The Last One
例えば、友達数人を家に集めていたとしよう。そこでは、大抵の場合何等かのお菓子とか、ジュースとかがあったはずだ。
時間が経ち、話が盛り上がるにつれて、当然ながらお菓子もなくなっていく。四つ。三つ。二つ。だが、順調だったお菓子の消費が、突然止まる瞬間がある。
つまり、「最後の一つ」というやつである。この魔性の魅力を秘めた存在は、今までいくつもの悲劇、争いを生み出してきた。
ジャンケンによる仁義なき戦い。譲り合いながらも下心を秘めた心理戦。隙を見ての強奪。勝者以外は全て敗者という厳しい世界であり、まさに弱肉強食。むしろ食べられるのはお煎餅であったりするが、負けたものに残されるのは、名状しがたい微妙な敗北感だけである。
研究者の間では、いくつかの戦争はこの「最後の一つ」が原因となり勃発したと言われており、今でも根強い支持を得ている。あるいは、不可能を可能にする力があるとも言われ、世界を一つにするのはこの「最後の一つ」であるという話もある。幾多の海賊たちが求めていたものがこの「最後の一つ」であるとも。
人類の秘宝、「最後の一つ」。今日も地球のどこかで、獲物に群がるハイエナのような戦いが行われる。
◆
どこにでもあるようなショッピングモール。その中の、これまたどこにでもあるようなフードコート。そこで売っている、いかにもどこにでもあるようなたこ焼き。ちなみに八個。容器は味もそっけもないプラスチックのパック。青のり多め。かつぶしは少ない。爪楊枝付き。作りおきなのか少し冷めている。そこそこ美味い。強いて言えば普通街道まっしぐら。
並河宗太はフードコートの一席に座り、機械的に口を動かしていた。フードコートのたこ焼きなんぞ、味わって食べるほどのものでもない。ただ腹が減っていたので、適当に選んだのだ。今日はたこ焼きの気分だった。昨日は今川焼だった。一昨日は忘れた。先一昨日はなぜか覚えている。確かフライドポテトだったはずだ。正直どうでもいいが。
一昨日のことを思い出しながら、宗太は目の前のたこ焼きに手を伸ばす。だが、狙った獲物は、前から伸びてきた爪楊枝にさらわれていった。仕方なく、別のたこ焼きを楊枝で突き刺す。口に放り込む。咀嚼。
テーブルの向かい、宗太の目の前には、一人の少女が座っていた。口をもぐもぐさせている姿は美少女に見えなくもない。十人中三人がきれいだと言うであろう容姿。名前は夜見原みすず。年は十七。宗太と同い年である。
彼らは別に恋人ではない。恋心を秘めた幼馴染同士というわけでもない。高校で初めて出会い、何となく気が合うので適当につるむようになった。そういう仲である。今日も、たまたま互いに暇だったので連れ立ってやってきた。それだけである。
一年以上も付き合いがあれば、大抵の人間は相手のリズムがわかるようになる。そして、それは宗太とみすずにも当てはまる。故に、彼らに会話はなかった。無言が場を支配する中、ただひたすらにたこ焼きを食す。気まずさはない。そんな段階はとっくに過ぎ去った。学校で「倦怠期夫婦」などと呼ばれているのも、納得の雰囲気だった。
双方無言のまま時が過ぎる。動く口。嚥下する喉。減るたこ焼き。二人で一つのパックをつつきあう。その行動は無意識で、だからこそ、致命的な事実に気付くことはない。
ぼーっと外を見て流れる雲を見つめていた宗太は、再びたこ焼きへと意識を向ける。だが、そこで気が付いた。
たこ焼きが、最後の一つになっていた。
食べ続けていたのだから当然ではある。物は増えない。物理法則は超えられない。ポケットに入れたら二つになるのは童謡だけで十分である。
宗太は、当然のようにたこ焼きへと爪楊枝を伸ばす。そもそも、このたこ焼きの代金は宗太が全て出したのだ。最後の一個ぐらいは、自分に食べる権利があるはずだ。そう、信じていた。
瞬間、宗太の爪楊枝は、みすずの爪楊枝に弾かれていた。
宗太は顔を上げてみすずを見る。みすずは微笑んでいた。ブスではない。もう少し見せ方を覚えれば、もっと人気が出るだろう。
宗太はみすずに微笑み返し、再び爪楊枝を差そうと試みる。
再び、宗太の爪楊枝はみすずの爪楊枝に横から払われていた。
もう一度、宗太はみすずの顔を見る。みすずは可憐に笑っている。髪型を変えれば、がらりと雰囲気が変わるだろう。
宗太はもう一度、爪楊枝を……。
