第6話 だいじなこと
職場のビルに辿り着くと、俺は階段を数段飛びして駆け登る。
年甲斐もなくそんな事するもんだから、自分のフロアに着いたときには、もうヘロヘロでヨロヨロだった。
背中に汗をかきながら、自分の部署へ向かっていると、途中で気付く。
下の警備室で鍵を借りてくるの忘れた、と。
そんな基本的なことすら忘れるくらい、フウのことで頭がいっぱいだった。
また下まで戻るのは面倒くさく、一か八かで部屋の前に行きドアノブを回す。
お?
鍵が開いている。
こんな早くから休日出勤する人いるんだ、えらいな。
そーっとドアを開けると、広い部屋の中に数人いた。その数人の中には、佐藤さんも。
パソコンに真剣に向かう佐藤さんは、近づく俺に気がつかない。
「おはようございます」
俺は挨拶し自分の椅子をひくと、おーと驚いた佐藤さんがゆっくり椅子の背もたれによりかかり、俺に挨拶し返す。
「休日出勤よくするの?私、今日が初めてなんだよね」
目と目の間を指でつまんでマッサージする佐藤さんは、すごく疲れている様子だった。
休日出勤は基本しないことを伝えながら、ふと、佐藤さんが出勤している理由は「冒険者フウ」のゲームの件なのではと気付き尋ねる。
「そうそう、例のバグ修正の件でねー。幾つかなおしたんだけど、まだまだあるみたいで。バグの確認ばかりで他の業務も進まないし、ほんと参るわよね〜」
同じチームなのにバグ修正に携わっていない俺は罪悪感を感じ、佐藤さんに俺も協力することを伝える。
「ほんとう?ありがとう〜助かる〜!子ども達とも遊ぶ約束してたから、今日は早く帰りたいんだよね〜」
パソコンを立ち上げながら、佐藤さんちの子どもは家で父親と待ってるのか・・と考えて、あっ!と思い出す。
そうだ、フウに親の設定を追加しようと思っていたんだ。俺は佐藤さんにその案を話す。
「あぁ〜いいと思うけど、そうすると、ストーリー上変更しないといけない設定も出てくるよねぇ〜。ん〜・・けっこう今業務がひっ迫してるから・・う〜ん、どうかななぁ」
無理やり笑顔をつくる佐藤さん。
フウの両親設定には、あまり前向きではなさそうな感じだ。
「とりあえず、週明けにでもチームの皆んなを集めて話し合お。あ、それでね修正したバグは、ここと、ここと・・」
複数の修正箇所の中に、学校の友だちとの関係も含まれていた。
それなら、フウはもう友だちから嫌な思いすることないのかな。泣くことないのかな。
「冒険者フウ」のゲームを開くと、フウが小屋の中にいて、床に綺麗に置かれた制服のそばにしゃがんでいた。
何してるんだ?
俺は気になって画面に近づいたそのとき、
「あ、そうそう、この前話してた甥っ子さんの件どうなったのかな?私、気になっちゃってね、それでこれ良かったら」
手渡されたのは、1冊の本だった。
「これ、子育てしてる人が必ず読んでるバイブル本みたいなものなんだけど、あげる。私も同じの持ってるの」
ありがとうございます!とお礼を言い、本の中をパラパラとめくる。
すると、急にパソコンから変な音が聞こえた。
「・・ジサン・・」
隣の佐藤さんも聞こえたようで、何!?と怯える。
でも、俺には分かっていた。誰の声なのかも。
俺はパソコンの画面に近づく。
すると、パソコンに体が吸いねじ込まれるようなギュウーッとした、でも今はその感覚が心地よく、目の前の景色が歪み意識が飛んでいくのをゆっくりと感じていた。
◇◇◇
「よかったぁ〜来てくれたぁ〜」
大粒の涙をこぼすフウが、俺にしがみついて泣いていた。
「ごめんなさい、おじさん、オレを手伝ってくれようとしたのに、ごめんなさい〜」
よしよし、とフウの背中をさすりフウをなだめる。
「オレ、おじさんが戻ってきますようにって、ずーーっとお願いしてたんだ」
フウの泣きじゃくる小さい背中が、寂しかったと伝えているようだった。
「ごめんな」
俺は、ずっと言いたかった一言をフウに伝えた。それ以外にも話したいことはあったが、胸が詰まって言葉が出なかった。
涙を流すまいと顔を上げ他の方向を見たとき、床に広がっている制服が見えた。
さっき、職場のパソコンの画面上でも見た光景だ。
あれ?制服のボタンが1個とまってる?
俺は、パソコンで見たとき、フウが制服のそばにしゃがんでいたのを思い出す。
もしかして、あのときボタンの練習をしていた?
