第五回:宋の太祖、後事を遺嘱し 潘仁美、計を以て英雄を逐う
「太行の猛き風、懐州を囲む ~呼延賛、雪辱の進軍~」
太行山下戦雲深 万馬千軍擁古陰 一点腥紅旗影動 鉄鞭怒気砕千金
太行山下 戦雲深く 万馬千軍 古陰を擁す 一点の腥紅 旗影動き 鉄鞭の怒気 千金を砕く
太行山の麓には、戦の気配を孕んだ雲が重く垂れ込め、 数万の軍馬と兵士が、古き懐州城を影のように包囲している。 モノクロームの世界で、ただ一点、赤黒い軍旗だけが風に翻り、 呼延賛の鉄鞭に込められた凄まじい怒りは、堅牢な城門(千金)さえも粉砕するだろう。
【しおの】
宋の太祖・趙匡胤は、遠征の旅路より京師(都)へと凱旋したものの、途上にて猛暑にさらされ、以来、宮中にあって病を養う身となっていた。幾日過ぎても政務を執ることはかなわず、季節が冬十月を迎える頃には、病魔はいよいよ重くのしかかり、もはや名医の手も届かぬ状態に陥った。
死期を悟った太祖は、亡き母后の遺命をたとい、弟である晋王・趙光義を枕元へと召して、国家の後事を託したのである。
「光義よ、お前のその堂々たる容貌、龍が闊歩し虎が往くごとき歩みを見るに、いずれ天下泰平の世を築き上げる名君となるに違いない。だが、我が子・徳昭の行く末、くれぐれも頼んだぞ。
そして、私が生涯をかけて成し得なかった三つの悲願、これを必ずやお前が継いでくれ。
第一に、河東の地はいまだ平定されていない。必ずこれを奪取せよ。
第二に、太行山に拠る豪傑、呼延賛を召し抱えること。
第三に、楊業父子を重用することだ。彼らはいま北漢に仕えているが、趙遂なる者を通じて誼を結べば、必ずや我らになびくであろう。彼らとて中原の栄華を望んでいるゆえ、金水河のほとりに『無佞宅』という屋敷を建てて彼らを迎え入れ、その意向を山後に知らしめれば、疑うことなく帰順するはずだ。
それからもう一つ。私はかつて五台山にて祈願をした際、国家多難ゆえに果たせぬままとなっている『醮』の礼がある。世が定まった暁には、私に代わってその願いを果たしてくれ。これらのこと、決して忘れるでないぞ」
光義は恭しく拝し、命を請けた。太祖はさらに息子の徳昭を近くへ呼び寄せ、こう言い聞かせた。
「君主たる道は容易なものではない。今、位を叔父の晋王に譲るのは、お前の労苦を代わってもらうがためだ。この金簡(きんかん・黄金の割符)をお前に授けよう。もし朝廷に君側を蝕む不正な臣下があらば、これを用いて断罪することを許す」
徳昭は涙をこらえて答えた。
「父上のご命令、どうして忘れましょうか」
遺言を語り終えた太祖は、最後に大声で晋王へと言った。
「あとは、頼んだぞ」
その一言を残し、間もなく太祖・趙匡胤は崩御した。在位十七年、享年五十歳であった。
後世の人は、一代の英雄の最期と新たな時代の幕開けを、次のように詠じている。
陳橋の地に帝星の輝きありてより、宋の運命は暁光のごとく開かれた。
矛先の指すところ狼煙は消え、兵馬の駆けるところ天地は清く澄み渡る。
雪の夜、国を謀る賢士を訪ね、一杯の酒をもって建国の功臣らの兵権を解く。
ひたすらに征戦を思う一念は天下を安んじ、四海の民はこぞって太平の世を仰ぎ見るのであった。
時刻は四更(午前二時頃)、宋后は寝所に晋王の姿を認めて驚愕し、思わず叫んだ。
「私と徳昭の命は、今や陛下の手の中にあります」
晋王は涙ながらにこれに答えた。
「何を仰いますか。共に富貴を保ちましょう、ご心配には及びませぬ」
翌日、晋王・光義は即位し、名を霊と改め、太宗皇帝となった。群臣百官の朝賀を受けた後、宋后を「開宝皇后」として西宮に移し、天下に大赦を下して新帝の徳を示したのである。
太宗は即位するや否や、将帥の登用を急務とした。符彦卿や馬全義といった先代の名将は既に鬼籍に入っていたからである。ある日、太宗は群臣に向かって諮った。
「河東、遼、夏は皆、我が国の仇敵である。先帝は臨終の際、太行山の李建忠と呼延賛、この両名将を召し抱えるよう遺言された。朕は詔を下し、彼らを召し出そうと思う」