合計五回の攻防の末、宗太とみすずは視線をぶつけ合う。互いにわかっていた。ここには、譲り合いなどという精神は微塵も存在しないのだと。
「おまえさ、何個食べた?」
宗太が問う。はたして、みすずの答えは宗太の予想と寸分違わぬものだった。
「ん? 四個だけど?」
たこ焼きは一パック八個入りである。その半分は四個。つまり、
「半分食べたんだからさ、俺に譲ろうとか、そういう考えはないわけ?」
「うん。ない」
即答。彼女の意思は揺るぎない。たとえ、それが一般道徳に反する思いであったとしても。
「だって食べたいんだもん」
「もん、じゃねーよ。そこは普通半分づつだろ。常識として」
「知らないわよ、そんな常識。というか、あたしは食べたいの。わかる?」
「いやむしろこっちが知るか。そもそも、金出したのは俺なんだぞ。出資者の分け前が多めなのは、世界各国ビジネスの基本だろうが」
「これビジネスじゃないし」
「例えだバカ」
「例えが悪すぎ」
「うるさい」
睨み合い、言い合っている最中であっても、意識はたこ焼きから外れることはない。気を抜いたが最後、獲物は敵に奪われることになってしまうだろう。彼らの周囲には、死合いをしている武士のような、緊迫した空気が漂っていた。
「なあ、ここは俺に譲るべきじゃねえの?」
「ヤダ。そんなに食べたいなら、もう一パック買ってくればいいじゃない」
「その言葉、そのまま返してやるよ」
「あたしは買わないわよ。たかだかたこ焼き一個のためにもう一パック買うなんて、馬鹿らしいったらありゃしないわ」
「じゃあなんで俺に勧めるかな?」
「アンタの財布がどれだけ軽くなろうと、あたしの知ったこっちゃないわ」
交渉は失敗に向かい始めていた。かつて、古代中国の兵家、孫子はこんな言葉を残している。曰く「戦争とは、外交の一手段である」と。
穏便な解決策を模索し、対話を主とした時代は、やがて終わりを告げる。平和とは戦争と戦争の間のわずかな期間でしかない。そもそも、地球上から争いの火が消えたことなど、人類史上いまだかつて存在したことはないのだ。この世界では、いつもどこかで誰かが泣いている。
睨みあう二人にもまた、平和的解決という言葉はもはや存在しない。あるのは闘争のみ。必要なのは、ただ、わずかなきっかけだけだった。
沈黙。緊張。動的な動きは皆無。ただ、相手の隙を探り合い、いくつもの予測を立てる。頭の中では、幾通りものシュミレーションが渦を巻き、今にも溢れんばかりだった。
ひたすらに待つ。その時を。始まりの号令を。開幕の狼煙を。
――カラン。
その音は、傍らのコップから。溶けた氷が奏でた音は、二人の鼓膜を揺らし、脳へと電気信号を送る。
認識よりも早く、速く、迅く。理性を切り捨て限界を突破し、爪楊枝は愚直にたこ焼きを目指す。
本能に従ったその行動は、しかし、双方に告げていた。この攻撃では、勝利に届くことはないと。
未来予知にも似た予感。このままでは負ける。新たな行動を取らなければならない。勝つための方法は? そこに至る道筋は? 刹那の間に行動を修正。宗太は、みすずに対する妨害に入る。
爪楊枝を払いのける。直後にたこ焼きへと突き。しかし読まれていた。みすずの払いは、宗太の行動の邪魔となり、宗太の爪楊枝はデタラメな方向へ向かう。
「チッ」
舌打ちをする。だが、これで終わりではない。今度はみすずがたこ焼きを狙っている。阻止しなければならない。
宗太はみすずの爪楊枝を狙い、払いをかける。クリーンヒット。みすずの爪楊枝は目的を達成することなく、空振りする結果となる。
だが、みすずはまだ止まらなかった。空振りから驚異的なスピードで立て直し、再びたこ焼きを狙う。
「イヤァッ」
二段突き。敵の妨害に有効な戦術である。度重なる攻撃は、単純なだけに効果も高い。
「くっ」
みすずの尋常ではない動きを食い止めようと試みる。相手が常識を超えたのなら、こちらもまた常識を超えればいい。そんな単純な考えで、宗太の体は動いていた。
宗太の爪楊枝が、みすずの爪楊枝を捉える。宗太渾身の払いは、みすずの突きを逸らすことに成功していた。
「やるじゃない」
「そっちもな」
二人でニヤリと笑う。互いの爪楊枝は、残心で止まったままだ。
だが、その目から闘志は失われていない。流れを読み、再び動き出すための機を窺っている。
束の間の静寂を破ったのは、みすずだった。爪楊枝を引き戻すと、たこ焼きを貫こうと、その手が奔る。
(来るか!?)
