第八回:建忠、策を献じて接天関を奪い 大遼、師を出して晋陽を救う
「嗚呼、見よ。難攻不落と謳われし接天関、今まさに謀によってその鉄門は開かれたり。
されど、この闇夜に閃いた勝利の松明は、やがて中原全土を焦がす、宋と遼、長きにわたる修羅の宴の、ほんの幕開けに過ぎぬのでございます……。」
【しおの】
疾風のごとき宋軍の猛攻により、澤州城がなすすべなく陥落したのは、つい先日のこと。勝利の余勢を駆ったその矛先は、翌日には早くも天を突くがごとき要害、接天関へと迫っていた。
この難所を守護する北漢の将、陸亮方は、宋の大軍が雲霞の如く押し寄せたと知るや、直ちに参謀の王文を招いて軍議を開いた。
「敵は勢いに乗じて長躯攻め入ってきた。この危急を退けるには、いかなる良策を用いるべきであろうか」
王文は冷静に戦況を見極め、答えて言った。
「この関所は山々が峻険をなし、まさに天然の要害。守りは極めて堅固であります。今は決して軽挙妄動せず、門を閉ざして堅く守り、宋軍の兵糧が尽きるのを待つのが上策です。敵が攻めあぐね、疲弊の色を見せたところを一鼓して撃てば、必ずや勝利を得られましょう」
陸亮方はその言に深く頷き、全軍に籠城の構えをとらせ、静かに時を待つこととした。
城壁の外、関の下には宋軍の先鋒、呼延賛が布陣していた。彼は気炎万丈、部下に命じて烈火のごとく攻め立てさせたが、関の上からは雨あられと矢石が降り注ぎ、兵士たちは城壁に近づくことさえ叶わない。
数日に及ぶ強攻も功を奏さず、万策尽きた呼延賛は、副将の李建忠を呼んで相談を持ちかけた。
「陸亮方の守りは鉄壁の如し。いかなる計略をもって、この堅城を落とせばよいというのか」
建忠は静かに諭すように言った。
「仰せの通り、この関の地勢は険しく、一朝一夕に抜けるものではありません。無理に攻め続ければ、いたずらに我が精兵を損なうばかりで百害あって一利なし。ここは一旦包囲を解いて退き、機を待つのです。敵に隙が生じたところに乗じて進めば、戦力を浪費することなく勝利を掴めましょう」
呼延賛はしばらく沈吟していたが、その理を認め、軍を一時後退させた。
それから数日が過ぎた。呼延賛は放っておいた密偵からの報告を待っていたが、戻ってきた者たちの言葉はいずれも芳しくなかった。
「関の守りは以前にも増して厳重であり、人馬どころか蟻一匹近づく隙もございません」
賛がいよいよ憂悶の情を深くし、天を仰いで嘆息していた、その時のことである。陣外の歩哨より急報が入った。
「陣営の外に一人の老兵が現れ、将軍にお目通り願いたいと申しております」
怪しみつつも、賛は命じてこれを招き入れた。白髪の老兵は幕舎の前まで進み出ると、恭しく口を開いた。
「将軍がこの難関を攻めあぐねておられると聞き及び、特にはせ参じました。ここに一計を献じ、将軍の大功を成させたいと存じます」
賛は驚きの色を隠せず問いかけた。
「汝のごとき老兵に、どのような妙計があってこの要害を落とすというのか。もし言葉通り成功したならば、天子様に奏上し、汝の富貴栄達を保証しよう」
老兵は落ち着いた様子で語り始めた。
「そもそも、この関は地勢が天を摩するほど高いゆえ、『接天関』と名付けられております。守将の陸亮方は匹夫の勇に過ぎず、恐れるに足りませぬが、真に厄介なのは参謀の王文でございます。彼こそは深遠なる知謀の持ち主。彼が関門を閉ざして守りを固める限り、将軍の軍勢といえども一年かけても落とすことはできぬでしょう。
しかし、将軍はご存じありますまい。実は山の裏手に、一本の間道が隠されているのです。道は羊腸のごとく折れ曲がり険しいものですが、実はこの道だけが、関を越えて入城する唯一の鍵となり得ます。ただ、そこには李太公という者が砦を築いて塞いでおります。もし将軍が人を遣わし、礼を尽くして道を借り受けることができれば、そこから先、河東の北境に至るまで遮るものはございません」
