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1. 毒婦の証明、いただきます

 シャンデリアの光の下、婚約者さまが朗々と宣言なさった。


「ヴィオラ・アッシェンフェルト嬢! 今宵この場で、貴様の正体を暴いてみせる!」


 ……眠い。


 夜会というものは、どうしてこう、眠気と正面から喧嘩する時間に開かれるのだろう? 蜜蝋燭の熱で空気は重く、香水は濃く、貴族の皆さまの笑い声は甲高い。磨き抜かれた床は歩くたびつるつる滑って、居眠りにも向かない。壁際で三度目のあくびを噛み殺していた私を、よりにもよって大広間の中央へ引きずり出したのが、この婚約者さま――ローデン伯爵家のユリウス様である。楽団の演奏が、つまずくように止まった。大広間中の視線が、一斉にこちらへ集まってくる。視線というものは、数が集まると重さを持つらしい。おかげで眠気が、三割ほど引っ込んだ。


 磨き抜かれた床に、所在なげな女がひとり映っている。低い位置でゆるくひとつに結んだ、長い銀灰の髪。長いまつ毛の下で半分しか開いていない、菫色の目。夜会の宝石の群れに置くには、我ながら色の薄い女である。毒婦と呼ぶには、どう見ても寝起きの顔だ。


 婚約者のユリウスを見れば――――念入りに巻いた金髪、流行りの襟飾り、指という指に嵌まった指輪。そのうち二つがガラス玉であることを、私は知っている。見栄えは良いのに、見栄で全部を台無しにしていく人だ。


「皆様、ご存じだろうか。この女、幼き頃より『何を口にしても平気』という、まことに薄気味悪い体質でな」


 ざわ、と扇の波が揺れた。


 事実である。八つの頃、庭の毒百合を活けた水をうっかり飲んで、青ざめる庭師の前でおかわりを所望した。腐りかけの果実も、渋の強い薬草も、私のお腹は文句ひとつ言ったことがない。おかげで社交界での二つ名は「悪食令嬢」。呼び名の趣味はともかく、中身は事実なので、反論はしない。


「そこでだ。ここに一杯の茶がある。――さあ飲め、ヴィオラ! これを平然と飲み干せたなら、貴様が人ならざる毒婦である証明! 婚約破棄の、動かぬ理由となろう!」


 差し出された茶器から、湯気がゆらりと立つ。取り巻きの令息たちがにやにやと囃し、ご婦人方は扇の陰で息を呑む。当のユリウス様のこめかみには、灯りのせいにしては多すぎる汗が浮いていた。


 ……なるほど? つまりこのお茶には、何かが入っている。飲んで無事なら毒婦、倒れたら倒れたで構わない、という寸法らしい。相変わらず、企みの設計が雑である。


「ユリウス様。一つだけ伺いますが」


「な、なんだ」


「これを飲んだら、婚約は破棄していただけるのですね?」


「……は?」


「破棄、していただけるのですね?」


 念押しは大事だ。私はお返事を待たずに、いただくことにした。


 一口。――舌の上で、世界がきちんと形を結ぶ。


 霧のかかった景色の中に、そこだけ輪郭のはっきりした絵が、ゆっくり浮かび上がってくる。私にとって毒の味とは、そういうものである。えぐみの底に、痺れを装った甘さ。根を乾かして、粗く刻んだ粉。ああ、これは。


「兜草ですね」


「なっ……」


「王都より北の、日陰の斜面で採れた株です。乾燥が甘くて、水気が残っています。刻みも粗い。……買った物ではなく、ご自分で干しましたね? 素人の仕事です」


 ごく、ごく、と残りも全部飲み干して、茶器を置いた。会場が、水を打ったように静かになる。


 まぶたが、自然と持ち上がっていた。毒の構造を読み解いている間だけ、私の眠気はどこかへ行ってしまう。我ながら、現金な目である。


「ば、化け物め……!」


「いま皆さまの前で、婚約者の茶に兜草を盛ったと自白なさいました」


 静けさが、別の種類のざわめきに変わった。扇の陰のひそひそ声が、今度はユリウス様のほうへ矛先を変えていく。「ご自分で干した、ですって」「まあ、あの指輪……ガラスですわよ、あれ」。一度ほどけた噂というのは、糸口とは関係のない所まで、勝手にほどけていくものらしい。毒を盛られて生きている女より、夜会で毒を盛る男のほうが、社交界的には問題である。当然だ。


「き、気味が悪い! やはり貴様は毒婦だ! 婚約は破棄だ、破棄!」


「はい。承りました」


 言質も、確かにいただいた。ありがたいことである。


 ――その晩のうちに、実家の侯爵家からも使いが来た。顔なじみの執事が、目を合わせられないまま、父の言葉を書き付けた紙を差し出してくる。曰く、家名に泥を塗った、当分顔を見せるな、と。伝言を紙にするあたり、声に出して言う勇気もなかったらしい。泥を塗ったのはどちらかという議論は、あくびと一緒に呑み込んでおく。悲しいかと聞かれれば、たぶん、否である。あの屋敷で私の皿だけ遠巻きにされる晩餐より、一人の夜道のほうが、よほど呼吸がしやすい。


 いつかはこうなるとは覚悟していた。ついにその時がやってきただけである。


 荷物は鞄一つ。屋敷を出る夜道は静かで、月が明るくて、石畳が冷たくて、少しだけ寝付きの良さそうな夜だった。途中、夜商いの粥屋の湯気とすれ違って、お腹が正直に鳴る。騒ぎのせいで、晩餐を食べ損ねていた。毒入りの茶が今夜の最後の一杯というのは、締めくくりとして、いささか渋い。


 辻の掲示板の前で、足が止まる。


『王宮毒見役、大募集(急募・前任者殉職ニツキ) 三食・寝床ツキ』


 ……三食。寝床。昼寝は、職務の隙を見て確保すればいい。



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