これに対し、楊光美が進み出て奏上した。
「李建忠らは、既に先帝より封爵を受けております。彼らを召し出し、帥職に任じるのが相応かと存じます。陛下が河東を下そうとなされるならば、彼らは必ずや抜群の功を立てることでしょう」
太宗はこの言を是とし、即日、高瓊を使者として太行山へ派遣し、彼らを召聘することとした。
高瓊は詔を携えて山塞に到着し、帝の宣旨を伝えた。
「朕は即位し、天下の将帥を求めている。河東はいまだ平定されず、国境には警報の烽火が絶えぬ。今、勇猛な士を募り、征討の軍を起こさんと欲す。聞くところによれば、太行山の李建忠、呼延賛は弓馬に優れ、武芸絶倫、配下の兵も精強にして数千を下らぬという。朕は先帝の遺命を受け、かつて封授を約束しながら、未だ正式な勅命を下していなかったことを心苦しく思うていた。そこで親臣・高瓊を遣わし、詔を伝えるものである。卿ら、命を受け次第、速やかに参内せよ。朕の期待を裏切るな」
李建忠らは詔を拝受し、高瓊を帳幕に招き入れた。高瓊は言った。
「主上は両将軍の名声を慕い、下官を遣わして速やかなる参内を促しておられます。お二人は詔に従い、どうかご同行くだされ」
李建忠はこれに答えて言った。
「君命を聞いて、どうして背くことがありましょう。しかしながら、この地は河東と接しており、もし全軍で山を降り参内すれば、敵に乗じられて長年守ってきた砦を奪われる恐れがあります。そこで一計を案じました。呼延賛には詔に従って先に参内させ、私はここに留まって聖駕(せいが・天子のご一行)が河東に下るのを待ち、その時に合流して共に戦うというのはいかがでしょうか」
高瓊はその言葉にも一理あると同意した。
翌日、呼延賛は妻の馬氏と部下二千人を引き連れ、義兄と仰ぐ李建忠に別れを告げて太行山を出発し、数日の行程を経て都・汴京に到着した。高瓊は呼延賛を伴い太宗に謁見し、李建忠が砦に残った事情をつぶさに報告した。
太宗は呼延賛を殿上に呼び寄せたが、その姿を見るなり感嘆の声を漏らした。なんという魁偉な体躯、そしてあたりを払うような凛々しい風貌であろうか。
呼延賛が退出した後、高瓊は再び奏上した。
「新将が初めて参りましたので、陛下より屋敷を賜り、彼らの帰順の意を慰められますよう」
太宗は群臣を見回し尋ねた。
「城近くに壮麗な場所はあるか? そこを整備して呼延賛の住居とせよ」
その時、一人の男が進み出て奏上した。奸臣として悪名高い潘仁美であった。
「臣が調べましたところ、汴城の東郭門に『皇府』という屋敷がございます。元は龍猛寨であった場所で、そこだけが広大で、現在精兵一千が守っております。居住には最適かと」
太宗は事情を知らずその奏上を許可し、即座に呼延賛へ皇府を賜る旨の勅命を下した。呼延賛は喜び勇んで命を受けた。
翌日、呼延賛は部下と妻・馬氏を連れて東郭門を出て皇府に到着したが、その有様を見て愕然とした。そこは名のばかりの屋敷、実態は荒れ果てた廃屋であったのだ。
回廊は崩れ落ち、中堂は傾き、庭には背丈ほどの雑草が生い茂り、至る所に蜘蛛の巣が張っている。さらに、守備兵とされる五百人も皆、役に立ちそうもない老弱の兵ばかりであった。
呼延賛は、己に対する侮辱に顔色を変え、不満を露わにした。
妻の馬氏は、夫を懸命に宥めた。
「将軍、お怒りをお鎮めください。ここは一時的な仮住まいに過ぎません。聖上が河東へ出兵なされば、すぐにここを離れることになりましょう。短気は損気でございます」
呼延賛はその理に従い、怒りを腹に収めると、とりあえず軍卒に命じて掃除をさせ、人が住めるように整えさせた。そして翌日からは、かえって奮起して部下に軍事訓練を課し、毎日教練場へ出ては厳しい修練を行わせた。
一方、潘仁美は密偵を放って呼延賛の動向を逐一探らせていた。密偵は報告した。