これを聞いた呼延賛は、闇夜に光明を見た思いで手を打ち、快哉を叫んだ。
「これぞ天が汝をして我に教えしめたものだ。実に皇帝陛下の洪福という他ない」
賛はこの老兵を陣営に留め置き、功成った暁には朝廷に推挙しようとした。しかし老兵は首を横に振った。
「拙者は名利も恩賞も願いませぬ」
そう言い残すと、老兵は幕舎を辞去した。兵士たちが後を追ったが、老兵は外へ出るや否や忽然と姿を消し、ただ一陣の清風が吹き抜けていくのみであったという。賛はその不思議さに驚き、さては仙人の導きであったかと、虚空に向かって拝礼した。
翌日、呼延賛は部将の柳雄玉に歩兵五千を与え、裏手の李太公の砦へ道を借りに行かせた。雄玉の部隊は教えられた通りの山裏の小径を抜け、砦の下へ到着すると、使いを出して来意を告げさせた。
ここの守将である李太公は名を栄といい、長男を李信、次男を李杰という二人の息子と共に武芸に秀でていた。太公は宋軍が接天関を包囲したと聞き、この裏道の警戒を強めていたのである。
そこへ宋の使者が到着した。太公が厳かに問いただすと、使いの兵は言った。
「我が大宋軍は接天関を攻略中ですが、守りが堅く攻めあぐねております。聞けば、こちらに河東へ通じる道があるとのこと。特にお願いして道を拝借したく存じます。もし願いが叶えば、朝廷より厚い恩賞が下されましょう」
太公はこれを聞くや、鼻で笑って一喝した。
「戯け者めが。ここは河東の喉元にあたる要衝。今、表の関所と我が砦は『輔車相依る』関係にあり、互いに呼応して宋軍を防いでいるのだ。進軍を許せば、それは『己の肉を割いて他人に食らわせる』も同然、自ら破滅を招くことになろう。
本来ならその首を刎ねるところだが、今回は伝令ゆえ命だけは助けてやる。急ぎ戻って主将に伝えよ。『勇気があるなら、早々に槍を合わせに来い』とな!」
使いの者は恐れおののき、逃げ帰って柳雄玉に事の次第を報告した。雄玉は顔を紅潮させて激怒し、兵を率いて砦の下へ殺到した。すると、砦の上で太鼓が激しく打ち鳴らされ、門が開くと同時に、李信が屈強な兵五百を率いて雪崩のように斬り込んできた。不意を突かれた雄玉は退却する暇もなく、李信の鋭い槍に胸を貫かれて絶命した。主将を失った宋軍は蹴散らされ、李信は勝ち誇って引き揚げた。
ほうほうの体で戻った敗残兵の報告を聞き、呼延賛は愕然とした。
「道を借りるはずが、かえって大将を失うとは……。もし敵が前後から呼応して挟撃してくれば、どうして防げようか」
すぐさま李建忠と対策を協議した。建忠は炯々(けいけい)たる眼差しで策を述べた。
「ここは機先を制するべきです。まず高懐德将軍に命じて表の接天関を激しく攻めさせ、敵を一歩も外へ出させぬように釘付けにします。その隙に我々が総力を挙げてこの裏砦を攻め取るのです。ここさえ奪えば、接天関も落ちたも同然となりましょう」
賛はその策を是とし、直ちに高懐德へ出兵を要請すると、自らは建忠と共に本隊を率いて、仇を討つべく李太公の砦へ向かった。
宋の大軍来襲を知り、李太公は二人の息子と眉を寄せて相談した。
「敵は勢力を増して攻め寄せてきたが、どう退けるべきか」
長男の李信が進言した。
「衆寡敵せずと申します。力任せに戦うのは得策ではありません。急ぎ接天関へ早馬を送り、救援を求めた上で戦うべきです」
太公はもっともだとして、直ちに使者を表の関所へ走らせた。
報告を受けた陸亮方は王文を振り返った。
