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こころのとびら

作者: 些音 涙依

―他人なんて所詮は他人。


―何も分かっちゃくれない。


―親でさえあたしを分かってくれないんだから…



だから、信じちゃいけないんだ。いくら優しい声で笑いかけてくれたって、本当のあたしを少し見せただけで、その笑顔は崩れてすぐに背を向けてしまうこと、知ってるから。だから…あたしは他人を信じちゃ、いけないんだ。



「貴方は不思議な人ですね。」


行きたくもなかった高校で出会ったその人は、不思議な人だった。いくら冷たい視線を向けても、いくら汚ない言葉を吐いてもにこにこと笑い続けている。外では既に青葉が茂りはじめていて、他のクラスメイトたちとはもう言葉も交わさなくなったというのに、何故かこの男、(やなぎ) 憂璃(ゆうり)だけは相変わらずニッコニコと笑みを浮かべている。他の人の笑みのように好奇心や偽りの優しさが見え隠れするわけでもない、ただ笑っている、という事実だけ。そこには何の感情も読み取れない。

―怖い。少女は初めて他人を怖いと感じた。

「柳くん、あんた怖い。なんであたしに構うの…ほかっておいてよ」

いつもみたいに彼に告げるもこんな言葉が届くはずもないことは承知の上だ。きっと首を傾げたあと、言うんだろう。貴方は不思議な人ですね、って。


「貴方は不思議な人ですね。」


毎日こんなやりとりをする。柳はクラスで浮いていた、少女のようにクラスに"いないこと"になっているのではなく、孤高の存在のように扱われていた。彼の噂は嫌でも耳に入ってくる。二位との圧倒的差での学年トップの成績、何かスポーツをやらせれば誰も彼にたちうち出来ない。しかもいつもニコニコした笑顔をはりつけた顔はかなり整っている。とにかくある意味完璧な奴なのだ、柳憂璃という男は。だが柳はあまり人と話さない、というよりも柳が少女以外と話すことはほとんどない。話し掛けられたら言葉少なにポツリと返事をする程度だ。




御瑠璃(みるり)。」

クラスで初めて名前を呼ばれたのは夏休みの前日だった。高くもなく低くもない耳に心地よい高さの声。耳に入ったあとふわりと広がる甘い響きに人嫌いの少女でさえ、ほんの一瞬酔いしれて自分の名前が何かとても美しい、大切なものみたいに聞こえた。だが、誰の声だったろう、クラスに自分を名前で呼ぶ人などいなかったはず、だがよく聞いたことのある声のような気もした。

「どうしましたか。そんなにコロコロと表情を変えて、貴方らしくないですよ。」

声の持ち主はすぐ隣にいた、いや毎日そこにいて、唯一少女が言葉を交わすクラスメイト、柳憂璃だった。

「どうして急に名前で呼んでるのよ。それに柳くん、そんなに長く喋れたのね。」

皮肉を込めてみるも、万能柳はいつものように首を傾げると、そうでしたかと言いながらニコニコとしていた。その返事が名前で呼んだことへの答えなのか、長く喋れたことに対する返事なのかは分からないが少女はそれ以上会話を続ける気もなく窓の外に目をやった。

「御瑠璃。窓の外に何かあるのですか?いつも外を見ていますね。」

ガタン、と音がして少女のすぐ隣、腕が触れる程の近さに柳が立つ。クラス中が静かになった。皆が少女と少年の言葉に耳をすませる。

少女は答える。

「別に何もないわ。ただ人を見ているよりは景色を見ていたほうが有意義なだけよ。」

少年は首を傾げる。

「そうですか?人間を見るのは面白いですよ。大抵の人間は何を考えているかすぐ分かる、他人である僕にも分かるのに本人たちはそれに気付かないで笑ったり、泣いたり、怒ったりする。」

少女は心に浮かんだことをそのまま、ストレートに告げる。

「あんた、性格悪いね。」

少年は渇いた笑いを響かせると

「だけど御瑠璃、貴方のことは全く分かりません。だから…」

少女の中で何かが揺れた、この男とこれ以上話してはいけないと、心のどこかが警告している。言葉の続きを聞いたら、全てが壊れてしまいそうな気がした。そんな御瑠璃をチラリと見、柳はまた笑う。