1人で頑張ってたんだ・・
また込み上げてくる涙を俺はこらえて、フウをギュッと抱きしめる。
「ボタン、自分でしたんだな。この前は、無理やりさせようとして、ごめんな・・」
泣き声を悟られまいと、平静を装ってフウに話しかける。
「うん。オレがんばったんだよ、ほらー!みてー!」
制服を指さす笑顔のフウが眩しくて、俺はわざと目を細めて涙でいっぱいの目を隠す。
「すごいな!がんばったなー!」
俺はとびっきりの笑顔を作り、フウを褒める。
「ふふふ!あれ、おじさん、この本なに?」
フウが、俺の体の近くを指差す。
手をやると、さっき佐藤さんからもらった本があった。
今まで、物体が俺と一緒にゲームの中に飛んできたことなかったが。
「あぁ、これは、そうだな、フウともっと仲良くなるための本だよ」
「なにそれー!見せて見せてー!」
フウと一緒に本のページを開く。
そこには、子どもの成長速度には個性があり、他と比べるものではない、とある。
そうだ、そうなのに、俺はできないことに躍起になって・・。
「ここ、なんて書いてあるの?」
本を覗き込むフウの頭を片腕で抱えながら、俺は一緒に読むかー!とニカッと笑う。
「うん!」
フウもニカッと笑い返し、俺たち2人は並んで本を読む。
◇◆◇◆
「ここは、こうやって、そうそう。お!いいじゃん!できるじゃないかーフウ」
今度は、ボタンの特訓だ。
今やっとボタン1つが留められた。
本には、とりあえず子供が少しでもできたら褒めることが重要とあった。
俺は、それを今実践している。
前までは叱ったりダメ出しばっかりで、あれは逆効果だったってことだ。
褒められたフウは得意げで、鼻高々に見える。
なんだ、こんなにも簡単にのってくれるのか子どもは。
俺は子どもの純粋さに、可愛いのと面白いのとごっちゃな気分だ。
よーし、じゃあ次のボタンだ、やってみよう!とそのままの勢いで次もすすめる俺。
「疲れちゃったから、もう今日はここまでにしたい」
ちょっと、しょげた表情で言うフウ。
「いいぞ。今日はここまでにしよう。充分頑張ったぞー!えらいな!」
笑顔で、フウの頭を撫で撫でする。
本には、本人の意思を尊重し、不本意な無理強いはしないこととあった。
そして、最後までやりきらなくとも、途中経過までをたくさん褒めること、とも。
褒められて満足そうなフウは笑顔だが、疲れたようでため息をつき、おもちゃで遊びだす。
そしたらそろそろ夜ご飯だな、と俺は料理支度に入る。
◇◆◇◆
今日は、焼き魚に味噌汁にご飯だぞ〜とフウに声をかける。
「わーーーい!オレお魚だいすき〜!」
フウは、喜んで駆け寄ってくる。
こんな質素な食事でも、体全体で喜びを表してくれるフウにこっちも嬉しくなる。
人生で、俺のしたことにこんなに喜んでくれた人、いたか?
「いただきまーす!あ、おじさんもいただきますして!」
はーい、いただきまーす、なんて手を合わせて幼稚園、小学生以来か?
なんか、こんなことで食事が楽しく感じるなんてなぁ。
子どものころは、なんであんなことしなきゃいけないんだー、なんて思っていたけど、大人になるとその大切さと意味が分かる。
フウの食べ方をチラっと見ると、焼き魚をなんとか箸で崩して取って食べている。
うん、箸の持ち方は問題なさそうだな。
あとは、スプーンか。
食べ終わりデザートでフルーツゼリーを出すと、フウは手をたたいて喜ぶ。
そして、スプーンを握って・・あぁ、やっぱり逆手持ちだ。
「フウ、もう君は赤ちゃんではないんだから、スプーンの持ち方は変えよう。おじさんと同じ持ち方。おじさん、フウとお揃いで持ちたいな〜」
本には、否定しすぎず、でもなおしてあげたいことがあったら、子どもの好奇心や興味をもつような言葉掛けをしてみよう、とあった。
フウは俺の持ち方を見ながら、自分でスプーンを握る手の向きを変える。
「これであってる?」
スプーンを持った手を俺に近付ける。
合ってる!と俺は親指を立ててグー!として見せると、にっこり笑ってその持ち方のままゼリーを食べ始める。
「あ、落ちちゃった」
フウのスプーンから、ゼリーが落ちた。
ふええぇ、と一瞬気持ちが下降気味になったが、前のように怒ってスプーンを投げるようなことはなかった。
なぜなら、
「大丈夫だ。もう一度一緒にやってみよう。おじさんがフウの手を一緒に持つから、な!」
すぐに、俺がフォローに入ったからだ。
本には、失敗を責めないこと、叱らないこと、とあった。
フウはゼリーを落としたことに眉毛はへの字のままだったが、俺の声掛けに従い俺とスプーンをゆっくり動かし、上手く口に運べたあとには、美味しいと笑顔で頷いていた。
俺はそんなフウを見ているのが何より楽しく、嬉しかった。
食べ終わり、食器を片付けながら、俺はテーブルに置かれた本に目をやる。
今まではフウに対して、間違った方法ばかりとっていた。
この本のお陰で、フウへの関わり方が分かってきた気がする。
本の最後のページをぺらっとめくる。
そこには、
「子育てに奮闘するママ・パパさんへ」
とあった。
「えーっと、ま、ま、ぱ、ぱ、さん、へ。あとはなんて書いてあるの?」
いつの間にか隣にフウが来ていて、書いてある文字を読み上げる。
子どもとがんばるママ・パパさんへ、って書いてあるよ、と伝えるも、俺は気まずい気持ちになる。
あぁ、フウは家族がいなくて寂しく思ってるのに、思い出させるようなこと。
慌てて俺は本を閉じようとする。
「ここにおじさん、て入れてほしいね。だって、パパとかママじゃなくて、オレにはおじさんだもん」
パタンと静かに本が閉じ、俺は目を丸くし驚いた顔でフウを見る。
えっと、それはつまり・・。
「オレ、おじさんのことだいすきだよ!オレといてくれて、ありがとう!」
フウから向けられるとびきりの笑顔に、俺はとうとう我慢できずにその場で泣いてしまった。
もちろん、嬉し泣きと感動とで。