「宋軍は関の正面を諦め、裏道から迂回しようとしておる。もし裏砦が落ちれば、我らは袋の鼠。王文よ、君が兵を率いて急ぎ救援に向かってくれぬか」
「将軍の明察、ごもっともです。某が参りましょう」
王文は精兵三千を引き連れ、疾風のごとく李太公の守る三鎮関(さんちんかん・裏砦の名)へと駆けつけた。太公は王文の到着に大いに力を得て、迎撃の策を練った。
王文は言った。
「平地の戦いならば、速戦即決こそ勝利の鍵。太公はこの砦を堅くお守りください。私がご令息と力を合わせ、城外へ打って出て敵を打ち破りましょう」
一夜明け、東の空が白む頃、王文と李信は門を開き、喊声と共に討って出た。宋将・呼延賛もまた陣容を整え、馬上で王文を指差し罵った。
「敗軍の将めが! 早々に降伏して関を明け渡さず、なおも死を求めてやって来たか!」
王文は不敵に笑って答えた。
「宋軍は引き際を知らぬと見える。今日こそ片甲も残さず討ち取ってくれるわ!」
言い終わるや、馬に鞭打ち、方天画戟を車輪のごとく振るって呼延賛に襲いかかった。賛も長槍を構えてこれを迎え撃つ。
二、三合と火花を散らしたが、王文は突如として手綱を返し、負けたふりをして逃げ出した。賛はかねてより王文の智謀を高く買っており、彼を生け捕りにしたいと考え、逸る馬を飛ばして深追いした。
その時、砲声一発、轟く音と共に左手から一隊の伏兵が殺到した。李信である。彼は槍を構え、賛の背後を突こうと回り込んできた。罠にかかったと知るや、賛は怒髪天を衝く勢いで向き直り、逃げる王文との間合いを一気に詰めると、雷光のごとき槍の一撃で彼を馬から叩き落とした。すかさず宋兵が殺到し、王文を捕縛する。
賛はすぐさま馬首を巡らし、今度は李信へ襲いかかった。李信は頼みの綱である王文が捕らえられたのを見て、肝を潰し戦意を喪失した。彼は慌てて兵を収め、関の中へと逃げ込んだ。賛もまた無理攻めはせず、凱歌をあげて陣へ戻った。
兵士たちが後ろ手に縛り上げた王文を引き立ててきた。呼延賛は自ら幕舎の外へ出るや、親しくその縄を解き、中へ招じ入れて上座に座らせ、地に頭を擦りつけて謝罪した。
「先ほどは戦場の習いとはいえ、数々の無礼を働きました。どうか罪をお許しください」
王文は驚き、不審げに問うた。
「私は敗軍の捕虜となった身、生殺与奪の権は将軍にあります。なぜこれほど丁寧にもてなされるのですか?」
賛は誠意を込めて語りかけた。
「某も元は河東の出身ですが、天命に従い大宋の天子に帰順いたしました。忠を尽くすという志においては貴殿と同じです。貴殿のような稀代の英雄が、なぜこのような棘の中に身を置き、暗闇に明珠を投げるような真似をなさるのか。いっそのこと、共に宋の明主に仕え、奇功を立てて、後世にその名を轟かせようではありませんか」
賛の理非を説く熱心な言葉に、王文はしばらく考え込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「古人曰く、『良禽は木を択んで棲み、賢臣は主を択んで仕う』と。文は賢臣たるには及びませぬが、願わくは将軍の幕下に入り、朝夕命を奉じて犬馬の労を尽くしとうございます」
呼延賛は大いに喜び、酒を酌み交わした後に直ちに攻略の計を問うた。王文は瞳を輝かせて言った。
「事は臨機応変になすべきです。今、李信は私が捕らえられたことで動揺し、死に物狂いで守りを固めて出てこないでしょう。この堅砦を攻めるのは容易ではありません。
それよりも、手薄になった表の接天関を先に取るべきです。表が落ちれば、ここを攻めるのに何の困難がありましょう。李建忠将軍には精鋭を率いて接天関の下に伏せていただき、某が今夜、脱走を装って陣を破り、関へ向かいます。陸亮方は必ずや兵を出して私を迎え入れるでしょう。その隙に乗じ、将軍の兵が私に続いて突入すれば、関は一挙に落ちましょう」
