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07.混沌の予兆。

「…………ん?」

 考え込んでいたはずの実佳が、唐突に立ち止まる。今まで全く意識の欠片もやっていなかった方角に向き直り、遠くを見ている。家への忘れ物を思い出した、といった類にしては明らかに挙動がおかしかった。

「実佳? どうした」

「二人とも、あれ」

 視線は動かさないまま、実佳の指が伸ばされた。

「何、だろう?」

 自然と、なつめも隆哉も指先が示す先を、追う。人通りがほとんどない細い道の先。

 ともすると見落としてしまいそうなほど、小さな──しかし、確かにそこにある、異物。

 宙に浮きながら蠢いている、まるでコールタールのような黒い流動物。それが球の形を成した何か。

 目を細め、まじまじと見つめてみる。

「式神か使い魔の類……か?」

「まあ、順当にいけばそうなるよなぁ」

 同意の言葉を投げてきたのは隆哉。

 陰陽寮特別認可都市に限れば、そういった類を街中で見かけるのは珍しくない。

 何せ、陰陽術から派生した【装神具】研究は基本中の基本。

 更にそこから、西洋魔術に、カバラ、ルーンにタロット、占星術、数秘術に宿曜、風水……。

 とにかく、例を挙げていけばいくだけきりがないほどに、東洋西洋関係なく、日々〝神〟を身近に体現しようと苦心している者達が揃っている。

 言ってしまえば、使役者の分からない使い魔の類を見かけるのは、野良犬や野良猫を見かけるのと同じ。事実、正体不明の何かを見るのは三人ともはじめてではない。

 例えば、車の影に何かが潜っていると思って、猫だろうか、と何気なくひょいと覗き込んでみたら、小さめの蛇の身体にコウモリの翼を生やした生き物が、とぐろを巻いてすやすやを寝息を立てていた、なんてのは、驚くに値しない出来事、日常の一部。

 なので、それに類するものがこうしてたまたま目に留まったところで、何の事はない存在で、出来事……そのはずだ。

 そのはずなのだ、けど。

「……」

 無言のまま隆哉の方を見ると、既に向こうは銀色の指輪を嵌めた手を、差し出していた後だった。ならば遠慮なく、と手に持っていた己の荷物をそちらに放り投げる。

 黒の球体は、未だ、そこにある。左耳を飾るピアスに触れた。

「実佳」

「何、なつ──」

「捕まってろよ!」

「えっ? わっ──!?」

 実佳の驚いた声と共に、なつめは彼女の身体を抱き上げ、跳んだ。足には【装神具】の力を引き出した時特有の眩しい光が絡んでいる。

 嫌な、予感がした。

 動いた理由なんてそれだけだ。だけど、それだけで充分だったとも言える。

 大地を蹴り上げ、空を引き裂き、立ち並ぶマンション達やビルの天辺を足場代わりに、宙を駆ける。

 あの黒い球体は、こちらの足が大地から離れたその瞬間に動き出した。

 否。動いたという表現は温い。

 瞬き一つの間に複数に分裂し、その形状を矢のようなそれに変えて、残像さえ残しかねないスピードで追ってきたのだ。

 ああ、やっぱり追いかけてくるか。そう思わず口内で舌を打ち、必死にしがみついてくる実佳の身体を抱き直した。

「隆哉! さっきの台詞、撤回だ! ありゃ、式神でも使い魔でもない! もっとやばい別物だ!」

「だなあ!」

 隣にいる隆哉は、背後に迫る黒い矢を見、笑っている。

「お前への妬み僻みが、ついに殺意にでもなったか!」

「馬鹿言うな! それに、そんな生温い代物じゃねえだろ!」

 追尾速度に練度、その二つだけを見ても、素人が作り出せるようなものじゃない。気を抜けば追いつかれ、そのままどうなるか分かったものじゃない危険物。実佳が気付かなければ、後ろから刺されていたかもしれないと思うと、背中に冷たい汗が流れる。

 おまけに、首尾良く後ろの物体から逃げおおせたとしても、あれを作り出せるだけの技量を持つ使役者が、別にいる。そいつからも、どうにかして逃げ切らなければならない。

 いや、まずは、そもそもだ。

 何故、そんな存在に狙われなければならない?

 全く以て、心当たりがない。欠片もない。そんなもの、あるはずがない。

 まさか、標的を勘違いしているなどという、間抜けな真相ではあるまい。

 一体全体、この現状は何なのか。心の中で叫ぶしかない事実に毒突きながら、全力で空を翔る。時折、着地と跳躍の合間に、蹴り上げたコンクリートが派手に音を立てた。屋上に出ている住人などがいなかった事は、幸いだったと言うべきか。

「な、つめ……!」

 必死の様子でしがみついている実佳が、声を絞り出す。

「黙ってろ、舌噛むぞ!」

「だけど……!あれ……! なにか、すごく、嫌だ……! 怖い……!」

 あれ、とは後ろに迫るあの黒い矢の事だろう。

 実佳は、あれに何か感じる事があるのだろうか? 自分と隆哉は、追われているという事実と焦燥以外に、感じるところは何もない。何故、実佳一人だけ?