流れだした戦局に、宗太が警戒する。来るようなら、再び防御する必要がある。
みすずの爪楊枝が、再び迫る。先程よりもさらに素早いその動きに、宗太は警戒感をさらに強めた。
宗太がみすずの打突を払う。しかし、宗太の払いは空を切る。そして気づいた。
「フェイントか!」
「ご名答!」
宗太の驚愕の声に、みすずがニヤリと笑う。宗太ならば目の前の攻撃に集中するに違いない。性格を読み切っていた、みすずならではの作戦だった。
勝てる。そう確信したみすずは、しかし次の瞬間、その考えが間違いであったことを知る。
「まだまだぁ!」
それはありえないスピードだった。フェイントで空振りしたはずの宗太の爪楊枝が、再び払いのモーションに入っている。確実に、みすずの突きを阻止できるスピードだった。
「まさか、限界を超えたっていうの!?」
宗太の動きは、常人のものではなかった。そしてそれはみすずも同じ。二人は、ヒトとしての壁を突破していた。
「はぁぁぁぁぁぁあああ!」
宗太の返しがみすずの攻撃を防御する。ありえない速度。ありえない重さ。ヒトのものならざるその攻撃。みすずの爪楊枝は、宗太の払いに吹き飛ばされていた。
だが、宗太の勢いは止まらない。払いの後に瞬時に引き戻し、突きを放つ。まるで慣性など存在しないかのようなその動きは、宗太が突きぬけてしまったことの証拠だった。
みすずは突きを全力をもって阻止し続ける。一発、二発、三発、四発。一瞬の間に放たれた四発の突き。それでもみすずの防御を崩すことはできない。
「でやぁぁぁぁ!」
五発目。乾坤一擲、全力の突きがたこ焼きを穿たんと迫る。
その時、みすずの頭に、敗北のイメージが浮かぶ。奪われたたこ焼き。それを食べる宗太。何ともいえない敗北感。
「私は……負けたくない。負けられないのよ!」
みすずの中で、何かが弾けた。瞬間、自分のものとは思えない速度で体が動く。
宗太の一撃はおそらく、普通の払いでは止められない。ところが、自分は宗太とは違い、一撃はさほど重くはない。ならばどうするか。その問いに、みすずは行動をもって答えを返す。
「たぁぁっ!」
宗太の爪楊枝は逸らされていた。防御は一瞬。しかし、宗太の目は、その原因をしっかりと捉えていた。
相対的にみすずの攻撃は軽い。しかし、それは短所ではない。彼女の長所は攻撃の速さ、そして正確さにある。みすずはそれを利用し、爪楊枝の先端付近に多数の払いを浴びせることにより、宗太の重い一撃を防いでいた。
「次はこっちから行くわよ!」
防戦一方であったみすずが攻撃に転じる。速度を生かした連続攻撃。時にフェイントを織り交ぜたその動きは自在に変化し、宗太を追い詰める。
だが、宗太も負けてはいない。重い一撃の連発はみすずの攻撃を吹き飛ばし、その動きを阻害する。
「オラオラァ! どうした、動きが鈍ってるぞ!」
「そっちこそ、一撃がさっきほど重くないわよ!」
三段突きからの払い、フェイント、突き、二段払い、二段突き、払い、フェイントからの突き、二段突き。高速で繰り広げられる戦いは、なおもそのスピードを上げていく。二人の顔には、笑みすら浮かびつつあった。
と、高速戦の最中、ふと、二人の動きが止まる。互いに互いを押さえつけ合う、剣で言えば鍔競り合いの状態だった。
「ふふ、こんな戦いができてこの子、ムーン・ソーンも喜んでいると思うわ」
みすずが自分の手に持つ爪楊枝――ムーン・ソーンを見ながら言う。その顔には、ただただ喜びが満ちていた。
「いや、こいつも、炎龍爪も嬉しいと思うぜ」
みすずに応えて、宗太もまた口を開く。その言葉には、みすずに対する感謝、そして愛剣――炎龍爪に対する愛が感じられる。
「そろそろ、終わりにするか」
「ええ、そうね」
瞬間、二人の剣が離れ、再び交わり始める。舞うようなその動きは、今までで最も苛烈で、最も優美。なおも速度は落ちることなく、天井知らずに上がっていく。
高速で行われる攻防の中で、二人はこれまでにない充実感を感じていた。ただ、たこ焼きを奪い合う。それだけのことなのに、得たものはそれ以上だった。
だが、終わりが近いこともまた、二人は感じ取っていた。それは、理性でも、はたまた本能でもない。いうなれば神の啓示。脅迫観念めいた考えが、二人の中には存在していた。