「実に妙計である。ただ、情報が漏れぬよう細心の注意を払わねばならぬ」
賛は即座に手配を整えさせた。
夜が訪れた。呼延賛は、敗残兵を装った部隊を率いて接天関へ近づいた。陸亮方は宋軍の動きを察知したが、「裏道からの侵入が難航したため、またこちらへ戻ってきたな」と判断し、部下に厳重な警戒を命じていた。
二更(午後十時頃)になる頃、宋軍は松明を掲げ、喊声を上げて総攻撃の構えを見せた。関の上からは激しく矢石が放たれる。
その時突如として、東北の角から王文が手勢を率いて包囲陣を突き破り、姿を現した。宋軍が大混乱に陥ったように見せかける中、王文は関の下まで斬り込み、大音声で叫んだ。
「宋将を打ち破り、包囲を抜けて戻ったぞ! 関より兵を出して接応せよ!」
守兵は王文の声だと聞き分け、亮方に報告した。亮方は疑いもせず、歓喜して兵を率い、門を開いて迎えに出た。
王文の姿が近づいたその瞬間、関の暗がりから呼延賛が躍り出て、北漢軍を真っ二つに分断した。王文も馬首をめぐらせて取って返し、陸亮方に襲いかかる。事変を知った亮方は仰天し、慌てて逃げようとしたが、賛の突き出した一槍が胸板を捉え、たまらず馬下へ転げ落ちた。
間髪入れず李建忠の伏兵が一斉に起き上がり、雪崩のごとく関の中へとなだれ込む。指揮官を失った北漢軍は進退窮まり、皆、鎧を脱ぎ捨てて降伏した。
東の空が白む頃、諸将が集結した。呼延賛は勝利の喜びに震え、王文の手を取って言った。
「この雄大なる難攻不落の関所、貴殿の神算なくしては、一年かけても越えることは叶わなかったでしょう」
王文は謙遜して頭を下げた。
「僥倖にして成功したのみ、掛歯(かいし・話題にする)にも足りませぬ」
賛は早馬にて太宗皇帝に勝報を送り、皇帝の車駕は堂々と接天関へ進み入った。そこからは河東一帯の地が一望のもとに見渡せた。
一方、三鎮関にもこの敗報は届き、李太公は顔色を失った。
「宋軍の強さ、真に神兵のごとし」
もはや抗戦は不可能と悟った彼は、二人の息子を連れて砦を捨て、河東の奥地へと落ち延びていった。
所変わって絳州。守将の張公瑾は、難攻不落の接天関が宋軍の手に落ちたと聞き、終日恐れおののき、寝食も忘れて対策に苦慮していた。
そこへ牙将(副官)の劉炳が進み出た。
「兵法に云う、『多算なれば勝ち、少算なれば勝たず』と。ましてや無算においては何をか言わんや、です。今、宋軍の勢いは怒涛の如く、山岳をも砕くほど。あの堅固な関所でさえ陥落したのです。それに比べ、この絳州のような平地の低い城壁など、健脚の兵なら一飛びによじ登れましょう。わずかな手勢で、どうして抗し得ましょうか。いっそ降伏し、民の命を救うが上策かと存じます」
公瑾はその言葉に理ありとし、劉炳を使者として宋の陣営へ遣わし、降伏を申し入れた。
呼延賛がこれを太宗に奏上すると、太宗は満足げに言った。
「戦わずして下るとは、時勢を知る賢明な者である。その願いを聞き届けよ」
旨を受けた賛は、翌日、軍馬を進めて絳州城下へ到着した。公瑾は城門を大きく開いて出迎えた。太宗が入城して民を安撫した後、先鋒の呼延賛、高懐德らに命じ、軍を合わせて一路、河東(北漢の都・太原)へ向かって進撃させた。宋軍の威勢は、まさに秋風が落葉を払うごときであった。
さて、この凶報は河東の国主・劉鈞のもとへも伝わった。彼は色を失い、慌てて文武百官を集めて評議を開いた。臣下の丁貴が進言した。
「宋軍は遠路はるばる攻め入っており、兵糧の消耗は激しいはず。長く留まることは困難でしょう。陛下、一面では大遼(契丹)の蕭太后に使者を送り、援軍を出して宋の糧道を断つよう請願なさいませ。また一面では国中の軍馬を徴集し、戦守の計を固めるのです」