 疑問に思ったところで、それを深く考える余裕はない。とにかく今は逃げる事だけに集中しなければ、追いつかれて、どんな目に遭うか分からない。

「くそっ……!」

 忌々しい心境を吐き出したその時。

「あっ……危ない!」

 唐突に実佳が叫ぶ。ぞくりと背に悪寒が走った。黒い矢が、左足を掠めていく。

 ついに追いつかれた、とぞっとしたのも束の間、矢は一つではなかった事をすぐに思い出す。隆哉は、と視線を向けたのと、矢の一本が、あいつの足を貫通したのが同時だった。

「っ……!」

 隆哉の身体は一瞬だけ宙に静止し、すぐさま、ぐらりと傾く。

 急な衝撃は、それまでの動きを全て断ち切るには充分で、真っ逆さまに落下するような勢いで、その身体が落ちていく。

 名を叫ぶ余裕すらなかった。片腕のみで実佳の身体を抱え、そしてもう片方の腕を伸ばして、無理矢理身体の向きを変えた。

 跳躍の軌道を強引にねじ曲げる。

 真下にあったビルに、隆哉が激突する寸前、ぎりぎりのところでその腕を鷲掴みにした。

 どうやら廃屋となっているらしいビルの屋上に、派手に音と砂煙を上げながら着地する。足の裏から頭まで、痺れるような嫌な衝撃が走った。唇を噛み締めて、何とか耐える。

 それぞれの身体を降ろした後、すぐさま実佳と二人、隆哉の身体を囲んだ。

「隆哉! 隆哉、大丈夫!?」

 実佳の声は、今にも泣き出しそうに震えている。

「怪我は! 足、ぶち抜かれただろ!?」

 次いで、なつめも叫ぶ。血の気など、もうとっくの昔に引いている。

「け、怪我は……多分、ない」

 脂汗を浮かべながら、横たわった状態から動かないままで、途切れ途切れに隆哉は言う。

「ただあれ……呪術の一種だったみたい、だな。怪我はなかった、けど……なんか、身体が痺れて、動けねえや」

「くそ……! 何だってんだよ、本当に……!」

 非常識な現実も、ここまで立て続くと怒りが込み上げてくる。

 何故、自分達が追われなければならないんだ。その結果、隆哉は身体の自由を奪われ、実佳は正体不明の恐怖に怯えている。

 こんなもの、理解も納得も、出来るはずがないだろう──!


「──見つけた」

 不意に。

 どこからともなく声が響いた。聞いたこともない男の声だった。

 なつめは咄嗟に振り返る。残る二人を庇いながら、声がした方へ。

 ……いつの間に、そこにいたのか。人影がすぐ傍にある。黒いローブを身に纏い、フードを深く被った、人の形をしたものが、二つ。

 そのうちの一つが、ばさりと大きな音を立てながら、身に纏っていたローブを脱いだ。

 片方の金の目がやたらと目を引く、男がそこにいた。男にしては細いように見えるが、悠然と立つその立ち振る舞いは、さながらどこぞの騎士か武士のよう。

「今まで、何度も偽物を掴まされたが……今度こそ、本物だ」

「うん。コードCの、刻印。原初の罪。万物を殺し、亡ぼし、消し去り続けるもの」

 次に口を開いたのは、もう一人の方。こちらは、幼い少女の声色で。黒のフードの内側に、西洋人形かと見間違いそうな顔立ちと、やはり片方だけの赤い瞳が垣間見える。

 男も、少女も、どちらもなつめを見ていなかった。身動きの取れなくなった隆哉を見ているわけでもない。

「こー、ど……?」

 なつめの背後で、呆然と呟いた実佳を、実佳だけを……まるでそのまま貫くように、射貫き殺すように、睨み付けていた。

「こくいん……刻、印? ……それ……。それ、は……!」

「……実佳?」

 呆然と何かを呟く実佳を呼ぶ。

 だが、実佳の声は。言葉は。

「しって、ちがう、しらない、でも……!わかる、うそだ、わかりたくない……!」

 なつめの声が届いているはずなのに、止まらない。

「やめ、やめて……! やめて、やだ、いやだ! いやだいやだ、嫌だ!」

「実佳、実佳!」

「うあ、ぁ、あああ!!」

 振り返らずとも、伝わってくる実佳の異常。きっと髪を必死に振り乱して、聞こえるもの、見えるもの、全てをがむしゃらに拒絶しているに違いない。

 明らかにあの二人の言葉に反応している。

 そんな実佳を見て、金の目の男が忌々しそうに顔を歪める。見て取れるのは、明らかな憎しみ。

 ゆらりと、その手が動いた。蜃気楼のように空間が歪み、そこから現われたのは、男の身長を越える長さを持つ大太刀。傍にいる少女もまた、同じように手を動かし、何もないところから巨大な鎌を取り出す。