「呼延賛は屋敷の荒廃を気にする様子もなく、日夜軍務に励み、部下の規律も氷のごとく厳正で、勝手に城内へ入って民を擾乱させるようなことは微塵もありません」
この報告を聞き、潘仁美は独りごちた。
「こやつ……放っておけばいずれ大物になり、儂の脅威となるに違いない」
そこで彼は、早いうちに呼延賛を排除せんと悪計を巡らせ、腹心の劉旺と密談した。
劉旺は小狡い笑みを浮かべて言った。
「たやすいことです。彼は新参者で、まだ朝廷での地位も固まっておりません。三日後には必ず着任の挨拶に来るでしょう。その時、適当な因縁をつけて痛めつければ、誇り高い彼のこと、辱めに耐えかねて必ず逃げ出すに違いありません。わざわざ手を下して追い出す手間も省けましょう」
潘仁美は大いに喜び、「それぞ妙案」と膝を打ち、直ちに部下に命じて刑具の準備をさせた。
四日目、呼延賛が挨拶に来たとの報が入った。潘仁美はこれを通させた。呼延賛は階下に進み出て、うやうやしく拝礼した。
「小将、枢密使殿のお引き立てにより、この度朝廷に仕えること相成りました。誠心誠意、陛下に忠義を尽くし、先帝の知遇の恩に報いる所存でございます」
潘仁美はしばらくじっと呼延賛を見下ろしていたが、やがて冷ややかに口を開いた。
「お前は、先王の定めた掟を知っているか?」
「小将、山野より参じた新参者ゆえ、存じ上げません」
「ふん、無知とは恐ろしいものよ。先王の遺言にはこうある。『山賊風情が帰順した場合は、その野生を挫くため、殺威棒にて百叩きの刑に処し、後々の戒めとせよ』とな。お前も例外ではない」
呼延賛は驚愕し、我が耳を疑って言葉を失った。潘仁美はその隙を与えず、部下に命じて刑を執行させた。
左右の屈強な男たちが呼延賛を取り押さえ、階下に押し倒すと、殺威棒を振り上げ、百回にわたり激しく打ち据えた。哀れにも呼延賛の強靭な背中の皮は裂け、肉は飛び散り、鮮血が階に迸った。あまりの凄惨な光景に、居合わせた者たちは皆、目を背けた。潘仁美は刑が終わると、府門の外に待機していた従者に命じ、布切れのようになった呼延賛を速やかに連れ去らせた。
呼延賛が屋敷に戻ると、出迎えた馬氏は夫の異変に悲鳴を上げた。呼延賛の顔は土気色で、足取りもおぼつかない。
「あなた、どうなさいました!?」
呼延賛は息も絶え絶えに、理不尽な殺威棒の一件を語った。馬氏は涙をのんで言った。
「それが先帝の遺言というならば、今は従うほかありません。将軍、どうか、どうかご辛抱ください」
そう言って、気付けのためにと温かい酒を勧めた。呼延賛は拷問による乾きもあり、杯を受け取って一気に飲み干した。
ところが、杯を置く間もなく彼は「ぐわっ」と大声を上げ、そのまま床に倒れ伏して意識を失ってしまった。馬氏は仰天し、狼狽して懸命に介抱したが、夫は一向に目を覚まさない。彼女は絶望し、泣き叫んだ。
「私たちはただ純粋な心で、朝廷に忠義を尽くそうとしただけなのに……まさか、このような理不尽な死を迎えることになるなんて!」
その時である。屋敷の隅から一人の老兵が音もなく進み出て言った。
「奥様、お泣きにならないでください。私が将軍をお救いしてみせます」
馬氏は藁にもすがる思いで顔を上げた。
「もし助けてくださるなら、生まれ変わった親とも仰ぎましょう」
老兵は重々しく語った。
「これは、将軍が打たれた杖に毒が塗ってあったのです。毒が傷口から入り込んだところへ、熱い酒を飲んだことで血流が巡り、毒が全身に回って気絶されたのです。解毒の霊薬を飲ませれば、すぐに目覚めましょう」
「そのような薬があるのなら、一刻も早く飲ませてください。恩返しは必ずいたします」
老兵は懐から丸薬を取り出し、水で溶いて呼延賛の口へ慎重に流し込んだ。薬効は劇的であった。間もなく呼延賛は呻き声を上げ、次第に意識を取り戻したのである。屋敷の者たちは歓喜に沸いた。
蘇生した呼延賛は、老兵を見つめて尋ねた。
「老翁、この妙薬、いかにして手に入れたのだ?」
「手前もかつて、仇に毒杖で打たれ死の淵をさまよいました。その際、通りがかりの道士様に救われ、余ったこの薬を授かったのです」