劉鈞は藁にもすがる思いでこの提案に従い、書簡を持たせた使者を大遼へ急行させる一方、諸軍を配置して防戦の準備を整えさせた。
早馬を飛ばした使者は大遼へ至り、蕭太后に謁見して救援を懇願した。太后が文武の臣と協議すると、左宰相の蕭天佑が奏上した。
「河東の地は我が遼の国境と接しており、実に『唇歯の邦(輔車相依る関係)』でございます。唇亡びれば歯寒しと申します。願わくは陛下、兵を発してこれを救われませ」
太后はこの奏上を聞き入れ、直ちに南府宰相の耶律沙を総大将、冀王・敵烈を監軍(目付役)に任じ、精兵二万を与えて救援に向かわせた。
耶律沙は勅命を受けると、使者と共に遼の地を発ち、白馬嶺に至って陣を敷いた。
宋の斥候がこの動きを絳州へ知らせると、太宗は、遼が晋陽(北漢)を援けるために出兵したと聞き、激怒して言った。
「河東が天命に逆らっているため、天に代わって罪を問おうとしているのだ。北の蛮族ごときが、どうして逆賊を助けるような真似をするのか!」
太宗は諸将を督励し、まず北遼の兵を叩き、その後に晋陽を攻めるよう命じた。
命令を受けた呼延賛、高懐德、郭進らは額を集めて協議した。
「遼兵が烏合の衆とはいえ、大挙して押し寄せてきた。公らはどうやってこれを破るおつもりか?」
郭進が口火を切った。
「兵は先声を尊びます。敵に計略を巡らす暇を与えないこと、これこそ必勝の道。聞くところによれば、遼軍はここから四十里の白馬嶺に屯しており、その手前には『横山澗』という渓谷があって、彼らの進路を扼しております。私が部隊を率いて水を渡り、奇襲をかけますので、公らが後から助けに来てくだされば、必ず撃破できましょう」
賛は「貴殿の論こそ至当である」と手を打って賛同し、直ちに手配を定めた。郭進は一隊を率いて勇んで先発していった。
一方、遼将の耶律沙と敵烈もまた、陣中で協議を行っていた。
老練な耶律沙が言った。
「宋軍は速戦を利としており、その鋭気は侮れぬ。私と君で横山澗の険阻を利用して陣を張り、敵が川を渡り半ばに達したところを狙って攻撃を仕掛ければ、労せずして敵将を捕らえることができよう」
しかし血気盛んな敵烈は、首を振って反対した。
「いや、そうではない。もし敵に先に渡河を許せば、我が軍は敵の猛勢を目の当たりにして、皆、臆病風に吹かれるだろう。むしろ彼らの機先を制し、こちらから川を渡って攻めかかり、出鼻をくじくことこそ成功の道だ」
諫める耶律沙の言葉も聞かず、敵烈は功を焦り、自らの部隊を率いてざんぶと水を渡り始めた。
冷たい渓流の水しぶきが舞う中、対岸にはすでに宋軍の影が迫りつつあった。まさに風雲急を告げる一瞬、河水はいかなる戦の色に染まるのであろうか――。
難攻不落の要塞と、裏切りと、新たな強敵
「正面突破は無理ゲー? ならば裏口と人身掌握で攻略せよ! そして物語は国際戦争へ」
最強の要塞に絶望する宋軍
宋軍の呼延賛は勢いに乗って「接天関(天に届く関所)」を攻めるが、守将・陸亮方の防御と、参謀・王文の知恵により完全に足止めを食らう。
謎の老人のアドバイス(攻略Wiki的な助言)
行き詰まる呼延賛のもとに謎の老兵が現れ、「正面は囮だ。裏道にある『李太公の砦』を通ればクリアできる」と教えて消える(神や仙人の示唆)。
裏口も堅かった……が、ピンチをチャンスに
裏道交渉に失敗し、味方の大将が討たれる大失態。北漢は参謀の王文を増援に送るが、呼延賛は激闘の末に王文を生け捕りにする。
人たらしの才能発揮
呼延賛は捕虜になった王文の縄を解き、敬意を持って「一緒に天下統一しようぜ」とスカウト。王文は感激して寝返り(ヘッドハンティング成功)。
