拶が始まったのである。
諸大名からの新年の挨拶は、将軍足利義昭公の機嫌を良くしていたのだが、織田信長の一言によりその場の空気が変わったのである。
「はて・・朝倉義景殿は来ておられぬか?
誰か、朝倉義景殿の姿を見た者はおるか?」
回りの大名達は、ざわざわとするだけであり、誰も朝倉義景殿の姿を見た者はいなかった。
「朝倉義景殿には、困った事ですな。
これでは、将軍に対する不敬ではありませぬか、織田殿?」
そう、言葉を出したのは、三河の徳川家康である。
「三河殿の申される通りですな。
足利義昭公は、どう思われますかな?」
徳川家康の言葉に乗っかり、意地悪く質問をしたのは、織田信長である。
「朝倉義景殿は、病で上洛が出来なかったのではなかろうか?」
足利義昭は、知らぬと言いたげである。
「はて?
それであれば、代わりの重臣を上洛させてもよろしいのでは無いでしょうか?
朝倉義景殿は、本当に不敬な人物と言えますが、将軍はどう思われますか?」
将軍足利義昭が心底大嫌いな、真田敦の嫌みな発言である。
「そちに、言われるまでもない。
この度の事は、後日余から使者を出す。
それで構わぬであろう。」
将軍自らが、朝倉義景に対して使者を出すと言ったのである。
織田信長を始め、諸大名達は静まり返り、新年の挨拶は嫌な感じで終わりを告げたのである。
二条城にて、将軍足義昭公に対する新年の挨拶が終わり、真田敦は近くの寺に戻った。出迎えたのは、真田夕夏であった。
「兄上、お疲れ様でした。」
「あぁ、夕夏の読み通りであったな。」
真田敦は、どことなく憂鬱気味に夕夏に答える。
そんな気分を察したのか、やや心配気味に聞く。
「どうかなされましたか、兄上?」
「朝倉義景が、上洛を拒否したからな。
早ければ、夏頃には戦になるやも知れぬ。」
真田敦の言葉に、真田夕夏は反応する。
「まぁまぁ兄上、別に先陣を任されたのでは無いのでしょう?
なぜそこまで、落ち込むのかが分かりません。」
「この話しは、他の2人と合流してから話そう。」
真田敦は、そのまま書斎に向かい、真田夕夏は、本多正信と島清興を探しに向かい、2人を見つけてから書斎に向かったのである。
書斎には、真田敦夕夏の兄妹、本多正信と島清興の4人が揃っていた。
「敦様、何やらお元気が無さそうですが?」
本多正信が、心配そうに真田敦に言葉を述べる。
「皆には済まぬな。
実は、新年の挨拶後の事なのだが。」
たんたんと、真田敦は言葉を口にしていた。
新年の挨拶後、森可成殿と会話を始めたのだが、その会話の最中に、森殿の三男である乱丸に、真田敦殿の娘を、嫁に貰いたいと切り出されたのである。
森乱丸は、まだ5才である事から、婚約の形にはなるのだが。
やはり、父親としては気落ちをしても仕方ない事である。
年齢的な釣り合いを考えると、三女の涼か四女の薫になるからである。
真田敦は即答を控えて、家中の者達と話し合いをしますと答えて、森可成殿の前から去り、ここに帰って来たのである。
その話を聞いた3人は、真田敦の憂鬱な心を、感じ取ったのである。
「よい話ではありませんか。
森可成様と言えば、信長様からかなりの信頼を持たれているお方でしょう。」
そう答えたのは、やはり真田夕夏であった。
「敦様、僭越ながら申し上げます。
御家中の方々との縁組みは、後々に大切な事になると思われます。
お辛い気持ちは分かりますが、姫様方の幸せをお考えなされてもよろしいかと思われます。」
どことなく遠慮がちに述べているのは、島清興であった。
更には、本多正信まで言葉を繋げて来たのである。
「敦様。
まだ森乱丸殿は5才ですので、約10年程は間がありまする。
実際に森乱丸殿の元に嫁ぐまでに、たくさんの愛情をお与えになられればよろしいかと。」
真田敦は、3人からの言葉を聞いていたのだが、どことなく心ここにあらずであった。
そんな真田敦の態度に、業を煮やしたのは妹の夕夏であった。
そして、真田敦の胸ぐらを掴み、言葉を口にする。
「焦れったい!
