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楊家将 〜血と涙の最強一族〜  作者: 光闇居士


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第九回:郭進、大いに耶律沙を破り 劉鈞、敕書して楊業を召す

挿絵(By みてみん)

張り扇をパンッ! と叩き、一拍置いてから、腹の底から響くような声で)

「さァさァ、ご注目ちゅうもくッ! 霧深き古戦場の静寂しじまを破り、砂塵を巻いて現れでたるあの一騎! あれこそは、北漢ほっかんの守護神、泣く子も黙る『楊無敵ようむてき』**こと、楊業・楊令公ようれいこうその人でござるッ!

ご覧じろ! こうべいただくは、日輪にちりんの如き黄金こがねの兜! 身にまとうは、月光をあざむ白銀しろがねの鎧!

よわいは既に六旬ろくじゅんを越え、豊かに蓄えたる顎髭あごひげは、あたかも厳冬のしもの如く真っ白でございますが……ッ! その眼光の鋭さを見よ! 深きしわの奥から放たれるは、千里の野を駆ける老いたる虎の如き殺気! ひとたびそのに射抜かれれば、寄せては返す宋の大軍とて、へびに睨まれたかえるも同然、たちまち足がすくんで動けぬわ!

そして何より、見る者の度肝どぎもを抜くは、その背にひるがえる一領の戦袍せんぽう墨色すみいろに沈む荒野にあって、ただ一点、鮮血の如く燃え盛る『くれない』のマント! これぞ楊家の忠義のあかし! 燃えたぎる闘魂の色でござる!

右に五郎、左に六郎! 麒麟児きりんじらを従えて、白馬の手綱たづなをググッと引き絞り、大刀たいとうを天へとかざせば、 天も震えよ、地も裂けよ! 古今独歩ここんどっぽの老英雄、楊令公の出陣でござるあァ――ッ!!」


【しおの】

北漢の将・敵烈てきれつ耶律沙やりつさの諫言に耳を借さず、軍を率いて横山澗おうざんかんの渓流を渡り始めた。

 だが、軍勢が未だ対岸へ達せぬうちに、突如として正東の方角より一斉に金鼓が打ち鳴らされ、鬨の声が天地を揺るがした。これぞ待ち構えていた郭進かくしん率いる伏兵である。

 郭進は声を張り上げ、敵烈を罵倒した。

「北方の蛮族どもよ、己が死地へ踏み入ったとも知らず、なおも破滅を急ぐか!」

 敵烈も負けじと罵り返す。

「汝ら中原の者どもこそ、連年戦を好み、その強欲は留まるところを知らぬではないか。我が大遼は義によって漢を助けるのだ。早々に兵を退けば、目下の誅殺だけは免れさせてやろう」

 郭進は問答無用とばかりに兵を揮って突撃した。敵烈は大刀を振るってこれを迎え撃つ。二将の馬が交錯し、激しく打ち合うこと二十合余り。勝敗の行方が見えぬ中、渓谷の左手より一彪いっぴょうの軍勢が躍り出た。宋の猛将・呼延賛こえんさんである。

 彼は槍を構えて馬を飛ばし、縦横無尽に遼軍の陣形を衝き破った。敵烈は怒り狂い、二将を相手に力戦して一歩も引こうとしない。

 対岸で戦況を見守っていた耶律沙は、敵烈の形勢危うしと見てとり、急ぎ後軍を督促して渡河させ、救援に向かわせた。すると今度は、南の陣の右翼から高懐德こうかいとくの軍勢が現れ、側面を突いた。

 両軍入り乱れての激戦となり、矢は雨のように降り注ぐ。郭進は勇気を奮って攻め立て、ついに敵烈も支えきれず、包囲を破って敗走した。郭進はこれを逃さず追撃し、手にした大刀を一閃させると、敵烈を斬って渓流の中へと突き落とした。哀れなるかな、北地の英雄も、ついに一場の春の夢と消え果てたのである。

 この好機を逃さず、宋の兵馬は競って進撃した。北軍(遼軍)は大敗を喫し、渓流の中で討たれた者の数は知れず、その死屍は積み重なって川の流れをせき止めるほどであった。

 耶律沙は敗残兵を引き連れ、獣道けものみちを伝って逃走を図った。呼延賛、高懐德は精鋭を率いて執拗にこれを追う。

 耶律沙がいよいよ危急に瀕したその時、山陰から一隊の軍馬が討って出た。遼将・耶律斜軫やりつしゃしんである。蕭太后しょうたいこうは前軍の敗北を懸念し、万一に備えて彼を山裏に伏せさせていたのだが、ここに至って耶律沙の窮地を救うこととなったのである。