 ……それらを前にして。

 なつめは両足を踏み締め、向き直るしか出来ずにいた。

 逃げられるわけがなかったのだ。自分の後ろに、身動きのとれない隆哉と、何よりも正気を失いかけている実佳がいるのなら。そして、そんな二人を守れるのが自分一人である以上は。

 覚悟を決める以外に、選べる選択肢はなかった。

「そこにいる、刻印を庇って逃げようともしない人間と、後ろで蹲ってる人間は」

 男は、ここでようやくなつめと隆哉を順番に見やりながら、言った。

「関係者だと思うか?」

「さあ」

 少女はそっけなく答える。

「でも、この場にいるのなら」

「そうだ。この場にいるなら、仕方が無い」

「私達は、私達の役目を果たさないといけない」

「すぐに逃げれば、追わなかったんだがな。……苦しめるつもりもない。忌々しい刻印と一緒に、消えろ」

 そして、胡乱の塊とも言える男と少女は。

 二人同時に、迷う事も躊躇の欠片もなく、武器を構えて真っ直ぐにこっちに突っ込んできた。

 襲い掛かってきたのは、まるで血が凍るような悪寒と、押し潰されそうな威圧感。

 刀と鎌の刃は、容赦なくなつめ達三人に向けて振り下ろされた。

 咄嗟に【装神具】の出力を限界まで引き上げて、両腕を軸に出来る限りまで強化した障壁を作り、それぞれを受け止める。

 ……受け止めただけ、だ。それ以外の行動など、出来る余裕はなかった。じりじりと、身体ごと後ろに押されているのが分かる。

 振り下ろされた衝撃は、なつめ達を襲うだけに飽きたらず、周辺周囲をずたずたに引き裂いていく。コンクリートで出来ているはずの壁も砕かれ、そこら中に破片が散らばった。

 辛うじて破壊から逃れた壁も無傷では済まず、まるでナイフを使って切り裂いたかのような跡が幾筋も残る。元々はコンクリートの塊であったはずのものが、だ。この現状を作り出しているのが、こいつらだというのだから──。

(はっ……! 笑うしかねえだろ、こんなもん……!)

 気が付いたら唇の両端が持ち上がっていた。どうやら人というものは、どうしようもない現実に直面すると乾いた笑いしか出てこないらしい。

 身体が軋む。

 腕は痛みに悲鳴を上げ、足が地べたにめり込んでいく。

 殊更強く、歯を噛み締めた。こんなふざけた現実、いっそ夢ならどんなに良かったか。

 だが今この瞬間にも、自分自身の身体を含めた周囲にあるもの全てが『これは紛れもない現実だ』と激痛と共に訴えている。

 ふざけるなよ、馬鹿野郎。

 事実は小説より何とか、などという言葉があるのは知っているが、それにしたってこの状況は、笑うことしか出来ない喜劇のなり損ないだ。

 男の方があからさまに舌を打った。どうやら、この現状を打破出来ない事に苛立っているらしい。それを証明するように、更に、力が込められる。真上から押し潰されそうな、重苦しい圧迫感に、呼吸さえ遮られ始めた。

「終わらせる──!」

 男のものか、あるいは、少女のものか。響いた声が途切れるより前に、それぞれが握る刀と鎌とが、煌々と黒く輝く。

 終わるという言葉が指し示すものが何なのか。明確に言葉にはされなかったが、反射的に脳裏を過ぎったのは、自分達の命。つまり。

(ここで、死ぬ?)

 こんな三流物語みたいな出来事のせいで。

 正体不明の、冗談なんだか化物なんだか分からない存在の手で。

 思考している時間は一瞬で、その間に再び感じる、あの嫌な悪寒と押し潰されそうな威圧感。逃げることはもはや叶わない。

 ──それならば。

 力の放出を続けた事により、【装神具】の出力リミッターがついに外れる。ピアスから溢れるのは(くれない)をまとう別の光。

 絶望とも思える黒と、紅蓮の炎の如き紅が、激しくぶつかり合う。

 端から何も持たぬ身だ。足で地を、強く深く蹴って、前に進む。この身一つのみを武器とし、目の前の目標めがけて真っ直ぐに突っ込んだ。

「なつめ──ッ!!」

 実佳の、声がする。

 そうして、次の瞬間には、視界が白に染まった。

完結まで予約投稿済みです。

もし

「先が気になる」

「面白い」

と思って下さったら、

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とお星様のポイントを入れて下さると幸いです。

また感想・誤字脱字報告などもお待ちしています。

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