女はいつかは嫁に行くのよ!
そんな気持ちでいるなら、さっさと家督を源一郎に継がせて、隠居したらどうなの!
娘が嫁にいく事が、そんなに気落ちするわけ?
馬鹿兄貴の、意気地無し!」
本多正信と島清興の2人は、そのやり取りを黙って見ていただけである。
そこまで言われた、真田敦の反応はと言うと。
「誰が、馬鹿兄貴で意気地無しだと!
妹の癖に、良くそこまで言えるな!」
さすがに、ボロクソに言われた事に対して、反論をはじめたのだが、やはり真田夕夏の更なる反論が続く。
「馬鹿兄貴だから、馬鹿兄貴と言って何が悪い?
あんたがそんな気持ちでいたら、家臣一同はどうすれば良いわけ?
家臣を率いている身分ならば、己の感情を殺す事が、大切な事になるのではなくて?
そんな事が出来ないなら出家でもして、私に家督を譲りなさい!
私が、家臣一同をまとめあげて、真田家を盛り立てて行くわよ!」
「夕夏が、家臣一同をまとめる?
一癖も二癖もある連中や、他の織田家臣との付き合いも出来ぬ癖に、甘ったれた事を申すな!」
真田敦の言葉に、真田夕夏は更に返答を重ねる。
「はぁ?
娘の縁談ぐらいで、くよくよしている奴に、そんな事を言われたく無いわね。
だったら、家督を私に譲るか、源一郎に家督を譲るか、あんたが引き継ぎ当主を続けるか、はっきりと言えや!
馬鹿兄貴!」
「誰が、夕夏などに家督を譲るか!
夕夏が嫁に行こうが、娘達がみんな嫁に行こうが、もうどうでもいい!
真田家当主は、この私である!
文句のある奴は、誰でもいいからかかってこい!」
正直に言うと、口喧嘩では妹の夕夏には勝てない。
更に、女子供に手を上げる事もしない。
自分から妹の夕夏に従えば、口論は終わるのである。
真田敦はそこまで考えてから言葉を述べると、夕夏の手をゆっくりと払い除ける。
胸ぐらを掴んでいた手を払い除けられると、真田夕夏も、姿勢を正して床に座った。
本多正信と島清興は、ずっと沈黙を保っていた。
さすがに、この兄妹の喧嘩の仲裁に入れない程の、無言の圧力を感じ取ったからである。
「それで、どうなされますか?」
島清興が、恐る恐る言葉を口にする。
それに反応したのは、真田敦であった。
「2人には、見苦しいところを見せてしまい、済まなかったな。
森可成殿の申し出を、受けようと思う。
三女の涼を、嫁に出す。」
真田敦は、ようやく決断を下したのである。
「それで、仲直りはしないのですか?」
やはり、恐る恐る本多正信が口に出す。
「仲直り?
別に、普通の会話しかしていないが?」
「私と兄上の会話なんて、時々こうなりますからね。
気になさらずとも、大丈夫ですから。」
真田敦と真田夕夏の2人は、何事も無かったように、言葉を口にしていた。
回りから言わせたら、はた迷惑と言われるであろうが。
真田敦と真田夕夏の兄妹の関係は、この程度で壊れたりはしないのである。
月日は過ぎていき、5月上旬に新たな事が、起きていた。
その5月上旬に、将軍足利義昭公が主宰をする、連歌の会が行われたのであるが、またもや朝倉義景は上洛を拒否したのである。
もっとも、新年の挨拶に比べて、遥かに重要度の低い連歌の会などに、わざわざ朝倉義景が上洛をしてまで出席をするわけも無いのだが。
織田信長はこれを、2度にわたる将軍足利義昭公に対する不敬と申し、浅井長政と徳川家康、真田敦の3人に、越前征伐を命じたのである。
もちろん形式的には、将軍足利義昭公の許可を得てからであるが。
表向きには、若狭にいる豪族の武藤某と申す輩の討伐と、回りには伝えていた。
徳川家康は、4000の兵を率いて、浅井長政は6000の兵を率いていた。
そして真田敦は、2000の兵を織田信長公より借り受けて、小谷城に集結をしたのである。
織田信長による、越前征伐の始まりでもあったのである。