呼延賛は礼として白金を贈ろうとしたが、老兵は首を横に振り、固辞して言った。
「将軍。貴方様がこのような廃屋に住まわされたのも、すべて潘仁美の陰謀です。先ほどの毒杖も、間違いなく奴の仕業。早くここを立ち去らなければ、次は確実に命を落とすことになりましょう」
真相を悟った呼延賛の胸中には、烈火のごとき怒りが込み上げた。
「おのれ潘仁美……かかる奸臣が国を牛耳っていては、我々はどうして身を立てられようか!」
彼は即座に部下に命じて荷物をまとめさせ、その夜のうちに馬氏と共に汴京を脱出、太行山へと逃げ帰った。そして夜明けと共に、懐かしき砦の外へと到着したのである。
小卒の報告を聞いた李建忠は、まさかと耳を疑った。砦の外に出て確認すると、果たして満身創痍の呼延賛の姿があった。共に砦に入り、なぜ帰還したのかその理由を問うた。
呼延賛は、潘仁美による毒杖の仕打ちと陰謀の一部始終を、血を吐く思いで語った。
李建忠は卓を叩いて激怒した。
「あの賊徒め! かつてお前が奴の息子を殺したことを恨みに思い、こんな卑劣な罠を仕掛けたに違いない。今はここで守りを固め、聖駕が再び河東へ下るのを待とうではないか。その時こそ、あの匹夫を捕らえ、八つ裂きにしてくれよう」
呼延賛も強く頷き同意した。李建忠は傷ついた義弟を慰めるため、酒宴を開いた。
宴もたけなわの頃、ふと山麓に一隊の人馬が到着したとの急報が入った。李建忠が手勢を率いて出迎えると、それは盟友である耿忠と耿亮の兄弟であった。李建忠は喜色満面で言った。
「賢兄らをお招きしようと思っていたところへ、自らお越しくださるとは! これほど嬉しいことはありません」
彼らを帳幕に招き入れ、酒を酌み交わした。席上、耿忠がふと尋ねた。
「ところで賢弟(呼延賛)殿は朝廷に召されたと聞きましたが、なぜここに居られるのか?」
李建忠は苦渋の表情で答えた。
「話せば長くなります。弟は忠義を尽くそうと参内しましたが、かの奸臣・潘仁美が私怨を抱き、弟を陥れようとしたのです」
そして事の顛末をありのままに語った。義侠心に厚い耿忠は、これを聞いて髭を震わせて激怒した。
「なんと嘆かわしい! 賢弟、ここには今どれほどの兵がいる?」
「およそ八千といったところです」
「私に二千貸してくれぬか。呼延賛と共に懐州城を包囲し、強硬に上奏して潘仁美の奸計を天下に暴き、甥(呼延賛)の晴らせぬ無実を晴らしてやろうではないか」
李建忠はその壮図に賛成し、即日精兵二千を割いて耿忠、呼延賛らに授けた。彼らは意気軒昂と懐州府に進軍し、瞬く間に城郭を包囲した。
城下には鉦や太鼓の音が轟き渡り、鬨の声は天を衝く。城内の人々は恐怖に慄いた。
時の懐州知州・張廷臣は事態を知り、慌てて城楼に登って様子を伺った。眼下には、耿忠らが威風堂々と叫んでいる姿が見えた。張廷臣は声を張り上げた。
「お前たちはなぜ城を包囲するのか? なんのつもりだ!」
耿忠は馬上より大音声で答えた。
「我々は城を略奪に来たのではない。ただ、甥の無実の罪を雪ぐために参ったのだ!」
張廷臣は事情が飲み込めず問い返した。
「何の冤罪だというのだ?」
「先日、太行山の呼延賛は朝廷の詔を受けて参内したが、奸臣・潘仁美に陥れられ、嘘の掟をでっち上げられて殺威棒百叩きの極刑を受けたのだ。命からがら山へ逃げ帰ったが、朝廷はこの事情を知らず、呼延賛に逃亡の罪を着せているであろう。
我々は兵を率いてここに迫り、州主殿を通じてこの真実を天子に上奏していただき、君側の奸臣を除いて忠義を尽くしたいと願っているのだ!」
張廷臣はその理路整然とした訴えに心を動かされ、彼らを諭した。
「そういう事情があるなら、まずは兵を退きなさい。民を無闇に驚かせてはいけない。私がすぐに上奏文をしたため、必ずや朝廷から再び召喚の命が下るように取り計らおう」
耿忠はこれに納得し、兵を城から二十里(約十キロ)後方へと退かせ、そこに陣を張って沙汰を待つこととしたのである。