終わり。ただそれに向かって、二人は剣を交え続ける。
そして、その時はやって来た。
幾重にも渡るやり取り。その中で、宗太の払いが命中した。それを受けたみすずは、ムーン・ソーンを引き戻す。
しかし、それがわずかに遅かった。そのわずかな遅れでさえ、勝機を掴むには十分。宗太は全力で、たこ焼きを貫かんと突きを放つ。
「万象流転し全て消ゆ。根源よ。母たる炎よ。原初の力を、我のこの手に!」
炎龍爪が、走る。
「焔爪剛天撃!」
炎のオーラを纏い、炎龍爪が翔ぶ。その一撃は、確かに宗太の最強の攻撃だった。
だが、みすずも、たこ焼きへの思いを失ってはいなかった。彼女もまた、突きを放たんと構える。
「夜の女神、月の光。風の乙女、吹き抜ける風。鋭さにおいて他になし。速さにおいて他になし」
狙いを、定める。
「貫け! ナイトロード・シルフィード!」
速い一撃を得意とするみすずは、詠唱の遅れなどゼロに戻す。風の加護を受け、ムーン・ソーンは突撃する。
「うおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!」
「たぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
力を振り絞った互いの一撃。炎龍爪とムーン・ソーン。二つの剣が、たこ焼きへと迫っていく。
次の瞬間、二つの剣は、ほぼ同時にたこ焼きへと到着していた。
たこ焼きに触れる剣先。しかし、ソースでコーティングされた表面は、簡単に突き刺されることを良しとしない。
そのまま剣先は表面を滑り、たこ焼きの下部分へと突撃していく。勢いはそのままに。
結果、どうなるか。
たこ焼きは、高く、高く、宙を舞っていた。
両方向からの圧力により、空を目指したたこ焼き。しかし現実は残酷だ。重力は、たこ焼きを再び地面へと引きずり下ろす。
落ちてくるたこ焼きを、二人は見据える。これが正真正銘最後になる。落ちてくるたこ焼きを貫いた方が、勝者となるのだ。
体感時間が引き伸ばされ、スローモーションのような世界。二人は爪楊枝を構え、たこ焼きへと、勝利へと手を伸ばす。
一瞬の後、たこ焼きには、一本の爪楊枝が刺さっていた。
◆
勝ったのは、みすずだった。彼女の愛剣、ムーン・ソーンには、しっかりとたこ焼きがしがみついている。
紛うことなき勝者だった。
「ふふ、あたしの勝ちね」
「そ、そんな……」
一方、宗太は、勝負の結果に茫然としている。その手から、炎龍爪が落ちた。
がっくりとうなだれる宗太をよそに、みすずはご満悦の様子である。かつてないほどのニコニコ顔で、密かにファンがいるのも納得の笑顔だった。
「さてと、じゃあいただきまー……」
宗太を見る。いやでも目に入る。宗太は燃え尽きていた。むしろ灰だった。真っ白だった。
食べるのは勝者の特権だ。それは、厳しい戦いを耐え抜いた神からの褒美でもある。故に敗者に遠慮する必要などない。ないのだが……。
「……そんなに食べたかった?」
「はは、俺は負けたんだ……。気にせず食えよ……」
「そんな顔されると、食べるに食べられないんだけど」
「はは……、ははは…………」
少し、いや、かなりヤバイ状態に入っていた。たかがたこ焼き。されどたこ焼き。他人から見たらどうでもいいものでも、本人からしたら大事な物だったということが往々にしてある。それがたこ焼きであったというなら、少々貧乏臭いが。
「も、もう。しょうがないなあ」
宗太の状況を見かねたのか、みすずが口を開く。仕方なしに、宗太にたこ焼きを与えることに決めたようだった。敗者に施しを与えるのもまた、勝者の務めである。
ううん、と咳をするみすず。その姿は、少し所在なさげであり、どこかもじもじしている。落ち着きがない。目が泳いでいる。
しかし、そんなみすずの様子にも、宗太が気づくことはない。灰となった彼に気付けるはずもない。目からハイライトが失われた彼は虚空を見つめ、虚ろに笑うだけである。
そんな宗太の様子をちらちらと、だがしっかりと見つめた後、みすずは行動を起こした。いかにも仕方なく、といった感じを演じながら。
みすずは頬を染め、少し視線を外しながら、たこ焼きを突出して言葉を放った。
「は、はい、あーん」