 耶律斜軫は軍勢を整えて奮戦し、宋軍を撃退して耶律沙らを保護すると、整然と撤退していった。

 高懐德らは軍を合流させ、太宗皇帝に勝報を送った。太宗は大いに喜び、再び令を下して、軍を晋陽(しんよう・北漢の都)へと進めさせたのである。

 晋陽城中の北漢主・劉鈞りゅうきんは、頼みの綱である遼軍が大敗して逃げ去ったと聞き、驚き恐れて成す術を知らなかった。急ぎ群臣を集めて評議を開く。

 右宰相の郭有儀かくゆうぎが奏上した。

「宋軍の勢いは凄まじく、これを迎撃するのは至難でございます。ここは降伏文書を奉って称臣すべきかと存じます。そうすれば一つには災いを免れ、二つには城内の民百姓を救うことができましょう」

 劉鈞は黙然として答えなかった。降伏の屈辱に耐え難かったのである。

 そこへ中尉の宋斉丘そうせいきゅうが進み出て言った。

「河東の城壁は堅く、堀は深く、精鋭の勇士も数十万を下りませぬ。城を背にして一戦を挑めば、勝敗の行方は未だ定かではありますまい。どうして早々に膝を屈して人に仕えようとなさるのですか? 手前に一人、推挙したい将がおります。この者ならば必ずや敵を破るに足りましょう」

 劉鈞が問う。

「卿は誰を推挙するのか?」

 斉丘は答えた。

「代々幽州ゆうしゅうに住む者で、姓は、名はふうと申します。かつて黄巣こうそうが乱を起こした際、この男の名声を聞いて、賊軍は敢えて州に入らなかったと伝わります。彼は一本の鉄管槍てっかんそうを自在に操り、かの王彦章(おうげんしょう・後梁の猛将)と勇名を等しくしておりました。今は武を捨てて道を学び、嵩山すうざんに隠居しております。年老いたとはいえ、未だ用いるに足りましょう。陛下もし詔を下して彼を元帥として召し出し、兵を率いて宋軍を防がせれば、必ずや万全の功を収めるはずです」

 劉鈞は一筋の光明を見た思いで尋ねた。

「誰に詔を持たせて召すべきか?」

 巻簾将軍けんれんしょうぐん徐重進じょじゅうしんが進み出る。

「臣が詔を奉じて参りましょう」

 劉鈞は即座に命を下し、徐重進を嵩山へと派遣した。

 徐重進は嵩山の麓に到着し、遥か彼方に一軒の茅庵ぼうあんを認めた。庵の門をくぐり、中を密かに窺うと、一人の人物が目に入った。身長は八尺、顔色は黒く、銀の髭を蓄え、石の椅子に端座して経典を読んでいる。

 重進は進み出てゆうをし、恭しく言った。

「ここは馬将軍の草庵ではございませんか?」

 その老人は立ち上がり、問い返した。

「貴殿は何処から来られたのか」

 重進は答えた。

それがしは漢主の命を奉じ、詔を携えて馬道士殿に下山を請いに参りました。願わくば宋軍を撃退していただきたいのです」

 その人は言った。

「貧道こそ馬風ですが、私はすでに年老い、往年の比ではありません。しかし主君より詔を賜った以上、拝受せぬわけにはまいりませぬ」

 そう言うと童子を呼び、香案こうあんを設けさせ、詔を拝受した。

 その後、重進を庵の奥へ招き入れ、主客の席を定めて座ると、馬風は尋ねた。

「宋の君主が兵を挙げて北伐しているとのことだが、敵は誰が大将を務めているのか?」

 重進は答える。

「宋軍には戦慣れした将が多くおりますが、中でも先鋒の呼延賛という者がおり、その英雄ぶりには敵う者がおりません。近頃、関所や州を攻略されたのも、皆この者の力によるものです。今、宋中尉(宋斉丘)が『足下ならば宋軍を防ぎ得る』と推挙され、某を特使として派遣されました。どうか詔を奉じて下山し、我が主君の望みを叶えてください」