トロイの木馬作戦で勝利
王文は「脱走して戻った」と嘘をつき関所に入り、内側から門を開ける。なだれ込んだ宋軍により難攻不落の接天関はあっけなく陥落した。
ラスボスの影
周辺の都市もビビって無血開城する中、追い詰められた北漢(河東)の国主は、北の大国「大遼(契丹)」にSOSを出す。最強の騎馬民族・遼軍が出撃し、物語のスケールが一気に拡大する。
今回は当時の中国社会における「正統性」と「処世術」に関する作者の意図が込められています。
まず政治と宗教:侵略を「聖戦」に変える装置
仙人(老兵)の出現の意味:
現代的な視点では「ご都合主義」に見えますが、当時の読者にとっては非常に重要です。「謎の老兵(実は神仙)」が宋軍に味方をした=「宋が北漢を攻め滅ぼすのは天命である(侵略ではなく正義)」という宗教的なお墨付きを与えています。これにより、宋の軍事行動が民衆レベルでも肯定される構造になっています。
通俗貴族と土豪の生き様の違い
王文(インテリ参謀)のドライな転身:
王文は「良禽は木を択んで棲む(賢い鳥は良い木を選んで巣を作る)」と言い、あっさりと宋に寝返ります。これは当時の知識人階級(士大夫予備軍)にとって、滅びゆく王朝に殉じるよりも、「自分の才能を活かせる『明主』に仕えることこそが正義」という儒教的ながらもプラグマティックな政治倫理を示しています。
李太公(地元の有力者)の頑迷さ:
一方で、裏砦を守る李太公は、地元の土豪として徹底抗戦を選び、結局逃亡します。彼は中央の政治力学よりも「自分の土地とメンツ」に縛られています。この対比により、「時代の流れ(天命)を読める者が勝つ」という教訓を描いています。
「徳」による統治プロパガンダ
呼延賛が捕虜を殺さずに酒を酌み交わして味方にするシーンは、中国文学における「王者の軍(正義の軍隊)は力ではなく徳で人を心服させる」という理想形です。これにより読者(民衆)に対し、宋王朝の創業者がいかに寛大で立派だったか(=今の平和があるのは彼らのおかげ)という刷り込みを行っています。
「呼延賛」というキャラの解像度
「楊家将」ファンにとって、呼延賛は後の物語では「ギャグ担当の猪武者」として描かれがちです(講談や京劇など)。しかしこの第8回では、敵将の王文を説得したり、李建忠と冷静に議論したりと、まだ「有能で理知的な将軍」としての側面が色濃く残っています。
「まだ楊業(楊家将の父)が宋軍のメインキャストになる前」の時期特有の、"初期メンツが頑張っている感"を楽しむのがこれまでの話の醍醐味です。
戦術的リアリティ:古典的な「孫子の兵法」
この回の戦闘展開は、教科書的なほど兵法の基本に忠実です。
「正攻法がだめなら奇策(迂回)を使え」
「敵の内部(王文)を分断して取り込め」
「無血開城する相手は許せ(絳州の降伏)」
魔法や妖術が飛び交うこともある『楊家将』の中で、この回は意外にも地味だが堅実な軍記物(シミュレーションゲーム的)な面白さがあります。
大遼(契丹)内部の不協和音
ラストシーンで、遼の将軍二人が川を渡るかどうかで揉めます。
老練な耶律沙: 半渡(敵が川を半分渡った時)を叩けという慎重論。
若く強気な敵烈: 機先を制して渡河しろという突撃論。
これは、次に来る敗北の典型的なフラグです。遊牧騎馬民族である遼軍が、本来得意ではない「川での攻防」で指揮系統が乱れている描写は、宋軍勝利の前振り(伏線)として非常に巧みに配置されています。
この回は、単なる「砦攻略イベント」に見えて、実は「天命による宋の正当化」「人材登用の理想論」「次なる国際戦争へのブリッジ」という3つの重要な役割を果たしている、構成作家の腕が光る回だと言えます。