【帝の代替わりと、新たなる英雄の受難】
太祖の死と遺言: 宋の建国者・太祖が崩御。弟の太宗が即位します。太祖は遺言で「楊業一族を味方につけろ」「太行山の豪傑・呼延賛を召し抱えろ」と言い残しました。
英雄の招集: 新皇帝・太宗は、遺言通り太行山の呼延賛を都に招きます。呼延賛は忠誠を誓って勇んでやってきますが、そこで待っていたのは都会の冷酷な政治でした。
奸臣の罠: 宮廷の有力者で意地悪な大臣・潘仁美は、粗野な呼延賛を嫌い、幽霊屋敷のようなボロ屋を与えます。さらに「新参者の儀式」と嘘をつき、猛毒を塗った棒で彼を拷問します。
逃走と反撃: 呼延賛は死にかけますが、不思議な老人の薬で復活。激怒して山へ逃げ帰り、仲間とともに「無実の罪を晴らす」という大義名分を掲げ、抗議のために軍を率いて城を包囲します。
これは「純粋な忠誠心」と「腐敗した既得権益」の衝突です。
政治と階級社会の断絶(都 vs 地方)
背景: 宋という国は文官(役人)を優遇した社会です。潘仁美のような都会の貴族(奸臣)は、複雑なマナーや裏工作で国を動かしています。
対比: 一方、呼延賛は地方の「山」出身。彼は儒教的な「忠義」を純粋に信じる素朴な武人です。
意義: 「形式(都のルール)」は、しばしば「実質(地方の純粋な心)」を虐げるという、いつの時代にもある官僚組織の冷たさを風刺しています。
道教的介入: 瀕死の呼延賛を救ったのは、名もなき「老兵(実は仙人のような存在)」でした。これは「地上の政治(潘仁美)」が腐っていても、「天の理(道教的な摂理)」は正義の味方をするという、中国民衆の宗教的願望が反映されています。「神仏は正直な田舎者を見捨てない」という安心感を読者に与えます。
組織の理不尽さ: 張り切って入社(仕官)したのに、理不尽なイジメ(殺威棒)に遭う。これは現代のパワハラ構造と同じです。
対処法: 呼延賛は泣き寝入りせず、仲間(李建忠ら)の元へ戻り、実力行使(包囲)で訴えました。「孤立せず、信頼できるコミュニティに戻って声を上げることの重要性」を教えてくれます。
【斧声燭影】のソフトな隠蔽
史実における太祖の死は「太宗が兄を殺したのではないか?」という疑惑があり、「斧声燭影」と呼ばれる歴史ミステリーです。
今回の小説では、太祖が死の間際に「弟よ、頼むぞ」と円満に後継しています。しかし、皇后(宋后)が震え上がって「命をお助けください」と言うシーンに、わずかにクーデターの恐怖の匂いを残しています。講談師は「公式見解」を守りつつも、観客に「裏のドロドロ」を察させる演出をしているのです。
【殺威棒】のシンボリズム
『水滸伝』でもお馴染みの「殺威棒」。これは単なる刑罰ではなく、「新入りに社会の厳しさ(理不尽さ)を骨髄まで分からせる通過儀礼」です。
呼延賛はここで一度「死」に、不思議な薬で「再生」します。これは神話の英雄によくあるパターンですが、「宮廷という魔境」に染まることを拒絶し、野にある独立心を取り戻すためのイニシエーション(通過儀礼)として機能しています。毒(都の悪意)を体から抜くことで、彼はより強固な反体制のヒーローへと進化するのです。
【潘仁美】という究極のヒール役の完成度
楊家将における潘仁美は、中国文学屈指の悪役です。彼は単に悪いだけでなく、「手続き」や「法(ニセの先王の遺言)」を悪用します。
後に楊業(楊家軍の父)を死に追いやることになる潘仁美の「陰湿な手口」を読者に予習させる回です。「コイツならやりかねない」というヘイト(憎悪)をこの時点で貯金させることで、後の物語のカタルシスを高める巧妙な構成になっています。
国が入れ替わる「マクロな歴史」と、一人の武人がいじめられる「ミクロな悲劇」を交差させることで、「新しい時代(太宗の治世)は波乱含みだぞ」と読者に予感させる、非常にドラマチックな「序章の終わりの始まり」と言える回です。




