前書き
中華歴史評書(講談)の世界には、数多の英雄伝がありますが、その中でも『楊家将』が放つ光は別格です。岳飛(岳家将)が「個の悲劇」なら、薛仁貴(薛家将)は「立身出世の冒険譚」。
しかし、楊家将は「一族の滅びと再生」を描く、極めてスケールの大きな大河ドラマであり、現代のリライト企画として、これほど日本人の心(琴線)に触れる物語はありません。
その真髄と、これから紡ぐべき「名将シリーズ」リライトの情熱的な構想をここで開示します。
なぜ、楊家将なのか? 「愚直なる忠義」の美学
「報われぬ忠義」こそが至高の輝き
楊家の人々は、皇帝や朝廷がどんなに腐敗していても、決して裏切りません。
彼らが守ろうとしたのは、玉座に座る愚かな個人ではなく、「国家(天下万民)」という理想と、自らの「武門の誇り」です。
「主君が暗愚であっても、臣下は忠烈を貫く」。これは現代の感覚では理解しがたいかもしれませんが、彼らにとっての忠義とは、損得勘定ではなく、自らの生き様を完成させるための宗教的儀式に近いものです。だからこそ、男子がほぼ全滅するという凄惨な結末を迎えても、その魂は汚れることなく、逆に神聖さを増すのです。
鮮烈な「女性英雄」たちの覚醒
楊家将の最大の魅力、そして他作品との決定的な違いは、「男たちが散った後、女たちが鎧を纏う」という展開にあります。
佘太君や穆桂英ら未亡人たちが立ち上がる姿は、単なる代理戦争ではありません。それは「儒教の教え(家を守る)」を守りつつも、それを超越し、「男たちよりも強く、賢く、国を背負う」というカタルシスです。
悲しみ(喪服)を脱ぎ捨て、戎衣(戦装束)を纏う彼女たちの姿は、現代のジェンダー観をも凌駕する力強さを持っています。