 馬風は笑って言った。

「貧道は筋骨も衰え、びんには霜が降り、年もすでに九十に近い。昔日の比ではありません。それに弓馬の道も久しく廃しております。どうしてこの重任に堪えられましょうか。

 聞けば、今、山裏の応州おうしゅう楊令公ようれいこうが兵を擁しているはず。なぜ彼を推挙して敵を退けようとせず、わざわざ私のような老骨を呼びに来られたのか? 公は速やかに戻って王命を復奏し、軍機を誤ることのないようになされよ」

 その言葉には有無を言わせぬ響きがあり、徐重進はそれ以上強く請うこともできず、やむなく馬風に別れを告げた。

 北漢主・劉鈞のもとへ帰還した徐重進は、馬風の言葉をありのままに奏上した。劉鈞は馬風が命に応じなかったと聞き、鬱々として楽しまず、群臣と再び退敵の策を協議した。

 丁貴ていきが進言した。

「事態は切迫しております。陛下、馬風の言にもありました通り、やはり楊令公を召し出して国難を救わせるしかございません」

 劉鈞は難色を示して言った。

「楊家はこれまで何度も出兵して余を助けてくれた。しかし先年、澤州たくしゅうの盟において、彼らは宋軍と講和して帰還し、宋の恩徳を大いに称えていた。寡人かじんは彼らが宋と通じているのではないかと疑い、それゆえ再び召すことを躊躇していたのだ」

 丁貴は重ねて言った。

「陛下が仁義をもって人に接せられれば、楊家父子のような忠義の士が、どうして国を裏切りましょうか」

 劉鈞はこの奏上を容れ、再び使者に敕書ちょくしょを持たせ、山裏の応州へ向かわせた。

 楊令公は使者を迎え入れ、詔書を宣読させた。

、晋陽を守り、謹んで一城を保つ。湯王・武王のごとき徳無きといえども、常に強国に仕える礼を重んじてきた。しかし周の世宗以来、恥辱と仇敵は絶えず、度々侵略の憂き目に遭えり。今、宋君が位を継ぎ、また精兵を率いて城下に長陣す。百姓は死亡の急を抱き、城郭は累卵るいらんの危うきにあり。おもうに汝の父子、忠勤にして命を致す者なり。詔書の到る日、即ち宜しく兵を引いて宮城に赴き、以て国難を救うべし。成功の日には、当に厚い恩賞をわかつべし。故にここに詔示す』

 楊令公は詔を受け取ると、配下の王貴おうきと協議した。

「宋軍が度々河東を侵している。もし救援しなければ、詔に背いた責めを負わねばならぬ。しかし兵を挙げれば、先だって宋と結んだ講和の信義を失うことになる。君はどう考えるか?」

 王貴は断じて言った。

「将軍は河東の守護神です。主君に難があれば救うのが道理、どうして小さな信義にこだわって躊躇なさるのですか?」

 令公はその言をもっともとし、直ちに王貴に応州の留守を任せ、自らは七人の息子たち(注:七郎延嗣を含む)と共に精兵三万を率いて、河東の救援へと出立した。

 その威容たるや凄まじいものであった。

 万馬は南へと勇み、その勢気は天をも焦がすほど雄々しく、無数の旌旗せいきが煌めいて長空をおおい尽くす。

 まさしく「国士の龍をとらうるの策」を頼みとし、「封疆ほうきょうを定むるは一定、頃刻の中にあり」と思わせる行軍であった。

 斥候がこの動きを宋軍の陣営に知らせると、総帥・潘仁美はんじんびは諸将を招集して軍議を開いた。

 高懐德が重々しく進言する。

「楊令公は手強い敵です。周の世宗の御代より、彼と戦って利を得たことは一度もありません。今また彼が兵を挙げて至ったからには、深謀遠慮をもってこれにあたるべきで、決して軽率に攻めてはなりません」