「初めて御瑠璃が分かりました。今、焦りましたね。」

感情が全く読めない笑顔で。御瑠璃、御瑠璃と繰り返す目の前の少年から逃げたい、そう思った少女は鞄も持たずに教室を飛び出す。

学校から1キロ程離れた公園の木陰に腰を下ろした少女が、長い息を漏らしたと同時に、

「本当に御瑠璃は外が好きなんですねぇ」

真後ろの木にもたれかかる男が呟いた。ビクリと身を震わせてその存在を確認した少女はため息をついた。何でついてきたの、そう男に問う。男は不思議そうに首を傾げて唐突にその言葉を吐いた。


「御瑠璃と一緒にいたいから、ですよ。」


少女の身体が強ばる。それを知ってか知らずか、男は続ける。


「周りの人間は、僕が少し人より優れていると知ると僕に媚びを売り、僕を利用しようとしました。僕がそれを避けて、会話をしないようにすると、今度は人間は僕を褒めるようになりました。けれど意識的に心を閉ざした僕にはそれらは何の意味もありませんでした。ただ彼らを観察してたいていの感情は読めるようになりました。何もかもが分かってしまう、こんなにつまらないことがあるでしょうか。」


少女が少しだけ耳をそばだてた。"心を閉ざした"のは彼女も同じだから。少年の言葉はまだ続く。


「高校に入って、初めて会うタイプの人間がいました。僕を見ようとしない、感情が読めない人。初めて他人に興味を持ちました。もう話したくないと思っていた他人と話したいと思い、話したら分かると思ったのに何も分からない、毎日毎日その人と話すのが楽しくなっている自分がいました。御瑠璃、貴方はとても僕と似ています。どうして貴方が心を閉じてしまったのかは分かりません。でも」


「他人なんて所詮は他人、何も分かっちゃくれない。親でさえあたしを分かってくれないんだから…だから、信じちゃいけないんだ。いくら優しい声で笑いかけてくれたって、本当のあたしを少し見せただけで、その笑顔は崩れてすぐに背を向けてしまうこと、知ってるから。だから…あたしは他人を信じちゃ、いけないんだ。」


少年の言葉を遮って、少女の口から言葉が溢れた。誰にも、親にも言ったことがない心の内、何故だか柳になら言ってもいい気がした。言った途端に少女をせき止めていた何かが音をたてて崩れていくのが分かった。心を閉じたときから見なかった涙が大きな粒となって少女の目から溢れ続ける。

「柳くんは、心を閉ざしたあたしに興味を持ったんだよね。ならもう、あたしに興味はないよね…」

辛そうに言葉を吐き出し続ける少女を暫く見つめていた柳はそっと少女に近づいた。そして驚く少女の肩を抱き寄せると優しく、でもしっかりと抱き留めた。身体を強張らせて、でも少年の腕の中から無理に逃れようとはしない少女の耳元で少年は静かに囁く。


「それは違いますよ、御瑠璃。僕が惹かれたのは心を閉ざした貴方じゃありません。」


―じゃあ何に?


「僕が初めて好きになった少女は、寂しがり屋で脆くてそれでも精一杯生きようと強がってる、そんな誰よりも健気な少女ですよ。」


少女が少年を見上げた。その瞳には不安が渦巻いている。信じていいの、と迷っている少女を抱き締める腕に力がこもる。


「大好きです、御瑠璃。僕を、信じてください。決して、貴方を裏切ったりしませんから。」


少女がこくりと頷いた。何に頷いたのだろうか、少年を信じるということか、それとも自分の中で何かに蹴りをつけたのか。少年はいつものニコニコした張り付けた笑顔ではない、本物の笑顔を見せた。少女は、長い間弛ませていなかった頬をそっと弛ませて綺麗な笑みを見せた。


「あたし、柳くんを信じるよ。」


少女、夢時(ゆめじ) 御瑠璃(みるり)はしっかりとそう言い、少年を見上げた。


「そうですか。御瑠璃、愛していますよ。」


そう言って柳 憂璃は少女の唇に自らの唇をそっと重ねた。

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― 新着の感想 ―
[一言] うひょー! めっちゃえぇ話やん!! 心を閉ざしとったお2人はんが惹かれ合って心を開き合う・・・むっちゃ素敵な話や!!
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