 呼延賛が言った。

「小将も楊家父子が天下無敵であるとは聞いております。まずは私が手勢を率いて先制攻撃を仕掛け、その勢いが如何なるものか見てまいりましょう」

 仁美はその案を許可し、呼延賛に出撃を命じた。賛は騎兵八千を率いて意気揚々と出発した。

 さて、楊令公の軍勢は臥龍坡がりゅうはに到着して陣を張った。そこへ斥候からの報が入る。

「宋軍が十里先で進路を阻んでおります」

 令公は不敵に笑って言った。

「敵の賊徒どもは我が軍の勢いを知らず、自ら敗北を招きに来たか」

 そして軍中に問うた。

「誰か先陣を切る者はおらぬか?」

 言い終わらぬうちに、五男の楊延徳ようえんとくが進み出た。

「不肖、私が参ります」

 令公はこれを許し、精兵五千を与えた。延徳は全身に甲冑をまとい、兵を鼓舞して進んだ。

 両軍が対峙し、陣形が整うと、延徳は大斧おおおのを提げ、馬を飛ばして進み出て大声で叫んだ。

「宋の将軍よ、なぜ速やかに退かぬか! 自ら死を招きたいのか!」

 呼延賛は大いに怒り、

「無名の小将め、今日こそ逃がさんぞ!」

 と叫ぶや、槍を構えて突き進み、延徳に襲いかかった。延徳も斧を舞わせて迎え撃つ。

 二騎が交錯し、激しく打ち合うこと四十合余り、勝負はつかない。賛は馬上で密かに驚嘆した。

(世人は楊家父子を英雄と称するが、果たして虚言ではなかったわ)

 二人はなおも戦おうとしたが、双方の馬が疲労して走れなくなった。延徳が言った。

「馬力が尽きた。明日また勝負しよう」

 南北両軍はそれぞれ兵を収めて陣へ戻った。

 延徳は戻って令公に見え、「宋将と四十合あまり戦いましたが、勝負は決しませんでした」と報告した。

 令公は頷いて言った。

「近頃、宋軍には呼延賛という武芸に優れた者がいると聞くが、まさしくその者であろう。明日はわしが自ら相手をしてくれよう」

 そして軍を進め、宋の陣営から数里の地点に布陣するよう命じた。

 さて、楊家の七男、楊延嗣(ようえんし・七郎)は血気盛んな若武者である。一番手柄を立てようと逸り、父の命を待たずに密かに手勢三千を率いて陣を抜け出し、宋軍への夜襲(劫営)を試みた。

 その頃、潘仁美は郭進、高懐德らと軍中で兵法を論じていたが、ふと灯火が爆ぜて消えた。

 仁美は言った。

「これは楊家の兵が夜襲に来る兆しかもしれぬ。天公が予め知らせてくれたのだ」

 すぐに諸軍に令を下し、弓弩きゅうどを多く配置して不測の事態に備えさせ、決して軽挙妄動せぬよう戒めた。高懐德らは各営に戻って守りを固め、伏兵を配置した。

 楊七郎は、宋軍に備えはあるまいと高をくくり、喊声を上げて攻め込んだ。すると営内から一斉に拍子木の音が響き、伏せていた弓隊から万矢が雨のように降り注いだ。不意を突かれた北兵の死者は数知れず。

 七郎は慌てて馬を返したが、高懐德と郭進の二騎が躍り出て、五里にわたって激しく追撃してきた。七郎は命からがら逃げ帰ったが、兵の大半を失ってしまった。

 令公はこれを知って激怒した。

「軍令にも従わず、多くの人馬を損なうとは何事か! 軍法に照らして斬首に処す!」

 すぐに軍政司(憲兵)に命じて七郎を引き出し、首を刎ねて晒し者にしようとした。

 命令が下るや、牙将の張文進ちょうぶんしんが進み出て言った。

「七将軍に罪はございますが、その志は国のためを思ってのこと。過って損害を出したとはいえ、情状酌量の余地はございます。どうか令公、彼をお赦しください」

 楊令公は厳しい表情を変えず言った。

「父子とはいえ、軍法を私情で曲げることはできぬ。必ず斬る」

 しかし他の諸将も口々に助命を嘆願したため、令公の怒りもようやく少し和らいだ。そこで斬首は免じ、軍政司に命じ、七郎の衣を剥いで裸にし、幕舎の前で杖刑じょうけい四十を加えた。打たれた背中は血肉が飛び散り、見る者は皆、身の縮む思いをした。七郎は這いつくばって罪を謝し、退出した。

 令公は諸将に厳命した。

「我らは到着したばかりだ。軽々しく戦ってはならぬ。数日の間、鋭気を養い、機を見て戦えば、勝てぬことなどない」

 諸将は命令に従い、各々堅く守って出撃を控えた。

 一方、宋の元帥・潘仁美は、楊家の軍勢が到着したと聞き、包囲を解いて迎撃の構えを取り、南北両軍は対峙して陣を敷いた。十数日の間、互いに睨み合い、兵を出さなかった。

 仁美が密偵を放って北軍の動静を探らせると、報告が入った。

「楊家の軍馬は兵器を厳重に整え、我らと決戦を挑もうとしております」

 仁美はこれを聞き、諸将に令を下して部隊を分け、出撃の準備をさせた。高懐德を左翼、呼延賛を右翼とし、郭進を前後の救援に当てる。配置が定まると、諸将は各々迎撃の態勢を整えた。

 翌日の夜明け、太鼓が三通打ち鳴らされると、宋の陣営からは潘仁美が先頭に進み出た。上手かみてに高懐德、下手しもてに呼延賛を従え、三騎が一文字に並ぶ。

 対する北軍の陣からも楊業(楊令公)が兵を率いて出馬した。金の兜に銀の鎧、白馬に跨り紅の戦袍ひたたれを纏い、左に六郎延朗、右に五郎延昭(注:原典の表記に従う)を従え、父子共々その威風は凛々しく勇ましい。

 仁美は門旗の下で密かにその威容に感嘆しつつ、馬を進めて問うた。

「河東は天命に逆らう国、我らは罪を問いに来たのだ。公は何故たびたび出兵してこれを救おうとするのか?」

 令公は声を励まして喝破した。

「汝の主は中原を領有していながら、なお飽き足らず、連年軍を酷使して遠征を行っている。これでは『貪兵たんぺい』の汚名は免れぬぞ。ましてや先年講和して兵を退き、その盟約の血も乾かぬうちに再び侵略するとは、何の道理か!

 吾は劉主の厚恩を受けており、ひとえに救援に参ったのだ。汝らが早急に兵を退けば、旧好も存しようが、もし半句でも『否』と言うなら、吾は太原の兵を駆って、汝らを片甲も返さぬほど皆殺しにしてくれる。その時になって悔いても遅いぞ!」

 仁美はこれを聞いて激怒し、自軍の陣中に向かって叫んだ。

「誰か先に出て、この匹夫を捕らえる者はおらぬか!」

 言い終わらぬうちに、こちらの陣からは呼延賛が槍をしごいて飛び出し、楊業めがけて突きかかった。あちらの陣からは楊延朗が一騎駆けして割って入り、呼延賛を遮って激しい斬り合いとなった。

 剣戟響きわたり、戦うこと七十合余り、勝負はいまだつかない。

 その時突然、宋の陣から「ジャーン、ジャーン」と激しく銅鑼どらが鳴り、兵を収める合図が出された。

 奇妙な退却ではあったが、実はこれには理由があった。宋の太宗皇帝が、戦場における楊家父子の英雄豪傑ぶりをつぶさに御覧になり、心から彼らを殺すことを惜しみ、家臣として迎えたいと願われたのである。

 それゆえ銅鑼を鳴らして軍を退かせ、力攻めではなく、計略をもって彼らを招き寄せようと考えたのだ。もし彼らを従えることができれば、河東を平定することなど容易い道理であるからだ。

楊家軍、ついに参上!~忠義と覇権の狭間で~

一言で言えば:

「宋軍の猛攻で北漢がピンチに陥る中、伝説の将軍『楊業(楊令公)』がついに立ち上がり、その圧倒的な強さを天下に見せつける回」


遼軍の壊滅: 宋の武将たちが奇襲で、北漢の援軍に来ていたりょう軍をボコボコにして撃退します。

北漢のパニック: 援軍を失った北漢皇帝・劉鈞はお手上げ状態。隠居していた仙人級の元将軍・馬風に助けを求めますが、「老人は引っ込んでるから、あの楊令公に頼め」と断られます。

楊令公の葛藤と決断: 「宋と仲良くしたせいで主君に疑われている」と感じていた楊令公ですが、主君のSOS(詔)を受け取り、「講和の約束より、今の主君を守るのが筋!」と忠義を貫き、7人の息子(七狼八虎)と共に出撃します。

親父の鉄拳と敵との激突: 功を焦った七男(七郎)が勝手に夜襲をかけ失敗。楊令公は激怒し処刑しようとしますが、部下に止められ棒叩きの刑に。その後、両軍が対峙。

運命の対決: 楊家軍vs宋軍。猛将・呼延賛と楊家父子が一歩も引かぬ一騎打ちを展開。その強さに惚れ込んだ宋の太宗皇帝は、「力で潰すより、なんとかして部下にしたい」と退却のドラを鳴らすのでした。


この回には、中国伝統社会の価値観が色濃く反映されています。


政治と忠義の「美学」:『愚直なまでの忠誠』

作者は、楊業(楊令公)を通じて儒教的な理想像を描いています。

状況: 北漢は小国で、強大な宋に対抗するのは歴史の流れ(天命)に逆らう行為です。さらに主君は優柔不断で疑り深い。

合理的に考えれば、さっさと強い宋に降伏するのが正解です。しかし、楊業は「恩を受けた主君を見捨てない」という**個人の美学(義)**を選びました。

現代風に言えば、「沈む泥船とわかっていても、最後まで社長を守る部長」の姿です。ここに読者は悲劇的な英雄性を感じ、涙します。


隠者と宗教観:『天命を知る者』

隠居していた「馬風ばふう」というキャラクターの登場は、道教的な世界観を示唆しています。

隠者の役割: 彼は90歳の老人で、世俗を離れて修行しています。彼が出兵を断ったのは、単に高齢だからではなく、「宋が天下を統一するのが天命である」と悟っていたからでしょう。

示唆: 「楊業に行かせろ」と言ったのは、楊業がそこで宋の皇帝と出会い、後に宋の守護神になる運命カルマを知っていたからこそ、彼を歴史の表舞台に押し出したのです。俗世の勝敗を超越した視点です。


軍法と家族:『父としての厳しさ』

七郎が軍規違反で処罰されるシーンは、組織論と家族愛の対比です。

公私の別: たとえ愛する息子でも、軍法(公的ルール)は絶対。「泣いて馬謖を斬る」にも通じますが、ここで本当に殺さず、杖刑(ボッコボコにする刑)で済ませて、逆に部下たちの「命乞いによる結束」を演出するあたり、楊令公のリーダーシップ(と、親バカな一面)が描かれています。


物語をさらに楽しむために、少し斜め上からの視点で俯瞰してみる。


プロレス的演出としての「戦袍ヒタタレ」と「兵器」

衣装の演出: 楊業の衣装描写(金兜、銀鎧、白馬、紅戦袍)は、完全に京劇や講談の「見得みえ」です。彼が出てきた瞬間、舞台照明が赤く輝くような効果を文章で狙っています。この派手さは、「彼はただの人間ではない、軍神の化身だ」というアイコンです。

大斧(杨延徳): 五郎(延徳)が「大斧」を使っている点に注目。宋代の戦記物では、槍や刀が主流ですが、パワータイプの武器を持たせることでキャラクターの「怪力・勇猛さ」を記号化しています。


潘仁美はんじんびの「有能さ」という皮肉

後の物語で、楊家を陥れる大悪役となる潘仁美ですが、この回では非常に有能な司令官として描かれています。

灯火の異変(ポルターガイスト的予兆)を見て夜襲を察知し、見事に七郎を撃退しています。

この「実は無能ではない」という描写があるからこそ、後の「嫉妬による裏切り」がドロドロとしたリアリティを持つのです。「俺だって有能なのに、なぜ皇帝は楊業ばかり欲しがるのか?」というコンプレックスの萌芽がここに見え隠れしています。


太宗皇帝の「ヘッドハンティング」戦略

最後の銅鑼ドラの意味が深いです。通常、ドラは「敗走」の合図ですが、ここでは「商品保護」のために鳴らされました。

太宗は敵である楊業を見て、「殺すには惜しい(レアカードだ!)」と判断し、わざと退却しました。これは戦争ではなく、巨大な人材獲得キャンペーン(M&A)なのです。

北漢を滅ぼすこと自体より、「楊業という最強の矛」を手に入れることの方が、国防上重要だと見抜いている太宗の慧眼が光ります。

歴史のパラドックス(楊家の運命)

楊業がここで宋と戦う理由は「北漢への忠義」ですが、皮肉にも彼は宋の名将として歴史に名を残します。この第九回は、「昨日の敵は今日の友」となる転換点ターニングポイントであり、彼が「亡国の忠臣」から「救国の英雄」へと生まれ変わるための、痛みと流血を伴う儀式イニシエーションの回と言えるでしょう。

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